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〈第2部 前編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜挑戦~

2019年10月23日(水)、「第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019」が三重県総合⽂化センターを会場に開催されました。

フォーラムは、「長寿企業の知恵・事業継承の秘訣を学べる唯一無二の機会」として開催され、「経営者の葛藤と知恵 後継者の苦悩と革新を本気で語り合う!!」をテーマに、ディスカッションが行われました。

第1部パネルディスカッションは「⻑寿企業経営者の葛藤と知恵」と題して、事業を次代に渡す立場の3社3名に、第2部パネルディスカッションは「⻑寿企業後継者の苦悩と⾰新」として後継者の立場の3社3名にご登壇いただきました。

第1部 登壇企業
宮﨑本店
井村屋グループ
伊勢⾓屋⻨酒 ⼆軒茶屋餅

第2部 登壇企業
久志本組
おぼろタオル
中外医薬⽣産

三重の老舗企業によるフォーラムの様子を、5回に分けてお伝えしていきます。

〈第1部 前編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜人生の選択〜
〈第1部 後編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜人財〜
〈第2部 前編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜挑戦~ ※本記事
〈第2部 後編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜未来展望~
〈番外編〉第6回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 三重 2019 〜思いを振り返る〜

本記事では、第2部パネルディスカッション「長寿企後継者の苦悩と革新」「苦悩と葛藤」「時代を繋ぐ挑戦」という切り口で見ていきます。

⻑寿企業後継者の苦悩と葛藤

久志本組の清⽔良保⽒、おぼろタオルの森⽥壮⽒、中外医薬生産の⽥⼭林太郎⽒は、どのような道を歩んできたのでしょうか

三重フォーラム第2部

久志本組 清水氏の苦悩と葛藤

久志本組 6代⽬ 代表取締役社⻑ 清⽔良保 ⽒
久志本組 6代⽬ 代表取締役社⻑ 清⽔良保 ⽒

久志本組の創業は1902年、『人と地域に頼られる存在でありたい』と、三重県北勢地域を中心に、小さな修理から改修・新築までを請負う”建設ワンストップサービス企業”として、地元企業や地域の皆様と共に歩んできました。

清水氏は厳しい状況だった、家業に戻った頃を振り返ります。

「⼤⼿ゼネコンにて修⾏後、2009年事業承継のため家業へ戻りましたが、当時は売上・社員ともピーク時の1/3(売上14億、社員26〜27⼈)と資⾦繰り含め極めて厳しい状況でした。

前職で仕事の基礎を覚え実戦もこなしていたので現場の⾃信はあったものの、管理役職としては無知で経験もなく、無⼒さを痛感しました。

また、社内において完全アウェーな⽴ち位置で、かつ部署間のセクショナリズムがあり、会社全体の⼀体感がありませんでした。

『このままではいけない!ギャップに悩んでいても何⼀つ問題は解決していかない!』とグロービス経営⼤学へ⼊学し、経営について0から学びました。更に、まず⾃分でやり、誰よりも真剣に取り組み、クイックヒット(成功事例)を打つことに注⼒。跡継ぎは能⼒で負けても、本気度(情熱&⾏動⼒)で負けてはいけない、と思いました。グロービスで出会った同志たちとの継続的な交流(意⾒交換)が⼤きな財産です。」

おぼろタオル 森田氏の苦悩と葛藤

おぼろタオル 取締役 森⽥壯 ⽒
おぼろタオル 取締役 森⽥壯 ⽒

1908年、おぼろタオルは日本画家の森田庄三郎が創業しました。無地のタオルしかない時代に、「朧染(おぼろぞめ)」という独創的な染色技法を開発し、瞬く間に全国へ広がりました。

森田氏は、売り上げが落ちる中、技術を活かした商品開発で乗り越えたと語ります。

「曾祖⽗が創り上げた『朧染(おぼろぞめ)』をはじめとする功績に感銘を受け、2005年⼊社しました。

⽇本三⼤タオル産地の⼀つとして栄えた三重ですが、海外からの安価なタオルで業界全体が苦しく、最盛期の1/3(売上4億未満)まで売上が落ちていました。倉庫に積み上がった在庫は4~5カ⽉分、追い打ちをかけるように、売上の25%を占める問屋が倒産してしまい、正直、どうしていいかわからない状況でもありました。

しかし、原点である”匠の技”、幾多な特許技術を活かし、浅野撚⽷(岐⾩県安⼋町)が開発した特殊な⽷を基に共同開発していた⾼級タオル『エアーかおる』が2007年完成し、メディアを通じて⼤ヒットしました。受注と⽣産体制のすり合わせに悩むこともありましたが、⾃社の技術に⾃信を持ちました。」

中外医薬⽣産 田山氏の苦悩と葛藤

中外医薬⽣産 常務取締役 ⽥⼭林太郎 ⽒
中外医薬⽣産 常務取締役 ⽥⼭林太郎 ⽒

中外医薬生産の創業は1919年のことでした。以来、医薬品の研究開発から製造・販売まで一貫して行う直販メーカーとして、地域に根ざし、歴史と伝統を紡いできました。

田山氏は家業に戻ったきっかけや、中小企業と大手企業の違いについて触れました。

「⼤学卒業後は百五銀⾏へ⼊⾏しました。法⼈コンサルで愛知・三重の優良企業への提案は⼤変やりがいもあり、事業承継のために⾃社へ戻ることは全く考えていませんでした。

しかし、⾃分の尊敬する先輩の急逝を通して、『⾃分にしかできないことをやりきろう』と決意し、家業に戻りました

社⻑からこれといった指⽰はありませんでしたが『⼤企業と中⼩企業の体制は違うから、同じようにやったら回らなくなるぞ』と助⾔をもらいました。

最初に驚いたのは中⼩企業の意志決定の仕⽅です。トップダウンの判断の速さは⼤⼿企業には真似が出来ません。また、社員の会社に対する帰属意識とモチベーションも⾼さに驚きました。

ある時、新規取引の為の某⼤⼿メーカーからの⼯場視察の際『中外さんの⼯場はおもちゃかと思いました。』と苦⾔を頂き、製造ラインの⼒不⾜を感じ、新⼯場設⽴にむけて挑戦しました。」

三重の老舗企業の「時代を繋ぐ挑戦」

悩みや葛藤、苦難を乗り越える中で取り組んだ改⾰・挑戦とはどのようなものなのでしょうか?

三重フォーラム第2部

久志本組の「時代を繋ぐ挑戦」

清水氏は、人材育成について次のように語ります。

「採⽤に関しては、“⼈員過多”を⽬指して新卒・中途に関わらず、積極的に採⽤しています。

中⼩企業にとって採⽤に対する不安・懸念は⾮常に⼤きく、同時に業績が厳しかった時代には⼀切採⽤コストをかけられなかったからこそ、全ての学校へ直接⾜を運び、僕⾃⾝が就職課の先⽣⽅へ説明に伺いました。何度も繰り返し、誠⼼誠意対応していくことで、先⽣⽅が推薦して下さり、学校主催の「就職説明会」へ⼤企業・有名企業でないにも関わらず、特別にお声がけをいただいています

⼈財育成に関しては、⼊社当初に技術的な部分を押し込むより、まずは建設業界と会社に浸透させていくことにフォーカス

現在では同じ学校出⾝の先輩&後輩ができ、学校側に弊社の良い部分も伝えてくれる等、⾮常に良い循環が⽣まれてます。」

おぼろタオルの「時代を繋ぐ挑戦」

森田氏は、売り上げが上がったことで人材に投資できるようになったといいます。

「“⾃社の強みを活かして新しいことをする”という当たり前のことが出来ていませんでしたが、⾼級タオル『エアーかおる』の成功を期に、⾼くても売れる、受け⼊れて貰える市場を再認識し、2014年に『専顔タオル』、2017年には『おぼろ百年の極』をそれぞれ発表しました。売上も4億未満から約2倍の7億円まで復活することが出来ました。

採⽤・育成⾯では、“匠の技“を伝承したくとも、これまで実施することができない経営状態でした。給与もあげられず、⼈も⼊ってこないからこその悪循環であり、空⽩の年代が多い状態でした。

現在では若い⼥性を農業⾼校や⼯業⾼校から積極的に採⽤し、また5年前からは“再就職斡旋企業”から職場体験にきてもらうことで、先⽅の希望と会社との適正も含めて擦り合わせて採⽤することが増えてきました!」

中外医薬生産の「時代を繋ぐ挑戦」

田山氏は、自社の成長の中でも危機があったといいます。

「新⼯場⽴ち上げを期に、売上40億へと3倍以上の成⻑を続けているものの、3つの危機に直⾯しました。

1つ⽬は品質問題による、⼤クレーム。第⼀号案件で品質問題が発⽣し、半年間の発売延期を余儀なくされました。数千万円をかけて品質改善を⾏いましたが、発売前のタイミングのお陰で、⾵評被害にならなかったのが不幸中の幸いです。

2つ⽬が⼤量離職です。製造キャパを越える受注で、夜勤体制の⼆交替・⼟曜出勤を実⾏したところ、次々に社員が辞めていく事態となり、『社員を⼤切にする会社にしていこう』と胸に刻んだ瞬間でした(⼯場ラインの新設も実施) 。

3つ⽬が提訴。⼤⼿製薬メーカーと知財係争が発⽣し、和解しましたが、弊社にはない⼤⼿弁護⼠事務所の知財専担チームが先⽅にはあり、⼤企業との⼒の差をまざまざと感じさせられました。」

本記事、第2部「長寿企業後継者の苦悩と革新」〈前編〉では「苦悩と葛藤」「時代を繋ぐ挑戦」に焦点を当てて見てきました。次回は 「事業継承と未来展望」に焦点を当ててご紹介します。

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