世界で一つのプレゼント 北嶋屋 (明治初期創業)

夜にはお洒落なバーのような雰囲気に
北嶋 雄 / Yu Kitajima
2011年、20歳から5代目として北嶋屋酒店の経営に着手。より専門店としてギフト要素に特化する為、『世界で一つのプレゼント』というコンセプトで全体的なブラッシュアップを進める。
北嶋 教雄 / Norio Kitajima
1974年、25歳の時に先代が急逝、北嶋屋酒店相続継承し今までの一般的な酒販店より念願だった専門店化を徐々に図り、20年程前より量り売りを始めた。
妥協は許さず個性を大事に。常に時代のニーズと目の前の顧客の気持ちが一番
一見、店名を聞くと、ギフトショップと思い浮かべるかもしれないが、 世界で一つのプレゼント 北嶋屋は明治初期に創業した老舗酒屋である。 蒲田の地で地元民はもちろん、遠方から足を運び、 お酒を求める常連客も多い。
日本の各地で多くの酒屋が廃業していく時代。 この荒波を乗り越える秘訣とは。
大手量販店、コンビニの隆盛を見てきた4代目、 インターネットというグローバル社会を相手にする5代目。 親子鷹で歩む先にはどんなものが見えているのだろうか。
量り売りを はじめたわけ
量り売りのお酒は、試飲も可能
─ 多くの酒屋が閉店しているなか、北嶋屋さんが酒屋を続けられる秘訣とはなんなのですか?
五代目「この量り売りスタイルを思いついたのは父なのです。」
─ 量り売りとは極めて斬新というか、思い切った手法ですね?
四代目「そうですか? 昔の酒屋は量り売りが当たり前だったのですが、いつの間にか仕入れてきた商品をそのまま売る、小売が当たり前になっていますから、今の時代の人だと珍しいかもしれませんね。」
─ そもそもどうして量り売りを取り入れようと思われたのですか?
四代目「一昔前のバブル時代、あの時はとにかく忙しくてお得意さんに商品を運ぶ往復だけで1日1日があっという間に過ぎていました。でもバブルが弾け、コンビニエンスストアや量販店が乱立し、急に酒屋は暇になったわけです。いわゆる経営危機ですね。
実は、10代の学生の頃、アメリカではパワーセンター、いわゆる大手量販店が多くでき一般的な商店が消えていく様を知りました。そしていずれ日本も同じことが起きると危惧していた。だから日本にコンビニエンスストアが出てきた早い段階で、量販店対策を考えたいと酒販組合に訴え続けたけれど、当時は相手にもしてもらえなかったですね。」
アメリカで発祥したコンビニエンスストアが日本に誕生したのは1960年代。ファミリーマートやセブンイレブン、ローソンの1号店がオープンしたのは1970年代である。売っている商品は食品や生活用品を中心に多目的に揃い、どれもリーズナブルでそこそこ美味しい。しかも24時間いつでも利用できるという特徴は、気づけば商店街や個人店舗を凌駕してしまう存在となった。
四代目「いつでも必要なものがすぐに手に入る手軽さ。そんな店が日本各地にあちこちできていった。人は新しいものや便利なことが好きですし、いつの間にか当店の注文も少なくなっていきました。きっと周りもそうなってこのままではマズいと思ったのでしょう。組合に私の意見に賛同する人々が集まり、大手のビールメーカーに公開質問を提出したり、取り扱いのボイコット運動を起こしたりなど過激なこともしましたね。」
個人的に公正取引法についても訴訟を申し入れたこともある四代目。しかしそういう行動を起こしても、個人商店の経営努力や大量注文では決して量販店やコンビニエンスストアと渡り合う事はできない差が生まれ、北嶋屋が属する蒲田酒販組合も180店舗から40店舗に減った。
四代目「昔、40年前ですが生ビールは木樽に入っていました。旨みや香りなど抜群でしたが、木樽の生ビールは一般に販売されず、一部の飲食店等のみで扱っていました。これをどうにか量り売りで販売できないかと考えたのですが、3、4日しかない賞味期限や、品質管理の問題があり、さらにフィルター技術が優れたステンレス製の樽が普及していくことで、木樽の生ビールは衰退していくんですよね。それであれば現在、最も美味しいステンレス製の樽に入った生ビールをお客様のご家庭で飲んで頂けるようにしたい。そう思い、今の生ビール量り売りを始めました。飲食店と違いジョッキではなく瓶に詰めるもので非常に苦労しましたが、試行錯誤を重ね、今の形になりました。ちょうど時間もたっぷりありましたし。」
今、量り売りしている酒類は日本酒、焼酎、泡盛も紹興酒、果実酒、古酒と幅広い。そこには四代目の酒屋としての専門店になりたいというポリシーがあったからである。
四代目「量り売りする商品は必ず試飲を行います。私たちが商品をいいものかどうなのか、それもわからないまま売るのでは、お客さまが納得していただくことができません。」