岡本・ナベヤグループ
1560年(永禄3年)創業
『モノづくり』『ヒトづくり』を育み続けて450年余、日本最古の金属系製造業
1560年(永禄3年)、織田信長の家臣で後に信長の三男織田信孝に仕えた岡本太郎右衛門尉(岡本良勝)が鋳造業を創業。450年以上の永きに亘って絶えず時代のニーズを先取りした鋳造技術・商品開発と販売戦略を基にして、国内はもとより自社ブランド「ERON」・「NBK」など、世界を舞台に幅広いビジネスを展開。素材から設計・素材・精密加工(1/1000ミリ)・組立・検査までを行う一貫生産体制を確立し、小品種大量生産ではなく多品種少量生産での競争力強化のため「技術と技能の融合」を目指す。
ナベヤの歴史
1560年 (永禄3年) |
初代岡本太郎右衛門重政が宗家伊右衛門より分家。御鋳物師(おんいものし おんいもじ)を受け継ぐ。 |
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1720年 (享保5年) |
享保年間(1716~1736年)太郎右衛門の跡継ぎ絶え、分家の太衛門(4代太衛門)が岡本家本家10代の家督を継ぐ。 |
1880年 (明治13年) |
12代太衛門が濃厚会社(金融業)を設立。 |
1893年 (明治26年) |
濃厚銀行に改称。岐阜電燈開業。 |
1923年 (大正12年) |
13代太衛門が鋳造部を分離独立させ、㈱鍋屋鋳造所を設立。琺瑯技術を導入。琺瑯鍋「鍋屋Nブランド」がヨーロッパ・アジアに輸出拡大する。 |
1940年~ (昭和15年~) |
軍需工場となる。「手榴弾のカバー」や工作機械の鋳物部品を製造。 |
1945年 (昭和20年) |
岐阜・大垣空襲をうける。 |
1960年~ (昭和35年~) |
戦後復興時代。自社製品:公共上下水道配管材料・作業工具(万力など)製造販売拡大。 |
1960年 (昭和35年) |
(財)岐阜鋳物会館会設立。 |
1969年 (昭和44年) |
米国シアーズ社へ万力輸出本格化。ナベヤの輸出比率70%。 |
1970年代 | 「ERON(作業工具・工作機器)」・「NBK(水道機材・工作機器)」ブランドの登録。プラザ合意。 |
1985年 (昭和60年) |
9月ドルショックで切削加工工作機械用精密治具ユニット製品に転換。 |
1990年 (平成2年) |
本巣市に精密機械加工(1/1000㍉)工場建設。バブル崩壊。各社がISO(品質管理・環境管理)資格認定取得・生産革新活動開始。 |
2000年 (平成12年) |
テクノクラフト(技術と技能の融合)を重要製造方針とする。 |
2002年 (平成14年) |
ナベヤが海外販社(トップセル;上海)を代理店と合弁で設立。 |
2007年 (平成19年) |
㈱岡本「元気なモノづくり中小企業300社」受賞。 |
2017年 (平成29年) |
2月ナベヤが「地域未来牽引企業」に認定される。経済産業省健康経営ホワイト500に認定される。 |
公式ホームページはこちら
代表紹介
代表取締役社長
16代目 岡本 智彦(おかもと ともひこ)
- 1984年 日本ガイシ(株)入社。
- 1989年 (株)ナベヤ入社。
- 1995年 (株)岡本、(株)ナベヤ、ナベヤ精機(株)代表取締役社長就任
現在は 、(株)ナベヤ製作所、(株)サンアイ岡本、(株)ミクロデント等の代表取締役も兼任
ナベヤの「知恵」
革新を続けるモノづくりと育み続けるヒトづくり
絶えず時代の変化に応じた商品開発と販売戦略、そして鋳造技術の研究開発を続けることで、自動車・コンピューター・家電製品などの製造に欠かせない、治具メーカーとして国内トップクラスのシェアを誇り、近年は経済成長著しいアジアへの進出も強化しながら、日本の「モノづくり」を支えている。岡本・ナベヤグループ 15代 岡本太右衛門氏(代表取締役会長)、岡本知彦氏(代表取締役社長)に革新を続けるモノづくりと育み続けるヒトづくりの秘訣について聞いた。
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企業紹介VTR(第3回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 岐阜 2018)
※ 2018 年 8 月 27 日時点