ホットマン株式会社〜お客さまの心豊かな生活に貢献する〜
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは、「ホットマン株式会社」、7代目代表、坂本将之。
1868年、絹織物製造業として創業し、1963年からタオルの製造を開始。全ての製造工程から販売までを自社で行うことが出来る、日本で唯一のタオル会社として100年以上にわたり画期的かつ人々の生活に寄り添った製品を世に送り出してきた。
今回はそんな「ホットマン」の7代目、坂本将之の言葉から製造から販売まで一貫して行える理由と、そこに隠された知恵、先代から受け継がれていた、理念や想いの裏に隠された物語に迫る!
石田:今回のゲストは、ホットマン株式会社 代表取締役社長 坂本将之さんです。
よろしくお願い致します。
坂本:よろしくお願い致します。
朝岡:ホットマンと言えばですね、もう何かタオルとか好きな人にとったら、代名詞みたいなところですけども。
石田:えぇ、そうですねー。
朝岡:あの、色んなタオルを扱っていらっしゃるんですか?事業の内容を改めて教えて頂けますか?
坂本:そうですね。やはりタオル。と、そのタオルの生地を使ったタオル製品。
例えば、バスローブであったりとかですね、パジャマであったり。そういったものの製造から販売までをやってる会社です。
石田:坂本様は、今何代目でいらっしゃるんですか?
坂本:私で7代目です。
石田:はぁー、7代目でいらっしゃる。
朝岡:だけど、青年社長ですよね!
石田:お若くていらっしゃって。
朝岡:失礼ですけど、おいくつですか?
坂本:今40歳ですね。
朝岡:やっぱり青年社長だ!ねー!
ホットマンさんのまぁ強みというか、まぁもう強みはタオルだとは思うんですけども、ちょっと具体的に色々伺って参りたいと思いますけども
坂本:そうですね、あのタオルを作ってるのは勿論そうなんですけども、タオルの業界というのはですね、基本的に分業制なんですね。例えば、折る会社があって、染める会社があって、縫う会社があってと。何社も渡り歩いて商品が出来てくるというのが普通なんです。
それに対して我々ホットマンはですね、全ての工程を自社で出来るようにしてます。これは非常に珍しい仕組みなんですね。全ての工程に係わることで、高い品質を追求するということと、あとは責任を持つということで、自社に取り込んでいきまして、自分達で製造を一貫して出来ると。
さらに、販売ですね。我々直営店を持っておりまして、商品と共に想いまで届けたいということで、製造全てと販売まで全て自社で出来るという、日本で唯一のタオル会社というのが非常に大きな特徴だと思います。
朝岡:メーカーさんは、だいたい作るところと売るところ。大きく分かれてるってよくありますからね。そこを全部このタオル一つでやっていらっしゃるって、なかなかね!知らなかったなー!
石田:そして、そのホットマンさんのタオル、こちらにご用意頂きました。ご説明頂けますか?
坂本:そうですね、今一番売り出してるというか、あれですけど、評価頂いてるのが、1秒タオルというタオルをやらせてもらってまして、簡単に言うとですね、このタオルの生地を1cm画に切り出します。もうほんとにハサミで切るだけでいいんですけれども。それを、水の溜まった上に落とします。で、それがどれくらいで沈み始めるかというのを、吸水性を調べる試験があるんです。
これ、JIS企画で決まったちゃんとした試験なんですけども、その我々の1秒タオルは落とした瞬間1秒以内に沈み始めるということで、非常に高い吸水性を持っているというのが一番大きな特徴ですね。
朝岡:そうなんですかー。これが1秒タオル?
坂本:そうですね。全てこちら1秒タオルの種類ですね。
朝岡:1秒タオル!へー
坂本:これもですね。その薬品で、例えば水を吸わせる薬品というのもあるんですね、そういったものは一切使わないと。もう徹底的に洗いこんで、丁寧に丁寧に時間を掛けてこういった吸水性の高さを実現してますので。
例えば、赤ちゃんですとか、アトピーの方、お肌の弱い方にも安心して使って頂けますし、女性の髪とかですね、皮膚、お肌ですね、これを美しく保つのにもこの吸水が良いタオルというのは非常に有効なんです
石田:へぇー!
朝岡:ほら、よく安いタオルだと、おろしたてだと全然手が拭けないってことあるでしょ!
石田:
ありますあります(笑)
朝岡:だから、洗濯機で洗わないとだめ!みたいな。ないのね?
坂本:ないです、ないです。
石田:へぇーーーーーー!私も、赤ちゃんがいるんですけれども、安心してもぅお風呂上がりにでも拭けるってことですね。
坂本:そうですね。我々、そういった薬剤に頼らない作り方というのを昔からやっておりまして、例えば、タオルは柔らかい方が売れるんですね、変な話ですけども。柔らかくするにはどうするかっていうと、一番手っ取り早いのは柔軟剤をたっぷりつけてお店に並べると。ただ、柔軟剤っていうのは決して悪いものではないんですけれども、やはり、お肌の弱い方には刺激があって反応されたりですね、あと、糸をコーティングすることで、吸水性が悪くなる可能性があるんですね。我々はそういったものは一切使わないので、触ってもらうとちょっと最初、そんなに柔らかくないね。と言われることもあるんですけども、
朝岡:あ、ほんとだー(触る)
坂本:実は、洗う度に、ふんわりしていく特別な作り方をしています。
朝岡:ちょっとほらー(石田にタオルを渡す)
石田:あっ、ほんとですね!思ったよりは…はい、もっとふわふわ…
朝岡:ね!もっとツルンツルンの柔らかさかと思った、割と強面っていうかゴワっとしてるんだね、あらまー
坂本:でも、実は洗っていくとどんどん柔らかくなっていくという不思議な作り方ですね。
石田:へぇー。
朝岡:いやいやいやいや、そういうことなんだねー
石田:ねー!そうですか。
朝岡:不思議なタオルですよ。
石田:その他にもですね、オススメの商品というのは、どういったものがございますか?
坂本:そうですね、やはりそういった作り方をしてますので、ベビー用の商品ですね。赤ちゃんのお肌にも優しいですし、特にこういうベビー商品には、柔らかい糸なんかも使ってですね、肌へのストレスを無くすような作り方をしていたり。
こちら、同じ1秒タオルの種類なんですけど、『青梅縞 OUMEJIMA&TOKYO』という東京都が推進している取り組みの一つで、我々もですね、この東京で作り続けているという会社ですので、それに賛同して、東京にもですね、こういうものづくりがまだ残ってるんだよ、と。繊維産業があるんだよ、と。知って頂く為に、こちらも取り組ませて頂いてるというタオルですね。
石田:タオルのプロでいらっしゃいますけども、もう随分色んなタオルをもう使いまくってこられたんですか?
坂本:そうですね。もともと私も入社してから、製造畑に長くいたもんですから、タオルを折るところ染めるところ、色々経験してきました。で、その中でやはり、他社さんも含めて、使わないとわからないんですよね。雰囲気でお答えしたりするわけにはいきませんので。徹底的に使い続けてきました。
例えば、お風呂上がりに1枚使って、もう一度身体を濡らしてまたもう1枚使って。もう一度身体を濡らしてもう1枚使う。とかですね。一日に3枚4枚とバスタオルを使ったこともありますね。
朝岡:日々実験ですね。
坂本:そうですね。
朝岡:会社にいなくてもさ!
坂本:そうですね(笑)
石田:タオルマイスターですね。
坂本:そうですね(笑)
朝岡:でもこの改めてタオルってものを考えてみると、やっぱり歴史的には西洋から来たのかなと思うし、そうとう長い歴史があるんじゃないかと思うんですけどね、これどうなんですか?
坂本:そうですね、タオルを広い意味で言いますと、水を吸い取る布と定義されてるんですね。
この一般的にタオルと言ってイメージできるこの糸のループが表面にあるものだけではなくて、水を吸い取ればタオルと広い意味では言われます。
そういった意味では、石器時代の遺跡からですね、木の皮とか麻の繊維を使った布が出てますので、それが起源とも言われてますし、実際にこう目にする機会の多い糸のループがあるものですと、17世紀頃ですね、トルコのハーレムで女性がこう手で糸で入れていく工芸品から始まってまして、工業化されたのが1851年頃、イギリスで工業化されたと言われています。
朝岡:しかし、あれですね。坂本社長は、タオル博士みたいな!どういう種類から歴史からもう全部わかっちゃってるんですね
坂本:大好きですね(笑)
朝岡:好きなんだ、やっぱりね!仕事ってのは、好きなんですよ!
石田:だからこそ!ね!
朝岡:ねー!なんかもっと聞きたくなっちゃうね!
石田:どれが合いますか?とかね、相談したいですね(笑)
ここからは、各テーマを基に、7代目社長・坂本将之の言葉から、
ホットマンが持つ長寿企業の知恵に迫る!最初のテーマは「創業の精神」
創業者の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯。数々のタオル製品が誕生した、裏に隠された物語に迫る!
石田:改めて、創業から現在に至るまでの歴史・経緯を伺えますか?
坂本:はい。我々はですね、東京都青梅市に明治元年に絹織物製造業として創業しました。
この青梅という場所はですね、古くは鎌倉時代以前から織物の里だったと言われている場所でして、非常に古い織物の、繊維産業の歴史があるわけですね。で、我々も江戸時代には農業をやりながら、その傍らといいますか、副業として繊維産業、機織りをやっていたということなんですけども、明治元年の3年にですね、繊維産業に専業化したという記録が「定本市史・青梅」という青梅の歴史の本に載っておりまして、今年で150年目を迎えているという感じです。
石田:うわぁー
朝岡:織物をやってましたけど、そのタオルというものを作り始めたのはいつ頃なんですか?
坂本:タオルを始めたのが、昭和38年からなんですね。
朝岡:割と近いですね!
坂本:そうですね、50数年になりますね。
もともとその青梅はですね、青梅縞という着物の生地が大流行した場所なんですね。江戸時代には、縞々の縞模様の着物生地なんですけども、これが大流行しました。
そのあと着物文化が廃れていく中で、夜具地呼ばれるお布団や座布団の側地を生産する場所に変わっていったんですね。全国の夜具地の65%くらいを青梅でもってたという時代もありました。
そこから、夜具地も西洋の文化、シーツとかが入ってくる中で廃れていきまして、服地、洋服の生地なんかに進んでいったわけです。
昭和38年の少し前になるんですけれど、当時はですね、織る機械を織機というんですが、この織機の台数から何から全て国が管理してましてですね、で、タオルがこうだんだん広がってきたと。増大するぞということになりまして、その時に我々も手を挙げてですね、これからタオルは広がっていくはずだと、事業の柱にしていこうということで、タオルに取り組んで、実際にまぁ生産を初めたのは昭和38年ということになりますね。
石田:そして、直営店を持たれることになるんですけれども、最初のお店はいつ頃できたんですか?
坂本:最初がですね、昭和47年に、六本木に路面店をオープンしたのが1号店になります。タオルを初めて9年目ですね。
自分達で、こう商品だけでなく、その作り手の想いまで届けていきたいということで直営店を持ったのが昭和47年になりますね。
石田:そこからどんどん拡大されて、今は?
坂本:そうですね、今は74店舗。全国に、九州から北海道までお店を持っています。
石田:よくデパートで見かけますよね?
坂本:ありがとうございます。
石田:ホットマンさんというお名前ですけれども、熱い男ですか?そのまま…
一同:笑
朝岡:ホットマンっていうとね、何かお湯と温泉を思っちゃうんだよね(笑)ホットマンってどういうあれですか?
坂本:そうですね、タオル、例えばかけた時非常にぬくもりのあるものですよね。そのタオルの持つぬくもりと、あと、作り手。作り手の熱い想い。それから、販売員のあたたかい心。こういったのをホットに込めまして、まぁそういったものを持っている人々ということで、ホットマンと名付けました。
朝岡:そうですか。ちなみにホットマンの前は、150年の歴史がありますけど、どういうお名前の会社だったんですか?
坂本:株式会社化したのはですね、昭和26年になるんですけれども、その時の会社名は、梅花紡織株式会社と言いました。
朝岡:梅花紡織?
坂本:梅花紡織。梅花は、梅の花ですね。紡織は、紡ぐに織ると書いて、織物を織る会社ということですね。
「青梅」も正に青い梅と入ってますけど、歴史的にも、その梅に係わる伝説が非常に多くてですね、我々の創業者も非常に梅を愛した方でしたので、そこから、梅花、梅の花をとって、紡織、織物をする株式会社と。
石田:そんなホットマンさんの家訓や理念を伺えますでしょうか?
坂本:はい。我々の社是として置いているのが、「創造」というこの二文字ですね。
朝岡:これは、どういうところから生まれている社是なんですか?
坂本:はい、やはりですね、その青梅の歴史を見ても、青梅縞から夜具地に移り服地に移りと、先を見越して生産品目を変えていく中で、生き残ってきたというところがあると思うんですね。
で、その中で我々の創業者がやはり先を見通す力と、常に新しいものに革新していく力が絶対に必要だというところから、この「創造」という言葉を社是にしていますね。
朝岡:ほうほうほう。この社是っていうのは、それだけあってもしょうがなくて、社員の方がね、それをこういかに自分の中に取り込んでいくかっていうのがポイントだと思います。
このあたりはどんな工夫をされているんですか?
坂本:そうですね。やはり、これは一番難しい部分でもありまして、長い歴史、特にタオルを初めてもう50数年になってくると、なかなかこう今までの殻を破れなかったりしますので、とにかく、常にこの「創造」というのを発信するような形でですね、例えば社報のタイトルも「創造」というものにしてますし、口をすっぱくしてと言うとあれですけど、常に発信をしていって、誰に聞いてもすぐに答えられるような形には取り組んでますね。
石田:そして、ホットマンさん。
来年3月で150周年を迎えられるということで、おめでとうございます。
坂本:ありがとうございます。
石田:何かイベントなどは予定されてるんですか?
坂本:そうですね、今プロジェクトチームを作りまして、20代30代の若手でですね、これから先の自分達の未来に向かって、どういったことをしていくか考えてもらってます。
で、その中で、社内と社外と両面あると思うんですけども、社内に対しては、改めて我々の歴史であり想いであり、創造の精神でありというのもしっかり認識できる場にしていこうと。
社外に対しては、やはりお客様に感謝を現せるイベントにしていこうということで、今色々と組み上げてているところですね。
朝岡:150年ていうと、ちょうど明治維新だから、
坂本:そうですね!
朝岡:ね!まぁわかりやすいですよ、ちょうど150年。
明治維新と共に、日本の近代と一緒に始まったみたいな会社だから!
決断 ~ターニングポイント~
続いてのテーマは…「決断 ターニングポイント」
過去に襲った危機、それらを乗り越えるべく、先代達が取った決断とは。
そこに隠された思いに迫る。
坂本:やはり、戦争だと思いますね。戦争が始まってですね、まぁ織機、その織物というのはひとつの平和的な産業ですので、そこから軍需産業を強化していく中で、織機の教室、あの織る機械ですね、これ鉄製ですので、これを出して、それをスクラップしてそこから武器を作ったりということが必要だということでですね、全ての機械を出さなければいけないということになりました。
さらに工場自体もですね、特に東京都青梅の場合はですね、200坪以上敷地をもっている工場から優先的にそれが始まったんですけれども、で、その工場も軍需産業に貸さなければいけないというような状況になりまして、一時的にですね、言ってみれば廃業に追い込まれるようなそういった時期が数年ありました。
これがやはり一番大きなポイントになるんではないかと思いますね。
朝岡:まぁその実質的に工場がなくなったり、商売ができないって形に。
坂本:はい。
朝岡:で、戦後はそのやっぱり着の身着のままだから、皆さんね、そんなにいっぱい織物が売れるかっていうとそういう時代も来なかったし、まぁその危機の時代をどのように乗り越えて、また繋げていらっしゃったんですか?
坂本:創業者、創業者以前から、青梅の織物を広めていきたいと言うことで、色んな役職に就いた家系でしたので、例えば、織物組合の理事長とかですね、そういったものを立ち上げたりもした人でしたので、やっぱり青梅を盛り上げていきたいともう一度その繊維産業を復興させていきたいという想いが非常に強かったんですね。
そこからやはり、戦争が終わってこれからまた新たに生きてく道を探す中で、やはりこの繊維産業をもう一度復興させたいというところから取り組んでいくわけですけど、先程仰って頂いたように、機械もひとつもないですから、まず、その整備されなかった会社、古くから付き合いのある会社をまわってですね、なんとか4台の機械を借りる事が出来まして、ただその織る機械だけでは生産は出来ないので、その他のものも借りに行ってですね、休電日と言って、電気が流れない日が当時はあったんですけど、その日だけ貸してもらって、電気で動く機械を手動でまわして準備をしたりですね、そういったこともしながら、なんとか進んでいったというような形ですね。
朝岡:ご苦労多かったですね。
石田:そのご苦労が、何て言うんでしょう、教訓になったりするんでしょうか?
坂本:そうですね。やはりその想いという覚悟というところですね。
どの道を進んでいくにしても、覚悟を持って取り組めば必ず再開できるという想いが非常に強かったですね。
続いて、7代目坂本将之のターニングポイント。
朝岡:坂本さんはまだね、40ですか?若いですけども、ご自身のこれまでのターニングポイントっていうとどんなことがありますか?
坂本:そうですね、やはり一番大きなターニングポイントというと、社長に就任と言いますか、これでしょうね
朝岡:いつだったんですか就任。
坂本:昭和…昭和じゃないです、すみません。38歳の時ですね。
朝岡:じゃあ、2年前
坂本:2年程前ですね。
朝岡:38歳で社長やれ!って言われたら、なかなかねぇ!
石田:ねー!
坂本:そうですね。
石田:その他にも、上司だったりは、もちろん上の目上の方々がたくさんいらっしゃった中で、ですよね?
朝岡:これだけの企業で!どういうタイミングというかあれで言われたんですか?社長やれって
坂本:そうですね、最初に言われたのが(就任する)3ヶ月前くらいだと思いますね。前社長に食事に誘われて、突然そういったことを打診されたというところですね。
石田:青天の霹靂というか
坂本:そうですね、ほんとに、もう何を言ってるんだろうというところですよね最初は(笑)全くそういうつもりもなかったですし、ほんとにどうすればいいのかよくわからないというところでしたね。
朝岡:あれでどういう理由で、君に任せる。というかそういうことを言われた理由というのは?
坂本:そうですね。我々歴史も長くてですね、正直、景気が、日本の景気が伸びていく時にどんどん成長した時代もありましたんで、そういった意味では、伸び盛りの時期もあったんですね。その頃は、良いものを作っていれば売れるということで、もう我々ほんとに良いものを作ることに特化してやってきたんですね。
ただ、もう物も情報も溢れる時代になってきてですね、良いものだけ作っていても、だんだん知ってる人が色んな物が出て来ますんで、薄らいでくるということで、数年前からですね、知って頂こうと。知って頂かないと存在していないのと一緒だとということを言い出して、会社のプロモーション活動ということも始めるようになったんですね。
それを始めたのが前社長であったり、というところで、会社の方向性のところがしっかり定めたまま知って頂く活動もやっていくと。で、その方向にやはり最初社員もですね、今までのように粛々と良いものを作っていればということで、なかなかこう定まった動きが出来なかったのが、しっかりと方向性が見えたと。
で、その後、今度やっていくのは、やはり商品がわかる人間。歴史がわかる人間が想いをしっかり伝えていかなければならないと。
前社長はどちらかというと財部畑の方の方でしたので、商品がしっかりわかって、歴史を伝えられて、かつ、伸び盛りの頃の、成長した時の、成功体験を持っていない若い者がやっていかなければならないという風に言われまして、私を(就任を)受けたというところですね。
石田:坂本社長は世襲ではなくて、普通に新卒でホットマンさんに入社されて、ということですよね、どういった経緯で入社されたんですか?
坂本:私はですね、元々出身は岡山県なんですね。一番元になるのは、ジーパンが好きだった、というところから始まるんですけど、高校時代にジーンズが大好きでして、そこから繊維の勉強をしたい、と。で、大学を選ぶときに、信州大学という、日本の今、国公立大学では唯一、繊維学部という学部があるところを選びまして、信州にいきました。
そこから就職するにあたってですね、やはり繊維の道に進みたいという想いの中で、例えばものづくりをしているだけの会社、販売だけをしている会社だと、どうしても、そこで終わってしまうような、学生なんで、よく分からない中でそういった想いがあったんですね。
で、「両方やってる会社ってないんですか?」って、当時の教授なんかに聞くとですね、「無い」、と。基本的にはですね。で、じゃあ無いのかと思っていたところに、「あ、一社だけあるよ」、と。
当時、30年前から自分たちで作って自分たちで販売している会社がある、ということで紹介されたのが、このホットマン、梅花紡織だったんですね。
石田:そして入社されて、どういった部署にいらっしゃったんですか?
坂本:最初はですね、タオルをまさに織る、織物を織る部署ですね。そこから染める、色をつける部署に異動して、で、また織る方に戻ってですね、そこから工場全体を見る工場長とか、そういったところの、本当に物づくり畑を歴任してきました。
朝岡:いろんな会社への入り方があって、ものが好きな人と、それからその、それが出来る仕組みが好きだとか色々あると思うんだけど、坂本さんの場合は、もともとそのジーンズが好きでね、それが好きでそっからまた大学もまあ繊維を勉強になって、そして作るのと売るのと両方にまた興味がおありになって、なんかこのホットマンに入るべくして入ってきたみたいなところがね、ちょっとあるんだよな、伺ってるとな。
社長になるとずいぶん立場も違いますけど、気持ちの部分、環境の部分で変わるところがあると思いますが、以前と比べて、相変わらずタオル、織物はお好きでしょうけど、自分のまわり、あるいは自分の中で変わった部分ってありますか?社長になって。
坂本:そうですね、やはり物づくりが好きで、現場が好きで、どうしてもそこに偏ったものの見方をしていたのが、やはり全体を見るようになりますし、当然数字の責任も出てきますし、そういった意味では、大きく変わりましたね。
ただ目指すべきところとして、我々の経営の理念であるんですけど、お客様の心豊かな生活に貢献する、というところに、製造で何が出来るか、物流で何が出来るか、販売で何が出来るか、そういう広い目で見るようにはなりましたね。
朝岡:会社って、社長1人で幹部が居るわけではなくて、まわりにたくさん重役と呼ばれる方がいらっしゃいますよね?たぶん、坂本さんより年上の方が多いと思うんですよね。
そういうときに、社長だから一応方向性とか決断なさいますが、やっぱりまわりが、「まあちょっとまちなさい」と、そういうこともままあるんじゃないかと、私も昔サラリーマンやってましたけど。
そう思うんですがそのあたりはどうなんですか正直?
坂本:そうですね、私の場合は中小企業ですので、そういった派閥とかも無いですし、やはりその方向性に向かってという意味では、年関係無く尊重してくれますし、我々の会社の行動指針として置いているんですけど、自ら考え、自ら行動する、というのを置いてます。
ですので、まあ機関車タイプのようにですね、私が1人動力で全部を連れて行くというタイプではなくて、全員動力を積んでくれと。ただ、方向性は示していく、と。
みんなの力でみんなで考えながら進んでいこうという方針でやってますんで、そういった意味では軋轢等々は起きていないと、私は思っています。
朝岡:なるほど。そう思わないとね、社長がぐらついているとちょっとね。
石田:本当に物腰柔らかくていらっしゃるんですけど、日頃から社員の皆さんと接するうえで心がけていらっしゃることはございますか?
坂本:そうですね、やはり常に前向きでいることと、やはり笑顔というのは意識していますね。
やはり私が仏頂面でやっているのも、ひとつ危機感を感じて良いのかもしれないですけど、やはり我々最終のお客様にまで接する会社ですので、常に自分たちが明るい気持ちでいないと、お客様にそれは伝わらないですし、そういった意味では笑顔を心がけているというのと、あと、前向きに同じ時間を過ごすのであればと、やはり前向きに新しいことを模索できるような、精神性、気分でいるというのは重要ですね。常に社員と接するときもそういった形で接しています。
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
3つ目のテーマは…「言魂」。
言霊、心に刻む、言葉と想い
強い想いが込められた言葉は人の人生に大きな影響を与える。
坂本将之が先代や家族から受け取った言葉、そこに隠された想いとは。
坂本:両親なんですけど、本当に小さい頃から、もう耳にたこがとよく言いますけれども、人の気持ちの分かる人間になれと、人の役に立てと、弱い者を助けろと、「利他」ということを本当に何度も繰り返し言われてきたので、それは根底に必ずありますね
朝岡:あの、お仕事で先代社長から言われた言葉で印象に残っているというようなことはありますか?
坂本:そうですね、わたしが入社した頃の社長の言葉なんですけれども、熱意とセンスという言葉ですね、これは非常に言われ続けましたんで、未だにやはりそれはしっかりと残している言葉でありますね。
朝岡:センスって言うのもね、身につくかっていうと、なんか、教えられるものではないっていう感じもありますしね
坂本:そうですね、そのセンスっていうのが例えば持って生まれた何か、と言う意味ではなくてですね、「方向性である」と。
「方向性」さえ間違えなければ、熱意をもって取り組めば必ず成功するという風に言われまして、これは入社以来ずっと言われている言葉ですね。
で、それは常に磨くことが出来るという風に言われてますね。やはりこれは私の大事な言葉として持ってますね。
石田:その社長が、今現在胸に刻んでいる言葉はございますか?
坂本:やはり、「誠実である」ということが非常に私は大事だと思っていますので、本当、かっこいい言葉というか、様々な言葉あると思うんですけれども、その「誠実」という言葉、この想いというのは、絶対にぶれないように持ち続けると言う意味で、心に刻んでいますね。
朝岡:まあいろいろ言葉って、これも大事、これも大事って思うんですけど、そういう言葉をよくノートに書いていらっしゃるとかいう方もいらっしゃいますけど、坂本さんはそういうことは特にはなさってらっしゃいますか?
坂本:やはりやってますね。
朝岡:そうですか、どんな言葉が並んでるんですか?坂本ノートには。
坂本:もう本当に、有名な著名な方の本を読んで心にとめたことももちろんありますし、今発行されている雑誌なんかから、ああこれはいいな、と思うこともありますし、あと、社員の言葉、想い、お話しているときに、これはすごいな、と思うことなんかも全部書き留めて、それはパソコンの中に入れてですね、時あれば読み返してる、ということはやってます。
朝岡:そうですね、偉い人の言葉を大事にするのはね、よくありますけれど、社員の人の言葉まで書いて読み返してるというのはなかなか珍しいですね。
坂本:我々、青梅にはですね、吉川英治さんの記念館もあるんですけど、彼の言葉で「我以外皆我師也」と言う言葉があるんですけれど、やはり学ぶことはですね、(本当に立場とか、年齢とか全く関係無くて)常にあると思っていますので、例えば新入社員の言葉というのは、我々がどうしても慣れ親しんでしまった、ずっと同じことを続けたことで、はっ、と気づかされることもありますので、そういった意味では大切にしていますね。
朝岡:やっぱりこう、年齢とか、やってる仕事とかね、離れているからこそ、新鮮ってことがあるのかもしれないですよね。
貢献 ~地域、業界との絆~
続いてのテーマは…「地域や業界との絆」
長寿企業にとって欠かせないもの、それは「地域との関わり」
ホットマンが行っている地域との取り組み、社会貢献活動とは?
坂本:我々東京都青梅市はですね、青梅マラソンという非常に大きなイベントがありますので、ここでですね、参加者であったり、そういった方にタオルを使って頂きたいという想いからですね、記念タオルを作ったりということはやってますね。
あとは、我々、工場感謝祭ということで、年二回、本社の青梅の工場でお祭りを開いてですね、二日間、土日でやるんですけれども、ここに二日で5000名を超えるような方達に来ていただいて、青梅の活性化にも繋げていきたいという想いがあったりですね。
あと、小学校の工場見学とか、そういったものの受入は非常に率先してやらせてもらってます。
朝岡:やっぱり地域との取り組みは、他の会社、一般の会社と比べるとかなり濃い、というかね、感じられますけどね、やっぱり取り組みからはいろんなことが、また参考になることって、得られたりするわけでしょ?
坂本:そうですね、やはりその、想いとしてですね、鎌倉時代以前から織物の里であったこの青梅の、脈々と続くこの歴史であったり、文化であったり、想いであったりと、そういったものがあって初めて我々、今、あるという風に思っていますので、やはり貢献していきたいと言いますか、こう、還元していきたい、もっと盛り上げていきたい、という想いが非常に強くありますね。
石田:そしてですね、展示会も年に一度、青梅で開かれているそうですね?
坂本:はい、そうですね、毎年4月のあたまにですね、展示会という形で、本社、工場のところでやらせてもらってます。
朝岡:今その様子がね、映ってますけど…
なんか、青梅の本社っていうよりも、東京都心にある、これ専用のところでいっぱいスタッフ雇ってやりました、みたいな美しい感じですけど、どうなんですかね?
坂本:そうですね、実際はですね、青梅にあるお店の一部を、この時期だけこういった展示会場にしまして、自社で取り組みとしてですね、いろんな方を呼んで。
例えば、お店の、例えば百貨店さんですね、そういった方であったり、一緒に取り組みをやってる方であったりに知って頂くということでですね、あえて都心でやっているわけではなくて、青梅でやっているというのは、やはり我々の歴史であったり、青梅の環境であったり、もしくはその工場であったり、なかなか作ってる工場、って見ること出来ないと思いますので、そういった精神性も含めた部分も知っていただこうということで、あえて青梅でやってですね。
で、この我々の工場の裏に、創業者の家が、今は使っていないんですけど、もう住んでいないんですけど、家があってですね、こちらに来ていただいた方をご案内して、社員が手打ちで作ったお蕎麦なんかも振る舞ってます。
朝岡:創業者だから明治元年の頃の建物が残っているんですか。そこで手打ちの蕎麦!
まあ、タオルも手で使うけど、お蕎麦も手でね…さっきの、とても素敵なディスプレイとか、それもみんな社員の方がお考えになってる?
坂本:そうですね、まあ我々中小企業ですので、お金が無いというのも、ひとつもちろんあるんですけれども、やはり、自分たちが参加することで、今回の展示会にどういう想いを込めているのか、というところをしっかり伝えていく当事者になってもらいたいという想いと、やはり社是である、「創造」という部分、どういった物づくりで、どういった見せ方が出来るか、というところも含めてですね、自分たちでやっていくと。
で、来ていただいた方には、あえて都心でやっているわけではないので、知って頂くとともに、おもてなしとしてですね、そういったお蕎麦の振る舞いなんかもやりながら、楽しんでいただく時間にしているような、ちょっと変わった展示会になっています。
朝岡:そこがオリジナリティのね、ある会社の、空気が全部ね、いらっしゃったお客さんに分かる、感じられるっていうのは、濃いですね。そうですか、こう、蕎麦っていうのは、しかし、振る舞うのは、社長が蕎麦好きとか、そういうことではなくて?
坂本:そうですね、自分たちで手作りが出来て、喜んでいただけるものってなんだろう、という風に考えたところですね、特に展示会の場合、朝から夕方までの間で、お昼時に来られる方もいらっしゃいますし、青梅の場合、近くですぐに食事とれるようなところが、そう多くはありませんので、そういったときに、その場所を使って食べていただけるもの何かな、と考えたときに、お蕎麦良いんじゃないかな、と思いまして。
朝岡:確かにね!
坂本:まあそれ以前は野立てでお茶を立てて飲んで頂いていたんですけど。
朝岡:あ〜、それも優雅ですけどね、やっぱり蕎麦だね!地域大事になさっているんですね。
石田:よく伝わってきますよね、でもそれだけ、もうずーっと青梅との繋がりというのは、大事なんですね。
坂本:そうですね、やはり育てられた部分というのもありますし、その、日本製というもの、本当に価値があると言われていますけども、私の中で、日本製だからすべて良いか、というと、ちょっと疑問に思う部分もあるんですね。やはり日本製だから、これが出来る、これが出来るから良いものだ、という、「この部分」というものをしっかり作っていかないといけない、と。
それはやはり、我々の場合は歴史の中で磨いてきた技術であり、知識であり、美意識であり、というところだと思っていますし、例えば日本という土地で同じタオルを作っていても、海外の方を雇ってきて、安い労働力として作っている会社さんもあるわけですけれども、我々は、やはり還元したい、貢献したい、という想いから、例えばパートさんは青梅の方に来ていただいて、物づくりをしていると。
当然、値段的にと言いますか、給与もそういった意味では安くは出来ませんので、徹底的に良い物を作ろうという方向に進んでやってると、そういう会社ですね。
石田:いや、こうやってお話伺ってると、本当に改めてホットマンさんは地元を大事にされているってことがよく伝わってくるんですけども。
朝岡:なんか哲学って言うと固くなり過ぎるかもしれませんけど、そういうのをちゃんとお持ちになって、ものを作ってらっしゃるっていうのはね!とてもこう自然に伝わってくるという気がしますよね。
NEXT100 ~時代を超える術~
最後のテーマは…「NEXT100」時代を超える術。
革新を続け、100年先にも継続すべき核となるもの。
そして、ホットマン7代目 坂本将之が語る、時代へ届ける長寿企業が持つ知恵とは?
坂本:やはり、創造の精神というのが原点にありまして、そして我々の企業理念であります、お客様の心豊かな生活に貢献するというこの方向性は絶対に変えてはいけないと。
で、我々はですね、例えばこういうタオルを作るのにも、原材料にこだわってやってるわけですけども、こういう作り方とか原材料とか、そういったものを変えないということではないと思ってるんですね。
常に進化していかなければならないと思ってますので、伝統的な作り方、それを守っていくというよりは、そのお客様の心豊かな生活に貢献できてるかというところが一番の軸になりますので、そういった意味で、その時代時代に合わせて、お客様の笑顔を埋める商品が作れているかというところをやはり一番重要視してやっていくというところだと思いますね
朝岡:あの、百年先の後継者たちへ伝えたい事って聞くことになってるんですけど(笑)
一同:笑
朝岡:ちょっとそれは、先に行きすぎちゃってるんで(笑)坂本さんご自身にとっても、まだまだこれから60代70代までは、社長は出来ると思うんです。そこのご自身のこれから長いであろう社長としてのお仕事、これをどういう風に持っていきたいかっていうのをまず伺いたいですね。
坂本:そうですね、やはり我々の商品を通して、お客様の笑顔を埋めているかどうか、お客様が笑顔になってくださっているかというところは、一番の軸だと思うんですね。
で、それに対して何をしていくかというのは、常に。例えばこの60まであと20年の間でも、おそらく色々変わってくる部分はあると思うんですね。
ただ、その核になる部分をしっかり守りながら、この青梅の歴史であり伝統であり想いであり、そういったものをしっかり私の下の世代にも伝えていって、最終的にそれがお客様の心豊かな生活に結びついてるかということだけはしっかりと守り続けるというようなのが、今後も進んでいく道なのだろうなと思いますね。
朝岡:それが重なって、100年後になるっていうことなのかもしれませんね。
坂本:やはり我々のホットマンという会社がるから心豊かな人生を送れたわ、と言って頂けるような、そんな会社になっていかなければいけないですし、やはり、その誠実にやり続けるということから外れてしまうと、信用はすぐに失うと思いますので、ここは突き詰めていくというところだと思いますね。
朝岡:この番組は100年を超える企業のリーダーにお越し頂いてるんですけど、日本のこの100年っていうのはほんとにまぁ戦争もありましたしね、色んな天災もあったし、その中でも企業として生き残っていける、まぁ色んな運もあったんでしょうけど、坂本さんがお考えになる100年を超えて存在して愛されている企業にとって不可欠なものってのは何なんでしょうね?
坂本:やはりですね、方向性が一番重要だと思いますね。例えば、その生産する品目も変わっていくでしょうし、時代と共に色んな変わっていく部分はあると思うんですけれども、目指すべき方向性がしっかり守られていること。そして、これも繰り返しになりますけど、誠実であること。これが本当に重要になってくると思います。いっときの例えばもうけというか利益を出す為にずるいことをしたりということをすれば、絶対にそれは信用を失うという形で戻って来ると思いますので、粛々とそこをしっかり守っていくというのが一番やっぱり根底にないとだめだと思いますね。
ホットマン株式会社、7代目代表、坂本将之。
「誠実である事」この想いは絶対にブレない。
お客様の心ゆたかな生活に貢献する事を一番の軸とし、その時代に合わせた商品を生み出し続けてほしい。
この想いは100年先の後継者にも、受け継がれていくだろう。