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【開催レポート】〈後編〉<br>新潟フォーラム 2025 ~【第 2 部】ひとづくりからまちづくりへ~

【開催レポート】〈後編〉
新潟フォーラム 2025 ~【第 2 部】ひとづくりからまちづくりへ~

2025 年 11 月 27 日(木)、「第 16 回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 新潟 2025 」(以後、新潟フォーラム 2025 )が、新潟市にて開催。創業 100 年を超える長寿企業をお迎えして「長寿企業経営者の葛藤と知恵」をメインテーマにパネルディスカッションが行われました。県内から 190 名を超える経営者が集まりました。

「ターニングポイント」と「人財と地域」、「未来へ」の 3 つの切り口から地元企業 4 社にお話を伺いました。

第1部 パネルディスカッション「ものづくりを世界へ」
八海醸造株式会社(創業: 1922 年/大正 11 年)
 代表取締役会長  南雲 二郎 氏(以下、南雲 氏)
山崎金属工業株式会社(創業: 1918 年/大正 7 年)
 代表取締役副社長 山崎 修司 氏(以下、山崎 氏)

第2部 パネルディスカッション「ひとづくりからまちづくりへ」
神山物産株式会社(創業: 1891 年/明治 24 年)
 代表取締役会長  佐藤 友紀 氏(以下、佐藤 氏)
尾畑酒造株式会社(創業: 1892 年/明治 25 年)
 代表取締役社長  平島 健 氏(以下、平島 氏)

「新潟フォーラム 2025 」の様子を 3 回に分けてお伝えしていきます。

〈前編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 1 部】ものづくりを世界へ~
〈後編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 2 部】ひとづくりからまちづくりへ~ ※本編
〈特別編〉新潟フォーラム 2025 ~懇親会~

本記事では〈後編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 2 部】ひとづくりからまちづくりへ~をご紹介します。

目次

【第 2 部】 パネルディスカッション 「ひとづくりからまちづくりへ」地域の発展に尽力する長寿企業の苦悩と決断

尾畑酒造株式会社 代表取締役社長 平島 健 氏と神山物産株式会社 代表取締役会長 佐藤 友紀 氏が笑顔でトークをしている様子

1 、事業継承

外部継承により会社を引き継いだ 2 人の入社までの道のりについて振り返る。

神山物産株式会社

――佐藤 氏は 1972 年に神山物産に入社し、内部からの登用で 2013 年に社長に就任。佐藤 氏はどのような環境で育ってきたのか。また入社後、2 度も経験した米騒動から学んだことについて語った。

佐藤 氏 私はかつて新潟県にあった千谷沢村の出身です。実家は米農家で、現在も休みの日には新潟で 10 種類ほどの野菜を育てています。農家として生計を立てる中で、高校卒業後は働く道を考え商業高校に進学しました。冬は雪が多く登下校が大変だったため、高校時代は数カ月間下宿生活を送っていました。

平成の米騒動は東北地方を中心としたやませによる大冷害をきっかけに、年明けには米価が急騰しました。当時は食糧管理制度の下で流通が厳しく管理され、県内の大手食品メーカーを顧客に持つ私たちは、トップから「絶対に悪いことはするな」と厳命されていました。その言葉を胸に、誠実な商売を貫いていました。

今回の騒動は 60 kgあたりの米の値段が今までよりも 10,000 円ほど高くなっています。平成・令和どちらの米騒動にせよ目先の欲得で動くと、最後には大きなしっぺ返しを食らうことを学びました。

尾畑酒造株式会社

――平島 氏は東京で生まれ、出版社を経て酒造りの道を選択した。なぜ未知の世界に飛び込む決意をしたのか

平島 氏 メディアの仕事を志し、大学卒業後は角川書店に入社しました。尾畑酒造に入社するきっかけは、妻との出会いです。妻が尾畑酒造の娘で結婚を機に佐渡へ移住し、家業に携わることになりました。

母の実家が長野県で酒屋を営んでおり、長期休みはその蔵で過ごしていました。彼女が好きだったからというだけでなく、酒造りに運命的なものを感じ、自分もやってみたいと思ったのです。祖父が働く姿を見たことがなく「酒造りは楽勝だ」と勘違いしていたのも理由でした(笑)

2 、ターニングポイント

外部継承をする中で人口減少や自然災害など、さまざまな危機的状況を乗り越えてきた 2 社。それぞれのターニングポイントやまちづくりやひとづくりの観点で大切にしている考え方とはなにか。
 
――平島 氏のターニングポイントは「魅力の発信」「地域循環」「未来展望」の 3 つである。先人の想いを言語化し、地域復興のために大胆な施策を行っていく挑戦の軌跡を辿る。

平島 氏 私たちの会社はもともと、指針となる理念がありませんでした。働いている方々に私たちが何を達成したいのかを伝えたいと感じ、言語化に努めました。

「幸醸心(こうじょうしん)」には社員や購入者、取引先、流通先など関わるすべての人、そして地域の幸せを醸したいという想いを込めています。そこから生まれた酒造りのモットーが「四宝和醸(しほうわじょう)」です。佐渡という地域を大切にしながら酒造りを続けていくという意味を持っています。

基本的には佐渡らしいお酒を製造し、世界に発信していく。それをきっかけに佐渡を知った方々が、私たちのもとに来ていただけるような流れを作っていきたいと考え、取り組みを行っていきました。

佐渡市で 10 市区町村の合併が決まり、世界一夕日がきれいに見える学校として知られる西三川小学校が廃校になると知りました。純粋にもったいないという思いと、建物を朽ちさせたくない気持ちから、酒蔵として活用することを決めました。家族や先人にはすぐには理解されず、「何を考えているのか」と言われたこともありました。

佐渡島の廃校になった西三川小学校が夕焼けに染まっている風景

学校蔵だからこそ学びを重視し、本格的な酒造り体験を始めました。酒造りのコア部分は麹づくりの 3 日と仕込み作業の 4 日で計 1 週間になります。これを少人数ですべて体験できる場を用意しています。近年は海外からの参加者も多く、1 週間を共に過ごす中で絆が生まれ、同窓会などの交流も広がっています。今ではその方々が、佐渡の応援団として支えてくださっています。

地域循環を進めながら、地域の魅力をのせた商品づくりや来訪の機会を生み出し、人の流れもつくっていきたいです。この 2 つの循環を回すことで、酒屋から地域を元気にしていきたいと考えています。

――佐藤 氏のターニングポイントは「存在意義」「まちづくり」「未来への挑戦」の 3 つである。よそ者だからこそ、革新的なアイデアで次々と新しい価値提供を行っている佐藤 氏の根底にある想いとは。

佐藤 氏 私が入社した 1970 年頃、新潟県内にあった問屋を取り巻く流通は、その後 50 年でコンビニや大手スーパーの台頭により大きく変化しました。素材や資材を卸すだけではなく、神山物産ならではの存在意義を見出す必要がありました。

価格競争の限界を痛感し、問屋として商品知識を深め、付加価値を提案することに注力しました。社内に試作室を設けた新商品提案や、製造工程で廃棄されていた砂糖を他企業とマッチングをし、安く販売することを実施しました。早くから新たな価値を見出し変革したことが、確かなターニングポイントになったと考えています。

私の組合には地権者が 112 名いました。20 年前に生産法人を作ったのですが、生産法人は風通しが悪く、なにか変革を行う際にすぐに決断を行えないというデメリットがあります。そのため、生産組合を株式化し、その約 33.3 %の資本を弊社が占めることを決断しました。

また、若い方々がチャレンジする土壌をつくることも心がけています。農機具が大好きな女性社員が、全国産業用無人ヘリコプター飛行技術競技大会にチャレンジをし、全国 5 位入賞を果たしました。

神山物産の従業員2人が全国産業用無人ヘリコプター飛行技術競技大会で全国5位入賞

コシヒカリを新潟だけでなく、比較的安価な関東圏からも調達できないかと考える中で、廃業を検討していた茨城県の有限会社と出会いました。米作りに消極的になっていた同社に参画し、昨年 7 月にM&Aを実施しました。その結果、2 年連続で黒字経営を達成しています。

本社および茨城県稲敷市に、大規模な低温倉庫や農薬倉庫の建設を予定しています。メーカー直送に頼らず自社でストックポイントを持つことで、供給網の寸断を防ぎます。M&Aで子会社化した商店を起点に早期米の確保ルートを整え、今後は関東・東北圏でのネットワークを強化していきます

3 、人材と地域

大胆な改革を進め、地域を巻き込み発展していく 2 社。行動を止めないその裏側にはどのような想いがあるのか。

――佐藤 氏は心に刻む言葉として、「商いではなく商うこと」を大切にしている。

佐藤 氏 近年商売は勝ち負けが重要視されていますが、本来商売で大切なのは「お互いが良かった」と思えることです。

バブルの時に株や土地で儲けた人などは多くいらっしゃいましたが、神山家の教えとして「本業以外手を出すな」という教えがあり、その信念を貫いていきました。お互いが良いと思える商売を、信念はぶらさずに行っていきたいと思います。

――平島 氏は未来の架け橋を築いていくために余白を残すことが大事だと言う。

平島 氏 学校蔵を作った際に使用した部屋はわずかで、校舎のなかに多くの教室が余っていました。しかし、空いている部屋があったからこそ、そこに新しい可能性を見出すことができます。そして、物理的な余白だけではなく、精神的に余白をつくり、受け入れられるような場所をつくることが大切だと思います。

常識を尊重しながらも、非常識を恐れないことが大切です。先代が築いたものを尊重しながらも、それを壊していくことを恐れてはいけません。また、若い人に託すときも、彼らへのリスペクトを忘れず、自分たちが作ったものが壊されることを恐れてはいけないと考えています。

4 、質問

登壇者同士の質問タイム。業種や立場が異なる2人が交わす言葉とは。

――佐藤 氏から平島 氏へ

佐藤 氏 尾畑酒造さんが世界的に有名になった秘訣を教えてください。
平島 氏 酒屋がやったことのないプロジェクトを行い、注目をいただく。今まで誰もやらなかったことを始めてみたからだと考えています。

――平島 氏から佐藤 氏へ

平島 氏 人材をどのように育成をしているのか、そのポイントを教えてください。
佐藤 氏 トップが社員に寄り添うことがポイントです。本気で寄り添い悩みを聞けば、ハラスメントなどは起きないと考えています。

5 、未来へ変えるべきもの、変えないもの

100 年の中で進化をし続けている 2 社の「変えるべきもの・変えないもの」とはなにか。

佐藤 氏 異色のものには手を出さないことを大切にしています。職種の違うものに手を出すと、知識がないため失敗をしてしまいます。逆に、人材の面で若い人の交流や考え方の変化には対応していくことが大切です。

平島 氏 変えるべきだ、変えないべきだという固定観念そのものを変えるべきだと考えています。一方で、私たちは地域の産品をつくっているという自負があります。だからこそ地域とともにあるということを、変えてはいけないと思っています。

【特別講演】

水戸徳川家 第 15 代当主 德川 斉正 様

水戸徳川家 第15代当主 德川 斉正 様が講演している様子

常識を超えていく、未来を守るための変革

本日は大勢の皆様に本フォーラムにお越しいただいたこと、厚く御礼を申し上げます。さて、この新潟の地は高田藩や長岡藩とのご縁や、最初の宿泊出張先が第四北越銀行であったこと、また高校時代の佐渡への一人旅など、公私ともに新潟と縁が深いと感じております。

私の家は德川 家康 公の 11 番目の子供である德川 頼房 公が初代です。2 代目の德川 光圀 公から 1906 年の 13 代目までの 265 年間を要した事業として、大日本史の編纂がございます。自分が始めたことではないからこそ、簡単に終わらせることができない。この「意志の継承」が、老舗企業の経営者たちの想いと重なりました。

家康 公の言葉の中で「われ志を得ざるとき、忍耐この二字を守れり。われ志を得んとするとき、大胆不敵この四字を守れり。われ志を得てのち油断大敵この四字を守れり。」という言葉がございます。逆境時の構えを忍耐とし、勝負時の構えを大胆不敵、安定期の戒めとして油断大敵であれ、という意味でございます。皆様のお話を聞く中で、こちらの言葉が頭に思い浮かんできました。私自身も事業継承をしていく身として、ご登壇いただいている皆様と想いは似ているなと感じております。

この地方創生経営者フォーラムは参加者の方々にとっても、とても勉強になる素晴らしい機会です。今後、皆様には仲間としてお集まりいただき、悩みを打ち合け、失敗談を話すことで苦悩や葛藤を乗り越えられる場を設けていただければ幸いです。

【閉会挨拶】

東京海上日動火災保険株式会社 常務執行役員 小西 孝久 様

東京海上日動火災保険株式会社 常務執行役員 小西 孝久 氏が登壇している様子

仲間を見つけ、未来への希望に繋げる

新潟でご活躍している経営者の皆様とこのような接点、学びの機会を持てましたこと、心から嬉しく思います。

一部、ニ部を通して、原点に留まらず、新しい価値を生み出して、さらに広げていく視点、またひとづくり、地域再編によって新たな循環を生み出していく視点、重要なポイントが様々あったように思います。挑戦を後押ししていこうという企業風土のもとで、産官学の仲間を見つけて技術力やデザイン力を磨いていく、そしてそこに経営者の熱い想いが組み合わさって、未来への希望に繋げていく。その努力に大変、感動いたしました。

今回のフォーラムが皆様のさらなる知恵の広がり、あるいは次なる打ち手のヒントに繋がりましたら幸いです。本日は誠にありがとうございました。

【参加者の声】

Q 1 「地方創生経営者フォーラム」を知人に薦めたいと思いますか?

薦めたい 94 %
薦めたくない 6 %

Q 2 貴社の経営戦略上、関心の高い事項があれば教えてください

人材育成・雇用 24.7 %
他社・他業種との協業 21.6 %
新規事業創出 21.0 %
失敗談 19.1 %
事業継承 13.6 %

Q 3 地方創生経営者フォーラムに参加して、気づきや学び等、率直な感想をお願い致します。(※一部抜粋)

・企業理念の軸を振らさず、同時に変化に柔軟に挑戦しるづけることが、事業を長く続けるために重要だと学びました!
・「地域とともにある」という言葉が強く印象に残り、自社の将来や地域への感謝のあり方を深く考えさせられました!
・成功談だけでなく、長寿企業ならではの苦悩や失敗談といったリアルな経験談から、多くのヒントを得ることができました!
・伝統を守り抜きながらも未来に向かって挑戦を続ける姿勢に感銘を受け、自社の経営戦略の参考にしていきたいです!
・世界と比較して日本の長寿企業が非常に多いという事実に驚き、そこから学ぶべき経営の姿勢があることを再認識しました!

【第 2 部】 パネルディスカッション「ひとづくりからまちづくりへ」地域の発展に尽力する長寿企業の苦悩と決断のグラレコ

【登壇企業の社歴】

神山物産株式会社 代表取締役会長 佐藤 友紀 氏

神山物産株式会社 代表取締役会長 佐藤 友紀 氏

1891 年、神山 敬太郎 氏が長岡市に海産物を扱う「神山敬太郎商店」を創業。原材料の供給と商品の卸売を組み合わせた独自のビジネスモデルにより販売領域を拡大してきた。現在は食、農の分野にとらわれず、農家や原材料メーカーと食品加工メーカーを直接つなぐ食と農の総合商社を担っている。地域社会の豊かな暮らしに貢献するという思いのもと、新潟県内に加え、関東・東北地域の生産者との連携を強化。広域からの玄米調達体制の確立は、売上高 500 億円達成の原動力となった。

佐藤 友紀 氏は 1972 年に神山物産に入社。2006 年、52 歳の時に取締役に就任し、そこから 7 年後の 2013 年に社長に就任した。現在の事業展開の 1 つとなる米穀事業の発展に尽力し、2023 年、会長に就任。創業以来受け継がれてきた精神「誠実」を礎にこれからも新潟の食を支え続けていく。

神山物産株式会社の詳細はこちら

尾畑酒造株式会社 代表取締役社長 平島 健 氏

尾畑酒造株式会社 代表取締役社長 平島 健 氏

1892 年、尾畑 与三作 氏が佐渡の地に尾畑酒造を創業。信条としているのは「四宝和醸」酒造りの三大要素である、「米・水・人」。これらに「佐渡」を加え、佐渡の自然と文化を活かす酒造りにこだわり続けてきた。平島 健 氏が社長に就任後は、環境に優しい、「朱鷺と暮らす郷づくりの認証米」や再エネの導入などSDGsの考え方を積極的に取り入れ、企業理念である酒を醸すことで幸せを醸す幸醸心を追求。

2008 年には平島 健 氏が 5 代目代表取締役社長として就任。17 年間にわたって尾畑酒造の経営を担っている。 2010 年、日本一夕日がきれいに見えると言われた西三川小学校が廃校に追い込まれる。日本一の夕日、佐渡の人たちの思い出の場所を残すべく、「学校蔵プロジェクト」を始動。「酒造り・学び・交流・共生」をキーワードに、世界から佐渡への人の循環を生み出している。尾畑酒造はこれからも、佐渡と共に歩み続けていく。

尾畑酒造株式会社の詳細はこちら

本記事では【第 2 部】 パネルディスカッション「ひとづくりからまちづくりへ」地域の発展に尽力する長寿企業の苦悩と決断をご紹介しました。次回は懇親会の様子をご紹介します。

〈前編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 1 部】ものづくりを世界へ~
〈後編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 2 部】ひとづくりからまちづくりへ~ ※本編
〈特別編〉新潟フォーラム 2025 ~懇親会~