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徹底的なこだわり。それが東京メガネが東京メガネである理由

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、株式会社東京メガネ5代目白山聡一(しらやまそういち)
明治16年(1883年)の創業以来、「お客様一人ひとりに、正確で快適なメガネを提供すること」を使命とし歩んできた東京メガネ。昭和25年(1950年)に、日本で最初に視力測定器をアメリカから導入し、昭和28年(1953年)には眼鏡美容相談の実施、さらに昭和50年(1975年)にコンピューター視力測定器を導入するなど、最新の理論や機器を取り入れ技術を磨き続け、130年を越える歴史と共に培ってきた技術と信頼で、利用者に最適なメガネを提供し続けている。
今回は、東京メガネ5代目白山聡一(しらやま そういち)の言葉から、東京メガネの歴史と伝統の裏に隠された物語と長寿企業の知恵に迫る!

石田:今回のゲストは株式会社東京メガネ、代表取締役社長白山聡一(しらやま そういち)さんです。

朝岡:一口にメガネと言っても様々なものがありますが、改めて事業内容をお伺いできるでしょうか。

白山:私たちはメガネの小売業で、マーケットで一般のお客様にメガネを販売しています。視力の測定や、レンズとフレームを合体させたりなどの業務を行っています。

石田:実際に東京メガネさんの商品をお持ちいただきました。ご説明いただいてもよろしいでしょうか。

白山:古い商品と新しい商品を持ってきました。こちらが昔からある鼈甲のフレームです。現在も鼈甲を扱った商品もありますが、最近はこちらバッファローホーンという水牛の角を素材にしたメガネも出てきました。

朝岡:こちらは金具以外の素材が全部バッファローホーンなのですか。

白山:そうですね。外から見える部分は金具以外、全部バッファローホーンです。2種類の違うバッファローホーンを貼り合わせています。

石田:強度もすごいのでしょうね。

白山:そして、次にこちらですね。金属系のメタルフレームです。昔はニッケル合金が主流でしたけど、現在はチタン合金が主流です。軽いのもありますが、金属アレルギーがほとんど出ないのです。ニッケルだと結構影響が大きかったですね。

朝岡:素材が変わってきたのですね。

白山:デザインとしては、現在こういった立体的なものがあります。こちらはセルフレームというものです。横から見ると結構立体的に見えますね。

石田:前段にレンズがありますが。レンズも進化しているのですか。

白山:遠近両用というレンズを聞いたことがあると思いますが、昔は小玉という小さいレンズがレンズの中にあり、それが上下の焦点を合わせて遠近両用で使えました。現在は、一枚のレンズのように見えて焦点がレンズの中に沢山あります。遠くを見る部分が上側にあって、近くを見る部分が下にあります。段々と累進が変わっていく仕組みです。高齢者向けの遠近両用の進化系ですね。

石田:メガネって沢山種類がありますが。現在のトレンドはどんなものですか。

白山:デザイン的にはやはり、立体的なものですね。レンズは高性能なオーダーメイドレンズです。一人ひとりの顔に合わせてフレームも調整しますので、レンズもそれに特殊な留め方をしても、最適な見え方ができるように、専用の設計をするレンズが最近流行っていますね。

朝岡:メガネの場合も過去の流行が再度流行したりすることはあるのですか。

白山:あります。サングラスの場合はお気づきだと思いますが、大きなレンズものは昔の60年代70年代のリバイバルと言われていますね。大きさの変遷もありますね。メガネのフレームにおいても、60年代70年代のリバイバル品があります。同じメーカーから正規のリバイバル品として出ています。

朝岡:ものを見るという目的がメインですが、特に戦後、お洒落としても広がってきたのですか。

白山:そもそもお洒落としての価値は非常に高かったと聞いています。戦後もそうなのですが、メガネが世に出てきたときも世の中の流行の一つになったという話もあるようです。種類は限られていましたが。戦後は素材も含め、色んな種類や使い方など、メガネの地位が上がってきたと感じています。

朝岡:時代と共に東京メガネさんは歴史を築いてきたのですね。

白山:ブームが起きれば、商売としても上手くいきますね。

石田:改めて、創業から現在までの歴史・経緯などを、教えていただけますか?

白山:私どもは1883年、明治16年に5代前の白山斉明が創業したと伝えられています。大正7年に私の曽祖父にあたる2代目が昭和20年まで引継ぎました。その後は私の祖父、父、私と継いでいます。会社組織として大きくなったのは戦後です。1949年にデパートに出店する店舗戦略を、意図的か偶然かわかりませんが行いました。日本の経済の成長に合わせ、デパートや百貨店での店舗戦力を広げいき、ご相伴にあずかる形で事業を拡大してきました。そのような経緯です。

石田:東京メガネさんはこれまで様々な日本初の試みを行ってきたそうなのですが、どのようなものがありますか。

白山: だいぶ古い話になりますが、1950年(昭和25年)に視力測定器をアメリカから買ってきて、日本で初めて店舗に設置しました。その後、1975年(昭和50年)にコンピューターで自動測定するオートレフラグターを導入したのも日本で私たちが初です。あとは美容相談ですとか、自動車のドライビングの際使う自動測定器を導入したもの日本初と聞いています。

朝岡:私が子供の頃にCMもありましたよね。

白山:1971年からスタートしています。

石田:相当インパクトありましたよね。私が覚えているくらいですから。

白山:ありがとうございます。大成功です

決断 ~ターニングポイント~

会社にとっての転機、経営者自身のターニングポイント、その裏に隠された「物語」とは。

石田:続いては、130年以上の歴史の中で、東京メガネにとっての転機・ターニングポイントを伺えますか?

白山:東京でずっと商売をしていたので、太平洋戦争の時に空襲の被害にあっております。私の曽祖父母が行方不明になりました。私の祖父、祖母、父は生き延びたのですが、私にとっても会社にとっても生き延びたということは大きかったと思います。その後、日本が奇跡的な経済復興をしていく中で、私たちも事業を拡大できました。これは百貨店の成長と共に歩めたこともあります。今日は百貨店の縮小と共に縮小もしていますが、功罪として“功”の方が大きかったと思いますし、これも運命的なものだったと思います。

朝岡:百貨店以外に海外の市場を意識した時期もあったのですか。

白山:きっかけは正確に聞いていませんが、1960年代に、まず香港に出店しました。その後1970年代、80年代90年代で、アジア地域に出店いたしまして、現在は6ヶ国6店舗展開しております。出店は古いのですが、今日まで紆余曲折あり、6店舗残っています。現在考えると、この6店舗は海外の成長マーケットに対する足がかりとしては非常にチャンスではないかと考えています。

石田:それでは白山社長自身のターニングポイントをお伺いできますでしょうか。

白山: 私はそんなに大した苦労した経験がないのですが、昭和44年生まれで、日本も成熟した時期、成長真っただ中の時代でしたし、東京に住んでいたので大きな災害も経験していません。非常に恵まれています。メガネの仕事も当たり前のように世襲をさせていただき、事業も継続でき、これも運だと思いますが、大きな決断をしたという苦労が全然ない。非常に幸せな人間でございます

朝岡:東京メガネを継ぐという中で、幼少期から言われてきたことなどありますか。

白山:具体的に、お前がやるんだぞということを言われた記憶はありませんが、なんとなくそのような雰囲気は感じていましたね。

石田:それはプレッシャーでしたか。

白山:若いころ一時期面白くないと思った時期もありましたが、ハタチくらいの時に自分の宿命はこうなのかなと、夜間部のメガネの専門学校にもダブルスクールで通い、資格を取りました。社会に出てからは、我が社に入社しました。

朝岡:学生時代に、この仕事をやりたいなど希望はあったのですか。

白山:そんなに大した意思はなかったですが、車が好きだったので、レーサーにでもなれたらいいなと思っていた時期もありましたね。

朝岡:プレッシャーを大きくかけられず、自由に育てていただいたような印象を感じますね。

石田:おじい様、お父様はどのような人だったのですか。

白山: 祖父と父は性格的には全然違いました。祖父は私が5歳のこと、1974年に亡くなっています。祖父の言葉は会社の記録を読んで、このような人だったのだという印象と、家の中で見る祖父の印象を重ねてイメージしています。それに対して、父は20年近く一緒に仕事をしましたので、具体的にどのような仕事をするのかわかっています。その両者の印象が似て非なるものだなと感じています。

朝岡:先代、先々代と考え方が同じではないと感じるのですね。

白山: 時代もありますが、どうマッチさせてきたのかなということは推し量ることができますね。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

先代・家族から受け取った言葉、そして現在、自らが胸に刻む言葉とは。

石田:続いては「言霊」ということで、幼い頃に、先代や祖父母から言われた印象的な言葉、そこに隠された想いを伺っていきたいと思います。

白山:祖父と直接難しい話はしたことはないのですが、会社に残っている社訓は祖父が作ったものなのです。社訓を見て、祖父の人間性を思慮しますが、その中で、「大きな池で小さな魚となれ。小さな池で大きな魚となれ。」という一文があります。しかし、私は祖父の想いはこの言葉と裏腹なものだったと思います。鶏口牛後という別の言い方もあるように、小さな組織でトップになること。本当は、大きな社会でそれなりのプレゼンスを持ちたかった。実際にそれを目指していたのは間違いないのですね。そのために、自分の会社、あるいはメガネ業界という小さいものをまとめなくてはいけないという意味で、業界のリーダーとして、仕事を一生懸命努力されてきたのです。結果的に、東京メガネの白山、メガネ業界の白山として、大きな社会に対して、どのような職業奉仕をしているということを一生懸命伝えてきたと私は理解をしています。

朝岡:ご自身が胸に刻んでいる言葉や格言などありますか。

白山:2つあって、1つ目は“継続は力”です。メガネの仕事というのは、時代が変わっても、職人気質な部分があって、一朝一夕には会得できないです。確かに、技術面は進化して、非常に浅い経験でも高度なモノは作れるようになりましたが、例えば、接客するにあたって、お客様が何を求めているのか。快適に見て、快適に生活したいというところまで掘り下げていくと、非常に多岐にわたって、色々なご相談に乗らなくてはいけないこれは経験を積まなくてはできないことで、例えば、5年メガネの仕事をすれば5年、10年仕事をしたら10年、20年したら20年分の深いご相談に乗れる仕事なので、これは継続するしかないです。ですからお金で買えないです。どんなに優秀な人をヘッドハンティングしても、10年メガネ屋で働いた人の価値の方が高いのです。そのような意味で継続は非常に大事だと感じています。

もう1つは、事上(じじょう)磨錬(まれん) という言葉で、仕事と離れますが、私自身がせっかちなものですから、何でも自分の手でやってみたいということを正当化するいい言葉だなと思っています。実践あるのみ、行うという行為は必ず経験になるので、失敗しても次につながると考えています。まずはトライする。

貢献 ~地域、業界との絆~

企業が事業を続けていく上でかかせないもの、それが、地域との関わり。
長寿企業が行っている地域貢献、そして、業界で行っている取り組みとは。

石田:現在、地域との取り組みや地域貢献活動など、会社や社長ご自身が行っている事はございますか?

白山: 本社が世田谷なので、世田谷とのかかわりで言いますと、昨年の秋からバスケットボールのリーグが統一になって、Bリーグがスタートしました。そこの2部のアースフレンズ東京Zというチームがあります。大田区と世田谷区を拠点に活動しています。ご縁がありまして、そちらの応援をさせていただきます。あと世田谷で言いますと、女子サッカーのなでしこリーグの2部にスフィーダ世田谷FCというチームがあります。こちらも世田谷の仲間として応援させていただいています。

朝岡:こちらは社員の皆さんも応援に行ったりしているのですか。

白山:そうですね。私たちはスポーツ選手のスポーツビジョンに取り組んでいますので、そちらをアピールするのと、社員とその家族も応援に行っていますね。

朝岡:スポーツも視覚というのが非常に重要で、そこにメガネとの接点がありそうですね。

白山: そうですね。私たちは1980年代からスポーツビジョンの研究をしているのですが、以来3000人くらいのアスリートの目を調査しています。やっぱりトップアスリートのスポーツビジョンは優れているというところで、例えば、野球の入団テストでもスポーツビジョンのテストを導入して頂き、競艇の専門学校でも入学テストに導入して頂いています。日本における、目と運動の関係を長年啓蒙活動させていただいています。実は、世界では運動能力が高い=見る能力が高いとなっています。

朝岡:それが地元のスポーツチームとつながると、応援もできるし、スポーツビジョンを広げることが出来るのですね。

さらに東京メガネは好きなフレーム生地・デザインを選択し、自分だけのメガネを自らの手で作る事ができる「手作りメガネ教室」を定期的に開催している。
150種以上の生地からフレーム素材を選択し、フロント・テンプルそれぞれに馴染みやすい色・柄を選ぶか、あえて全く異なるタイプを選ぶかは、個性の見せ所。続いてパターン紙を生地に張り付け、糸ノコギリで切り出す作業へ。専門のスタッフがサポートしてくれるので、安心して作業に集中できる。その後、やすりとサンドペーパーで切り出したフレームの形を整えて、手作りメガネ教室の作業は完了。完成したフレームを、福井県鯖江市のメガネ職人に送付し、職人が仕上げ作業を行い、オリジナルのメガネが完成。
東京メガネは、この「手作りメガネ教室」を通して、モノづくりの楽しさを多くの人に伝えているのだ。

朝岡:メガネ業界内で新しいことを始めようなどといった取り組みはあるのですか。

白山:私どもメガネ業界の悩みは、メガネ自体を消費者の方があまりご理解されていない。年を取れば、近くが見えなくなってくる。若いころから遠くが見えない。これはメガネをかけるという行為は同じですが、作るメガネは違うのですよね。このようなことを消費者の方が理解しないと、どこでメガネを作るのが適正かわからなくて、お困りになられているお客さまが沢山います。ですから、メガネの本質的な目的はどのようなものなのかを、もっともっと啓蒙するために業界の活動をしなくてはならない。

最も象徴的なのは、メガネを作っている技術者・従事者に資格があるのかないのか。実は現在、資格は必要ないです。これは参入障壁がなく、誰でも参入できるということです。ですから、お客様の信頼を得るためにはちょっと問題があるのかなと、昔から考えています。業界内の私的な資格はあるのですが、公的な資格にしようという活動を戦後からずっと継続しています。私も現在その活動をしています。

朝岡:お医者さんであったりは、公的な資格を持って薬を出して、信用してもらえる。メガネも同じように資格があれば、よりお客様の信頼を得られる、深まっていくということですか。

白山:医者のように命の危険はありませんから少し話は変わりますが、ちゃんとしたメガネを作ろうとしたのにそれが出来なかった、誰に文句を言えばいいのか、どうしてそうなってしまったのか。そういうことを考えると、メガネはだれが作ってもいいという話ではない。
そういうことで、私共としてはお医者さんほど厳格な資格でなくとも、「このメガネ屋さんは公的な資格を得てるメガネ屋さんなんだよね」ということがわかれば、消費者の信頼度も高まっていくと考えています。メガネ屋になってはいけないとは言っておりませんし、色んなメガネがあっていいと思うんですけど、メガネとしての本質的な部分ができるところとできないところの見分けがしっかりできるようになった方がいいんじゃないかと考えています。

伝燈 ~受け継がれる伝統~

創業者や先代から受け継がれている書物や品物、そこに隠された想いに迫る!

白山:祖父や父からこれといった家宝をもらった覚えはないんですが、強いてあげれば家にある神棚・仏壇は曾祖父の時代から受け継いでいるものであり、今も毎日お参りさせて頂いております。

石田:どういったことをお祈りされたりするんですか。

白山:3つございまして、まずは今日の事業の無事を感謝する事。次に自分の決断や判断が間違っていないことをご加護くださいとお祈りすること。そして、一緒に働いている社員・従業員が元気でいること、やりがいを持って実力を発揮できるような巡りあわせがありますようにと。この三つをお祈りしています。

朝岡:社長という立場だと決めなければいけないことが多いと思いますが、一人の力だと小さいなと感じたりするのですか。

白山:その連続ですね。

石田:昔のメガネを展示しているところが会社にあるとお伺いしたのですが。

白山:事務所ですね。

石田:どのくらい種類があるのですか。

白山:数は把握してないですが、時代的には、メガネができたのが1300年代の西洋です。その頃からのどのようにメガネが進化していったか。日本には1500年代に鉄砲と一緒に入ってきたので、江戸時代、明治時代、大正時代とどのように進んできたのかを展示していますね。
必ずしも本物でなく、レプリカものもあるのですが、様々に数もあるので、入れ替えたりもしています。本部に展示もしているのですが、本当の目的は営業店舗でメガネ今昔物語など展示する為に、用意したものですね。仮置き場が事務所で、店舗に出したりしまったりしていますね。

石田:なかなかメガネの歴史を知る機会ないですから、興味深いですね。

白山:でも形はずっと同じですよ。

朝岡:昔から完成した商品だったのですね。

白山: 耳にかけることや、鼻があたるところにパッドを付けるなどは進化ですよね。レンズに枠をつけて使うというのは、メガネの黎明期からほとんど変わってないですね。

NEXT100 ~時代を超える術~

次の100年に向け、長寿企業が変えるべきもの、変えないもの、会社にとってコアになるものとは。
100年先の伝承者へ届ける想いとは。

石田: 最後に、次の100年に向けて、変えるべきモノ、変えないモノ、会社にとってコアになる部分を伺いたいと思います。

白山: 先ほども話題になりましたが、進化の歴史というのは、日本でメガネが普及し始めた明治時代から150年くらいになります。変化の割合・スピードというのはこれからの時代すごく違うものになると予測しております。同じようなメガネの商売が100年続くのは難しいと思います。

ただ、人々が見るという行為は未来永劫変わらないので、そこに貢献できればいいと考え方をシフトしていって、例えば、先ほども出ましたが、>スポーツビジョンというは、運動しながら見るということでこれは人間にとって必要なものなので、これを次のビジネスの核にできないかと考えています
これからはアスリートのみではなく、一般の方にも、例えば、アンチエイジングなどに応用できないか。子どもの目の発育にスポーツビジョンが深いかかわりが出来るか。これは実際に子どもも目の発育にはスポーツビジョンは関係があるので、普及させていきたいですね。

朝岡: スポーツという新しい市場ができたのですね。

石田: ここは変わらない困難などはありますか。

白山: メガネというのは非常にわかりにくいという前提で、それをどう払拭していくかが。そんな中で100年以上続けられたのもお客様の信用があったからで、これからもお客様なしでは成し得るものではないと考えていますね。

朝岡: 先ほどおっしゃっていた公的な資格というのも信用に関係するのですね。

白山: そうですね。私的な資格を公的な資格に出来るかが、信用という部分でも大事になると思いますね。

朝岡: ビジネスとしてのこれからのメガネ100年というのはどうですかね。後継者へのメッセージなどありますか。

白山: 非常に読めないところですね。ただ、先ほども申し上げたように、見るという行為自体は変わらないはず。どんなにメガネが進化しても、人間のオリエンテッドな部分ですから、見ることに対する価値の提供、ミッションや仕事は必ずある。そこに携わっていければ私たちの使命は継続していると言っていいと思います。

朝岡: 100年を越える事業を続けるにあたって、信用ということが大事とありましたが、他にありますかね。

白山: うーん。信用に尽きると思います。親から継いできた信用というのは一番の財産と感じています。

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