長寿企業の知恵を、
次の世代・時代へ継承する
Webメディア 智慧の燈火

MENU

「美味し小豆のなせる技」 老舗和菓子店 美豆伎庵 金巻屋

日本人に生まれて良かった…。一杯のお茶と和菓子を口にした瞬間にそう思う人は少なくないだろう。「茶菓子」と呼ばれるように、お茶と和菓子がいつも一緒に登場するのは、菓子の甘みと茶の渋みのバランスが絶妙であるがゆえ。茶席では、濃茶には生菓子(餅、羊羹、饅頭、練り切りなど)が、薄茶には干菓子(煎餅、落雁、金平糖など)が振舞われる。
遡ること室町時代、禅宗の寺院、武家階級に広まった茶の湯。千利休によって大成されたと言われているが、その茶会記に客を招く亭主手作りの素朴な菓子が登場している。その後戦乱が止んだ江戸時代に、お茶を楽しむゆとりが増えたことで茶道文化が発展したとともに菓子文化も目覚ましい発展を遂げ、現在の和菓子の形に辿り着いたと言われている。そして江戸中期以降に、京都や江戸を中心に高価な白砂糖を使った上等な菓子「上生菓子」が登場した。和菓子の中でも最高クラスとされ、お茶席や正式な行事の席では「主菓子」と呼ばれ、最上のおもてなしとして出される伝統と由緒ある菓子である。
上生菓子とは、テーマに基づいてデザインされた芸術性の高い和菓子四季の移り変わりや古典文学などからテーマが選ばれることも多い。そしてそれらには必ず「菓銘」がある。菓銘はテーマが四季の場合、季語や短歌に因んだものが多く、音の響きからもその佇まいに深みを与える。「色、形、香り、味、銘」の「五感」を大切にした茶道の長い歴史の中で、茶菓子は、季節の移ろいにつれて彩や姿を変える自然が色や形となって織り込まれ、茶席の亭主が趣向を凝らす過程で洗練されてきた
現在の上生菓子は、伝統的なものだけでなく革新的なデザインや技法を取り入れて進化し続けている。その伝統と革新を融合し、新たな菓子作りに挑戦している和菓子専門店が新潟市にある。1871年(明治4年)創業、美豆伎庵 金巻屋(みずきあん かねまきや)である。
新潟市は、日本一の大河である信濃川が流れ、海に注ぎ出る「水の都」。かつては日本全国を回って積荷を各地で売買する商船「北前船」の最大寄港地であった。新潟港での盛んな交易によって、新潟市はおもてなし文化、外来文化など様々な文化が発展した。その新潟市最大の繁華街が古町。文明開化が始まった明治初期に、東京や京都で技術を学んだ多くの菓子職人が古町通に店を構え、地主や名家から大量の式菓子の注文を請け負ったとされている。金巻屋も創業時からこの古町通に店を構え、140年以上に亘って古町の歴史を見守り続けている。

 人間の土台となる 基礎的なものを 学ぶ場だから潜学せよ


美豆伎庵 金巻屋

「現在では和菓子店ですが、創業時は和菓子、洋菓子の両方を製造販売していました。和菓子専門になったのは私が継いだ時からです。」と語るのは金巻屋3代目の金巻栄作社長。創業当時は珍しかった洋菓子販売だが、だんだんと洋菓子の勢いに和菓子が押され始めたこと、また百貨店など大型店と渡り合っていくためにも金巻社長が継ぐタイミングで生菓子をはじめとする和菓子に特化することが決定した。しかし継ぐという段階で、金巻社長は和菓子の作り方をほとんど知らなかったという。

金巻:「私は店を継ぐ前に、お菓子の1つでも作れるようにと滋賀県の大津にある1958年(昭和33年)創業の和菓子店『叶匠壽庵(かのうしょうじゅあん)』に当初3年の約束で修行に出ました。そこで和の心髄を極めるべく、お茶やお花、日本古来の禅と数寄をも学びました。そして約束の3年が過ぎ、父から戻るようにと言われたのですが…。その時にはお菓子を作る方法を知りませんでした。実は、お菓子の作り方を何1つ教われず、いつまでも掃除しかさせてもらえなかったのです。そこで、修行先の専務(後の2代目社長・芝田清邦氏)に聞いたのです。『私は家に帰っても何もできないのでどうしたらいいのでしょうか?』と。すると『ここは修行の場であって、人間の土台となる基礎的なものを学ぶ場。だから潜学(機が熟して学んだものが溢れ出るまで学びを貯蓄すること)しなさい。』と千利休の詩を書いて渡されました。

『花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の 春をみせばや』

つまり、自分たちはまだ雪間の下で咲く小さな蕾。大きな花が咲いたと結果ばかり追いかける人に雪間の下の春を見せてやりたい。だからこれから一生懸命努力して大輪の花を咲かせられるよう『潜学』しなければならないという意味の詩です。それからもう1年間の修行を願い出て、最後の半年にあんこの炊き方だけを教えてもらって家に戻ってきました。」

こうして厳しい修行を経て家に戻ったのだが、修行はまだ終わらなかった。家では、父からも他の職人さんからも技術を教わることはなく、背中を見て技術を盗み取る日々が続いた。ようやく思い通りのお菓子が作れる頃には10年以上の月日が流れていたという。

金巻:「店が和菓子店に変わったのはいいけれど、私自身の中身がついていかなくて…。老舗と言われる長い歴史のある店のレベルに追いつきたいと、ある意味金巻屋を目標にしてきました。何十年も菓子職人をやってきて、新潟の歴史や文化、食材なども少しずつ分かるようになり、背景を掘り下げてお菓子も作れるようになりました。人間の成長と共に、今は立派な舞台にようやく役者が少しずつ揃ってきた感じです。」


米万代 人気No.1のよもぎ入り饅頭。 ひと口サイズで もっちりの食感が特徴。

新潟港の開港150周年を記念して作った饅頭「舟づと」、日米友好の懸け橋の役割を果たした新潟の日本人形をテーマにしたゼリー「新潟雪子」などは、歴史や文化などの背景を深く追求し、新潟の食材を使った、まさに「新潟らしさ」を発信した作品の1つ。そんな歴史が詰まった一品であるという背景と、それに対する作り手の想いを知ってから実際にいただくと、非常に感慨深く味わいも格別なものになるだろう。

>>次ページ「出しゃばらず あんと季節の情景を『包む』ことで想いを伝える」