〈中編〉第1回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 広島 2017 〜決断と地域~
2017年7月18日(火)広島県広島市にて「第1回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 広島 2017」が盛況のうちに開催されました。
このフォーラムは、「歴史と決断~長寿企業の知恵と地域との絆~」をテーマに、これまで明かされることのなかった長寿企業の知恵を発掘し、その知恵を地域の価値向上に生かす土台を築くことを目的としたものです。「創業の精神」「決断」など4つの切り口から、3社の長寿の秘訣に迫りました。会場に集まった約100名の経営者らを前に、約90分間、熱い話が繰り広げられました。
地元・広島からカイハラ株式会社の代表取締役副会長・貝原潤司氏、株式会社三宅本店の代表取締役社長・三宅清嗣氏、東京から浅草仲見世 評判堂の代表・冨士滋美氏が登壇し、コメンテーターに広島銀行の取締役専務執行役員・三吉吉三氏を迎えました。
登壇者の企業プロフィール
・カイハラ株式会社
・株式会社三宅本店
・浅草仲見世 評判堂
広島と東京の100年企業3社によるフォーラムの様子を総力特集として3回に分けてお伝えします。
〈前編〉第1回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 広島 2017 ~創業の精神~
〈中編〉第1回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 広島 2017 〜決断と地域~ ※本記事
〈後編〉第1回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 広島 2017 〜これからの100年~
前編「創業の精神」に続き、中編では「決断」「地域」に焦点を当て、長寿の秘密を紐解いていきます。
老舗企業の決断 ─ターニングポイント─
100年以上の歴史の中で、戦争や天災などの影響も乗り越えて、老舗企業の今日があります。ターニングポイントや大きな決断はどんなところだったのでしょうか。
カイハラの決断
カイハラは絣へのこだわりもありながら、事業をデニムへ転換するという大きな決断を下しました。
カイハラ株式会社 代表取締役副会長、貝原潤司氏
「1967年、政情不安と通貨の大幅下落で中近東への『サロン』輸出がストップ。売上の3分の2を失い、300名近くいた社員が半減しました。
ジーンズが流行り、備後絣の藍染め技術をデニム生地に生かせるのでは、とかろうじて光が見えました。自社でロープ染色機を作り、デニムに転換して7~8年で、染色量は全国シェアの約7割を占めるまでになりました。
責任あるものづくりをしようと、染色、織布、整理加工、紡績の一貫生産体制を整えました。絣は限定的な市場でしたが、デニムはユーザーの性別や年齢、国籍を問わないユニバーサルな商品だったため、事業の転換が決断できたと思います。
水質汚濁の規制が厳しくなって、一時、工場停止命令が出たこともあります。この時には、自社で廃水処理施設を整備し、改めて協定を結び、地域の方に工場の廃水処理施設を見ていただいた。そういったことでも会社のあり方を学ばせてもらいました。」
三宅本店の決断
三宅本店には雇用を守るために苦心した時期もありました。
株式会社三宅本店 代表取締役社長、三宅清嗣氏
「1902年、清酒を造り始めたのは大きな決断だったと思います。それまではみりん、焼酎、白酒しか造っていませんでした。清酒を呉海軍工廠に納めて、海軍御用達になりました。
昭和10年代に満州と青島にも工場を作りましたが、終戦で手放して戻ってきました。肝心の呉本社は空襲で全焼。酒造以外に、林業を始めて鉄道の枕木を作ったり、製氷会社をやったり、お酒を仕込めるようになったら酒粕を使って『千福漬け』という粕漬を作ったりして、雇用を守ってきました。
私が社長になって3年目に芸予地震が起きて、蔵と工場がつぶれました。これが、私の代としては一番大きな危機でした。」
評判堂の決断
浅草の仲見世も幾度となく危機に見舞われました。
浅草仲見世 評判堂 代表、冨士滋美氏
「1885年に煉瓦造りの建物ができた後、数十年のうちに大火災で全焼。仲見世の人たちは二晩でがれきを片付けてバラックを建て、営業を再開しました。煉瓦の建物も復活させましたが、1923年に関東大震災で全て崩壊。これもすぐに建て直しました。空襲で壊滅的な状態になりましたが、また建て直した。
先ほども申しましたが、建物は全て東京都の持ち物だったんです。都に家賃を収めつつ、けれどもこれは自分たちのものという気持ちで守ってきました。
戦後、物資は何もなく、甘いものはとても貴重で、甘いものを作れば売れる時代でした。私の父は、親戚から甘味料を分けてもらって、ようかんのようなお菓子を作った。それを売って、店を立て直したと聞いています。」
ものづくりにおけるブランド力
ここで、ものづくりにおけるブランド力にも話が及びました。
株式会社三宅本店 代表取締役社長、三宅清嗣氏
「ブランド力を高めるには、まず商品を磨き、お客様に伝える努力をする。弊社ではショップを作って立ち飲みをしてもらうなど、お酒をお客様の口元に持って行く、そういうことをしています。」
浅草仲見世 評判堂 代表、冨士滋美氏
「弊社は戦後、両国国技館のお土産品に入って知名度が上がりました。それが今でも続いています。普段、店舗で売っているのと全く違う量が出ていくものですから、品質管理に神経を使っています。」
カイハラ株式会社 代表取締役副会長、貝原潤司氏
「いかにして衣料品以外の用途を開発するか考えています。最近では高級時計メーカーのウブロに、デニムを文字盤やベルトに使っていただきました。異分野と協力して、ブランド力を高めていきたい。」
地域とともに生きる老舗企業
地域への想い、老舗企業が地域の中で果たすべき役割とは何でしょうか。
カイハラと地域
カイハラはデニム生地の提供で地域に貢献しています。
カイハラ株式会社 代表取締役副会長、貝原潤司氏
「先ほどもありましたが、カイハラが何をやっているかをまず地域の方に知っていただく。小学生を対象とした染色体験、貝原歴史資料館や工場の見学のほか、ファッション関係の専門学校に、卒業制作の材料としてデニム生地を提供しています。福山市の市制100周年時には、デニムでランウェイを作って、学生たちがデニムの衣装を着てファッションショーを行いました。」
カイハラは福山を中心に広島県内4工場を展開しており、タイにも進出しました。
「県内の工場では、各工程のどれでもこなせるような人材を育成していく。でも県内だけだと従業員たちの刺激は少ない。タイはエネルギッシュな国。今後はタイ工場との交流も含めてやっていければ。」
三宅本店と地域
三宅本店ではいち早く地元産レモンを商品に取り入れるなど、呉市や広島県のPRに一役買っています。
株式会社三宅本店 代表取締役社長、三宅清嗣氏
「地震で工場を建て直す時、念願だった見学者通路を設けました。自社商品だけでなく地元の産品も販売するショップを作り、試飲もできるようになりました。
他には呉市産の大長レモンにこだわってレモン酒を造り、全国で販売しています。広島県と一緒に、お好み焼きに合う発泡性の日本酒『TEPPAN』も造っています。」
三宅社長は呉同済義会の会長も務めています。
株式会社三宅本店 代表取締役社長、三宅清嗣氏
「祖父、父に続く3代目の会長です。老人ホームと児童養護施設、保育所、母子生活支援施設を運営しています。会長職でいただく日当は寄付として返しています。」
評判堂と地域
冨士代表は浅草観光連盟の代表も務め、日本随一の観光名所・浅草で新たな取り組みを始めました。
浅草仲見世 評判堂 代表、冨士滋美氏
「浅草観光連盟は今年で創立70周年。浅草を盛り上げようとできた組織で、三社祭やサンバカーニバルを行ってきました。三社祭は正月三が日と同様に、200万人の人出があります。そんな催しを先輩が作ってくださり、今も浅草の活気になっています。
しかし大きなイベントだけが浅草の魅力ではありません。普段の浅草も楽しんでいただこうと、『365ASAKUSA』というスマホの無料アプリを作りました。浅草にある飲食店や娯楽施設が網羅されていて、自分の行きたいところを選択すると、その店だけが地図上に表示されます。
三社祭やサンバがない時でも、調べてみると何かあるのが浅草なんです。浅草の若い人たちに、面白そうなイベントやお薦めの飲食店などいろんな情報を日々アップしてもらうようにしています。」
東京浅草の冨士代表から、広島の観光事業へのアドバイスをいただきました。
浅草仲見世 評判堂 代表、冨士滋美氏
「浅草では、若い人たちを集めて歴史を語る『寺子屋』をやりました。
自分のまちをよく知っている人間がたくさんいるほど、そのまちの価値は上がるし、国際的になると思います。自分のまち、ひいては国を語ることができたら、英語が話せなくても国際人であると私は思います。その国際人を浅草で増やしていきたいと思っています。それがご参考になれば。」
今回は「決断」「地域」という切り口で老舗を見てきました。次回は「これからの100年」に焦点を当てていきます。