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本業に徹して、絶えず時代の先を見て変化する ~ヤマト

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~



石田
:本日のゲストは、ヤマト株式会社代表取締役社長、長谷川豊さんです。よろしくお願い致します。

朝岡:ヤマトといえば糊と、すぐ頭にくるんですが、糊といっても色々ありますけど、事業内容は具体的にどういう形になりますか?

長谷川:私共は1899年から接着、粘着を中心とした商品開発をしておりまして、でんぷん糊、液状糊、固形糊、それからテープ糊、その他ホビー商品を国内では販売させて頂いております。

石田:こちらにその製品を持ってきて頂いたんですけども、馴染みのある。

朝岡:子供の頃からこれは学校で工作したり、夏休みの宿題つくる時には必ずお世話になりましたね。伝統のやまと糊ですよね。変わりませんね、このチューブ。

長谷川:お陰さまでずっと変わっておりません。ただ中身は絶えず品質改良しておりますので。

朝岡:それからこれも家や事務所、オフィスには必ずなきゃいけないものになってますけども。最近はこういう付箋をつけるものもおつくりになっているんですね?

長谷川:個人事業が非常に増えておりますので、新たに若い方や学生さんに新しいものを出していかなきゃいけないので、このような商品を開発しています。

朝岡:これはクレヨンですか?

長谷川:これは糊から派生した商品で、ステンドグラスになるような、自分でつくるホビー商品のひとつなんですけども。

朝岡:これでこういうものが描けると。あらまあ素敵。これは美術さんが勝手に持ってきたオブジェかと思いましたが、これもヤマトさんなんですか?

長谷川:アーティストがおりまして、杉崎さんという女性の方なんですが、新聞紙とアラビックヤマトを使って恐竜をつくるという。全世界で展示会をやられてまして、我々はスポンサーとして協力させて頂いているんですけど。

朝岡:軽い。新聞紙だ。なるほど。

石田:こんなに綺麗に貼れるんですね。

長谷川:彼女がやると非常にうまくできるということなんですが。これは小さい作品ですが、大変大きなものまで作られているみたいです。

朝岡:改めてヤマトさんの商品の特徴、強みというのはどこにあるんですかね?

長谷川:昔から接着、粘着という技術を絶えず革新しながらやっていくと。本業に徹して、そこから派生した商品にいくという会社のポリシーでやっております。それが長く続く秘訣じゃないかと。

朝岡:先ほど個人消費が増えているとおっしゃっていましたが、今は自分でつくっていく人が増えたんでしょうね?

長谷川:それがホビー商品への新規事業の拡大といいますか。今まではオフィス、事務用品、学校のもの。これは人口が減らない限りは絶えず同じように出て行くものなんですけども、個人の事業の方、ホビーの方が増えて来たと。

朝岡:フィールドが広がってるわけだ。

石田:そちらの付箋もとても気になるんですが、拝見してもよろしいですか?

長谷川:これ是非使ってみてください。それは5mm幅に切れるようになってまして。

石田:方眼になっているんですね。

朝岡:幅が変えられるんだ。

石田:切っても宜しいですか?これくらいで、あ、えー!

長谷川:手帳でもなんでも。薄めにつくってあるので、筆箱やお財布の中にも入るという。

石田:入れやすいですね。ポケットにすっと入るような感じで。

朝岡:5mm幅でほんのちょっと印つけたいときは5mmで良いし、大きめに書いたりなんてときはもっと広く。こういうの欲しかったな。

石田:女性がアイデアを出されたんですか?

長谷川:うちは女性の方が優秀な社員が多いから。そんなこと言っちゃいけないか。(笑)お客様のニーズを女性の方が早く捉えて。例えば小さく切ると手帳の中の曜日だけをメモできるとかですね。

石田:縦にも横にも切れるんですね。こんな小さなものもできたりして。

朝岡:自由自在なんだね。使いたいわ。

石田:こちらに文字も書けたりするんですか?

長谷川:そうです。あと透けて見えるようになっているので、地図の上から貼っても下の地図が見えるとかですね、文章の上から貼っても下の文が読めるとか、そういう特徴があります。

石田:便利。

石田:「創業の精神」ということで、ヤマトさんの創業から現在までの経緯を教えて頂けますか?

長谷川:私どもは1899年、明治32年、両国で薪炭商を営んでおりました、木内弥吉いう者が創業を始めました。
糊というのはもともと腐るものですので、腐らないもので、尚かつ小分けをして炭を買いに来た人達がひとつ持っていけるようなというアイデアで始めました。

朝岡:色んな糊があるけど、元祖というのはこの糊で始まった?

長谷川:そうです。そもそもデンプンを使った糊がはじめだったので、我々もデンプン糊からはじめました。

朝岡:腐っちゃうから、腐らないように工夫をして、ちょっとずつ使えるようにしたりとか、そこから始まっていると。

長谷川:そういうことなんです。その腐らない糊を開発したのが、私の四代前の長谷川ジンノスケという者なんです。

石田:その素材から受け継がれている家訓とか理念はございますか?

長谷川:やはり本業に徹して、絶えず時代を先見で見て、変化していく。大きな変化というよりも、きちっとした商品、安心、安全のものをつくっていくという、家訓というかポリシーを持っているということです。

朝岡:会社の規模が飛躍的に大きくなったのは最近ですか?それともある程度昔から?

長谷川:最初は商店だったので、小さな会社からスタートしまして、私の父にあたる会長が、大学時代におじいさんを亡くしまして、それから50年間社長をしておりまして。

その時に国際化というのが重要だと考えて米国に渡りまして、3Mさんのディストリビューターとして1960年代から日本で文具関係は取り扱わせて頂いたというのが、急激に拡大した理由です。

朝岡:最初はこちらのタイプのヤマトでしたけど、なんといってもこのアラビックヤマト。これが生まれたのが革命的だと思うんですが、これはどのように生まれてきたんですか?

長谷川:当時、オフィス、学校がデンプン糊だったんですが、だんだん手を汚さないとか、そういう理由で液状糊に変わってきた時代。他社は100円くらいで売ってたらしいんですけども、ヤマトは付加価値をつけて当時150円で売り出したんですね。

まずひとつはスポンジの滑らかさで特徴的な糊口をつくりまして、それが技術革新のひとつだったんですが、当時はなかなか売れなくて大変だったという話を聞いています。

そのために今風で言えばサンプリング作戦ですか、ちょうどこの大きさのものを沢山作りまして、オフィスに配ったという過去を聞いています。

朝岡:アラビックヤマトが出たのは?

長谷川:昭和50年だそうです。

朝岡:私が中学から高校に。そういえばその頃なんかお洒落な糊が出て来たぞと。デンプン糊しか知らなかったのが、これだぜ?なんて。あの時代ですか。

長谷川:今では当たり前ですが、当時詰め替えというのを開発しまして、ここにスポンジキャップが入っておりまして、上は何回でも小さいのがあれば使えるという形で。それもヤマトの新しい発想として当時やったことだそうです。

朝岡:ヤマトという会社の名前ですが、大和国でヤマト糊ですか?

長谷川:それもひとつですね。日本の別名である大和と、商売が大当たりするということで、矢に的が当たる、矢的というのを掛け合わせてつけたそうです。

朝岡:だから、懐かしい蓋を見ると、的があって、矢が真ん中に当たってるのよ。

長谷川:すべて、うちの社章もそうなんですけど、矢が的に当たっているという。

朝岡:商売が当たるように。面白いね。

石田:成分や安全性のこだわりもあると伺いましたが?

長谷川:現在デンプン糊の原材料はタピオカなんですね。タピオカデンプンを使っておりますので、お子さんが口に入れても大丈夫ですし、お年寄りが何かやってる時にちょっと舐めちゃったりしても大丈夫な製法でつくっております。

あと安全性ということで考えれば、小麦アレルギーの方が最近多いので、うちは小麦のデンプンを使わずにタピオカに変えたということもあるみたいです。

決断 ~ターニングポイント~

石田:続いては「決断」〜ターニングポイント〜」ということで、まず会社に起こった転機、ターニングポイントを伺えますか?

長谷川:長い歴史の中で戦争による原材料の統制がうちの会社にとって一番厳しいもので、デンプンが配給制になりましたので、食用デンプンは使えませんので、ダリヤや彼岸花の球根をデンプンにして使ったというのが一つのターニングポイントです。

ピンチをチャンスに変えたときがその時でございまして、1950年に特許をとったんですが、冷工法という今までの温めて煮てつくる糊とは違った、化学処理をした製法でピンチをチャンスに大きく伸ばしたということです。

朝岡:食用デンプンが使えないので、球根のデンプンを糊にするにはどうしたら良いか考えて?

長谷川:だと思います。先代がやはり凄かったんだと思うんですけど。

朝岡:最近でいうとバブルの時代は切り抜けたのか、関係なかったのか?

長谷川:そもそも急激な利益もロスも出ない商品なので、努力をすれば100年続く商品なのですが、リーマンショックのあとはオフィス需要および公官庁の需要が激減しましたので、今までやっていた事務用品だけではないということで、このような新しいホビー商品を開発していって、売上にプラスしていったというターニングポイントもあります。

朝岡:オフィスから個人に広げるターニングポイントがそこに?

長谷川:そうですね。あとは少子高齢化になっていますので、高齢者市場にむけて、我々の場合はヤマトアートスクールというのをつくっておりますが、ホビーの教室をやったりしています。

朝岡:今4代目でらっしゃって、3代目のお父様は相当ご苦労多かったでしょうね?

長谷川:相当大変だったと思いますし、50年社長をやっていましたから、そういう意味ではだいぶ会社を大きくしたのも会長のおかげだと思っております。

朝岡:50年社長ってなかなかいないですよ。そうすると父親とは別に経営者としても勉強になったことがいっぱいあったと思いますが?

長谷川:私の場合、実は会社に入って17年なので。ちょうど会社が100周年の2000年に入ったものですから、その前のことはあまり知らないんですけども。

朝岡:まだ17年ですか?云十年やっている貫禄ですが。

長谷川:全然別の業種にいたものですから。

石田:先代のお父様と比べて似てる点、違う点はどこですか?

長谷川:難しいですね。組織としてどちらかというと家族的な会社経営というのは会長と似ていますし、我々の業界はそういうところが多いものですから、そこが一点共通点かなと。

厳しさに関しては会長の方がはるかに厳しい。そこは大きな違いだと思います。

朝岡:ヤマトに入る前は何を?

長谷川:今と全く違う、アメリカの金融機関におりまして、どちらかというとプライベートバンクとか、投資顧問とかそういう仕事を。日本の機関投資家や個人のお客様からアメリカの投資を持ってくるという仕事をしていました。

朝岡:いずれヤマトを継ぐという前提でおやりになっていたんですか?

長谷川:うちの両親が会社を継がなくていいよ、好きな事をやりなさいと言っていたことと、父が大学の時にアメリカンフットボールをやっていたんですが、それほど外国が好きだったのに、僕のおじいさんが亡くなっちゃったんで、家族を養うためにヤマトをやっていかなきゃいけないということで、そういうチャンスが無かったので、息子に託してくれたんだと思います。

朝岡:アメリカでのお仕事や生活の経験は今どのように活かされてますか?

長谷川:全然日本とアメリカは文化も違うし、業界も違うのですが、例えば女性の活用とか社員の教育は外資系でだいぶ学びましたし、仕事の仕方、特に文具業界は古い形態の会社が多かったものですから、そこはだいぶ変えたと思います。

朝岡:確かに糊ってすごく日本的ですよね。糊を使っている姿を見るだけで日本だなという空気もあるんだけど、そこにご自身のアメリカの経験をうまく持ち込んでらっしゃる?

長谷川:最初は大変でしたけどね。宇宙人が来たような顔をされました。

朝岡:どのように馴染ませていったんですか?

長谷川:会社内ではできるだけオープンにして、年2回の全員を集めての会議ですとか、年賀状を書いて、私の一年間の方針を渡したりとか。

あとはオフィスもオープンスペースにしまして、メールも僕にいつでも入ってきますし、携帯の番号も教えていますので、何かあればすぐ来るようになっているということを大きく変えたと思いますね。

石田:社長室があるというわけでもなく、壁がなくて皆さんフレンドリーにお話されているという?

長谷川:一応部屋はあるんですけども、部屋じゃないところにも席は用意して、そこにちゃんといるようにして。特に朝と夜は出来るだけいるようにすれば当日の行動がわかりますんでね。

朝岡:これだけの長寿企業のトップになるということが決まった段階では、かなり色んなことをお考えになって、プレッシャーもお感じになりましたか?

長谷川:ほとんどがプレッシャーでした。前の会社との大きな違いは、文房具ですから原材料含めて何円何銭の世界なんですね。

前の会社は機関投資家がメインでしたから、1億以下の人は相手にしなかったものですから、そういう意味では何億何千万の世界から何円何銭になったというのは大きなカルチャーショックでした。

朝岡:アメリカの場合は長寿企業は多いんですか?

長谷川:多いと思いますね。グローバルな会社は長寿企業が多いですし、私が勤めた会社も1818年にできた会社ですので、大変古い。そこから学んだことも多いですね。同じように長寿企業ですし、現在も活躍してますので。

朝岡:長寿企業は長寿企業に学ぶんですね。

長谷川:偶然なんですけど、本当にご縁があって入れたので。

石田:女性社員の抜擢に積極的なのもアメリカから学んだことなんですね?

長谷川:上司が女性だったケースもありますし、男女問わず優秀な人、良く出来る人を抜擢するというのはアメリカの企業らしいですよね。

上司、偉い人ほどよく働くというのも勉強になりました。土日に家に帰るなんて全く嘘でですね、日本人のお客様が来れば一緒にゴルフ接待して、夕食までも付き合ってくれるような。そういう会社にたまたまいたんですけども、そこから学ぶことは非常に多かったですね。

石田:休んでらっしゃいますか?

長谷川:ちゃんと休んでいます。大丈夫です。

石田:女性社員のマネジメント法にこだわりは?

長谷川:女性は優秀なんですね。特に文房具関係ですと女性の目線は重要なので、出来るだけ意見を聞いて開発に結びつけたいと思っています。

朝岡:さっきの付箋のアイデアも、社員を活性化させてくみ上げるものですから、アメリカの空気のマネジメントはヤマトを良い風に変化させていったと。

長谷川:まだ結果はわからないですけど、そうあってほしいです。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

石田:続いては「言魂」ということで、幼いころ先代や祖父母から言われた印象的な言葉、そこに隠された想いを伺いたいと思います。

長谷川:母や父から言われているのは一般的なことで、嘘をついちゃいけないとか、人を騙しちゃいけないとか、何事にも一生懸命取り組みなさいというようなことしか言われていません。

朝岡:アメリカでの生活やご自身の人生の中で、この言葉は今の仕事にとても結びついているということがあれば教えてください。

長谷川:前の上司が非常によく出来て、会社のオーナーでもあったわけですけど、彼から言われたことは「まず何か問題があったら、自分の中でよく噛み締めて、あくる日に答えなさい」と。きちっと考えてから答えを出せというのが一つ。

もう一つは偉い人ほど働くなというのをその人の背中を見ながら学んだということ。あと私の大学の担当教授だった先生が「アンテナは高く、腰は低く」と。その3つは印象に残って、現在でも実行していることです。時代を先読むというのが重要だと思います。

朝岡:特に社長だと、言われてパッと返すのも良いけど、ちょっと整理して翌日。

長谷川:翌日だと長過ぎるケースが最近多いんですけども、ちゃんと噛み締めてから、すぐカッカするんじゃなくてですね。それは言われました。

朝岡:アンテナは高く、腰は低く。

石田:勉強になりますね。

朝岡:「ギャラは高く、腰は低く」と言っていた先輩がいましたが、大違いですね。アンテナを高く。

石田:そうありたいものです。人材育成で心がけているところは?

長谷川:前の会社でもそうなんですが、私がペーペーの頃から色んなところに連れてってくれまして、それこそIMFの総会であるとかですね。日本の偉い方がいると、「この人何なの?」と聞かれるので、彼らはバックキャリア、鞄持ちだと言って紹介してくれました。

それを今でもオンザジョブで、お客様にできるだけ若い人を連れていったりとか、工場を見させるとかいったことはやっています。

朝岡:人を育てるというのもリーダーとして大事なお仕事ですものね。

長谷川:学校に行かせて勉強させるのも一つの手なんですけども、うちの場合は、何かの資格をとった場合は会社からサポートしますと。何かをしたいというだけではダメですよと。ちゃんとフィニッシュしたらやりますという。

石田:例えばどういった資格ですか?

長谷川:英語もそうですし、介護労務士とかもありますよね。レクリエーション介護士とか。まさにこういう商品は高齢者、老人ホームのレクリーションに使って頂いてるので。何か社会貢献しないといけないと思うので、そういうことをやっています。

貢献 ~地域、業界との絆~

朝岡:今おっしゃった社会貢献ですけど。

石田:地域貢献もされているとのことですが。

長谷川:あまり大したことはやっていませんが、芸術家のサポートであるとか、日本橋なのでお祭りの協賛をしたりとか。

あとはバリアレスハートという身体の障害がある方の展示会をサポートしたり、日展さんの子供の教室をサポートしたり、その程度しかやっておりません。まだまだやることいっぱいあると思います。

朝岡:長寿企業となるとモノを売るだけではなくて、人との繋がりとか、地域との繋がりも大事な要素になってくるんじゃないですか?

長谷川:私どもの本社もほとんど同じ場所にずっといますので環境は重要ですし。物のみならず事の時代と良く言われているので、それなりにアートスクールをしてまわったりとか、私の出身校で教室を開いて中学生に自分の体験を伝えて授業をするようなこともあるので、そういうのも出来るだけ積極的に参加するようにしています。

NEXT100 ~時代を超える術~

石田:次の100年に向けて変えるべきもの、変えないもの、会社にとってコアになる部分を教えていただけますか?

長谷川:絶えず不確実性の時代がこれから100年来ますので、予想が出来ないことに対して対応する。ピンチをチャンスに変えるということを絶えずポリシーとして持っている。

同時に伝統というのは革新の連続ですので絶えず新しいものを見据えて変化していかなきゃいけないということ。

それから我々の会社のポリシーである、ひとつのものをくっつけて何かを創り出すということは絶えず考えながらやっていかなきゃいけない。

全然違った商売をするのではなくて、次の100年に伝えたいことはそのひとつ。あとやっぱり安心、安全の商品、良いものを創り出していくということだと思います。

朝岡:余計なことはしないで100年続いて、その本道をずっと続けていくということは良く分かるんですが、新しい商品開発は常に感覚を磨いてないと難しいところもありますよね。

長谷川:そのためには女性が市場に出て行くとお客様の意見を聞いてきますし、細かいことを絶えず変えていかなきゃいけないですし。

過去の例をとれば、今でこそ当日配送、翌日配送が多いですけど、北海道に出る商品は昔のコンテナで冬の前に大量に出ていきますね。そうすると液状糊の中身も粘度を変えて凍らないようにするとか、そういう努力があったんですね。同じようにこれからの商品も日本のお客様に合うように、またグローバル化を目指していかないといけないと思っています。

朝岡:これからの100年後に長谷川さんが「これだけはやってくれよ」とメッセージとして伝えるとしたら何でしょう?

長谷川:100年続くかわからないですけど。(笑)同じポリシーを持って社会に何か貢献できるような、尚かつお子さんやお年寄りの方々にプラスになるようなことを日本を代表してやっていってほしいなと思っています。

朝岡:どうやったらそんなに長く栄えるのか。これは業種により様々だと思うのですが、ヤマトの場合、一番の要因はなんだと思いますか?

長谷川:絶えず変革をしていく。同じ商品でも小さな努力によって改良していって、先を見据えた商品を出していくということ。あとは考え方ですね。余計なことをしない。自分の商品から派生した商品をつくっていくということ。

ですから急激な伸びはないかもしれませんが、衰退することもないという考え方を持っていると思います。

朝岡:日本って長寿企業が生まれやすいんですかね?

長谷川:良い商品をつくっているというのがどの場合も言われているんだと思います。

うちの場合は国内ではこういう仕事してますけど、海外では車関係の仕事に出ていますし、工場もデトロイト、タイ、イスタンブールにありますので。そういう意味では国際化に出ていかないといけないのも長寿企業の宿命じゃないかなと思います。

石田:社長ご自身の今後の展望は?

長谷川:仕事の面では接着という原点からたてば、人と人をハッピーにするという意味でお見合い会社でもやってみたいなと思いますけど。個人的には健康で社員がさらにハッピーな会社をつくっていきたいと思います。

朝岡:結婚式の引き出物に良いですよね。

長谷川:これハート形なんですよ。

朝岡:ハートをもっと目立つように、デートのプレゼントにも良いように。

長谷川:是非良いデザインを考えてください。

朝岡:後継者はもう考えてらっしゃるんですか?

長谷川:長男はまだ中学生なので、まだ先の事なので考えてません。好きな事をやってほしいと今は思っています。

朝岡:こういう人にリーダーになってほしいというイメージはあるんですか?

長谷川:国際的なセンスがある方で、男女問わず。特にこういう業種は女性でも良いかなと。あまり言うと社員に差し障りがあるので。(笑)

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