百年都市
東京都 八王子市
ふるさと八王子への愛着を深めるシンボルとした記念事業ロゴとキャッチフレーズ
空と山並み 夕日とまちのにぎわい 水と緑
豊かな色彩で八王子のまちの情景を描き、全体で「数字の100と漢字の百」、また、2つのまるで八王子の「8」を表現している。
全国に公募し、ロゴは361点、キャッチフレーズは1,752点の応募の中から選ばれたもの。
東京都最大の都市・新たな時代への一歩
2017年、東京都内で初の市制百周年を迎えた八王子市。八王子市は、東京都内の市町村で第一位となる約57万人の人口を有し、東京都で二番目に広い行政面積を持つ(ちなみに一位は奥多摩町)。多摩ニュータウンなどの開発によって多くの住宅団地が造られ、都市部へのベッドタウンとしての機能を果たす。また一方で、大学や専門学校など23の教育機関が並び、約11万人の学生が学ぶ学園都市としての姿も併せ持っている。
充実した交通網と広大な土地を活かした産業も、八王子市の特徴である。特に第三次産業が盛んであり、代表的な北八王子工業団地には、多くの物流拠点が立ち並ぶ。交通網も発展を遂げ、中央自動車道や圏央道、幹線道路の国道16号や国道20号(甲州街道)が走り、中央線、横浜線、八高線、京王線など都心までの複数の路線が乗り入れている。このように都心部とのアクセスにも恵まれる八王子駅は、JR東日本最大級の駅ビルを持ち、週末には多くの買い物客が訪れる。
そして、市の中心部の発展だけでなく、緑あふれる自然も八王子市の魅力の一つである。市の西部に聳える「高尾山」、「陣馬山」などの山々は観光地やハイキングコースとして人気があり、「夕やけ小やけふれあいの里」、「道の駅八王子滝山」なども都心からのアクセスの良さから多くの行楽客を集めている。
八王子市のなりたち
古くから多摩川の沿岸では、その清流を利用し、人々が麻や絹の織物を織り、生計を立てていた。万葉集にも「多摩川にさらす手作りさらさらに なんぞこの児のここだ愛(かな)しき」と歌われていた。今より約1300年前、7世紀末に在位した元正天皇の命により、朝鮮半島より帰化した高麗の人々による東国開発が行われた。彼らによって、当時八王子があった武蔵国は耕され、桑を入れて蚕を飼い、生糸を紡いで機を織る技法が伝えられたとされている。こうして養蚕や織物が盛んとなった八王子には「桑の都、桑都(そうと)」という美称がつけられた。これは、鎌倉時代の名僧であり歌人である西行法師が旅の途中に通りかかった、八王子一帯に桑の葉が美しく風に揺れていた様子を「浅川を渡れば富士の影清く 桑の都に青嵐吹く」と歌い、これが「桑都」の由来であると伝えられている。
このように長きに渡って歴史を重ねてきた八王子市だが、街の興りは戦国時代にまで遡る。当時の後北条氏で「取次」の役割を果たし、諸勢力との外交に尽力した「北条氏政」は、深澤山(現在の城山)に「八王子城」を築城した。深澤山は平安時代の学僧「華厳菩薩妙行」が913年(延喜13年)に山頂で修行した山であり、修行中に牛頭天王と8人の王子が現れたことにより、916年(延喜16年)から「八王子権現」を祀っていた。
牛頭天王とは、京都祇園社(現八坂神社)の祭神であり、疫病や農作物の害虫その他邪気を払い流し去る神と言われている。その牛頭天王が儲けた八人の子が「八王子」と称され、彼らを祀った神社が「八王子権現」である。気や災厄を免れるご利益をもたらすと信じられ、北条氏政も同様に祀ったのであった。これが「八王子城」と名付けられる由縁となり、現在の八王子市の由来にもなっている。
その後、八王子城は豊臣秀吉の小田原征伐によって落城してしまう。八王子城一帯は徳川家康のものとなり、八王子は交通の要衝として、または江戸を甲州口から守るための軍事拠点としての役割を担った。
徳川氏は八王子に支城を置かず、八王子城を廃城とした。その上で八王子を直轄領とし、大久保長安に八王子の開発を担わせた。長安は甲州街道を整備し、八王子城下より東の街道沿いに新たに城下町を設けて旧城下町の住民を移住させた。
その後も徳川氏による八王子の開発の結果、甲州街道に沿っていくつもの町に連なる八王子十五宿(八王子横山十五宿)が完成し、八王子は甲州街道最大の宿場町として、また多摩地域の物資の集散地として栄えた。
開国ののち、明治維新期以降は織物産業が隆盛を極め、江戸時代からの宿場町を中心に街も発展した。特に生糸・絹織物については市内で生産するだけでなく、群馬や秩父、山梨、長野からも荷が集まり、輸出港である横浜に運ぶための中継地の役割を果たした。
近代〜現代の八王子市
そして、戦前の東京府時代(1868~1943年)に、当時の東京市(現在の東京都区部)に次いで1917年に市制を施行し、その後百年の時を経て、現在に至る。1986年(昭和61年)に国土交通省より業務核都市と定められ、2007年(平成19年)には東京都で初めての保健所政令市に指定された。そして、2015年(平成27年)4月1日に東京都で初めて中核市に移行し、古くからの歴史と近代の発展という二つの面を併せ持つ、多摩地域最大の都市となった。
このように、八王子市の歴史は辿りきれないほど長く、深いものである。今回の市制百周年は、八王子市にとって八王子の魅力を再認識し、次世代へ継承する機会となるだろう。事実、八王子市では、市制百周年を記念して百を超える様々な記念事業が実施されている。8月4日~6日に行われた「八王子まつり」では、百周年記念事業として実に七年振りとなる「山車総覧」が行われた。町会ごとの山車計19台が一堂に会し、街にお囃子の流麗な音色が鳴り響き、計2日間半に華を添えた。これまで受け継がれた歴史と伝統を、更なる社会の発展へと活かし、東京都唯一の百年の伝統を持つ都市として、新たな役割を担うことになる。
東京都八王子市の歴史
1917年 (大正6年) |
市制施行 八王子市の誕生 人口4万2千人 |
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1919年 (大正8年) |
八王子織物が最盛期となる |
1925年 (大正14年) |
玉南鉄道(京王線)東八王子-府中間が開通 |
1927年 (昭和2年) |
高尾登山鉄道がケーブルカーの営業運転を開始 |
1928年 (昭和3年) |
上水道の給水を開始 |
1934年 (昭和9年) |
八高線が全線開通 |
1945年 (昭和20年) |
八王子空襲 |
1950年 (昭和25年) |
初の市立保育園を開設 |
1951年 (昭和26年) |
三多摩で初めて小学校の完全給食を実施 |
1952年 (昭和27年) |
初の市営住宅が完成 |
1954年 (昭和29年) |
市立図書館を開設 |
1955年 (昭和30年) |
横山・元八王子・恩方・川口・加住・由井の6村と合併、人口が10万人を超える |
1963年 (昭和38年) |
工学院大学が中野町に移転開校、大学の八王子移転が始まる |
1964年 (昭和39年) |
八王子が東京オリンピックの自転車競技場となる。世界で初めて「親切都市宣言」をする |
1965年 (昭和40年) |
人口が20万人を超える |
1967年 (昭和42年) |
京王高尾線北野-高尾山口間が開通、中央自動車道八王子-調布間が開通 |
1969年 (昭和44年) |
北野下水処理場の運転を開始 |
1973年 (昭和48年) |
北海道苫小牧市と姉妹都市盟約を締結 |
1974年 (昭和49年) |
栃木県日光市と姉妹都市盟約を締結、人口30万人を超える |
1975年 (昭和50年) |
多摩ニュータウンの八王子市域分で建設開始 |
1976年 (昭和51年) |
市制60周年、市の木「イチョウ」と市の花「ヤマユリ」を制定 |
1980年 (昭和55年) |
心身障害者福祉センターを開設 |
1983年 (昭和58年) |
人口40万人を超える |
1984年 (昭和59年) |
防災行政無線の運用を開始 |
1987年 (昭和62年) |
人権モデル都市に指定される |
1991年 (平成3年) |
市制75周年、市の鳥を「オオルリ」に制定 |
1992年 (平成4年) |
流域下水道の浅川処理場と八王子処理場(現・水再生センター)を開設 |
1993年 (平成5年) |
看護専門学校を開校 |
1994年 (平成6年) |
芸術文化会館「いちょうホール」を開館 |
1997年 (平成9年) |
「学園都市センター」を開設、横浜線に八王子みなみ駅が開設 |
1999年 (平成11年) |
生涯学習センター「クリエイトホール」を開設 |
2005年 (平成17年) |
「先端技術開発・交流センター」を開設 |
2006年 (平成18年) |
中国・安泰市、台湾・高雄市・韓国・始興市と海外友好交流協定を締結 |
2007年 (平成19年) |
保健所政令都市に移行 |
2009年 (平成21年) |
「大学コンソーシアム八王子」を設立 |
2013年 (平成25年) |
「スポーツ祭東京2013・東京多摩国体」が開催 |
2015年 (平成27年) |
都内初の中核市に移行 |
2016年 (平成28年) |
神奈川県小田原市、埼玉県寄居町と姉妹都市盟約を締結 |
2017年 (平成29年) |
市制100周年、人口58万人。「八王子観光コンベンション協会」を設立。ドイツ・ヴリーツェン市と海外友好交流協定を締結 |
公式ホームページはこちら
八王子市について
八王子市の名前の由来
北条氏照が深沢山に築城の際、病気や災厄を免れるご利益をもたらすと信じられた牛頭天王の8人の王子神「八王子権現」を祀り八王子城と名付け、落城の後も八王子の地名として使われ続けたと云われている。
市の木「イチョウ」
甲州街道追分交差点付近から高尾駅前にかけて約770本のイチョウが並び、春の浅緑色から秋の黄金色へと街を彩る。大正天皇の御陵造営を記念して1929年(昭和4年)に植えられたもの。11月には市民手作りの祭り「八王子いちょう祭り」が開催される。
学園都市八王子
八王子市には21の大学、短期大学、高専があり、学生の数は約11万人とも。全国でも有数の学園都市であり、「大学コンソーシアム八王子」が設けられ、さらなる学園都市としての街づくりを推進している。
八王子まつり
江戸時代から続く関東屈指の山車まつりで、地元八幡八雲神社と多賀神社の祭礼。艶やかな19台の山車が勇壮に練り進む。毎年8月に開催される。