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〈前編〉三重燈火会「コロナ禍の決断と行動」

2020年12月7日、「三重燈火会」オンラインにて開催されました。

フォーラムは「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動し、いかに未来を明るく見据えるのか?」をテーマに、千葉・静岡・岐阜・広島から8社8名にご登壇いただきました。

[登壇者]
創業1902年 久志本組 清水氏(三重)
創業1596年 丁子屋 丁子屋氏(静岡)
創業1620年 虎屋本舗 高田氏(広島)
創業1891年 浮月楼 久保田氏(静岡)
創業1919年 中外医薬生産 田山氏(三重)
創業1887年 秋葉牧場 秋葉氏(千葉)
創業1890年 栗田産業 栗田氏(静岡)
創業1885年 マルエイ 澤田氏(岐阜)
※御登壇順

[ダイジェスト映像]

初のオンライン開催となった本イベントでは、第1部は8名のパネリストによるディスカッション、第2部はブレイクアウトルームに分かれ参加者全員によるディスカッションが行われました。

本記事では、第1部 パネリストによるディスカッションの様子を、3回に分けてご紹介します。

三重燈火会「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動しているか?」を8社の長寿企業に学ぶ〈前編〉※本記事
三重燈火会「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動しているか?」を8社の長寿企業に学ぶ〈中編〉
三重燈火会「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動しているか?」を8社の長寿企業に学ぶ〈後編〉

本記事では、長寿企業8社のうち4社のコロナ禍での決断や取り組みについて見ていきます。

開会の挨拶

まずは、三重燈火会 田附氏(東京海上日動 三重支店)にご挨拶をいただきました。

「お忙しい中にお集まりくださり、ありがとうございます。
静岡、岐阜、千葉、広島から参加くださっている若旦那の皆様、本当にありがとうございます。
また、昨年よりご一緒くださっている、三重の清水社長、田山専務もありがとうございます。

昨年(2020年)10月、「地方創生経営者フォーラム・三重 伝燈と使命」を開催し、大変大きな反響を賜りましたが、更に地域活性化のために、単発ではなく継続的に運営していくためにはどのようにすべきかを弊社とチエノワ社にて考えていました。

当初はフォーラム開催日にサミットを開催するべく動いておりましたが、世の中の状況、コロナ禍の中では実現が難しいこともあり、『完全オンラインかつ双方向の学び場』を初の試みとしてチャレンジさせていただきました。

各地域の盛り上げに一肌も二肌も尽力なされている皆さまが集っていますので、この新たな取組が実りある学びの場になれば幸いですし、非常に愉しみにしております!!

長丁場になりますが、明るく愉しく、みなさまで過ごして参りましょう!」

コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動しているか

パネリストの方々に一人ずつ、「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動しているか」という今年1年の実体験をお話しいただきました。

久志本組 清水社長

まずは今回の登壇者の中で最も経営歴が長い、清水社長のお話を伺いました。
清水社長は2011年に代を継がれ、今年で10年目になります。

まずは自己紹介をいただきました。

「株式会社久志本組の清水です。建設会社として、地域で総合建設業を行っています。学校のような教育施設・福祉施設・道路や河川・諸々の公共工事も数多く手掛けています。
売り上げ規模は約50億円、従業員数は60名ほどの会社です。

創業から今年で118年、私は6代目の後継者です。29歳のときに会社に戻り、31歳で代表取締役に就任し、9期を終えたところです。」

次に、コロナ禍での取り組みについて伺いました。
清水社長は、コロナウイルスの影響を時系列で書き留めていたといいます。

「皆さんも同じだと思いますが、春くらいから具体的な対応を迫られることになりました。緊急事態宣言が出てからそれぞれの仕事にも影響が出はじめ、何かしなくては、と大きく2つのことを考えました

1つ目は、最低最悪の状況を想定してのものです。本当に何もできなくなる状況を想像しました。
社員さんへ安心感を伝えるため、2日に1回は会社のポータルで、『今こういう状況です』『こういうことをやりたいと思います』といったことを発信しました。そして、こうだから大丈夫、余裕があるという話でいっぱいにしました。

2つ目は、バッファを作るということです。何かあったときに動けなくなってしまうとまずいので、余裕・バッファを作るということです。とにかく少しずつ全部を緩めました。仕事量や指示の内容、毎日のスケジュールなどです。

この半年、1年で様々なことを行ってきましたが、この2つが根本的な対応です。」

ここで、司会の田中氏より質問がありました。
「バッファを作るというのは怖いと思うのですが、実際売り上げはどうなりましたか?」

清水社長はこう返答します。

実際、売り上げは落ちました。ただ、オリンピックまで様々な事業があったことで、これまで建設業はすごく恵まれていました。めいいっぱい走ってきたので、少し立ち止まっても良いと考えました

少し抑えて、若手育成の方にシフトを切り替えました。コロナをそのきっかけにしたと言いますか。無理やりいっぱいに仕事をせずに、比較的さばきやすい仕事を若い社員にやらせている、そういう期間に切り替えました。

丁子屋 丁子屋社長

丁子屋は、今回最も歴史が長い創業424年目です。
丁子屋社長は直近の10月12日に事業承継されたばかりです。

「10月に事業継承するとともに、名前も創業者の名前を復活させました。個人名はもともとは柴山というのですが、『丁子屋平吉』という名前に襲名させていただきました。これからは平吉さんと呼んでいただければと思います。

丁子屋は200年くらい前の浮世絵にも描かれているとされています。東海道の茶店として創業し、ご紹介の通り、今年で425年目です。

このコロナ禍では、1ヶ月半休業しました。売り上げとしてはこの半年間で1,000万円ほどマイナスが出ましたが、私としては良い機会になったのではないかと考えています。それは一言で言うと原点回帰ですね。

家族やスタッフ、仕事や時間との向き合い方、そういった全ての関係性を見直すきっかけになったと感じています。無理しない、頑張りすぎないというのがキーワードで、それが私の中に芽生えた時期だと考えています。

今までこの丸子という地域には6店舗のとろろ屋さんがあり、このコロナのおかげというべきか、横の繋がりができました。実は今週末から6店舗共同でイベントを行うことになりました。なおかつ、6店舗は東海道日本遺産にもなりました。

2年前くらいから、新しく商売をしようという繋がりはありました。それが、こういうときだからこそ、地域で協力しようということになりました。『よそ者・若者・馬鹿者』のような、可能性があるみんなで楽しくやっていけたらいいなと思います。同じ思いを持った仲間が、社内・社外にいるということは、すごく頼もしいことです。

次に通販のことをお話しします。
休業中に2ヶ月分ほどの、自然薯の在庫ができてしまいました。売ることは可能だったため、助成金をいただいて通販サイトを立ち上げ、通販を始めました

自然薯そのものの通販も行いながら、冷凍のとろろも商品化ができそうな話になってきました。飲食業プラスアルファの部分で売り上げを確保したいというのと、『丁子屋のとろろ汁を食べたいよ』というお声に応えていける形ができそうな気配はしています。

テレビで少し宣伝させていただいて、そこから2週間で85セット完売しました。自然薯そのものの販売のときはさほど反響はなかったのですが、やはりとろろ汁が手軽に食べられるということで、一つの結果になった。手応えを感じています。

借金も2億円くらいあるのですが、この1年で6,000万円くらい返済できそうです。ここ3年ほど前年を超える実績を出していて、銀行側からお話がありました。できるだけ支払利息を減らすことで、経営の負担を減らせるのでは、ということで、こういう結論になりました。これまでなかなか進まなかった話ではありますが、この大きな変化の中で銀行側に言いやすかったのだと思います。個人的にも、子供たちにも借金は残したくないですから。」

丁子屋は原点回帰する中で、家族や事業の良さと向き合い、地域企業と新しい事業を進めることができました。さらに、原点にあった負債の部分にも着手しています。コロナ禍が、図らずも次の時代の丁子屋社長となるきっかけになったのかもしれません。

虎屋本舗 高田副社長

400周年の節目を迎えた虎屋本舗。まずは自己紹介をしていただきました。

「広島県瀬戸内の岡山との境目で和菓子屋をしております虎屋です。
赤坂羊羹のとらやさんとは成り立ちが別です。我々はもとは貿易を行っていて、お殿様と一緒に瀬戸内に来て、始まった和菓子屋です。

どら焼きやレモンケーキ・まんじゅうのような昔ながらのものに加えて、最近ではお寿司に似せたお菓子・たこ焼きに似せたお菓子という、攻めたお菓子を作っています。お菓子の材料は、瀬戸内の島々の素材を使っております。」

次は、コロナ禍への対応についてです。
虎屋本舗は、どのような取り組みを行なったのでしょうか。

「それぞれ皆さん人物金において、劇的な変革をしたと思いますが、私がお話ししたいのは、特にお客様との関係の仕方です。いわゆるDXと言われる中でも、CRM(Customer Relationship Management)の変化についてお話ししたいと思います。

以前から、地元の公民館や老人ホームで和菓子教室をさせていただいていました。これは地元のお客様との接点として非常に重要な事業です。また、瀬戸内の離島を回ってその離島の素材を使ったお菓子を作るという、島に根差したSDGs事業としての側面も持つ産業です。こうして社会的価値と企業的価値をリンクさせ、そしてはじめて事業の持続性を担保するという戦略をとっていました

それがコロナ禍で難しくなり、ありきたりなアイデアではありますが、オンラインで和菓子教室をしていこうということになりました。お客様の情報のやり取りの手間があったり、コストも時間もかかるので、はっきり言ってECは面倒ではありませんか。和菓子教室に固執する意味は何だろうと思ったこともありました。

そんな中で、地元のおじいちゃんから『孫たちが帰省できないから、お菓子を一緒に作りたい』と言われました。すごく面白そうだと思って、そのご家族と試しにやってみたところ、遠隔帰省というべきか、新しい体験の価値になりました。おじいちゃんと三重と東京の4家族くらいがが、同じ画面で同じものを作るんです。それを帰省をするような形でやっていました。

そこから他社さんと組んで、色々な子供たちに向けて横展開し、のべ300回ほど開催しています。

利益や売り上げの面では大変だったといえば大変でした。しかし、和菓子を通じて子供たちが家の中でワイワイガヤガヤと親御さんと楽しんでいる姿は、純粋に自分のやる気になりました。社歴が長い企業さんは、長い歴史の中で戦争や疫病を経験しています。それを乗り切った先代の方々も、それぞれ使命感やこういった些細なモチベーションがあったのだと思います。

我々は、お客様との接点をオンラインにシフトすることによって、またそれを従業員と共に行うことによって、新しく次の世代に対するチャレンジとするべきだと強く感じました。」

オンラインでの和菓子教室に子供達と共に参加した田中氏は、次のように語ります。

「先ほど、DXの中でもCRMの見直しというお話がありました。子供たちは、体験したことを他の子供達に語るんですよね。子供達と親が、他の子供と親にということがどんどん増えていくので、ファンが横に広がっていきます。

会社で発信しなくても、体験した人がまたその周りにつないでいくような、デジタルを活用して語り場や語り部を増やしていくことは、新しい取り組みだと思います。」

さらに、田中氏より、4月に社長に就く予定で様々な葛藤がある中での、親子で同じ本を読むことの重要さについて質問がありました。

「『貞観政要』は中国の東洋思想の中でも非常に有名な講話です。『貞観政要』は平時のリーダーシップとして機能し、コロナ禍は『孫氏の兵法』の戦国時代のようだ、というようなことはよく先代と話をします。

ファミリービジネスでは、コロナのような危機的状況において親子で喧嘩をしている場合ではない、という状況が往々にしてあると思います。しかし、同じ本を読むことによってか、価値観や事業の方向性は先代とある程度一致しているため、スムーズに事が運べています。今では危機的状況は乗り越えたという感じはしています。」

浮月楼 久保田専務

浮月楼は徳川慶喜公の屋敷跡に創業した料亭です。
12月25日に代を継ぐ、久保田専務にコロナへの対応について、お話を伺いました。

「浮月楼は、2,200坪のお庭を前に料理を出す飲食業です。今から128年前までは、本当に徳川15代将軍・慶喜公がまさに忍び暮らしていた場所ですが、静岡駅から徒歩3分ほどと非常にロケーションの良い場所です。

弊社は売り上げの70%をウェディングビジネスに依存していました。今年は200件入っていた結婚式が、延期が重なり、半分ほどの件数になってしまいました。
料亭の普通の飲食の方も、休業せざるを得ない状況になりました。

そんな中、12月に事業継承をし、社長になるというところです。私は12年前に東京から静岡に帰り、その後は調理場に入ったりウェディングプランナーをさせて頂いていました。

静岡というのは、平均的なところはあるけれども、少し特殊な地方だと思っています。歴史的な部分や、東京と名古屋の中間に位置するというところです。地の利もありますが、長寿企業という点もなかなか特殊で、排他的なところがあると感じています。

伝統的なお店には、リピーターが付いて来るところがあります。毎年おせちを作るのですが、今年は昨年を上回る数で注文を頂いています

結婚式の方は、コロナの影響で親族のみにするなど、成功したとしても売り上げは半分ほどになると予想しています。少子高齢化の中で、結婚式の需要がこれからどのようになっていくのかという点も、考えています。
飲食業も、コロナ対策は他のお店と同じようにしていますが、その先に何が求めれているのかという点はものすごく考えているところです。飲食業が今後なくなってきてしまうのではないかと感じ、業態を変えていかなければならないと思います。それが喫緊の課題です。」

田中氏より、コロナで厳しい中で事業継承する気持ちについて質問があり、久保田氏は次のように答えました。

楽しまなければならないのと、本当に大きなチャンスだと思っています。
勤続年数が長い社員さんは、これまでなかなか変われないところがありました。しかし、もうそんなことは言っていられません。社長は私の叔父に当たるのですが、そこも仲良くというより、乗り越えなければならないわけです。」

田中氏は数多くの長寿企業の話を聞いた経験から、このように語ります。

「850社の長寿企業の話をきいた中で、若くして危機的状況のときに継いだことが糧になったと伺っています。今はなかなかそうは思えないかもしれませんが、皆さんそうおっしゃっていたので、後にぜひ様々なチャレンジを聞かせていただければと思います。」

久保田氏は、2021年の大河ドラマの主人公、渋沢栄一氏について触れました。

「来年の大河ドラマで渋沢栄一を吉沢亮さんが演じられるということですね。お客様には浮月楼が渋沢栄一ゆかりの地であることを説明させていただいています。渋沢栄一は慶喜公の幕臣として有名な方です。ちょうど大政奉還されたときには、パリ万博に慶喜公の弟さんと一緒に行っていて、帰ってきたらもう江戸幕府がなくなっていたそうです。

なぜ慶喜公が静岡に引っ越してきたのかというと、これが渋沢栄一さんに非常に関わりのある話なのです。元々、浮月楼のある場所に渋沢栄一さんが来て、慶喜さんのために屋敷を用意しようということになりました。それで、慶喜公もここに20年ほどいらっしゃったわけです。

そんなわけで、来年の大河ドラマもふまえ、一縷の望みをかけているところです。」

田中氏も、渋沢栄一さんのプロジェクトに来年から関わる予定で、お墓も見に行ったと言います。

「お墓を見にいくと、渋沢栄一さんのお墓は慶喜公のお墓の方を向いているんです。実はこの写真は、それを表している写真です。」

浮月楼はコロナ禍をきっかけに、ウェディングビジネス・飲食業の双方の将来やあり方を見直していました。

本記事では、「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動するのか?」をテーマに長寿企業8社のうち4社の取り組みを見てきました。
次回以降、残り4社の取り組みと、8社の今後に焦点を当てていきます。

三重燈火会「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動しているか?」を8社の長寿企業に学ぶ〈前編〉※本記事
三重燈火会「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動しているか?」を8社の長寿企業に学ぶ〈中編〉
三重燈火会「コロナ禍の逆境をどう捉え、どのように決断&行動しているか?」を8社の長寿企業に学ぶ〈後編〉

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