中外医薬生産 株式会社
1919年(大正8年) 創業
次なる100年に向けた革新への挑戦
創業1919年。医薬品の研究開発から製造・販売まで一貫して行う直販メーカーとして、地域に根ざし、歴史と伝統を紡いできた。百五銀行に勤務していた林太郎(りんたろう)は、尊敬する先輩の死に直面し『人の一生は儚く、自分にしかできないことをやりきろう』と家業に戻ることを決断。新工場の設立により急成長すると同時に、品質クレーム・大量離職・知財訴訟等、様々な困難に直面。経営理念である「品質は礎、人は財産、利益は泉」を軸に、仲間とともに多くの困難を乗り越え、次なる100年に向けて革新に挑み続けていく。
企業紹介VTR
中外医薬生産の歴史
1919年 (大正8年) |
創業 |
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1944年 (昭和19年) |
企業統制令による県下唯一の新薬製剤製造工場となる |
1945年 (昭和20年) |
吸収工場分離、直販体制をとり、痔の薬ザッスル等ユニークな製品を中心に研究開発に着手 |
1976年〜1982年 (昭和51年~57年) |
GMP準拠工場として錠剤・坐剤・軟膏・液剤・試験研究各工場完成 |
1997年 (平成9年) |
「ゆめぽりす伊賀」上野新都市にて新本社及び新工場完成、全面移転 |
2001年 (平成13年) |
第二工場として大型錠剤工場増設、竣工 |
2005年 (平成17年) |
ステロイド製剤設備分離のため坐剤、軟膏の製造場所を改修 |
2012年 (平成24年) |
新研究開発棟(R&Dセンター)を増設、竣工 |
2016年 (平成28年) |
第三工場として固形剤工場、坐剤・外用液工場を増設・竣工 |
2018年 (平成30年) |
液剤工場として伊賀市西明寺に「みどりヶ丘工場」を竣工 |
公式ホームページはこちら
代表紹介
常務取締役
田山 林太郎 (たやま りんたろう)
経歴:同志社大学卒、百五銀行に12年勤務の後、家業を継ぐべく入社。
2002年(平成14年) 百五銀行 入行
2014年(平成26年) 中外医薬生産 入社
2018年(平成30年) 常務取締役 就任
2002年(平成14年) 百五銀行 入行
2014年(平成26年) 中外医薬生産 入社
2018年(平成30年) 常務取締役 就任
第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019
2019年10月23日(水)開催
三重県津市にて、「第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019」を開催し、中外医薬生産 常務取締役 田山 林太郎 氏に登壇していただきました。
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〈第1部 前編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜人生の選択〜
〈第1部 後編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜人財〜
〈第2部 前編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜挑戦~
〈第2部 後編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜未来展望~
〈番外編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜思いを振り返る〜
〈前編〉三重燈火会「コロナ禍の決断と行動」
〈中編〉三重燈火会「コロナ禍の決断と行動」
〈後編〉三重燈火会「コロナ禍の決断と行動」
写真でみる中外医薬生産
※ 2019 年 10 月 23 日時点