- 2025.11.28
【開催レポート】〈前編〉
新潟フォーラム 2025~【第 1 部】ものづくりを世界へ~
2025 年 11 月 27 日(木)、「第 16 回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 新潟 2025 」(以後、新潟フォーラム 2025 )を新潟市にて開催。創業 100 年を超える長寿企業をお迎えして「長寿企業経営者の葛藤と知恵」をメインテーマにパネルディスカッションが行われました。県内から 190 名を超える経営者が集まりました。
「ターニングポイント」と「人財と地域」、「未来へ」の 3 つの切り口から地元企業 4 社にお話を伺いました。
第1部 パネルディスカッション「ものづくりを世界へ」
八海醸造株式会社(創業: 1922 年/大正 11 年)
代表取締役会長 南雲 二郎 氏(以下、南雲 氏)
山崎金属工業株式会社(創業: 1918 年/大正 7 年)
代表取締役副社長 山崎 修司 氏(以下、山崎 氏)
第2部 パネルディスカッション「ひとづくりからまちづくりへ」
神山物産株式会社(創業: 1891 年/明治 24 年)
代表取締役会長 佐藤 友紀 氏(以下、佐藤 氏)
尾畑酒造株式会社(創業: 1892 年/明治 25 年)
代表取締役社長 平島 健 氏(以下、平島 氏)
「新潟フォーラム 2025 」の様子を 3 回に分けてお伝えしていきます。
〈前編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 1 部】ものづくりを世界へ~ ※本編
〈後編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 2 部】ひとづくりからまちづくりへ~
〈特別編〉新潟フォーラム 2025 ~懇親会~
本記事では〈前編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 1 部】ものづくりを世界へ~をご紹介します。
目次
【主催挨拶】
智慧の燈火プロジェクト 発起人 田中 雅也

長寿企業の知恵こそ、日本の財産
日本には創業 100 年を超える企業が約 45,000 社、200 年を超える企業は約 1,500 社、更には 1000 年を超える企業は 12 社とその全てにおいて世界の半数以上を占めております。新潟県では約 1,600 社が創業 100 年を超えており、本年 2025 年には 40 社、更に今後 10 年においては 756 社が 100 周年を迎えます。
これまでに 1,000 社 5,000 名を超える長寿企業の皆様とご縁を賜るなかで、幾多の困難を乗り越え伝統の味、匠の技、そしてお客さまとの信用を受け継ぎ、地域と共に発展してきたことに気づきました。その歴史(物語)のなかには必ず「唯一無二の知恵」があり、この知恵こそ地域の宝であり日本の財産であると確信しています。
本日が皆様にとって有意義な時間になることを祈念し、開会の挨拶とさせていただいきます。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
【共催挨拶】
新潟県 産業労働部長 野上 文敏 様

長寿企業の知恵を共有し、学び合う場に
長寿企業の知恵を未来を担う経営者や後継者につなぎ、企業発展と地域活性化へと導くことを目的に、2017 年以来の本県開催と伺っております。本県は北前船の寄港地として江戸時代から商業や地場産業が発達し、明治前半には人口が全国 1 位でした。現在約 1,600 社の長寿企業が存在し、その数は全国 6 位となっております。今回登壇する皆様は、いずれも伝統を尊重しつつ、新しい挑戦を続けている方々です。創業 100 年を超える企業の皆様から、これまで培われた知恵と経験をお聞きすることは、新たな視点や学びを得る貴重な機会でございます。この度のフォーラムを通じて、さらなる地域の活性化や新たな挑戦が生まれることを心から期待しております。
最後に、本フォーラムの開催に向けてご尽力をされました智慧の燈火プロジェクトの益々のご発展、並びに本日ご臨席の皆様のご健勝とご活躍を祈念いたしまして、挨拶とさせていただきます。
【第1部】 パネルディスカッション
「ものづくりを世界へ」世界へ羽ばたく長寿企業の苦悩と決断

1 、事業継承
2025 年に 127 万社が後継者未定の危機となる今、100 年以上事業を継続し、世界に進出している 2 社。登壇者の 2 人が、どのようにして事業継承を行ってきたのか。それぞれの過去を振り返る。
八海醸造株式会社
――南雲 氏が入社した 1983 年頃は、日本酒ブームにより日本酒が飛ぶように売れていた 。そんな時代のなかでも、「強い危機感があった」と言う。その危機感とは一体何か。
南雲 氏 1985 年から社長だった父の命で関東を中心に営業を担当しました。小売店や飲食店を回る中、需要に供給が追いつかず八海山が不足していました。不足による付加価値で本来 500 〜 600 円の酒が約 800 円ほどで売られるほど、需要は高まっていました。
創業当初から、地元・城内村の人々の日常消費財として酒をつくってきました。市場が村から市、県、全国へ広がる中、供給が追いつかなければその責任は果たせない。そうした危機感から父と相談し、平成元年に「質を落とさず量をつくる」方針へ転換しました。
日本酒づくりは工程が複雑な手作業が多く、機械化を優先すれば品質は落ちてしまいます。品質を守り高め続けるため、設備投資とともにオーナーだけでなく組織全体で責任意識を共有できる人材育成に注力しました。その結果、業界全体の供給量が減る中でも八海醸造は販売量を伸ばし続けました。
山崎金属工業株式会社
――山崎 氏は幼少期から職人さんと時間を共に過ごしていくなかで、ものづくりに興味を持ったという。
山崎 氏 私が幼少期のとき、社員寮にはお風呂がなかったため、よく自宅のお風呂に入りに来ていました。その職人さんたちが、目をキラキラさせて、やりがいを持って働いている姿に憧れを持ち、高校生からアルバイトとして、家業を手伝い始めました。
その時代は現場に人が足りていなかった関係で、プレスから研磨まで、製造工程を 5 年かけて学びました。私の伯父は「指一本落としてもいいからしっかり覚えさせてくれ」と言う程、とにかく厳しく、毎日机の前で 2 時間説教されてました(笑)
寸法通りに作ったのにもかかわらず「何も分かっていない」と叱られました。使い手とデザイナーのフィーリングを汲み取れていなかったからです。職人の目と手、時間をかけて本物を身につける技術とノウハウを、伯父から叩き込まれました。
2 、ターニングポイント
100 年という歴史には世界大戦や自然災害など、個人・企業にとって乗り越えがたい苦悩や葛藤が多くあった。そのなかで、どのように覚悟を定めてイノベーションを行っていったのか。
――山崎 氏のターニングポイントは「外的要因のダブルパンチ」「ピンチはチャンス」。この 2 つに秘められた想いとは。
山崎 氏 2008 年のリーマン・ショックと円高という外的要因の重なりで経営は窮地に陥り、家族同然の社員をリストラする悔しい経験をしました。この悔しさが、挑戦を続ける原動力になっています。当時、商品の良さが正当に評価されないもどかしさから、自ら営業に乗り出しました。
2013 年に全国老舗 5 社と組合の協力で 「伊勢神宮式年遷宮記念セット」を開発しました。他にも、世界三大デザイン賞のひとつであるレッド・ドット・デザインアワードで部門最高賞をいただいた商品や、さらには日本初のクルーズトレイン「ななつ星」にも採用いただいた商品もあります。
さらには、新市場開拓を目指し日本の国民食・カレー専用スプーンの開発に挑戦しました。山崎のブランドを背負い、神田神保町のカレー店での聞き込みや、365 日カレーを食べる人への取材を重ねました。その結果、「ご飯とルーを黄金比で食べられる」と評価され、現在も欠品が続く商品が誕生しました。
食べる姿を徹底的に研究し、多くの人がスプーンを 45 度の角度で使っていることに気づき、人間生活工学認証を取得したスプーンを開発しました。普及品との違いを産官学連携による脳波測定で数値化し、山崎のこだわりを可視化しました。その体験から海外のYouTuberに「スプーンカトラリー界のエルメス」と評価され、知名度と売上をともに伸ばすことができました。
一方で、コロナ禍では問屋に対する掛け率が高くなってしまい、取り扱いが減ってしまったんです。売上は落ちましたが、その分、違うお客様を捕まえることができたので、利益はとても上がりました。
「カトラリーといえばヨーロッパ」というイメージがある中で、今後は日本製のカトラリーのポジションを確立したいと思っています。日本らしさを表現するために、1 本 25,000 円の金箔のカトラリーの製造なども行っています。日本の美、日本にしかできないカトラリーを世界に広めていきたいです。
――南雲 氏は「多角化」「グローバル化」「永遠に終わらない会社」をターニングポイントに掲げた。日本酒市場が成熟する中でも挑戦を重ね、新たな市場を切り拓いてきた。発展を目指し、挑戦を止めないその想いとは。
南雲 氏 1953 年、私の父は膨れ上がった借金により、倒産寸前だった会社を継ぎ会社を立て直していきました。日本酒の市場も縮小していく中で「永遠に終わらない会社を目指す」という目標を、私は一番大切にして経営してまいりました。そんな中、日本酒とは別のもう一本の柱が必要だと感じ、一大決心をして製造したのが甘酒です。
当時、甘酒を本格的に事業化している例はなく、酒造メーカーならではの甘さを調整した甘酒を開発しました。「酒屋がつくる甘酒」として事業化し、新たな市場を開拓しました。リピートの増加を背景に 2 度の設備投資を行い、現在では大きな市場を確立しています。

また、もともと米焼酎を製造していましたが、新たな品質を目指してオーク樽で熟成した結果、着色により米焼酎として出せなくなりました。そこで定義の自由度が高いウイスキーとして製造する路線に転換し、世界でも珍しいライスグレーンウイスキーが誕生しました。目標品質を追求し、通常 3 年で販売できるものを 8 年間熟成させて世に送り出しました。
30 年前から日本酒を輸出してきましたが、アメリカでアルコール市場において日本酒のシェアは 0.2 %にとどまっています。扱う店はあっても現地で日本酒が十分に理解されず、魅力が伝わらないことに課題を感じていました。そこで、情報を広げるには現地で造る必要があると考え、アメリカでの日本酒製造に挑戦しました。
その時に出会ったブルックリンクラの 2 人の青年は「日本酒を世界飲料にしたい」という志を持っていましたが、当時のアメリカの環境では実現が難しく、弊社を 2 度訪れました。関係を築く中で提携の話が持ち上がり、海外進出に挑戦することになります。そのご縁が、ドジャースとのパートナーシップにもつながりました。
創業者から会社を継いでいる立場のため、「火を消さないようにする」という想いを、自社の一番大事な目標として掲げていきたいと思います。
3 、人材と地域
地元から大都市に人材が流出し、多くの中小企業が人手不足に悩む中、世界へ発信を続ける 2 社は、どのようにして、ひとづくりと地域に愛されるまちづくりに取り組んでいるのか。
――南雲 氏は地元・魚沼を盛り上げるため、ビール醸造所や地域に開かれた酒蔵を中心に備えた「魚沼の里」を開設した。
南雲 氏 我々はお客様が八海山を飲みたいときに、いつでも飲むことが出来る環境をつくることを大切にしています。それに加え、どういった場所で、どういった人が、どのようにつくっているのかをリアルに知ってもらうために、 70,000 坪の土地を開発し「魚沼の里」を作りました。
創業者は村長を務め、私の父も地域活性化の一役を担っていました。私が会長になり、私自身も魚沼エリアの観光開発、また人が集まる場所を創り出すことに少しでも貢献したいと考えています。
――山崎 氏の座右の銘は「報恩謝徳」。社員、地域へ感謝を忘れない大切さを語った。
山崎 氏 私たちの会社は、先人や地域に守られ、また地元の企業様からのアドバイスのおかげで今があります。燕市に様々な形で恩返しをし、従業員の給料を更に上げていきたいと思っています。
人に感謝できるようになると、いいところしか見えなくなります。だからこそ、人の懐に入って話もしやすくなり、自然と人脈も広がってきます。自分が広げていった人脈を大切にしながら、次の世代にも繋げていきたいと思います。
4 、質問
登壇者同士の質問タイム。業種や立場が異なる2人が交わす言葉とは。
――南雲 氏から山崎 氏へ
南雲 氏 日本だけではなく、海外での製造を考えているのかお聞かせ願いたいです。
山崎 氏 1 つの戦略として考えています。しかし今は、日本人の文化、作法を組み込んだ「日本ならでは」の商品を作っていき、世界に広めていきたいと思っています。まずは、日本製のカトラリーのポジショニングをつくるために、日本製の日本であるべき商品を製造しています。
――山崎 氏から南雲 氏へ
山崎 氏 今年事業承継をされたということで、私の会社も数十年後に事業承継をしたいと思っています。なにか心得がございましたら、お伺いしたいです。
南雲 氏 心得は特にありません(笑)私自身は、父から「親が元気なうちに会社を継いだほうが楽だぞ」という言葉をもらい、会社を継ぎました。私の息子も、私が生きているうちに、会社を引き継いだというだけです。
5 、未来へ変えるべきもの、変えないもの
長寿企業は、伝統と文化を守りつつ、時代の変化に柔軟に対応していく必要がある。新たな事業展開を続けている2社にとっての「変えるべきもの・変えないもの」とは。
山崎 氏 販売方法であったり、商品そのものは変えてもいいと思います。しかし、ものづくりを諦めない姿勢、人の感性がこもったものづくり、いいものを作るという想いは絶対に変えてはいけないと思っています。
南雲 氏 何を変え、何を守るべきかに正解はありませんが、私が大切にしている言葉は「創造的破壊」です。新しいものを生み出すエネルギーと体力を、常に持ち続ける組織でありたいと考えています。たとえアルコールを飲まない社会が訪れても、別の形で残れる進化を続けていきます。

【登壇企業の社歴】
八海醸造株式会社 代表取締役会長 南雲 二郎 氏

1922 年、南雲 浩一 氏が南魚沼で八海醸造を創業。目指す味わいは「食中酒としての役割を担う淡麗でバランスの取れた綺麗な酒」という強い信念のもと、良い酒をつくることだけを考え、雪深い魚沼の地で、八海山の味を磨き続けた。1995 年、三代目社長に二郎 氏が就任。米と麹と発酵技術、そして地域資源を生かした数々の商品開発や事業展開は世界で認められた。
1997年、代表取締役社長に就任。2025 年には息子の真仁 氏に事業承継を行い、代表取締役会長に就任した。同年にはブルックリンクラとの業務資本提携、そしてロサンゼルス・ドジャース唯一の公式日本酒としてパートナーシップ契約を締結し、「純米大吟醸 八海山ブルーボトル 」を製造。発酵と創造の力で心の豊かさを育む発酵創造企業は、日本酒を世界飲料にするべく挑戦を続けていく。
八海醸造株式会社の詳細はこちら
山崎金属工業株式会社 代表取締役副社長 山崎 修司 氏

1918 年、山崎 文言 氏がスプーン工房を開設。「日本のカトラリーの価値を、世界中に届けたい」と創業当時から世界進出を実現。戦時中は休業を余儀なくされるも、1964 年、貿易部門を立ち上げ再び世界へ挑戦。各国での経験により磨き上げられた技が認められ、1991 年、ノーベル賞受賞式典の晩餐会で採用。歴史上初めてスウェーデン製以外のカトラリーが会場で使用される偉業であった。1 本のカトラリーを職人 35 名で手を掛ける唯一無二の製品は、世界中の一流ホテルやレストラン、社交界から支持されている。
職人に憧れ、山崎金属工業でアルバイトを開始した山崎 修司 氏は、2003 年に工場長に就任。金融危機による景気低迷、長引く円高による不振という危機的状況を乗り越え、2024 年、副社長に就任。世界での経験を宝に未来のあるべき姿を思い描き、燕ブランドを背負う職人と共に、挑戦を続けている。
山崎金属工業株式会社の詳細はこちら
本記事では【第1部】 パネルディスカッション「ものづくりを世界へ」世界へ羽ばたく長寿企業の苦悩と決断をご紹介しました。次回は【第 2 部】 パネルディスカッション「ひとづくりからまちづくりへ」地域の発展に尽力する長寿企業の苦悩と決断をご紹介します。登壇者は神山物産株式会社 代表取締役会長 佐藤 友紀 氏と尾畑酒造株式会社 代表取締役社長 平島 健 氏です。
〈前編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 1 部】ものづくりを世界へ~ ※本編
〈後編〉新潟フォーラム 2025 ~【第 2 部】ひとづくりからまちづくりへ~
〈特別編〉新潟フォーラム 2025 ~懇親会~