〈第2部 前編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 ~挑戦~
2019年7月22日(月) 、しずぎんホール ユーフォニアにて「第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019」が開催されました。
第1部パネルディスカッションでは、「長寿企業経営者の葛藤と知恵」をテーマに「事業継承」「ターニングポイント」「人財」「変えるべきもの・変えないもの」の4つの切り口で老舗企業3社の知恵に迫りました。
第2部パネルディスカッション「長寿企業後継者の苦悩と革新」では、「苦悩と葛藤」「時代を繋ぐ挑戦」「事業継承と未来展望」を切り口に、第1部とは異なる長寿企業3社にお話を伺いました。
静岡の老舗企業6社によるパネルディスカッションの様子を、5回に分けてお伝えします。
〈第1部 前編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 ~決断の時~
〈第1部 後編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 〜人財~
〈第2部 前編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 ~挑戦~ ※本記事
〈第2部 後編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 〜未来展望~
〈番外編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 〜思いを振り返る〜
本記事では、開場の挨拶の様子のご紹介、丁子屋・浮月楼・栗田産業の「苦悩と葛藤」「時代を繋ぐ挑戦」に焦点を当てて見ていきます。
静岡の老舗企業の「苦悩と葛藤」
柴山広行氏、久保田耕平氏、栗田圭氏は、どのような道を歩んできたのでしょうか?
丁子屋の苦悩と葛藤
丁子屋14代目 専務取締役 柴山広行 氏
丁子屋は1956年創業です。「東海道五十三次」に描いた鞠子宿のモデルとして、400年以上とろろ汁と共に旅人を迎え入れてきました。
柴山氏は家業に戻った際、手探りの日々が続いたといいます。
「家業に戻り14年目になります。
私自身一般の企業に就職したことがなく、好きなことをしていたので、組織・給料に意識が無いまま入社しました。また、入社の前年2003年の食中毒事件もあり、業績がみるみる低迷していきました。
当時は何をしていいかわからなく、また社長の息子という立場もあり、手探りの日々が続いていました。
今でも思い出すのが、一度店の大広間で社員を集めて賞与カットの話をした際、非常に社員が騒つきました。みんな頑張っていましたが社員と経営のベクトルが同じ方向を向いておらず、風通しも悪く歯車の噛み合っていない状況が続いていました。」
浮月楼の苦悩と葛藤
浮月楼 専務取締役 久保田耕平 氏
1891年、料亭「浮月楼」は開業しました。以来、十五代将軍徳川慶喜・渋沢栄一が愛した庭を120年余り守り続け、日本の歴史とわびさびを伝えてきました。
一族で初めて厨房に立った久保田氏は、浮月楼の課題について次のように語ります。
「父が他界した時、私は大学在学中でした。叔父が家業を助けてくれて、28歳になるまで好きなことをさせて頂いてましたが、やはり静岡のことが好きでした。
だからこそ実家に戻る為に何をすべきか考え、料亭の本質的な食料・食材を学ぶ為、築地で修行をし、家業に戻ってからは一族で初めて厨房に立ちました。家系の中で厨房に入った経営者はおらず、逆に言うと浮月楼の味に触れることをしてきませんでした。
厨房と言っても基本は毎日鍋を磨いていました。しかし、周りの板前さんに『今やっている仕事を、上に立っても忘れないでくれ』と言われたのが非常に印象的です。
心配事として『現社長についてきている人』と『自分についてきている人』と分かれているので、どうすれば全員が同じベクトルに向かって共に挑戦できるかが課題です。」
栗田産業の苦悩と葛藤
栗田産業 副社長 栗田圭 氏
栗田産業は、1890年に初代重太郎が鋳物屋として創業しました。
家業に戻った際、栗田氏は困難に直面します。
「もともと家業とあまり接点はなく、学生の時は好きなようにさせて頂いていました。
大学卒業後に他の鋳造屋で修行してこいということで、大手の鋳造部にお世話になっていました。修業先では会社工場を運営するルールが明確で、その通りに現場が動くの当たり前という世界で学ばせてもらいました。
改めて家業に戻ると自社には運営ルールも風土も無いことに非常に面食らいました。入社時の最初の仕事は大手顧客のクレーム処理でした。『安売りの栗田』などと言われていました。
前職場の上司がその際に相談に乗ってくれたのが有り難かったです。社内に頼れる仲間がいなかったので、自分がやるしかないと腹を決めて改革に望みました。」
静岡の老舗企業の「時代を繋ぐ挑戦」
悩みや葛藤、苦難を乗り越える中で取り組んだ改革・挑戦とは何でしょうか?
丁子屋の時代を繋ぐ挑戦
柴山氏は家業が困難に陥った際、理念を確立したといいます。
「2005年の食中毒後、売上が上がらない為、コスト削減から考えました。
その中で漬物屋さんとの取引を終えたことで廃業に追い込んでしまいました。今振り返ってみると丁子屋として良い答えだったのかわかりません。
売上低迷・社内の亀裂・業者の廃業が重なり、バラバラになっていた気持ちをもう一度一つにするべく、『みんなが安心できる場所であるために、丁子屋が丁子屋としてありつづける』という理念を確立しました。
ただ抽象的な言葉というここともあり、従業員から『もっとお客様に対して言葉をつくろう、そうすれば社員がより何のためにサービスをしているのか実感出来る』との意見も頂き、皆んなと一緒に少しずつ突き詰めていきたいと考えています。」
浮月楼の時代を繋ぐ挑戦
久保田氏は料理を大切にするとともに、社員のための環境づくりを行っています。
「『良い文化は調理場にある!』
例えば、丁子屋さんはととろ汁が名物ですが浮月楼にはそれがありません。逆に言うと季節によって器・食材・床の間の設え、仲居の接遇全てを含めてが料亭という文化です。その中で一番大事なのが料理。お庭に生えている葉蘭を設えとして添えたり、出来るだけ料理と庭を植物を通じて繋げたいと考えています。季節の食材、季節の花・植物の両方を楽しんで頂きたいです。
文化に価値を見出して足を運んでくださる方々がまだまだ多く、近年外国の方も増えてきたので、引き続き厨房と連携を行います。
社員達には人事面接を通して、社員の現状の不満や想いを受け止めるように改革しています。女将である妻も面談に入ることで、より話がしやすい環境づくりを夫婦二人三脚で創っていきます。」
栗田産業の時代を繋ぐ挑戦
栗田氏は、会社の内外での取り組みを進めています。
「ISO規格取得・経営コンサルタント導入など、目標達成型組織を創る取組みをスタートしました。
しかし従来社員教育をしてこなかったため、離職者が出ました。それでも皆がやりがい持って働ける組織をつくるために、様々なプロジェクトを立上げ、自らも勉強しながら邁進しました。しかし、組織的に成熟しておらず、社内で亀裂・摩擦が発生し、離職者が続出し、実力・経験不足を痛感しました。
3年ほど経営を離れた際、アチーブメント青木さんに『人をやる気にさせることはできない』と言われ、人を変えようとしていた自分にとっては目から鱗でした。
現在は自ら率先して動き、それに賛同してくれる仲間を募るようにしています。社外では自社のために実行していた管理の仕組みを他社(鋳物屋の同業他社)に提供し、更にはそれぞれ得意分野を協力し合うことで、新規の営業獲得へと繋げる、鋳物屋ネットワークの仕組みを構築しました。」
本記事、第2部「長寿企業後継者の苦悩と革新」〈前編〉では、丁子屋・浮月楼・栗田産業の3社の「苦悩と葛藤」「時代を繋ぐ挑戦」を見てきました。次回は第2部後編、「事業継承と未来展望」に焦点を当て、長寿企業の知恵を紐解いていきます。