株式会社 山本海苔店
1849年(嘉永2年)創業
伝統と革命のバランスを保ち、こだわりの味を世界に
「よりおいしい海苔を、より多くのお客様に楽しんでいただく」ことをモットーに、「おつまみ海苔」の開発を始め海苔の新しい可能性を追求し続けている。まるうめブランドをさらに強化し、海苔を中心とした豊かな食文化を提案業界の第一線にありながら、常に時代に即した商いを行い「伝統は革新の連続である」という姿勢を持ち続けることを重んじ160余年の時を経て現在も多くの山本海苔ファンに愛されている。
山本海苔店の歴史
1849年 (嘉永2年) |
初代山本德治郎、日本橋室町一丁目に創業 |
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1858年 (安政5年) |
二代目山本德治郎を襲名。「マーケティング」により、顧客ニーズに応じ海苔を8種類に分類して販売 |
1869年 (明治2年) |
味附海苔を創製。明治天皇の京都還幸に際し、御所への東都土産のご下命より、宮内省(庁)の御用を賜る |
1882年 (明治15年) |
東京市内のノリ問屋11名と「東京乾海苔問屋組合」を組織し、東京府知事の認可を得る |
1902年 (明治35年) |
登録商標法制定と同時に「まるうめマーク」を登録し、認可される |
1923年 (大正12年) |
関東大震災により、日本橋の店舗をはじめ倉庫が消失。日本橋にあった魚河岸も震災を機に築地へ移転 |
1931年 (昭和6年) |
文豪の泉鏡花より賛文「山本特製海苔報條」を寄稿される |
1945年 (昭和20年) |
5月25日の空襲で本店焼失。12月には葦簀張りの床店で開業 |
1946年 (昭和21年) |
従来の個人商店を会社組織に改め、株式会社山本海苔店を設立。 |
1954年 (昭和29年) |
銘々海苔「梅の花」発売開始 |
1965年 (昭和40年) |
本社新社屋竣工。駐車場側にドライブイン(日本初といわれるドライブスルー)設置 |
2007年 (平成19年) |
丸梅商貿(上海)有限公司設立 |
2014年 (平成26年) |
佐賀市久保泉町に工場新設。日本最大の海苔生産地である佐賀に製造拠点を設置する |
公式ホームページはこちら
代表紹介
6代目 山本 德治郎(やまもと とくじろう)
- 1973年4月 株式会社山本海苔店へ入社
- 76年取締役、82年常務取締役を経て
- 1995年 取締役社長に就任。6代目山本 德治郎を襲名する
山本 貴大(やまもと たかひろ)
- 2005年 東京三菱銀行入行
- 2008年 山本海苔店入社
東京三菱銀行から、2008年に同社入社後、仕入部で海苔全般の勉強を行い、山本海苔店100%子会社・丸梅商貿(上海)に勤務し、おむすび屋「Omusubi Maruume」を立ち上げる。その後、シンガポール髙島屋、台北三越店と海外店舗立上げに参画。現在、専務取締役営業本部長として営業全般を担い、「おいしい海苔」の普及に務める。
山本海苔店の「知恵」
のれんにあぐらをかかず、品質で勝負を
お客様からの信頼で歴史と伝統を築いてきた山本海苔店。これまで、数多くの挑戦と革新を行い
品質第一で「美味しい海苔をお客様へ」届けてきた。先代から伝わる、何度も繰り返し聞いた想いの裏に隠された物語とは!?
第4回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 千葉 2019
2019年2月18日(月)千葉県千葉市にて、「第4回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 千葉 2019」を開催し、株式会社山本海苔店 専務取締役 山本貴大氏に登壇していただきました。
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