長寿企業の知恵を、
次の世代・時代へ継承する
Webメディア 智慧の燈火

MENU

株式会社 山本海苔店「伝統は革新の連続である」

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回は親と子、6代目と7代目のなるべき男が、語り合う。
山本海苔店取締役社長 山本徳治郎。専務取締役 山本貴大。
山本海苔店が創業以来大切にしている2つの心。それは、「お客様に喜んで頂く心」「働いている人を大切にする心」

嘉永2年 初代山本德治郎が日本橋「室町1丁目」で創業。
安静5年 そして襲名性である山本海苔の2代目が誕生し、現在で言うマーケティングの手法を取り入れ顧客ニーズに応じ、海苔を8種類にして販売するなど当時としては画期的であったこの販売方法は、顧客の支持を得て「海苔は山本」と言われるようになる。
明治2年 創業20年を迎え、宮内庁御用達が制度として公式に始まる。
明治24年 名実ともに宮内庁御用達商人となった。
明治35年 登録商標法制定と同時に「まるうめマーク」を登録し、認可される。創業当時から使われてきた、「まるうめマーク」の由来は、創業の頃江戸前海では梅の咲く寒中には上質な海苔が取れたことと、海苔が梅の花と同じように香りを尊ぶことに因んでいる。
定番商品の梅の花・紅梅・梅の友など、梅にちなんだ商品名が多いのも、この「まるうめマーク」に関係している。
昭和40年代に入り、本社に新社屋を竣工し、駐車場側に日本初と言われるドライブスルー・ドライブインを設置。その後、山本陽子と専属モデル契約を結び、業界を問わず日本の食文化の発展に貢献し続けている
今回は、山本德治郎、山本貴大 親子対談の中から、山本海苔が持つ、長寿企業の知恵に迫る。

德治郎:もちろんうちは海苔屋ですので、おいしい海苔をお客様にということで、仕入れには非常に気を遣っておりまして、基本的には全国を回って一番美味しい海苔を採れる所を探す。現在は、九州の有明海なんですけども。そんな形で仕入れをその中でも、「どの浜が美味しいか」「どの時期のものが美味しいか」ということを綿密に調査して、仕入れる。

そして、仕入れて来た海苔は、等級別に出荷されるわけですけれども、それを買って山本海苔独自の分け方、先ほど言った8種類ではないですけれども、山本独自の目線で、もう一度海苔を「仕分」と言うんですけれども、仕分技術室と言うのがありまして、そこで海苔を専門の社員が、うちの面に合わせて「分ける」という事を繰り返し、そしてなるべく新鮮な状態でお客様にお届けするということを常に考えてやっているところが、他社にない山本の強みだと思います。

貴大:2代目のやったことが大きく2つあって。
一つ目が、「仕分」なんですけれども、もう一つが「味付け海苔の発明」ということだと思ってますので、山本海苔店は味付け海苔のパイオニアとして、一般的な味付け海苔というと、焼き海苔に醤油ベースの味ダレを塗って、乾燥させる程度のものなんですけれども、うちは色んな具材を、梅とか、ゴマとか、うにとか、いろんな具材を、フレーバーを海苔にまぶしてやっておりますので、味付け海苔のパイオニアとして「味付け海苔なら負けないぞ」という強みは、もう一つあると思います。

德治郎:小さい頃から、毎日食べてて、主治医みたいな人に、「お腹の中が真っ黒だね」とか言われました。あはは(笑)

貴大:僕は、逆に山本海苔しか、食べたことがなかったので、山本海苔(店)に入って、初めて海苔業界に入って、「あっ!これも海苔なんだ」ということに気付いたことはあります。

德治郎:小さい頃から、海苔を結構食べさせて、「この海苔どう?」とかっていうのは、僕、いろんな種類ありますんで、もちろん、うちのも(山本海苔店)「これ、どう?」「美味しい?」とかって、言って食べさせてましたね。ね?

貴大:記憶にございません(笑)。山本海苔の範囲で食べさせてたんですか?

德治郎:範囲で。山本海苔の範囲で「これ美味しい!」とか「これ、美味しいね」とか。

貴大:その中では、やってましたね。

德治郎:結構言ってたね。

貴大:他の海苔を食べたことが、あまりなかったですね。

~良い海苔の見分け方~

德治郎:ひと言で言えば、「色・艶・香り」なんですけれども、見た目だけではですね、味までなかなか(届かない)。もちろん、色と艶の良い物は、美味しいのが基本なんですけれども、必ずしも、そうではないところがあって。
色と艶があっても口の中で、飲み込むまでに溶けないと美味しさが出てこないわけで、柔らかい海苔っていうのが、重要になってくるので、うちはやっぱり、「柔らかい、食べて美味しい海苔」ということなんで。
基本的には、「色・艶・香り」の良い海苔が美味しいと言えますね。

やっぱり海苔って、自然の物なので、うちの「梅の花」でも、幅(味や品質の)が、多少あるんですよ。仕訳なおすので、品質のレベルは、かなり一定はしていますけど、天産物なので、幅がどうしても出来てきてしまうということで、いろんな幅を見ながら、梅の花も「本当に美味しい」のから「まずまず美味しい」のから色々あるわけですよ。
だから、その辺がなかなか難しいですけれども、「安定している」という意味では、まず間違えなく美味しいのが入っているのが「梅の花」ですね。
他のうちの商品も美味しいですけど(笑)

僕は、最近、僕の舌が正しいかどうか、世の中の一般の人と合っているかどうかっていうのが、凄く気になっていて。僕が「美味しい」って言ったものでも、世の中の一般の人から言うと、そうじゃないかもしれないって言うのは、常に意識してますんでね。あんまり、言わないようにはしていますけどね。「これは、美味い」とか「これは、ちょっと・・・」とか。海苔そのものについては言いますけど、味付けについては「これは、辛い」とか「これは、ちょっと濃すぎる」「薄すぎる」とかって言うのは、なるべく言わないようにはしてますけど、貴弘はどうなの?

貴大:それこそさっきの、うちは味付けに強みがあるということで、色んなフレーバーの味を出しているので、それ、以外のことは結構言いますね。そっちは、あんまり言わないようにしているということなので、今流行りの・・・嫌いなやつ(德治郎さんの方を向いて)「パクチー味」とかあるじゃないですか。とかは、絶対食べもしないと思います。
新商品です。って出てきても、(德治郎さんは)食べもしないと思います。

最初のテーマ 「創業の精神」

ここからは、テーマに沿って山本海苔が持つ長寿企業の知恵に迫る。
家訓や理念に込められた、想いを紐解く。

德治郎:私どもはずっと初代から品質第一というか、美味しい海苔をお客様にということでずっとやってきておりまして、何か決断をする時は、「これはお客様の為になるか?美味しい海苔の為になるか?」というところが一番大事だろうと言う風に思ってやってきました。

お客様を大事にする、そして社員を大事にする

この2つがこれがうちの大きな理念で、家訓としてはですね、先程言った2代目がいろいろ、「和と自分」にみたいなところに、3冊、4冊ぐらいあるんですが、ここに家訓のようなものが書いてあります。

そこには、原理原則みたいなことで、「和を大切に」とか、「積善(せきぜん)の家余慶(よけい)あり」とか、善を尽くすと良いことがあるよとかですね、「質素倹約」「もともと山本海苔は百姓なんだから質素に生きなさい」というような事が書いてあります。

その家訓は公開してなくて、私も社長を継ぐというか、30代の半ば頃に父から呼ばれて明治に2代目の書いた「和と自分」を見せられて読まされて、「これから店を継ぐ覚悟を固めろ」という事で、見せられました

私も貴大に数年前に同じ事をやったということで、社員には常々、うちのポリシーみたいな事は話してますが、家訓的なのは原理原則なんで、いつの時代でも通用する指導ってことではないが、2代目の書いたものそのものを目の前にして、「これからこの店を継いでいくんだ」という覚悟をしていくには、大きな重要なイベントだなあという風に私も思ってやりましたけど…どうでした(笑)?

貴大:あんまり…。たしかに、その瞬間のことは覚えてて、社長に「あーだ」「こーだ」言われて。でも読めないんですよ。字も難しいし。言葉も難解だったので、それを読み聞かせをしてもらった事があるんですけど。あれが「お前が継ぐんだぞ!覚悟を決めろ」というメッセージとは今まだとってなかったですね。
まあ、もう一回やってもいいかな?(笑)

德治郎:僕は事あるごとに、時々だして読み返してますし、彼にはまだ一度しか見せてないので、もうそれはまたそろそろ。

貴大:論語を読んでるみたいな感じで「へ~」っていう「良い事言うな~」みたいな(笑)。

企業が事業を長くやっていく上で欠かせないもの。
それは「理念や想いの浸透」

德治郎:ことある事にですね、同じような事をいつも、うちが百何十年と続いてきたのは、革新を続けてきて、その時代時代に合せてきたからこそ今があるんだということで、昔から江戸時代から同じ売り方を商売をしてたらもうないって言うことを僕も前の代から言われてるし、自分でもそう思ってるんで、社員には、「挑戦しろ」と。挑戦して革新を続けていかないと、うちの店は続いていかないから、「チャレンジしろ」と常々言っているし、美味しい海苔をお客様にお届けするという事は、うちのコアなので、それを忘れちゃいけないということを、本当に事あるごとに。

これは、松下幸之助さんの番頭さんで高橋荒太郎さんっていう人がいたんですが、その人の話を聞いたことがあるんですが、松下イズムを反復連打って。何度も何度もおんなじ事を反復して連打、繰り返して言えと、「私は松下幸之助のポリシーをそうやって社員に伝えてきたんだ」って言ってたことをと聞いて、自分で思い返しても、学校の校長先生とか、いろんな前の社長が言った事って、そんなに覚えてるわけでもないので、やっぱり何度も何度も同じことを言う事は大事なんじゃないかって思って。
社員は同じことを言ってるなと思うかもしれないけれども、何度も何度も言ってますね。

貴大:何度も言ってるんですけど、あんまり浸透してない・・・。

やっぱり挑戦というのは難しいので、それこそこの時代は仕組みを作ってあげないと中々挑戦しない。失敗を許容しても、失敗を評価するとか、スキル的なものが必要になってきてるのかなと僕は感じてる。

次代を担うべき者へ問う、家訓や理念の必要性

貴大:僕は凄い必要だと思っていて、色々と言い伝え的な理念がうちにはたくさんあるんですね。2代目はこういうことを言ってた。例えば3代目は「山本の看板がつく海苔には1帖たりとも不良品があってはならない」とかあるんですが、どこにも特に書いてない。

だけど、やっぱり我々は「なんでこんなに頑張って仕事しなければいけないの?」「何で残業するのか?」と思った時のよりどころになるための理念は必要だと思ってますので。

1回、3、4年前に社員とワークショップみたいな事をやって、一応、「これでやっていこう」と決めたものはあります

德治郎:明文化したね?

貴大:一応。

德治郎:確かに僕の言ってるのは…

貴大:かっこ悪いので、「より美味しい海苔をお客様に楽しんでいただく」というのが、その短いバージョンで、だいたい「我々は」から始まって、「~よって貢献する」みたいなものもあるが、それをシュッとさせると「より美味しい海苔をより多くのお客様に楽しんでいただく」ということがその短いバージョンなんですけど、だいたい「我々は」から始まって、「~によって貢献する」みたいな、一応すっごい長いのもあるんですけど、シュッとすると、「より美味しい海苔をより多くのお客様に楽しんでいただく」っていうことになっています。

~家訓や理念は時代によって変えるもの?変えないもの?~

貴大:それこそ、マーケティングの授業みたいな話になりますけど、「理念」というなら変えないべきでしょうね。
だけども、「クレド」とか、そういうやつだったら、どんどん変えていくべきだと思うので。 どちらかと言うと今のは理念っぽいので、今のは変える必要はないんじゃないかと想いますね。

德治郎:理念とか、フィロソフィー、コアコンピタンスとか、そういう変えていいものと変えてはいけないものがあって。哲学とかは変えないけど、言葉とか言い回しは変わってく、っていうのはやっぱり革新していくっていう。

さっきの仕事も革新して伝統だって言うけど、やっぱりコアの原理原則は変わらず、言い方とか、商売の仕方とかっていうのは社員に伝えていく方法も、時代に合わせて変えていかないといけない…でしょうね。だよね?

貴大:はい。

德治郎:はははは(笑)

貴大:僕が社長に、「経営理念って名文化したほうが良いよね?」って言って、社長が「良いんじゃない」みたいな感じです。それで、僕が「ワークショップやろうよ」って言って、やるとかそういう感じです。

德治郎:やっぱり僕と同じ考えの人間がミニチュアが出来ても全く意味がなくて、僕も親父と爺さんとモノの考え方とか違うだろうし、ただ、さっきのコアのところは変わらないけれども、仕事の仕方とか、そういうものはやっぱり考え方とかは時代に合わせてなり時代とともに変えていかないといけないので、彼は彼の次の世代を、次の何十年かをやっていく為には、彼の発想っていうのが必要なんだろうなと思って、とにかく「やってごらん」みたいな事はほとんど言いますね。

だから僕は、僕も先代とかに言われましたけど、「暖簾を売るな」と言われました。
「暖簾」っていうのは、今の山本の信用の暖簾で商売をしちゃうと…丸梅で買う人はしばらくはいるけど、食べてみたら美味しくなくなってたら、誰も買ってくれなくなる。
だからそれを「暖簾を売るな」っていう。「暖簾にあぐらをかかずないで品質で勝負しろ」と。そいうことだろうなと思って「暖簾を売るな」っていうのは。それはやっぱり大事な事だし、それをしなかったからこそ、続いきてると思いますけどね。

貴大:色んな所で話してきてるんですけど、僕は銀行からきたので、利益がすごく大事だと。銀行っていうのは利益から返済するので。しかも元銀行マンなんで、割り算が大好きで。

たとえば今年買った海苔の枚数がこうです。金額がこうですと言うと、1枚あたりの金額が出るじゃないですか?
そうすると、「1枚あたりの金額って下がったんですね。良かったじゃないですか」って言うと、財務部長とかは良かったというようになるんですが、山本家の人なんですけど、その人に言ったら「我々山本海苔店がこんなに安く海苔を買ってるようでは、海苔の未来はない」みたいな事を言ってて、「うわー」って思った事があるので、「凄いなー」って思った事があります。

凄く見てる所が中期的であり、長期的な事なので、銀行目線だと四半期だったり、半年、一年ぐらいしか見てなかったんですけど、凄い長いスパンで物事を見てるんだなと思った事はありましたね。

決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは「決断~ターニングポイント~」
山本海苔の現在の代表を務める6代目山本德治郎のターニングポイントとは。

德治郎:私のターニングポイントは、やはり父が亡くなって、社長になってそして「德治郎」を襲名したってことです。

最初のうちは、德治郎って書くたんびに、「長い歴史を背負っていかないといけないんだ」という覚悟をものすごく名前を書くたんびに思いましたし、それは自分にとって大きなターニングポイントだった風に思います。

名前を継ぐっていうのは重い。社長になるっていうのはなかなか大変なことですけれども、それをよりも、私の意思としては名前を継いだ時の方が。半年ぐらいの差しかないんですけどね、やっぱり家庭裁判所に行って名前を変えるっていう。色んな資料を揃えて。名前を変える事は非常に会社にとって必要だし、個人にとっても必要だって言うことを、家庭裁判所に行って、述べて、裁判官に「どうして変えるんですか?」みたいなことを言われて、ポンと判子を押してもらうんですけどね。

一応、そういう事をやって区役所に行って改名。前は「みのる」っている名前だったんですが、「みのる✕(ばってん)德治郎」って書いてあった。戸籍には。ははは(笑)

父も同じような戸籍を持っているんですけどね、それはやっぱり結構重い感じがしましたね。
もちろん何から何まで変える…戸籍を変えるので、俗名というか通称を変えるならともかく、名前を変えるので、銀行口座、生命保険、ゴルフの会員券、クレジットカード、何から何まで変えるので、これは中々ねめんどくさいよ?

Q:今のうちに「德治郎」っていう名前に作っておけば?

貴大:ははは(笑)

德治郎:まだですよ。「こいつがダメだと思ったら、金をやって仕事はさせるな」っていう家訓がありまして。

貴大:逆。金もくれない、仕事はさせる。

德治郎:(笑)というのがあって、やっぱり当主にしちゃうと、金を使って信頼を潰しちゃう。だけど、お金を与えとけば、その範囲の中でしかやれないので。家を潰す事がないので、それは外に出せということが書いてあるので、まだ、德治郎にできるかどうか見極めている最中です。

貴大:お金をください(笑)

続いて、山本貴人のターニングポイント。

貴大:僕はまだ社長もなってないし、もちろん德治郎にもなってないので、山本海苔店に入る事を決めた…ターニングポイントっていうほどターニングポイントではないんですけど、やはり、すり込みというか、父親とか父方の祖父である5代目、6代目の德治郎からは、4代目にはお会いしたことは無いんですけれども「山本海苔に入れ」と言われた事はないんですけど、母方の方がですね、時代もあったんでしょうけど、「大変なとこの嫁に行ってしまった」っていうのが多分あったと思うんですけれども、そこの母方の祖父と祖母が、たとえば「サッカー選手になりたい」と言おうものなら、「何言ってくれちゃってんの?」みたいになって。「えー!」みたいな。

そういうすり込みがあって、徐々に全てのいろんな人生の選択は山本海苔店の社長、それこそ德治郎になるにはどれが一番いいのかな、っていうのはうっすら思いながら。決断してきた感じがします。

德治郎:凄い覚えてて面白いのは、中学校の作文で、まず、「サッカーをずっとやってJリーガーになる」。「Jリーガーになって、日本代表になって、その後、JAPANの監督をやるから、海苔屋になるのは45歳ぐらいだ」と書いてあって、ははは(笑)あれはなかなか面白かった。

貴大:ありがとうございます。

德治郎:はは(笑)あとね、彼がうちに入ってきて言った事で、ものすごく印象に残ってるのは、うちに入ってきてしばらくしてからの話ですけど、「銀行って銀行の為に働いている人は誰もいない」「銀行を誰も愛してないし、自分のために働いてるのに、山本に入ってきてから、みんな会社が大好きで、会社の為に働いている」って。
「商品を大好きだし、会社も大好きだし、それはびっくりした」って言ってたよね?
あれはすごくね…今もその気持でやってくれてる?はははは(笑)

貴大:だんだんヤバくなってきてる。僕がじゃなくて社員がその求心力みたいなものはどんどん落ちてる危機感はありますよ。

德治郎:求心力が落ちたのは、お前のせいじゃないの?お前に対する。会社に対する求心力は別として。

貴大:それはあると思います。

德治郎:貴大に求心力を着けないとさ。

貴大:それはもう…僕の…

德治郎:さっきも言ったかもしれないけど、「德」で人を惹きつけ、引っ張っていくっていう。

貴大:理想ですね。

德治郎:そういう経営者になってもらいたいね。

貴大:え?(笑)

德治郎:へへへへへ(笑)でも私もやっぱり…似たような話ですけれども、小学校6年生の卒業文集に「将来なりたいものは?」ってよくあるじゃないですか。将来の夢とか。そこに「家業を継ぐ」って書こうと思ったんですけど、それはかっこ悪いなと思って、野球選手だか宇宙飛行士だか、なんかそういうのを書いた覚えがあるので、その時点では、うちを継ぐという意識は…私も父から言われた覚えはないですけども、子供心に父の背中を見たり、しょっちゅう会社に行ったりしてましたから。お店に。だからなんで行ったかわからないんだけど、食事をご馳走してもらったりよく会社には行って、父に食事ごちそうになったりしてましたから。学生時代とか。小さい頃から。そういうんでずーっと背中見て、なんとなく自然にこの…

ただ、就職の時に、直接店…山本海苔店に入ったんですけれども、その時ちょっと抵抗してですね、「他の会社で修行しないと、他人の飯を食わないと一人前じゃない!」といって、他の会社に就職したかったんですけれども察してもらえず「お前は即ウチに入れ」と言われて、他の今副社長をやってる2人はそれぞれ銀行とかで修行したんですけれども、私は直接「お前はその2人にサラリーマンとはどういうもんかきけばいい」言われ直接はいったんですけど、ある意味、本当の、下積みの工場をホウキで掃く掃除したりするところから、新入社員ですから、できましたから。そういう意味では下積みの苦労がというかそういうのが分かって、ものすごく結果的に良かった。良かったか良くなかったかよくわからないけど。自分では良かったかなーって。
でも逆に彼は修行させた方が良いのかなって思って、銀行に。どこに入ってもいいけど…。

貴大:どこに入ってもいいし、何でもいいから自由にして良いよって言われて。

德治郎:その代わり最大5年。

貴大:うん。3年以上5年未満みたいな制約があって、外に行くならですよね。で、色んな選択肢の中から銀行を選んだっていうことですね。

德治郎と貴大。
立場が違う2人がそれぞれ社員と接する上で心がけていることとは。

德治郎:「フレンドリーに。気さくに。気楽に」って。

よくワンダリングアラウンドってぐるぐる社内を回っちゃーその辺の空いている席に座って、「どう?」とかって。店なんかもぐるぐる回った時に「何かある?」とか。「困った事はある?」とか「元気でやってる?」とかそういう話はよく聞きますね。

やっぱり社員は家族の一員だと思っているので、身体の事とか、いろんな事を気にしてあげているっていう気持ちが自分にもあるし、そういうふうな感じで接してますけどね。

貴大:社長手紙書いてましたよね?誕生日に。

德治郎:昔ね。

貴大:やめちゃったんですか?

德治郎:1回だけね。

貴大:1回だけで終わっちゃったんですか?

德治郎:全社員に直接手紙を書いて、誕生日会をやってたんですが。300人400人いたかな。全社員一人ずつ直筆で手紙を書いて誕生日の記念品と一緒に渡していた事があって、それは中々大変だった。
今も神棚に置いてあるって言われた。はははは(笑)そういうのってものすごく大事なのかなと思いますけどね。

貴大:正直、会社って仕事ってすごく人生の中でも時間が長いじゃないですか。意識しててもすぐボロがでるので、あんまり意識してないですね。結構自然体でやっちゃってますね。良くも悪くもなのか。
時代もあったんですけど、社長を羨ましいなって思うところは、社長はほぼ全社員から愛されている。で、「見たか」っていう感じなんですよんね。「みたか!」みたいな。

德治郎:はははは(笑)そんなこと無い。

貴大:ある社員からは、「社長は僕に何も強要した事がない」と。要するに、社長ってたしかに大きな…それは役割の問題もあるけど、大きな事を言って、「あれどうなった?」「これどうなった?」とか、いわゆるサラリーマン的な質問は一切しないですよ。大きく喋ってこういう方針で行こうとか、それこそ「皆元気か?」とか「家族は元気か?」とか。

德治郎:はははは(笑)

貴大:汚いと!それこそ社長がCEOだとしたら、COOなので、進捗の管理をしないといけない立場だから「あれどうなった?」「これどうなった?」と。「あれ行った?」みたいな役割の問題があるから、得で羨ましいと思いますね。

德治郎:役割だからさ。今はそうだけど。

貴大:良いってことですね?

德治郎:今はそれでいいんじゃない?俺と一緒で「おうおう」ってやっててもしょうがないけど。

貴大:(笑)そりゃまずい。

德治郎:でもやっぱり、社員に好かれてないと。管理もいいんだけど、もちろん。

貴大:管理じゃなくて応援してるんです。

德治郎:好かれないとね。究極。

貴大:それはそうですね。

德治郎:叱るにしても、ただ叱るのと、優しさゆえに叱るのとあるわけだから。それが、感じられる叱り方が…

貴大:社長は叱った事がないので。でも僕も「叱る」って表現をしたら叱った事はないと思いますよ。

德治郎:数回ぐらいあるけどね時々。だから聞くわけよ、怒鳴ったりすると。

貴大:え?

德治郎:見たことあるじゃん?

貴大:誰をですか?

德治郎:どっかの事務所で怒鳴ってて。「おうおうおう」とか言ってさ。言ってたことあったよ。

貴大:怒鳴るって言ったって…まあまあまあ。

德治郎:まあまあって(笑)役割だから、確かに。やっぱりやり方もあるし。ただトップになった時は、やっぱり慕われたり、「社長の為に頑張ろう」と思ってもらわないときっと。管理だけじゃダメや無いかな。今の役割はまだ修行の身だからね。

貴大:社長はそんな時期は無かったでしょう?COO的な。

德治郎:ない。はははは(笑)

貴大:(笑)ずるいと思います!本当にずるいと思う。

德治郎:本当は部下にそういうの2,3人つけて…嫌なこと言うやつ?をつけるのが良いんだろうね。自分はちょっと優しくしてて。

貴大:だからそれの役割を今僕がやってるという。

德治郎:お前がやっていいかっていうのは、ちょっとね。考えたほうが(良いかもね)。部下みたいなさ。参謀みたいな人を…

貴大:その人からの愛が必要ですよね?

德治郎:(参謀みたいな役)の人を引き受けてくれる人がいたらいいね。理想だけど。そういう人を作るのとか直言してくれる人?裸の王様にならないように。

貴大:それはたくさんいるから大丈夫です。

德治郎:直言してくれる人が必要だね。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

続いてのテーマは「言魂」
心に刻む言葉と想い。
山本德治郎と山本貴大が家族や先代から受け取った言葉。
そこに隠された想いとは。

德治郎:父にバブルの時代ですかね、いろんな事があって、色んな事業をこれからは多角化の時代じゃないの?って思って。若い頃父にそういう話をしたら、「海苔屋だって…聞いてる?(貴大さんに)」

貴大:聞いてます。あ、僕ですね?

德治郎:(笑)。「海苔屋だって、100年以上やってて難しいのに、そんな新しい事をやって上手くいくはずがないから、やる事はもちろん悪くないけど、慎重にやりなさい」と言われたのと、「包装紙を今の緑の包装紙はもう古いんじゃないの?変えたほうが良いんじゃないの」と言った時に、あれを目印にお客様はみえてるんだから、変えるのはいいけど、それは慎重に…変えるなとは言わなかったけど、そこはよく考えてよくやりなさい」と。

この2つは会社関係で言えば、父に言われて非常に覚えていること。あとは、家の事で言えば、うちは2代、3代、4代、は婿養子なので。たまたま男の子がいなかったケースもあるし、長男が死んでるってケースもあるから。実は5代目で長男が継ぐというのは僕がはじめてなので、父は長男は早く死ぬみたいなことが何代も続いていたので、非常に僕については、ナーバスになってものすごく「気をつけろ」と「危険なことはするな」と、事ある毎に言ってたのはものすごく印象的に残ってますね。

当時は「ウルサイなわかってるよ」と思ってけど、後になって親父は僕のことを凄く心配してくれてたんだというのは、しみじみと思いますね。

~父から子へ届ける言葉~

德治郎:やはり「人に好かれていないとだめ」「謙虚でいろ」とは、そういうことはよく言ってますけどね。「俺ほど謙虚な男はいない!」とか言ってますけど、「本当かよ」っていつも思うんだけど(笑)。

貴大:謙虚自慢!(笑)

德治郎:人に上に立つって事は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」っていうところもあるし。
僕大好きな三国志の劉備玄徳っているんですけど、「三顧之礼で諸葛孔明」を迎えたみたいにね、自分より優れた人を集める能力があったっていう、劉備みたいなのが大好きなんですけど。僕は目指しているというか、そういうのが理想のリーダー。だと思っているので、貴大にも基本的には、やり方はともかくとして、精神的にはそういうリーダーになってほしいなと思って…言ってなかった?(貴大さんに)。 「三国志を読め」とは言ったね?

貴大:それはもうしっかり読んでますよ。

德治郎:へへへへ(笑)

貴大:しっかり読んでますよ。

~貴大からの言葉で印象に残っているものは?~

德治郎:さっきの銀行と山本海苔の違いというのはものすごく僕は嬉しかった
うちの会社をそういう風に見てくれてるんだと。そういう会社でありたいと思ってたんで。それは外から来て、そんなことうちの会社以外の人はわからないわけじゃないですか。
だから外から来て、そういう事を言ってくれたのは、僕はものすごく嬉しかったですね。

いずれは社長になってもらいたいと思ってますし、その時は何年かは僕は後ろにいて、出来るだけ口はださないようにしようと思ってるけども、バックアップして、困った時とか、相談に来た時は後ろ盾にはなってあげたいなと思っていますし、やっぱり、会長が居る時は僕の経験からも、会長がいる時の社長と会長のいない時では、全く重さというか責任の重さっていうのはちがうので、困ったときは会長をうまくつかうとかね。「会長が首を縦に振りませんでした」とか「これは会長がやれって言いました」とか、そういう風にうまくつかうとか。相談相手として利用してくれれば良いなって思います。

貴大;ありがとうございます。

德治郎:でもね、テキトーに会社行ってテキトーに「給料ちょうだいね」とか言うとね、「働かない奴に金はやれない」とか言うんでしょうね。

貴大:そうです。

~父と子、社長と専務の関係~

德治郎:嬉しいですよね。うちの会社に入って一生懸命仕事してくれてるというのは見えてますから。それはものすごく嬉しいし。色んな話す機会も、プライベートで飯食ってたって、ちょっと会社の話しをするし、もちろん会社では、ほとんどっていうか100%仕事の話しかしないけれど。逆に寂しさはないですね。

貴大:僕も慣れましたけど、最初は敬語を使うのには苦労しましたよ。普通の事ですみません。
でも、周りの取締役とかから言われるのは、「頼むから家でやってくれ」みたいなこと。
僕が取締役会で社長にガンガン言っちゃったりすると、「それは頼むから家でやってくれ」って。それは確かにそう言われますよね。
それこそ例えば、「山田取締役もそう思いますよね?」と聞くと「いや答えられないから」とかって言って。親子喧嘩って…そう、それはもう家でやってくれって言われたことはありますね。

德治郎:(敬語でって)徹してないよね。ちょっとゆるいね?

貴大:それはいかんですね。すみません。

德治郎:はははは(笑)僕も気をつけてるけどね。俺も専務って言うべきなんだろうね…。

貴大:そうですよ!貴大ってよんだらダメですよね。専務って言わないといけないですよね。そこですよね?「貴大」って呼んでるんですよ。

德治郎:「貴大いる?」って。

貴大:それダメですよ。たぶん。他の老舗さんてどうなんですかね?ファミリーカンパニーって。「おさむ」って呼んでるんですかね。

德治郎:どうなんだろうね。若い人が出ると専務って言うね。「専務いる?」って、電話で。

貴大:あー若い人が出ると。

德治郎:大体言うようにしてるよ、電話では。

貴大:それ以外ですと「お父さんいる?」ですからね。

德治郎:はははは(笑)

貴大:ありえないでしょ。「パパいる?」とかね。
それはもともと「パパ」で育って…。

德治郎:今は「おやじ」?

貴大:おやじなんて言いませんよ。「パパいる?」で終わりましたよね?そのあとはもう…。

德治郎:社長とは呼ばないし。家族で飯食べる時。

貴大:「あのさー」とか、自分の事は「僕」になっちゃうから。あ!「德じいじ」ですね。

德治郎:はははは(笑)

貴大:德じいじですね。思い出しました。家族といる時は「德じいじ」と呼んでます。

NEXT100 ~時代を超える術~

最後のテーマは、「NEXT100 時代を超える術」
100年後にも変えない、山本海苔にとっての核。
そして、未来を見据え変える必要のあるもの山本海苔にとっての革新とは?

德治郎:それはずっと最初から話してるけれども「美味しい海苔をお客様に提供する」っていう気持ちと「働いている人達を大事にする」って代々繋がっていることはですね、絶対に変えてほしくないと思います。
あとのことは、商売の仕方とかいろんなことはいくら変えていってもいいし。ただ、海苔から離れていいかどうかはちょっと難しい…かなり難しいところかもしれないですけど。
海苔を基本として、お客様に喜ばれる海苔屋で、働いている人達が楽しく働いてくれる会社」にしてもらいたい、さらにね!と思うけどね。

~長寿経営を行う為に、一番必要なもの~

德治郎:変えるべきものと、変えないものの見極め(が大事。)要するにコアですよね
うちのコア。なぜ、山本は山本か?他の海苔屋さんではできない山本独自のうちしかやれないものは何か?っていう。コアは変えてはいけないものだと思うので、ここを変えないで、でも周り(それ以外の部分)はドラスチックに変えていくってことが大事なんじゃないかなと思いますけど。

貴大:僕も全くそう思うんですけど。「カンブリア宮殿(番組名)」で、崎陽軒の野並社長が言っていた事が結構衝撃で。「何を変えてよくて、変えちゃダメなんですか?」という質問に対して、「変えるのが、簡単なものほど変えちゃいけないんです」って言ってて、うわーって(思って)。「難しいものは別に変えていいんじゃないですか?」って言ってて、凄い社長だなと思って感動したことがあったんで。

本当に品質を落とすとかは簡単なことだと思うんですけど、そこは変えちゃいけないんだなってことを学んだことはありますね。

德治郎:深いね。

貴大:深いよ。

德治郎:はははは(笑)
ではこれから頑張ってね。はははは(笑)。

貴大:今良いのが撮れましたね、はははは(笑)

「伝統は革新の連続である」という姿勢を持ち続け
お客様に美味しい海苔を提供し続けていきたい。
この想いは100年先の後継者たちへ受け継がれていく…

山本海苔店を知る ▶︎

TOP