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諏訪貿易 〜宝石は受け継ぐ人に喜ばれるものであってほしい

諏訪貿易 株式会社
1908年 (明治41年)創業

今回のゲストは諏訪貿易(すわぼうえき)株式会社 3代目・諏訪恭一
初代・諏訪喜之松が兄の家で宝石に出会い、その美しさに魅せられ、一人で宝石の扱いを始めたのが1908年

以来高品質の宝石とジュエリーに特化した商品を取り扱い、諏訪クラシックとして宝石の美しさを引き出した指輪・ペンダント等を日本と米国の専門店・百貨店、約50店舗でコーナー展開している
今回は、そんな諏訪貿易の3代目・諏訪恭一の言葉から事業継続の秘訣、その裏に隠された物語に迫る!

石田:今回のゲストは、諏訪貿易株式会社 会長 諏訪恭一(すわ やすかず)様です。
よろしくお願い致します。

諏訪:こちらこそ。

朝岡:よろしくお願い致します。
事業の内容ですが、諏訪貿易というのは、外国から輸入なさる…輸入なさるだけではないんですよね?

諏訪:はい。ええ。現在はですね、宝石を海外から調達をして、それを日本で仕立てをして、日本の得意先とアメリカの得意先、約50件に販売をしている。そういう仕事をしています。

朝岡:あぁー!これは、あれですか、ねぇ、何代目の社長になりますか?

諏訪:私、3代目なんですけど、今は、社長は4代目。それも生え抜きの社員から選んだ者が10年しています。

朝岡:わぁ!

石田:そして、本日こちらに、諏訪貿易さんの商品の一部をお持ち頂きました。

諏訪:はい。石田さんに、これ見て頂きたいんですけど。このダイヤモンドなんですけど。(ダイヤモンドの指輪を差し出す)

石田:わぁ!キラキラ!

朝岡:中継ぎで(笑)

石田:こちらは、ダイヤモンドですか?うぉっ!あの、、、触るのも恐れ多い感じがするんですけれども(笑)

諏訪:いえいえ、そんなに、それ高いものじゃないんで、この、私ども「エアー」と言ってるんですけど、エアーのシリーズは、すごい輝くとお客様から好評を頂いているんですけど、その秘密はですね、階段状に留めてあると。それ留めるのが非常に難しくてですね、私どものそれは、看板商品になっております。

石田:へぇー!!

諏訪:こちらは、ペアシェーブ。梨。つゆ型ですね。つゆ型のペンダントなんですけど。(ペンダントを差し出す)

朝岡:涙の様な!どうですかちょっと。(石田さんに渡す)

石田:あぁー!可愛いらしい!ありがとうございます。

朝岡:あっらー!

諏訪:あの、ラウンドよりもドロップ型の方が、エレガントなんですよね。

石田:えぇー(笑)ちょっとこうね、合わせてみたくなるんですけど。

諏訪:それが、あの、ジュエリーの良さだと思うんですけどね。

石田:あぁぁぁぁー!

朝岡:お洋服だけじゃなくてね、身につけてる女性のね、その内面も!

石田:もうちょっとね、グレードアップするように!

朝岡:単に宝石、良いものも勿論ですけども、どう見せるかってところに、諏訪貿易さんのね、やっぱりこうエネルギーがね、注がれてる気が致します。

諏訪:宝石というのは大自然が生み出したもので、人の手で人が作ったものではないんですよね。それをどういう風に仕立てるか。構想と仕立てが大事なんです。
映画もそうなんです。映画も、いくら良いスタッフが居ても、監督のそのプロデュース力によって面白いものになるかどうか決まりますよね。だから、こういったものっていうのは、本当に名画に匹敵するようなそういったジュエリーだと思います。それが私どもの一番大事にしてるところです。

朝岡:なんかね、もうその会長とかっていう役職を抜きにして、もう宝石大好きで仕方ないっていう雰囲気でいらっしゃるんですけど。

諏訪:はい、ありがとうございます。

石田:伝わってきますよね。

朝岡:はいはい。

石田:そして、こちらの本は会長がお書きになったんですか?

諏訪:はい。1993年にこれ、最初に出版したものなんですけど、その前の年に家庭画報に1年間「ジュエリー12ヶ月」という連載をして、それをもとにこれを作ったんですけど。このきっかけがですね、私の父親から「良いものを扱え」とこう言われてて、社員にもそれは徹底してたんですけど、ある時、「社長はいつも良いものを扱えと言われるけども、一般の方が良いか悪いか分からなかったらしょうがないじゃないですか。」って、そういうことを言われて、で、それは、ショックであると同時に、そしたらきちんと宝石の品質が分かるそういった本を書き上げようというそういう気持ち、強くはたらいて。宝石の買付というのは、現地に行きますと、光線の具合が違うし、それから、朝と昼と夕でも違いますし、夜だったら特にこういうもうサンプルがないとなかなか濃さとか美しさと判断できなくなるんで、判断材料にこれ、私のマスターストーン。付け石と言ってこういったものを使ってた。

で、これがもとで、こういったそれ(マスターストーン)を発展させて、濃いのから淡いの。美しいものからそうじゃないもの。この35マスに入れるこういうスケールを作って、これをもとに、この本を書いたんですね。好評だったんで、2が出来て、3が出来て、、、それから、ある出版社から、「宝石図鑑を作るけども、その監修をしてくれないか」って言われたんですけども、監修ですと、誰かが書いてきたものを直さなくちゃなんないんで、かえって大変なんで、いや、自分で書くよってことでこれ(宝石図鑑)を書いたんですけど。こちらの本は、すごく…

朝岡:これ?!(本を手に取る)

諏訪:えぇ、今Amazonで…

朝岡:「価値がわかる宝石図鑑」!

石田:ねぇー!

朝岡:これ、すごいですよ!Amazonの金属・鉱学売れ筋ランキング第1位

石田:へぇー!

朝岡:これ、中はまぁ勿論図鑑だから、こういう鮮やかなんだけど(中身を見せて)、その具体的にね、このどういうものが良いんだとか、細かい内容だとかそういうのすごくお勉強になる。

諏訪:これはね、宝石を光度順に。ダイヤモンドが光度、モース光度10なんですけど、ルビー・サファイアが9なんですよね。で、光度順に並べたんで非常に分かりやすい。それで、宝石というのは光度が7ないと、長くはめてたら、やっぱりこう擦れてしまったり欠けやすくなるんですね。そういうこともあって、光度順に並べるのは非常に大事だったんです。
そのことと、あと、そこ(宝石図鑑)に色のありますでしょ?

朝岡:これね!(宝石図鑑を開く)

諏訪:それが、GAI アメリカ宝石学会が作ったようで、それは1つの鉱物にどういう色があるかっていうのを示してる、そういう表なんですね。色の範囲のなんですね。
それともうひとつ、良し悪しで値段がどのくらいかっていうそういう内容が盛られてるので、皆さん便利に使って頂いてるんじゃないかなと思って。

石田:大好評っていうことですけど…ちなみにどれくらい販売されたんですか?

諏訪:今、5刷りになりましてね!

石田:えぇ……

朝岡:5刷り?!

諏訪:2万冊ぐらいです。

朝岡:2万冊出た!!!いや、確かにね、宝石買う時に、良いものは欲しいけど、その判断基準が我々持ってないから。

石田:分からないですもん。

朝岡:言われた通りにね、買うしかないっていう現実があったんですけど

石田:確かに。

朝岡:これで勉強すると、自分の価値が分かるっていうかね、宝石の。

ここからは、各テーマを基に諏訪貿易3代目・諏訪恭一の言葉から、歴史と伝統の裏に隠された物語・諏訪貿易が持つ長寿の知恵に迫る…。最初のテーマは「創業の精神」。創業者の想いをヒモ解き、現在に至るまでの経緯を、諏訪貿易3代目・諏訪恭一が語る…!

石田:創業の精神ということで、まずは、創業から現在に至るまでの経緯を伺えますか?

諏訪:私の祖父の喜之松が、1908年 明治41年に創業致しました。祖父は、千葉県の上総一ノ宮というところの出身で、まだ小学校5年ですか、木更津から船で東京に出て来て、カミヤに奉公して、それから、ジュエリーの飾職人になって、それをもとにですね、自分で商売をやると。創業したと聞いております。

朝岡:ほぉー!で、2代目がお父様で?

諏訪:はいはい。2代目ですね、戦争の時に、一時中断。贅沢品は扱えなかったので。戦後ですね、父が再開して、その時にはまぁあの…闇の時代ですよね。何から何まで。そういった時に、良いものを扱うことにして、それで良いもので非常に盛況だったというふうに聞いております。

朝岡:そうですか。そもそもそのおじいさまが宝石を扱われるようになったきっかけっていうのは、どういうところにあったんですか?

諏訪:やはり、あの…ハイカラだったんですね、おじいさん。で、兄弟がアメリカに渡ったりしてましたんで、そういったことが影響されたんじゃないかなと思いますね。

朝岡:明治の末年でね!

石田:ねぇ!アメリカに渡ってらっしゃるってすごいですね。

朝岡:諏訪貿易さんのそういう意味では、その家訓とかですね、理念といったものは、代々あったりするんですか?

諏訪:私の父がですね、「良いものを扱う」と。それを商売の基本にしておったと思います。まぁ家訓とは言わなかったですけど、私に、宝石っていうのは分かり難いもんなんだから、良いものをお客様に、プロは良いもの分かりますから。良いものをお客様に高くてもそれを販売しとけば、お客様は身につけて、やがて分かって喜んで、そして、それが長く使って楽しんで、次の世代になった時にも価値を持ち続けて、受け継がれていくと。だから良いものを扱いなさいと。

それで、一番印象に残ったことの一つは、それに関してですね、例えば宝石の脇のところに傷があったりして、それを爪で隠したりしちゃいけないと。それは、素人の人は分からないじゃないですか。そういったことをしちゃいけないと。正直にやりなさいと言われてました。それがもう家訓っていうか、この商売、宝石商を営む上での一番大切なことだと。

ティファニーさんと私ども、OEMのお取引を10年程、1994年からしてまして、その時、最初にティファニーさんに言われたのは、ティファニーは、傷を爪で隠すようなことはしないんだと。それはやらないでくれって言われたのが、非常に私印象に残って、あぁ、やっぱり良い会社だなと。一生懸命やろうと。随分お取引頂いたんですけど、10年間随分ティファニーさんと深いお取引をしてですね、今、環流品が時々、私どもの作ったものが戻って来るのを、それを見るのが非常に楽しみにしてます。

朝岡:そうですか。

石田:やっぱり高価なものを買う時って、やっぱりその方が信頼できる人から買いたいって気持ちがありますから、その誠実なところが皆様に伝わっているんでしょうね。

諏訪:宝石はね、ハ何を買うかじゃなくて誰から買うかが大事だっていうそういう諺があるんですよね。だから、それは分からないものだから、誰から買うかが大事だと。そういうことを守っております。

石田:御社では、人材育成にも力を入れてらっしゃるそうですね?

諏訪:はい。私ども、先程お話ししたように、新卒採用なんで、もう2年経つと海外に一人で出すことにして、まぁ今の役員みんなもう100回200回海外に出向いてですね、それで仕入れをして、任されて、自分で決めて買い付けてくるわけですから、それが一番の、私どもの今、財産なのかなというふうに思いますね。

朝岡:今、社員はだいたい何人くらいいらっしゃるんですか?

諏訪:今、パートさんを入れて20人です。

朝岡:何百人何千人と社員がいるというよりは、同じ志を持った人間が家族的にこう集まってるという。そういうふうでもあるという。

諏訪:はいはい。

石田:会長から、その会社の社風というものを、どういったものだとお感じになっていますか?

諏訪:無理をしない。腹八分目でやるっていうそういうところだと思いますね。
例えば、売る時にも、高く売れると言ってそのフルで売っちゃいけないと。その私あのもうひとつ別のダイヤモンドの方もデビアスの役員の方と書いたんですけども、そのデビアスの役員の方が、We sell diamond with regretって言うんですね。っていうのは、後悔して売る。十分高くじゃなくて

朝岡:もうちょっと高く売れば良かったかな−!っていう。こういう感じですか?

諏訪:そうなんです。それはもう、それが良いんだと。売るのも八分目
だから逆に、その買う時には一番高く買う。というのは、勿論目利きをしてここまででっていうことは、それは何か高く買ったら全くの愚か者ですけども、きちんと目利きをして一番高く買う。それじゃなきゃ良いものが入らない。良いものが集まらない。なぜならば、宝石っていうは限られたものですから、世の中に1こしか良いもの、それしかないわけですから、それはやっぱり一番高く買ってくれる人が扱うことになるし、その方のところに行くわけですから、そういったものっていうのは、ぐーっと長期的には値上がりしてきますよね。

ですから、そのsell with regret.と、それから買う時には一番高く買う。というそれが宝石の他のものと違いますよね。出来るだけ安くというのと、そのところが。そういうことがきちんと分かるような集団になってると。それはもう大勢になったら、なかなか出来ないと思いますね

決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは…「決断・ターニングポイント」
諏訪貿易の発展と共に訪れた苦難、それらを打開すべく、先代達が下した決断とは…。

石田:続いては、決断・ターニングポイントということで、まずは、会社にとっての転機・ターニングポイントを伺えますか?

諏訪:第二次世界大戦で贅沢品は取引ができなくなって、一度商売をやめて、父親も鉄鋼社という会社に務めたということを聞いております。戦争が終わってすぐに事業を再開して、その時には、古物ですね、環流品、日本にあったものを買い集めて、それで販売してく。それから始めて、良いものを売ったりやってきたんですけれども。
あの1960年に、前後に、仲間で、父親が世界一周旅行をしたんですね。まぁ、その時は景気が良かったんでしょうね。まだ、でも、世界一周をするってのは大変なことで、ジェット機もなかったんじゃないですかね。

朝岡:そうですねー。

諏訪:50日間かけて、香港からシンガポール、スリランカ、それからヨーロッパ、アメリカ、ハワイと回ってきたんでね、帰って来て「これからはアメリカの時代だ」ということをすごい感じたみたいで、私が丁度学生だったんですけど、大学4年の時に、アメリカに英語の勉強に行ってこいって言われてですね。私、おじいさんに時計をもらってたんですね、良い時計を。

カナダの遠い親戚のところに初め行ってたんですけど、着いて1週間も経たないうちに、時計を床に落としてしまってガラスを割っちゃったんですね。で、着いた早々縁起が悪いなと思ってたんですけども。じゃあ、ダウンタウンの宝石店、時計宝石店に行って直してもらおうってことで、向こうの人が連れてってくれてですね、そのお店に行ったら、「あんた何しに来てんの?」って、これこれこういうことで家業が宝石商で将来宝石やる…

「こういう学校知ってる?」って言われて、アメリカ宝石学会 Gemological Institute of AmericaというGIAを紹介してくれたんです。で、その半年の間にロサンゼルスまで行って、そこのサンタモニカにあったんですけども、学長さんのリリコーズ先生という方にお会いして、入学許可をもらって、卒業してすぐに行くことにしたんですね。それが、よって、もし時計を落っことしてなかったらGIAに行ってなかった。GIAがその頃まだ20人くらいの小さな組織だったけど、今3000人以上いる非常に大きな世界的な組織になって、その間私もずっとGIAとは親しくしてですね、そのGIAの影響ってのがすごく多くて、次の年に無事卒業は出来たんですけど、その学長さんが、私がインターンをニューヨークでやりたいっていう風に言ったら、紹介状を書いてくださって、その頃のダイヤモンドの研磨の三大研磨業社の一社にインターンで3ヶ月研修させてもらって、まぁ、日本とアメリカの差がものすごいあった時ですから、もうレベルの違うものがたくさん見れて非常に良かったんですね。

で、その時に五番街のお店を私見てですね、将来ここに販売できたらな!と、そういう気持ちが湧いてきて、で、五番街のお店にその後15年くらい経ってから取引できてですね、さらに今度、ティファニーさんにも出来て、で、今アメリカに33店舗ですか、お取引して頂いてるところがあるんですけども、そういうところに未だに初めからこう繋がってるところもありますし、それが良かったなと思ってます。

朝岡:へぇー!あの、GIA アメリカ宝石学会では、具体的にどういうようなことを勉強なさったんでしょうか?

諏訪:はい。一言で言うと、宝石の真偽の判定です。これが、大自然の創った天然のものなのか、あるいは、人間が作った人口生産物かと。天然のものだったら1億円するけども、人口生産物だったら1000円にもならないという、そういうそのところの見分け方。それを教えてくれるのがそのGIA、宝石学なんですね。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

続いてのテーマは…「言魂」。心に刻む言葉と想い。
強い想いと信念が込められた言葉には魂が宿り、人の人生に大きな影響を与える。
諏訪恭一が家族・知人・偉人から受け取った言葉、そこに隠された想いに迫る…!
石田:続いては、言魂ということで、先代やご家族から言われた印象的な言葉、そこに隠された想いを伺いたいと思います。

諏訪:はい。私、それほど意識してなかったんですけども、20年くらい前ですか、私幼稚園に行かなかったんですよね。まだ戦後、1942年生まれで、まだ学校45年が終戦で、まだその整備もされてなくて、家庭教師を両親がつけてくれたんですよね。その家庭教師の先生に、”良い子になる為の十箇条”っていうのを植え付けられたんですね。

一つ、人には親切に
二つ、普段は勉強し
三つ、身なりをきちんとし
四つ、よく寝て勉強し
五つ、いつも朗らかに
六つ、無理矢理勉強せず
七つ、なんでもよく食べて
八つ、やめたら後始末
九つ、根気でやり通し
十で、とうとう良いこども
と。

朝岡:あははははは(笑)すごーい!

諏訪:で、それ、やはりその一番目の”一つ、人には親切に”っていうのがやっぱり非常に大事だというふうに思いました。私、自分で言うのはおこがましいですけど、やはり”一つ、人には親切に”それを守ってきたなっていう、それをすごく歳とってからですね、感じて、やっぱりそれは大事で。特に、逆境に陥った方を親切にするとかそういうことはものすごく大事でですね、その方にまた助けられるとかそういうことがあってですね、私、簡単なことのようだけども、それを大事にしてます。

それからもうひとつ、” 二つ、普段は勉強し”なんですけども、勉強もこう所謂学校の勉強じゃなくて、自分の仕事のこの勉強とかそういったことをやっぱりやってきたから、この本も書けたんじゃないかなと。ただ、“無理矢理勉強せず”とかね(笑)”よく寝て勉強する”。それはやっぱり大事で、眠たいのにしてても頭に入らないし、世の中のその「よく勉強しろ、勉強しろ」ってお母さんたちが言ってるけども、その無理して勉強する必要ない、嫌な時は遊んだほうが良いと。

で、私やっぱり、中学校の時に校長先生が「よく学び、よく遊び」ってことを言われてたけどやっぱりその、人間ってそういうことが、バランスが大事なんじゃないかなっていう、それをきちんと子供に教えてる、なんと言いますか…良い言葉だなと思っています。
もうひとつ、それとは別に、よく私アメリカに行ってた時に、飛行機が今みたいにニューヨーク直行便じゃなくて、アンカレッジとかフェアーバンクスにとまって。

朝岡:まだね、中継があった時ね!

諏訪:みなさんも行かれてると思うんですけど。その時にアンカレッジだったかフェアーバンクスの空港に、ことわざが書いてあったんですね。「全ての理想は我々自身の中にある。それに対する諸々の障害もまた、我々自身の中にある。」という。確か、カーライルっていう方の言葉だと思うんです。それ非常に私、こうそうだなと思って、心に留めているんですけども。やっぱり全ての理想ってのは自身の中にある。でも、それに対する諸々の障害もまた、自分自身の中にある。っていう、自己を強く持つっていうか、出来ないのは自分が悪いんだという、そういったことをですね、まぁ本を書いてると長丁場になりますよね。そうすると、そんなことをちょっと思い出したりしてありますけど。

まぁ、その他、「良いときには良いときなりに、悪いときには悪いときなりに」。これやっぱり自然に従わなくちゃいけないし。

あともうひとつだけ加えると、これは座禅を私40歳の時からやってるんですけど、その時のそれは禅の先生で特に僧侶とかそういう方じゃなくて普通の方だったんですけど、その先生にですね、「天は無情、無事象。人は到達現状。私は一生懸命」という。

天というのは、自然と。自然は無情。無情というのは、常はなくて常に変化してね。それから、無事象というのは、人は主体性はなくて他からあらしめられているに過ぎない無事象。それから、で、人というのはその出来た人っていうか、お釈迦様、一言で言うとお釈迦様。そういう出来た人っていうのは、もう無になって到達して。で、現状っていうのは、今ここを成し遂げると。そういうそれが理想なんだと。

それで、ただ私は一生懸命やるんだという。「天は無情、無事象。人は到達現状。私は一生懸命」っていうその言葉もですね、いつもこう自分の中に留めおいて、そして、まぁ大袈裟に言うと、それを信念と言いますか、信念にして生きてる。そんな気持ちを持っています。

貢献 ~地域、業界との絆~

地域や業界との絆。
長寿企業に取って欠かせないもの、それは地域との関わり。
諏訪貿易が行っている社会貢献活動、地域との取り組みとは…。

石田:現在、地域での活動など取り組んでることはございますか?

諏訪:はい。京橋に私ども今の平河町に移る前に100年以上いたんですね。曾おじいさんが錦絵をやっておりまして、で、その頃からもう100年なんですけれども、私も高校2年までは京橋に住んでおったんですね。で、その頃京橋の、今高速道路のところが川になっておりまして、その川を復活させようと、>京橋川再生の会というのを作って、まだ私京橋三丁目の町会の副会長をやっておるんですけども、それで、この前そこの大根河岸公園ってのがありましてね、大根が昔は海上コースだったんで、その大根が運ばれて、そこに水揚げされて、そこで市場があったんですね。

で、そこのところ、今2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて、おもてなしの庭のそういった公募展が去年あったんですけど、それに応募しましたら、2020万円の賞金を頂いて、所謂その公園を和の庭に作り替えて、もう完成したんですけど。なかなか良いものに仕上がったんですけど、今度京橋にお出かけの節は、是非ご覧になって頂きたいと思います。

朝岡:そうですか。

諏訪:私ずっと先程お話中、海外に300何十回行ってもう社長業の時には一切そういうことは出来なかったんですけど、まぁ会長になってですね、地域に今度は、もう出てしまったんですけども、代わってやっています。

朝岡:やっぱりその今の会社のある場所と違う、まぁもともとのルーツのね、長くいらっしゃったところに地域貢献するということは、今の会社にとっても必要なものだとお考えですか?

諏訪:そうですね。やはりその土地によって私どもが今ここにあるというのは、京橋の時があるからだと思うんですよね。ですから、勿論今後、今の平河町の方も大事にしていかなくちゃならないと思いますけども。そういったことっていうのは。
ただ、それも私の父親がですね、本業を大事にしろと。仕事を大事にして、色々なその役職とかそういうのはその次だという、それを強く言ってましたので、私自身はやはり、若い者にそういったことを積極的にやるとかそういうことは薦めないつもりです。まぁ本業あってのことなんで。

石田:業界との繋がりということで、何かそういう勉強会というのを開いていらっしゃると伺ったんですが?

諏訪:はいはい。私ども、今でも札幌の大丸さんから、鹿児島の山形屋さんまで、百貨店さん、それから小売店にお願いしてるんで、そういった方に販売をして頂いてるんで、販売員さんにですね、きちんとした説明ができるようなそういったことを色々考えて、今日先程ご覧になって頂いた物とかそういったものを使いながら、実際に手に取ってジュエリーを見て、そして、品質を説明出来るようなそういった勉強会を定期的に開いております。

で、お店に行って開くこともあるし、つい先だって6月に、毎年6月に全国から一斉に集まって意見交換も含めて勉強会をやる。まぁそういったことを非常に大事だと思うので。そのやり方がですね、ただ理論じゃなくて、実際手に取って、宝石、ジュエリーを見て、そして判断していくという、そういう実習を中心に。

朝岡:納得しながらね!

諏訪:そうなんです。はい。それが大事なんだと思います。

朝岡:あぁ、そっかー!

NEXT100 ~時代を超える術~

NEXT100、時代を超える術。確信を続け、100年先にも継承すべき、諏訪貿易に取って核となるもの。
そして、3代目・諏訪恭一が語る、次代へと届ける長寿企業の知恵とは…!

石田:最後に、次の100年に向けて変えるべきもの・変えないもの・御社にとってコアとなる部分を伺えますか?

諏訪:はい。良いものを扱うこと。それは、変えないですね。それはもう絶対だと思います。今一番どんなことが起こってるかと言うと、宝石って、今まで出たものは誰かが持ってるわけですよね。捨てられてないですよね。ですから、持ってる方がたくさんいらして、その方たちが、そのまま受け継がれるし、また、たくさんある場合には、一部を他の方に譲りたいと。その為にですね、所有されているジュエリーの格付け評価と仲介の仕事をもうずっと前から始めてるんですよ。それを強化してですね、皆さんに役立つような仕事をしていきたいなと思います。

あの、過去の宝石輸入の時代、それから、OEMを中心にした諏訪のジュエリー。もちろんそれは大事にしていきますけど、新たに、皆さんが所有されているジュエリーの格付け評価。格付け評価しないと1個1個全部違いますから。先程、朝岡さんに言われたように、その石だけじゃなくて仕立ての良し悪し、それをきちんと判断して。で、もうひとつ、マーケットによるマーケットの人気度があるんですよね。ブランドの非常に人気があるとか。それもちゃんと判断して、そして、適正な価値に見合った価格を付けてですね、それで、お客様のものをお預かりして、欲しい方に渡していくという、そういう仕事をしていくと。それが私すごく大事になってくると思うし、それがまた私共のビジネスの一つの柱に育っていくというふうに思っております。

朝岡:これからの100年を見据えてのそういう動きだと思うんですけどね、まぁ今4代目の社長がいらっしゃる諏訪貿易さんですけど、100年後に後継者がいらっしゃったとして、その時にまぁ諏訪さんが仰っておきたいことってのは何かありますか?

諏訪:はい。所謂宝石はこれからもどんどん増えていきますから、これはエコの為にも、今あるものをきちんと受け継いで、世界的に受け継いでいくということ。実際に行われているんですよね、もう。何億のものがオークションで、高いものは30億とか50億のものが販売されてます。販売というか、人から人へと渡されていってますね。そういった仲介の仕事。ちょうど不動産と同じですよね。不動産の仲介。そういったことが宝石商の本当の役割で、もちろん低単価のものだとアクセサリーに近いものはありますけど、アクセサリーと価値のある宝石。それはやはりもっとちゃんと分かれてくると思うんで、そのきちっとした宝石を渡していくと。で、皆さんが納得して、それによってジュエリーの良さがさらにまた強調されてくるなと。
そういう為にも本を、今、「自分でできるジュエリーの品質判定」という本を今度企画しておりますけれども。

それ、実際に自分で出来るかどうかは、それはプロでも難しいのに、難しいかもしれないけど、でもまぁ、本のタイトルとしては、それだと買ってくださるんじゃないかなぁというそんな想いもあるんですけど。でも、自分でできるジュエリーの品質判定。そういったことが21世紀にはもう必要になってるし、今ないところだと思うんで、そこのところはやっていきたいなと。で、それは私は、100年後も活かされていくんじゃないかなというふうに思いますね。で、それが、世界的にないんですよね、世界的に。真偽の判定まではあるんですけど、そちらの方にこう詳しくされてしまって、まぁ一面ドロドロした価値について。その価値は市場が決めるわけですけども。そういったことをですね、きちんと見据えてやっていくように後継者に託したいなというふうに思っております。

朝岡:やっぱり、こう長く事業を続ける秘訣っていうのはズバリどういうところにあると思いますか、この宝石のお仕事というのは。

諏訪:やはりこれは、どの仕事でも同じだと思います。変化への対応だと思います。マーケットが変わっていきます。在庫の量も変わっていきます。その時の色んな経済状況も変わってきます。ですから、変化への対応をどうするか、その時にやはり根本を失わないで良いものを扱うというところできちんとやっていけば、私は、世の中に役立つし、そして、企業としてそれの存続の原点になると思います。

朝岡:なるほどねー。

諏訪貿易株式会社3代目・諏訪恭一。
「良いものを扱い続ける」。時代が変化し、お客様が変わっていっても根本にある信念を忘れないで欲しい。
そして品質を見極め、価値を判断する力を養い、大自然が生み出した輝きを 人から人へと繋いでいって欲しい。
この想いは100年先の後継者達へ、受け継がれて行くだろう。

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