伝統の伝道師たち「東京フィルハーモニー 交響楽団 」
音楽と聞いて、あなたは何を頭に思いうかべるだろうか。クラシック? ジャス? ブルース? ロック? はたまた歌謡曲? 演歌? アニメソング? Etc…と音楽は幅広い。
そもそも音楽というのはいつ頃誕生したのだろう。鳥や小動物の鳴き声を真似したとか、言葉の抑揚から生まれたとか、遠くに連絡するときに歌ったとか、モノとモノで音を出したとか色々な説がある。
記録に残っているのは紀元前、メソポタミヤ文明の時代。遺跡から、ハープやリラ・笛・太鼓を演奏している人々の姿が刻まれたレリーフが発見されている。当然、その時の音楽を奏でた楽譜は残っていない。
紀元前3000年ごろになるとエジプト文明では儀式や祭りなどで、音楽が演奏されていたようだ。ピラミッドの遺跡からもハープ・リラ・縦笛・クラリネットなどの楽器が発見されており、壁画にも楽器演奏の様子がしっかりと描かれている。そしてこの時代、象形文字による楽譜らしきものも残されている。
ギリシャでは、紀元前1000年ごろから、音楽が盛んだったようで、このころの音楽がクラシックの音楽の歴史のはじまりとされている。ギリシャの貴族の教育に、哲学・文学・体育とともに音楽も組み込まれており、音楽の理論的研究が活発に行われ、音階やリズムの種類が整えられたとされる。何より、この時代の音楽は宗教的な儀式としてパルテノン神殿などの神殿で演奏されていたギリシャ演劇で合唱隊が生まれ、これはオペラのはじまりともいわれている。
日本において音楽が生まれたのは記紀歌謡というものが記録上残されている。ほとんどは宮廷に伝承された歌曲で、歌曲名を伴っているものもあり大歌と呼ばれたが、それらがどのような旋律で謡われたかということは判っていない。ただ、そうした宮廷伝来の歌謡が、古事記・日本書紀に影響を与えたのは間違いないとされる。
日本最古の楽団 東京フィルハーモニー 交響楽団
2017年7月オーチャード定期演奏会 マーラー交響曲第2番『復活』 指揮:チョン・ミョンフン(東京フィル名誉音楽監督)
ソプラノ:安井陽子 メゾ・ソプラノ:山下牧子 合唱:新国立劇場合唱団 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
さて、やはり音楽というと誰もが頭に浮かぶのはクラシックだろう。日本にクラシック音楽が歴史上、登場するのはわずか150年前。1910年の『尋常小学読本唱歌』を皮切りに、文科省唱歌が発行された。その歴史とほぼ同じ時代を歩んできたのが1911年、「いとう呉服店少年音楽隊」に始まり、100年余に渡るその歴史を誇る東京フィルハーモニー交響楽団なのである。
「うちが日本最古といわれているのは先人の楽団員のおかげですね」というのはティンパニ奏者の出身で、楽団員をまとめ、運営を取り仕切る石丸楽団長。100年続けてこられた中心にあるのは〝音楽〟だったと教えてくれた。
「オーケストラというのは音楽でも新しい世界なのです。オーケストラに関して、今の形が出来たのは300年くらい前ですが、楽器のはじまりは紀元前ですから。世界中で21世紀の今、その頃と同じことをやっている。だからうちが日本では最古だとは言いますが、世界から見たら、まだ青二才といわれるかもしれませんね(笑)。それでも聴衆は現代の方ですから、私たちは心がけて日本のクラシックという文化を堂々と発信しようとしています。日本文化に根付いたクラシック音楽を世界に紹介したいと思うのです。」
オーケストラの仕事は歴史に築かれた世界の音楽をいかに継承するかという共通の目的がある。世界中には今、3000以上のオーケストラがあり、ベートーヴェンの作品ひとつを演奏するのも全てのオーケストラが同じ曲ならば同じメロディーを演奏するのだ。当たり前のようなことだが、よくよく考えてみると不思議なものである。
「うちの楽団員は総勢130名。ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、オーケストラの演奏者や指揮者は実は世界共通の存在です。うちに所属しながらも他の楽団で演奏することも大丈夫。いわゆるかけもち、副業OKというのが常識なのです。」
通常、かけもちとか副業はどのような企業でも社益のためにもタブー。しかしオーケストラの世界ではそれが当たり前なのだ。つまり東京フィルの楽団員がNHK交響楽団の演奏会で音楽を奏でているということもあるらしい。
「それも仕事。楽団員だけじゃありませんよ。うちにも指揮者が5名いますけど、みんな世界中を飛び回っていますよ。オーケストラは普通の企業とは目的が違うのです。」 石丸楽団長の話によるとこうだ。
まず楽団員はオーケストラと契約し(社員)、そこの演奏会に出る資格を得る。しかし、そこでの演奏がない日などは別のオーケストラで演奏をしてもよい。楽団員一人ひとりが個人事業主で、それを束ねているのがオーケストラということ。これはオーケストラが出来てから今まで続いている慣例なのだと。
「例えば、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』は世界中のオーケストラが演奏する上で、楽譜は基本的に世界共通。演奏する楽器も一緒。楽団員の着ている服まで同じ。演奏者がその演目を演奏できることで、そのコンサートは完成する。優秀な人たちが集って一つの作品を作る、それがオーケストラ。団体でありながら営利団体の体はなしていない。しかし営利団体の体はなしていないとしても、個性が一人一人ある楽団員をまとめて、一つにしなくてはいけないのがオーケストラ。そこに雇用という関係が発生して給料も支払う、つまり団体でもある。
こういうスタイルになったのは400年前くらいのドイツ。今の大きさくらいの合奏の形になり、ドイツのオーケストラが楽団員は雇用という形にしようと始めたものだから、それにならえと世界中に給与制度のオーケストラが広まった。どうしても雇用というと皆さんは一つの企業というイメージが強いかもしれませんが、私たちの世界ではこれが当たり前なのです。」
オーケストラの楽団員になるには、奏者に欠員が出た時などに行われるオーディション制度がある。試験内容は、募集ごとにオーディション曲のレパートリーや方法をふくめ在籍メンバーで相談し、合否にも在籍メンバーが関与する。オーディション合格者は試用期間を経て正式に団員になる、という流れだ。東京フィルハーモニー交響楽団もちょうど今、ファゴットやティンパニ(打楽器)の首席奏者の募集・選考が進んでいるそうだ。
「楽団員を芸能人と思っていただけると解りやすいかもしれません。各々が自分の才能や技術を磨き、オーディションという形でその場所で演奏できる権利を手に入れる。その仕事があるときはそこに常駐し、休みの日は選ばれれば他の団体でも演奏できる。そういう実力主義の世界なのです。」
幅広い音楽のジャンルから クラシックを 見つけてもらうために
こうして選出された楽団員によって毎年様々な演奏会が開催される。東京フィルではその回数がなんと昨年は年間444公演だった。
「たくさん公演しているように見えますが、交代制ですからメンバーは全ての演奏会に参加しているわけではありません。音楽はたくさんのジャンルがありますよね。その中でもクラシックは基本的に生、ライブです。昔に作曲されたものを何百年、同じことを繰り返しているものも多数ある。でも〝生〟ですから、同じ団体であっても、同じ曲目であっても、同じ演奏は二度とできない。今やった演奏と同じプログラムで次の日やっても、どこか違う。人間だからコンディションもある。それぞれは個人ですが〝団体競技〟ですから。野球だって、強い選手がいるところが必ず優勝するというわけじゃないでしょう。しかも、音楽は形として残るものでない。その人その人の感性で聴き取って感じてもらうしかない。そのためにも演奏会に何度も足を運んでもらわないと、本当のクラシックを知ってもらうことにはならないのです。今の時代はスマホやテレビ、パソコンで手軽に音楽を手に入れられるようになりましたよね。だからこそ、できるだけ多く生の演奏会を開催しなくては、交響楽団としての役目が廃れてしまうのです。」
「クラシック音楽の作品は長い歴史の中で一つひとつ、偉大なる作曲家が命を削りながら作り込まれている作品です。とても緻密で、広く深い。クラシック音楽はいつも必ずどこかで流れているでしょう。流行りものであればいつの間にか消えているのに。そこがクラシックの神髄というべきでしょうか。」
石丸楽団長は、クラシックは芸術である、数ある音楽のジャンルの中でもクラシックだけはどこか違うと話す。 クラシック音楽は 「聴きべりのしない音楽」 「芸術をうまく説明するのはね……難しいですね。例えば、ゴッホの絵はどこがどういいのかと説明するのが難しいのと同じ(笑)。だからクラシック音楽を好きになるには時間がかかるかもしれませんが、いったん好きになると、それを何回聴いても飽きない世界になる。
ベートーヴェン、モーツァルトという数百年も昔の音楽を今日まで聴いていても飽きていない、いつ聴いても何回聴いても新鮮な感覚が持てるというのは、そこに普遍的な世界があるということ。簡単にいうと、クラシック音楽は「聴きべりのしない音楽」かな。これは日本の音楽家、すぎやまこういち氏の言葉なのですが。どんなものでも、使えば使うほど新鮮さは減るわけじゃないですか。でもクラシックは100年前とか1000年前に作られたから古臭いということはありえない。100年先、200年先、もしも次の人生で同じ作品に出会っても、今さっき作られた音楽のように思える、それがクラシックなのです。だから、今新しく作られている音楽を300年先の人が楽しんでいたら……それはクラシックになります。」
クラシックの魅力 飽きない世界 虜にするパワー
何百年も飽きられない・飽きない世界、それがクラシック。そんな人間が感動する世界を継承し続けるのがオーケストラである。
「僕はバッハやベートーヴェンなど有名な作曲家の曲は、もしかすると、もっと時間が経つともっと面白さがわかってきたり見つかったりするんじゃないかなと思います。それもクラシックの面白さ。流行していて「今一番すごい!」という曲でも、気づいたらいつの間にか消えているけれど、やはり人が心から感動するものは残ります。人間が一番、普遍的な感動をするというところを捉えるのが芸術の共通性。それが音楽になるとクラシックということです。」
石丸楽団長がクラシックの虜になったのは中学生の頃だそうだ。
「ちょうどラジオがステレオ放送になった頃です。一番初めのステレオ放送はどんなものだったかご存知ですか?
ステレオって立体的じゃないですか。当時はそれを再現するために、NHKの第一放送と第二放送を同時に右と左から放送したのです。ラジオを2つ持っていると左右2方向から聞こえるわけ。それがステレオの始まり。それが1台の機械で再現できるようにした電蓄がコロムビアとかビクターから販売された。その時はまだ、メディアとしてのステレオ盤のレコードはまだない。そんなレコードが多く作られるようになった時、歌謡曲と一緒にクラシックの曲もいくつも作られた。そこで幾つかの曲を耳にしたけれど、衝撃的だったのは『新世界』でしたね」
『新世界』。ドヴォルザークの1893年の作品で、「遠き山に日は落ちて」という歌詞もつくほど、日本人なら馴染みのある名曲中の名曲だ。
「クラシックは難解なものもあるけれど、『新世界』は歌もあるように誰でもわかるという面がある。実は『新世界』と最初に出会い、そこからクラシックにはまった人ってクラシック人口の全体の3分の1くらいはいるんじゃないかな。まあ、ポピュラーすぎて『新世界』がきっかけでしたとあまりいわない人もいると思うけどね(笑)。
『新世界』は初めて聴いた子供でも感動する、誰もが感じやすい名曲。それが中学1年生の頃にステレオから聴こえてきた時は鳥肌ものでした。僕は本当に驚きましたからね。音が立体的に聞こえてくるわけですから。そこで音や音楽に興味を持った。『新世界』を聴いたのが偶然か、必然か。まあ、その偶然のおかげで今の僕がある。あれがクラシックという世界に心奪われてしまった瞬間だろうね。
そういうものって、人間誰でも100%持っています。ただ、その人に合ったものに出会えるかどうかというタイミングは重要だし、その人の精神状況にもよるかな。気持ちが落ち込んでいる時に聴いてしまえばその印象がついてしまう。もう恋愛の出会いと同じですね。自分の好き嫌いがその音楽の中にもあるわけですから。僕はそういう音楽との出会いの機会をもっとたくさん作っていきたい。クラシックを好きになってくれるファンを広げていきたいのです。」
クラシック人口を 増やすために 若き芽を大事に育てる
山谷沢小学校(新潟県長岡市)でのアウトリーチ活動
クラシックのファンを増やすには、若き世代を育てること。東京フィルハーモニー交響楽団は、自主公演「こども音・楽・館」や提携都市(千葉市、文京区、軽井沢町、長岡市)の小中学校や保育園、地域施設での演奏会やアウトリーチ、ワークショップなどを行っている。
「感受性が豊かで興味関心を強く持ってもらえるのが子供時代。将来の音楽普及活動や未来の聴衆育成のために、子供に親子、10代の若き音楽家の卵を育てたい。現代社会において必要とされる発想力やコミュニケーション能力の育成を図り、ワークショップなどで積極的に会話をしながら、オーケストラの音が出る仕組みを体験してもらうなど、本物の楽器と音楽への理解を促したいですね。」
こういった活動には、現在東京フィルの名誉音楽監督を務める世界的名指揮者チョン・ミョンフンも参加することもあり、子供たちが音楽を通じて交流できるとあって、音楽ファンやプロの音楽家からも羨ましがられる内容だ。定期公演やオペラバレエ公演も含め、年間約60万人もの人々とのつながりを創出している。
文化庁巡回公演事業で訪問した宮城県南三陸町立戸倉小学校
西洋で作られた ドレミファソラシド
事業提携を結ぶ新潟県長岡市おおこうづ保育園でのアウトリーチ活動
「日本にクラシックが入ってまだ150年。その間に日本独自の音階に代わり、西洋の音階ドレミが定着しました。みなさんも学校での音楽はドレミファソラシドだったでしょう。では、そのドレミファソラシドは誰が作ったのか。日本には明治維新前にはなかった。日本人は誰も知らなかったはず。でも今、和楽器の人も五線譜でやっている。今、アニメーションなど日本文化はクールジャパンといわれていますけど、あの主題歌もドレミ。そう考えると、このドレミってすごいパワーがあると思いませんか。もともと紀元前からやってきている西洋で作られたものが、世界共通の音楽のもとになっているのですから。」
ドレミファソラシドの音そのものは振動数で区切られたもの。それが長い年月のうちに、世界共通の音楽の基盤となった。
「ドレミファソラシドの音階というインフラが世界中の人間に受け入れやすかったことが、世界共通言語としての音楽の基盤になったわけです。そしてそれを総合して続けているのが、オーケストラが扱うクラシック音楽です。だからこそ私たちはまだまだ活動を増やさなくてはいけない。本当は、今の100倍も1000倍も、やらなくてはいけない。音楽の種類は、300年前より、今は100倍、増えているでしょう。音楽を聴く機会も、1000倍も1万倍にもなっている。ありとあらゆる場所から音楽は必ず流れている。そんな中でクラシックを選んで聴いてもらおうとするのは、音楽の基本がそこにあるからです。はっきり言えば、今の時勢の中で太刀打ちできない。それでもやるしかない、これからの音楽、未来の音楽のために、私たちはコンサートを開き続けるしかないです。」
オーケストラの現実と悩み
リハーサルや舞台裏の様子
実はコンサートを開くにも、何より楽団を維持するにもかなりの費用がかかる。何と毎年、年間20〜30億の予算がかかるそうだ。
「もともと、オーケストラを持てるのは、西洋社会では300年前の時代は王侯貴族でした。富の集中した人しか持てなかった。それはその昔からそう。この類のモノを持てたものは、権力者やお金持ち。その後、民衆革命が起きて、個人の時代になる時に、価値観や経営、生活のやり方はがらりと変わった。でもそれまでに西洋のオーケストラはこういうものであるという価値観がすでに確立していました。王侯貴族が作った価値は民衆もみんな享受したいという気持ちがあるわけです。だから音楽は国の税金でやっていこうというコンセンサスが取れていたわけです。
実はうちも皆様の税金で運営をおこなっていますが、日本のオーケストラはたった100年少々の歴史足らずですから、その運営資金の仕組みができていなかった。そのため日本のオーケストラはほとんどが自前集団です。自分たちで稼いで売ってという流れを未だにやっている。昔は放送局とか映画会社とか、そのあたりがオーケストラを持っていたんですよ。今でもNHKは N響、読売グループは読売日響をもっています。あの日本テレビもフジテレビもみんな持っていたのですけれども、持ちきれなくなった。なので、運営に苦しむオーケストラは年々増えているのが現実です。」
オーケストラの運営資金のメインはチケット代金、演奏出演料、国や自治体からの助成、そして企業や個人からの寄附金。ただ、舞台でヴァオリニストが一人で演奏しても、100人のオーケストラが演奏しても音楽の良さは同じ、値段で換算する場合、その音楽に対して100万円払おうという人がいたとして、演奏者が一人でも100万、100人でも100万。
「ソリスト(一人で弾くプレーヤー)とオーケストラ、どちらが割に合うかというものはない。そういう区別はつかないわけです。オーケストラを組めば大きな音で迫力も出るし、いろんな色合いの音がある。複雑な音符が精緻に組み合わされて音になってゆく魅力もある。オーケストラはクラシックとして発展していくには必要ですけれど、経済的には実はどんどん難しくなる。ソリストでも一人で公演日を全て満席にするようなトップスターの人は一晩、ワンステージ歌って1000万くらいのこともある。でも日本のオーケストラが100人集まったからって、1000万のギャラはもらえない。同じ音楽家なのに不思議でしょう。でもそれも現実。結局はお金を支払う人の理解度なのです。」
音楽家は芸術家でありアーティストでもある存在。観客はアーティストが一人の方が実力も比較しやすいのだと石丸楽団長は語る。
「クラシックの歌手で言えば、超一流の世界の人はいっぱいいます。そのなかでも誰が一番すごいか、音楽をよく聴いている人なら感じるわけです。しかし相当、音楽の耳が肥えた方でも、世界中のオーケストラでどこが一番いいとはいえない。そこに最高の価格がつけられない。ここで同じ音楽であっても価値の差がついてきちゃうわけ。しかも最高の価格を出してくれてもオーケストラは人数が多いから、とにかくオーケストラというのはとても貧乏。あまりに貧乏すぎると維持もできない。芸術家は自分がやりたいからやり、限界を超えて命をかけるところまで行った人がプロになれるという世界です。でも彼ら楽団員には実生活があります。団体を組み、そこに雇用があれば必ず給与を支払う側の人間が必要になる。それが今の最大の問題です。利益は非常にシビアな部分です。こういう流れは、かつて王侯貴族がパトロンだったオーケストラと比べると反比例しています。」
作品を演奏し続けることで継承してゆく それが現代の私たちの役目
楽団長 石丸 恭一
オーケストラの現実はとにかく厳しい。年間440公演組んでしまうということもある。しかし1年は365日。リハーサルを含めればそれ以上の日数がかかる。音楽家は2日間リハーサル、1回本番というのが快適にレベルを維持できるそうだ。そう考えると日にちが足らない。
「事務局は効率化しなくてはと考えながらもそんなにできない。どう考えても一人は365日を3で割った数しか本番回数はできない。もちろん、交代という形でこなすのですが、それ以上は効率も上がらない。オーケストラの効率というのは僕もまだ何かよくわからないけれど、薄利多売のような考えは持ち込めないんですよ。」
音楽によらず、文化は、人にとって必要不可欠なものだ。人は生まれてくる時は一人だが、社会がなければ生きられない生き物である。その中で、高度なコミュニケーションの手段として生成発展してきたのが文化、芸術である。
「人は感動しないと生きていけない生き物です。文化や娯楽で楽しい、嬉しい、感動するという気持ちが大きくなることで、人は赤の他人とも気持ちを共有できる。だから文化・芸術は、これだけ価値観が分断された世界でも生き残る術として必要とされるのです。芸術がそのうち世界を一つにするんじゃないかとか、生きる価値を感じられるとかいうことが大事で、プラスかマイナスか、勝ちか負けかという価値だけでは生きていけないということです。
音楽、特にクラシックは、どの時代の人にも影響を与えてきた。いわば、はるか昔からの、人が幸せに生きるためのメッセージなのかもしれない。それがクラシックの役目であり、それを演奏するのがオーケストラであるならば、僕たちはその役目を全うするだけです。これだけ人類の歴史とともに、歩んで残っているものは、必ず残せるチャンスはある。そのためにも僕は事務局側、経営する側として、この東京フィルハーモニー交響楽団をきちんと後世の未来に向かって、しっかりと若手を育てながら伝えていこうと思います。
僕たちの組織はオーケストラ文化の継承と発展の中で、文化のもつ価値を社会や次世代に伝えてゆくという使命がある。きっと赤の他人や商売敵とも普遍的な音楽の感動は分かち合えるし、そのように人の心を捉えて視野や価値観を広く、深く、大きくし、人と人を繋げる助けとなるのが文化というもの。それは世界中どんな社会でも同じことだと思います。
僕たちの資金源の一つに企業や個人からの寄附があるとお話しましたが、長年にわたり文化芸術に理解を寄せ、その価値を認め、支えてくださっている企業は、東京フィルのルーツでもある大丸松坂屋を始め長寿企業が少なくありません。そういった企業の皆さんは、単に企業として優れた文化を持っているだけでなく、文化そのものへの理解と敬意が感じられる。襟を正される思いです。我々も現代における文化芸術の価値を常に見据えて継承し、そして次世代に伝えてゆかなければならない。難しいかもしれませんが、先人たちもそういう思いをして僕にバトンタッチをしてくれた。同じバトンを次に伝える。それが僕の役目であり、東京フィルハーモニー交響楽団なのです。」