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〈第1部 前編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 ~決断の時~

2019年7月22日(月) 、しずぎんホール ユーフォニアにて「第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019」が開催されました。

第1部パネルディスカッションでは、「長寿企業経営者の葛藤と知恵」をテーマに「事業継承」「ターニングポイント」「人財」「変えるべきもの・変えないもの」の4つの切り口で老舗企業3社の知恵に迫りました。

第1部 登壇企業
ヤマザキ
江﨑新聞店
田丸屋本店

第2部パネルディスカッション「長寿企業後継者の苦悩と革新」では、「苦悩と葛藤」「時代を繋ぐ挑戦」「事業継承と未来展望」を切り口に、第1部とは異なる長寿企業3社にお話を伺いました。

第2部 登壇企業
丁子屋
浮月楼
栗田産業

静岡の老舗企業6社によるパネルディスカッションの様子を、5回に分けてお伝えします。

〈第1部 前編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 ~決断の時~ ※本記事
〈第1部 後編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 〜人財~
〈第2部 前編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 ~挑戦~
〈第2部 後編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 〜未来展望~
〈番外編〉第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 〜思いを振り返る〜

本記事では、開場の挨拶の様子のご紹介、ヤマザキ・江﨑新聞店・田丸屋本店の「事業継承」「ターニングポイント」に焦点を当てて見ていきます。

第5回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 静岡 2019 開場の様子

ここでは、フォーラム開場の様子をご紹介します。

開場の挨拶

静岡フォーラム開会

智慧の燈火プロジェクト発起人、田中雅也が開会の挨拶を行いました。

「皆さん、こんにちは。ただ今、ご紹介頂きました(株)チエノワ、智慧の燈火プロジェクト発起人の田中でございます。本日はお忙しい中、お集まりくださり、誠にありがとうございます。

ご登壇くださる皆さま、また、ご後援ならびにご来賓くださった皆さまや何度も打合せさせて頂いた静岡県内の長寿企業の皆さま、そして、二人三脚で本日の開催に向けて取り組んで下さった、東京海上日動・静岡支店の皆さまへ、この場をお借りして、感謝申し上げます。ありがとうございます!!

さて、日本には創業100年を超える企業が3万3千社、200年企業は3,000社、更には1000年企業は11社と、その全てにおいて世界の半数以上を占めております。

その中で、静岡県では100年企業が何社あるか、皆さま、ご存知でしょうか?
1140社ございます。本年2019年には63社、更に今後10年におきましては 776 社 が 100 周年を迎えます。※帝国データバンク参照。

これまでの2年間、800社を超える長寿企業とご縁を頂き、それぞれの”ものがたり“を映像や雑誌、イベントなどを通して遺してくる中に、幾多の困難を乗り越えながら、伝統の味、匠の技、そして、お客さまとの信用、これらを受け継ぎ、地域と共に発展してきた歴史(物語)には必ず”唯一無二の知恵”があり、この知恵こそ、地域の宝であり、日本の財産であると、僕は確信いたしました。

そこで、参加頂く皆さまにお届けし、『何か一つでも気づきや学びを得て、明日の経営に活かして頂きたい!!』との想いで、本フォーラムを開催させていただきました。結びではございますが、本日が皆様にとって、有意義な時間になることを祈念し、開会の挨拶とさせていただきます。それでは本日、どうぞ宜しくお願い致します。」

ご来賓・ご後援代表ご挨拶

静岡フォーラム開会

静岡県副知事、吉林章仁氏より、開会の挨拶をいただきました。

「本日は第5回地方創生経営者フォーラム・静岡〜伝燈と志命〜、このように多くの方々にご来場いただき開催されること、心よりお喜び申し上げます。2017年第1回広島が開催され、新潟、岐阜、千葉そして静岡と、回を重ねて来られたことに敬意を表する次第です。

本県では99.8%が中小企業で、全体で12万社を超え、地域経済・雇用を支える担い手として日々ご活躍頂いておりますが、一方で近年事業承継にあたる後継者不足、若年層の人材流出などの大きな課題に加え、AI、IoTなどのIT技術の進歩により、第4次産業のイノベーションが目まぐるしく行われております。

本フォーラムでは県内長寿企業経営者、後継者の皆さまから事業承継、人財確保の秘訣。並びに、それぞれの経営改革を伺えると聞いており、大変楽しみにすると共に、本フォーラムのご盛会と本日ここにお集まりの皆さまのご健勝とご活躍を心から祈念申し上げます。」

静岡の老舗企業の「事業継承」

ヤマザキの山崎寛治氏、江﨑新聞店の江﨑和明氏、田丸屋本店の望月啓行氏の3名は、どのように長寿企業の襷を受け継いできたのでしょうか?

静岡フォーラム

ヤマザキの事業継承

ヤマザキ4代目 代表取締役会長 山崎寛治 氏
ヤマザキ4代目 代表取締役会長 山崎寛治 氏

ヤマザキは1890年創業です。鰹節、塩乾魚(えんかんぎょ)加工を生業とし、3代目・愛太郎が1954年に煮豆製造を開始。4代目にあたる寛治氏は煮豆製造から惣菜メーカーへと大転換に挑戦しました。家庭料理を商品とし、従業員わずか11名から1,600名、売上270億の企業まで育て、5代目へ経営を託した惣菜界のパイオニアです。

山崎氏は、先代の影響で家業へ戻る決断をしました。

「慶應大学卒業後、子供の頃からの夢だった貿易の仕事をするために商社に入社しました。非常に嬉しくて、当時は寝ないで仕事しながら、シアトル駐在員に誘われた際、親父(先代)が独身寮まで怒鳴り込み『先祖が遺した事業に対してどう思っているんだ!事業には先祖から引き継いだ“夢“があるんだぞ』と叱咤されました。将来を真剣に悩んだものの、最終的に家業へ戻る決断をさせて頂きました。

当時はボロボロの工場で、従業員も11名。商社とは勝手が違い、全く何をしていいかわからない数年を過ごしましたが、経営の本を読んだり色々な努力が出来ました。

また当時は豆を煮るところから、販売して集金するところまで全てさせて頂いたことで”商い”というものを知ることができました。」

江﨑新聞店の事業継承

江﨑新聞店4代目 代表取締役社長 江﨑和明 氏
江﨑新聞店4代目 代表取締役社長 江﨑和明 氏

1909年創業。新聞・情報を、毎日お届けする…この「あたりまえ」を守り続けて110年。江﨑氏は4代目に当たります。

江﨑氏は事業を継承した理由を次のように語ります。

「出身が浜松で、大学卒業後には静岡新聞社へ入社しました。たまたま同期入社の妻と出会い、実は江﨑新聞店の娘さんということが後にわかりました(笑)。

江﨑新聞といえば静岡新聞のトップディーラーで、その時の上司に『一刻も早く辞めて、江﨑新聞店に入るのが静岡新聞社の為なんだ』と言われ、24歳で江﨑新聞店へ婿として入社。実は江﨑新聞店では2代目、3代目も婿として入社(初代以外みんな婿)していて、婿で入るのが当たり前の家風がありました。

当時、父親からの言葉で印象に残っているのが『これから周囲には”片腕をつくれ”って言われるようになるだろうが、片腕は絶対につくるな!出来てくるもんだから、そんなものを考えている暇があったら自分が一生懸命やれ』。今思えば本当にその通りだったと感じます。」

田丸屋本店の事業継承

田丸屋本店5代目 代表取締役社長 望月啓行 氏
田丸屋本店5代目 代表取締役社長 望月啓行 氏

田丸屋本店は1875年に創業しました。東海道本線開通と共に、田丸屋の代名詞「わさび漬け」の平樽詰めを販売。その後、話題沸騰の「わさビーズ」を開発、地域・業界を巻き込み、世界へと展開しています。

望月氏は、様々な企業を経験したのち、家業に戻ったといいます。

「大学卒業後、色々な会社を経験し、最後には味の素へ入社しました。

非常に居心地が良かったですが、祖母・3代目・親からも家業について非常に強く言われていたのと、自分に出来るチャレンジをぜひやりたいと思い、30代半ばで家業に戻りました。

ちょうどバブルが弾け、わさび漬けの売上も急降下。加えて4代目の父親も元々物理学者で、経営をしてこなかったこともあり、資金繰りやマネジメント、人材育成と非常に難しい状態でした。

田丸屋の先輩方はわさび漬けで成功してきましたが、わさび漬けが売れなくなった時、皆どうしていいかわからなくなっていました。そんな時期に事業を承継してきました。」

静岡の老舗企業の「ターニングポイント」

自身が事業承継した後に直面した、幾多の困難(艱難辛苦)。3社はどのように乗り越えてきたのでしょうか?

静岡フォーラム

ヤマザキのターニングポイント

山崎氏は家業を継ぎ、ヤマザキを煮豆製造から総菜メーカーへと転換させました。

「家業を継いだ時は、本当に何をしていいかわかりませんでした。その時に雑誌「商業界」を読みふけり、『事業には理念がないといけない』『何の為にやるのか』をハッキリしないといけないと実感。また、同時期にダイエーの売上が三越を超え『社会が大きく変わろうとしている』ことを肌で感じていました。

近くにイトーヨーカドーが建設され、縁あって紹介していただけることになり、煮豆を持参しました。当時担当の川西さんに『料理を商品にするという意味がわかるか?』と言われ『惣菜は素材(野菜)よりも売れるようになるかもしれない』と感じ、簡単な惣菜”をサンプルとして持参するとすぐに商品化まで進みました。煮豆屋から惣菜メーカーへ事業転換する、まさに過渡期でした。」

江﨑新聞店のターニングポイント

江﨑氏はバブル期の失敗を糧に、江﨑新聞店の理念を読み解くことで会社を変えてきました。

「入社当時は毎日2、3時に起きて現場仕事をしていました。

バブルになり、人気ではなかった新聞配達業は猛烈な人手不足に陥りました。『仕組みがおかしいのではないか?』と思い、評価制度・給与制度など改革を行いましたが、結論は大失敗。社内のベテラン勢に賛同を得られず、非常に苦い経験をしました。

そんな時、静岡銀行中西会長の勧めで稲盛さんの本を読み、盛和塾に入塾。理念・フィロソフィーを教えて頂き、『自分に足りていなかったのはこれだったか!』と目から鱗となりました。

本当に社員に幸せになってほしい・地域に貢献したいという思いが腹の底から想っていなかった、と今では感じます。

江﨑のモットー(理念)をもう一度自分なりに読み解き、理解し、伝えていく。その辺りからようやく会社が変わりはじめました。

田丸屋本店のターニングポイント

望月氏はわさび漬けに固執することなく、わさビーズを開発することでマーケットの変動に対応しました。

マーケットの変動により、わさび漬けの売上が急激に低下し、会社全体で非常に悩んでいました。お米離れや健康志向により、わさび漬けは今後益々マーケットが狭まると感じ、田丸屋では何をすべきか?と考えました。

同時に『静岡県の地域資源であるわさび』の価値は確実にあると感じていました。わさびを美味しく食べていただけるのであればわさび漬けに拘る必要はないのでは?と考え、わさび+αを開発・提案していこうと決意!

現在、日本の香辛料で人気なのは唐辛子系。わさびを食べる文化が薄れつつあるからこそ、『0→1で商品開発をしよう!』『若い人たちに受け入れてもらえるにはどうすべきか?』を考え、10年の歳月を掛けてわさビーズを開発

まるで宝石のようになったのは開発メンバーが『インスタ映え』をするように工夫してくれたお陰。時代の変化としてSNSが広がったことに合致し、TwitterやFacebookで大変反響があり、メディア出演多数となりました!」

本記事、第1部「長寿企業経営者の葛藤と知恵」〈前編〉では「事業継承」「ターニングポイント」を見てきました。次回は「人財育成・人財確保のための取り組み」「未来へ~変えるべきもの、変えないもの~」に焦点を当て、長寿企業の知恵を紐解いていきます。

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