サンフーズ 株式会社~広島の食文化発展のために~
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは、サンフーズ5代目 布﨑正憲(ぬのざき まさのり)。
サンフーズは1916年創業。
広島名物「お好み焼」に使用する「ミツワお好みソース」「ヒガシマルお好みソース」など、液体調味料メーカーとして、広島市の食文化の発展と共に、歴史を紡いできた。
サンフーズのお好みソースはお好み焼のフードテーマパークとして全国的に有名な「お好み村」の25店舗全店で使用されている。
2000年代からは、海外での販売も開始し、現在、21カ国に『ミツワお好みソース』をはじめとして様々な商品の輸出を行っているのだ。
今回は、サンフーズの持つ長寿企業の知恵に迫るべく、5代目・布﨑正憲(ぬのざき まさのり)の言葉から、創業から受け継がれている想い、先代達の決断、語り継がれてきた物語を紐解いていく。
いまおか:今回のゲストは、サンフーズ株式会社 代表取締役社長 布崎正憲(ぬのざき まさのり)さんです。よろしくお願い致します。
布﨑:よろしくお願い致します。
いまおか:改めて、サンフーズの業務内容を教えてください。
布﨑:私どもは、ソースメーカーですね。本来ソースメーカーです。製品の7割がソースなんですけども、まぁその8割がお好みソースです。ミツワソースというブランドで。
あとは、冷蔵のお好み焼き・冷凍のお好み焼き、これは広島風ですけどね。広島のお好み焼きに特化したもの、色んなものをやっています。
体験学習とか、お好み焼き屋さんを開店される方の教室とか。全て我々は仕事として捉えて、広島の食文化の発展の為に尽くそうとやっています。
いまおか:ほぉ!広島の食文化の担い手!
布﨑:そうですね。そういったところに、我々の商品が特産品として認定されてますのでね、我々もそういった形で、広島の食文化に何かしら貢献できたらなという形でやっております。
いまおか:なるほど。長い歴史のあるサンフーズなんですが、布崎社長は何代目になられますか?
布﨑:私は5代目ですね。
いまおか:5代目!なるほど。ということは・・・おじいさまのおじいさまが・・・創業された?
布﨑:私の祖父が創業ですね。
いまおか:あっ。
布﨑:大正13年ですけどね、その時に、3人の方と、私の祖父を入れて3人の方と一緒に創業して、ミツワのその意味合いとして、3人の方が一緒に仕事をしたということも、1つはミツワというブランドの意味合いとしてあるんですけども。まぁ、取り扱いして頂く方は、私どもの製造する方、また、末端のユーザー様皆様がそれぞれ商品を取り扱うことで、三方良しということでね、それでミツワというブランドを使用してるわけですね。
いまおか:なるほど。ブランド名にその想いも入ってるわけですね!
布﨑:そうです。
いまおか:へぇー。そんなサンフーズの強み、こだわりは何ですか?
布﨑:私ども、ずっと広島ということを看板にしてきてますので、広島の特にその名物となってるお好み焼きですね、それにいかに美味しい調味料として提供できるかっていうことをずっと考えてやって参りました。
ここで改めて、サンフーズの商品の特徴やこだわりをご紹介
布﨑:メインはこの(机の上に3つ展示されている中の真ん中の商品)、お好みソースですね。特にこのマイルドなやつなんですけども、レギュラーなお好みソース。
それとこれ(展示右)、一番ちょっと最近人気があるんですが、激辛のお好みソース。お好みソースっていうと、甘い甘いっていう方向にだいたいいってるんですけど、これ(激辛ソース)は、このソース(レギュラーのお好みソース)の20倍の辛さなんです。
いまおか:20倍ですか?!
布﨑:はい、20倍です。だけど、これ(レギュラーのお好みソース)もともとその辛さがあまりないのでね、
いまおか:そうですね。
布﨑:だから、これ20倍というとすごく辛いようですけど、でもまぁ一応辛さとうまさと見事にマッチしてるという風に言って頂いてますけどもね。そういった商品。
それと、同じお好みソースでも、ガーリック、生ガーリックを入れたもの、ガーリック風味っていうのもございますし。最近では、高知県の柚果汁。これを入れて、さわやかな味にしたもの。実はそれ全部、その商品の発送というのは、これ(レギュラーのお好みソース)はまぁちょっと別なんですけど。様々なそのバリエイションというのは、輸出する際にですね、各国からそういう味なものを要求されたというのが一つありました。それをヒントに製品化したということがありますね。
いまおか:へぇー。色々な味が展開されているわけですね。
布﨑:そうですね。これもソースの一種類だけじゃないです。
いまおか:私も実は、これ(レギュラーのお好みソース)の大ファンでして!
布﨑:あっ、ありがとうございます(笑)
いまおか:うちの冷蔵庫にもあります!
布﨑:あっ、そうですか!ありがとうございます、どうも。
いまおか:いつもいただいています!こちらこそありがとうございます。
ここからは、各テーマを元に、 サンフーズ 5代目布﨑正憲の言葉から、
歴史と伝統の裏に隠された「物語」、サンフーズが持つ「長寿企業の知恵」に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」
創業者の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯を5代目・布﨑正憲が語る・・・。
布﨑:祖父が創業して、父親の代に継ぎまして、大正5年に創業した「中東商店」とういう酢を専門に扱っているメーカーさんだったんですけども、そこと私どものミツワソース株式会社が合併してサンフーズになりました。
で、それからまぁ今に至ってるわけですけど、その間に会社は3回変わりましたね。場所をですね、移動がありました。で、そこからがちょっと色々大変な時期だったと思います。
いまおか:そもそも、お好みソースの発祥というのは?
布﨑:はい。まぁ、広島の場合ですね、もともとウスターソースが主流でした。で、ウスターソースは、お好みソースに使うには、ちょっと粘度って言いますかね、サラッとしてるソースなので、お好み焼きには向かない。お好み焼きにかけると全部中に染みこんでしまう。それをどのようにしたらお好み焼きにいい味として皆さんに使って頂けるかというのは、業者、そういったお好み焼き屋をやってらっしゃる業者さんと私どもの意見交換ですね。色んなところでの意見交換。それから要望をこう聞いていくということで成り立ったソースですね。で、昭和30年代の初めにはそういった原型が出来ておりましたね。
いまおか:ふーん。じゃあ、共同作業で
布﨑:そうですね。
いまおか:色々協力しながら
布﨑:そうですね。
いまおか:作り上げられていった
布﨑:えぇ。だから私が子どもの頃、よく父親が色々な工業試験場とかですね、そういったところで試作した商品をよく自宅に持って帰って、みんなで試食会を開いたりしてですね、色々あーだこーだ言ったのを覚えていますね。
いまおか:はぁー。じゃあ、布崎社長の意見も、もしかしたら入ってるのかもしれないですね。
布﨑:そりゃあ(笑)どうでしょうかね(笑)そりゃ、あの当然ながら、お得意先様の意見が一番重要だったんですけどもね。
いまおか:そうやって作り上げられていった。そして、美味しいソースが出来ました!ミツワお好みソースが多くの人に愛され続ける理由は何でしょうか?
布﨑:そうですね。広島のソースメーカーさんはそれぞれみんな一緒なんですけど立場として、結局お好みソースっていうのは、もともと低塩で低酸なんですね。酸度が低くて塩分が低いんですね。だから結局それは品質変化しやすい商品なわけです。一応塩分を高めたり酸度を高めたりすることによって商品の管理が出来るわけですけど、お好みソースはそれを全部落としているので、独特の味で結局品質変化しやすいから、全国にこう販売するには賞味期限が短すぎて出来なかった。
逆に言いますと、同様の商品をメーカーさんが広島に持ってこようとしてもそれも出来ないということで、広島のお好みソースというのは、そういうことで、なんか外部からの、何て言うんですかね、参入から守られてたということがありますね。その中で、またそれぞれの会社が自分たちの味をっていうのを作り上げてきましたので、私どものソースはどちらかというと、そのお好みソースの中ではちょっとスパイシーな方として皆さんに認められてますのでね、その立場でずっとこう守られてきたという風に私は感謝をしておりますけども。
いまおか:広島といえばですね、やはり昭和20年に原爆が投下されまして、大きく色々なものが一旦そこで終わって、またそこから始まっているんですが、その影響はいかがだったでしょうか?
布﨑:はい。その時私どもも会社は、父の代ですよね、全部倒壊して全てが無くなったんですけど、まぁその後また、父親が、まぁ本来は銀行マンだったので、多分その頃からようやくまた仕事を、祖父の仕事を継ぐということでやっておりましたので、そこでは一旦やっぱり全ては無くなってますね、私どもの会社としては。
いまおか:お好み焼きはでも、広島のソウルフードと言われるくらい、やっぱりその何も無くなったところから、人々が立ち上がっていく時に常に一緒にあって、お腹を満たし、心を満たしてきたものでもありますものね。
布﨑:そうですね。その時広島ではなんか小麦粉が、自由に手に入ったそうですね。で、あとキャベツが…まぁ広島にはあったと。今、逆にキャベツ足りないんですけど(笑)当時はキャベツあったらしいんですね。だから、そこでそういう一銭洋食を原型とするような、まぁ安い価格で市民のお腹を満たすようなそういったのが生まれてきたという風に聞いてますけどね。
いまおか:随分、一銭洋食 お好み焼きで広島の人は元気づけられたことと思います!
布﨑:そうですね!
いまおか:でもやっぱり、味の決め手はソースですもんね!
布﨑:そうですね。そのソースが表に出すぎるとまたマズイと思っているんです。私どものお好みソースは、調味料なので、せっかくその専門店様が色んな原材料をこだわってね、使われているのだから、その原材料の味を殺すようではいけないと。だから、そこの味を活かすような調味料というのを中では一番重要視してるところなんですけどね。はい。
いまおか:とても全国的に有名な、広島でもみんな大好きな「お好み村」がありますが、はい。どういった経緯で「お好み村」を作られたんですか?
布﨑:私どもは、お好み村を最初は、何て言うんですかね、新天地の色んなお店が寄り集まってる中から、立ち退き等でですね、一部の店がお好み村という形で店舗を作られたわけですけど、お好み村という名前は、当時の劇作家のきだみのるさんが、そういう屋台群があるのを見て「まるでお好み村だね」と言われたのが、そのお好み村という名前のネーミングの始めという風に聞いていますね。
その当時、古田(正三郎)村長さんっていう方が、まぁ村長っていうのも変なんですけど、その当時村長さんっていう名前になったんですね。色々と尽力されて、みなさんを集めて1つのそういう店舗を作られて、で、それが平成4年ですね、今の新しいビルに変わったっていうことですね。
いまおか:ふーん。そこにたくさんの店が入って、みんなでお好み焼きを盛り上げていくことも出来る。
布﨑:そうですね。
いまおか:素晴らしい場所ですよね。
布﨑:そうですね。まぁあまり何て言うんですか、綺麗過ぎるとまたイメージがあれなんで、今みたいな雑多なお店があってね、誰でも気軽に入れるような暖簾一つで売れるような店舗が、いかにもお好み焼きに向いてるんじゃないかなと思うんですけどね。
いまおか:ほんとですね。
あの、家訓ですとか経営理念みたいなものはおありですか?
布﨑:特に家訓ということはないんですけど、会社の社是としては、“仕事を通じて社会に奉仕する”まぁこれは、結局社会と言いながらやっぱり広島を意識した考え方だとは思うんですけどね。
それともう1つは、“社員に夢と幸せを与える”というのが一応社是ですね。
いまおか:夢と幸せ!
布﨑:はい。
いまおか:あぁー!
布﨑:だから、それが私にとっては任務になってますけどね。
いまおか:それは先代から引き継がれたものですか?
布﨑:そうです。はい。私の机の上に、ここの壁に飾って(笑)社是が飾ってありますので、いつもそれを背にして仕事をしております。
いまおか:そうですか。それは、どのように色々な社員の方たちに伝えていらっしゃいますか?
布﨑:あっ、これはね、特に社員は意識してないかもわからないですね。特にそれのこと思ってないかもわからないけど、私はちょっとやっぱりそれを意識しますね。
いまおか:サンフーズの社員さんは幸せですね!
布﨑:いや、どうでしょうか、それはちょっと(笑)言いにくい面でもありますけども(笑)
いまおか:あははは(笑)
あの、代表になられてから、続けていらっしゃる習慣はありますか?
布﨑:あのですね、私は特に習慣っていうことはないんですけど、社員と接触する機会は毎朝ありますのでね、だから朝礼の時はみなさんに色々と注意事項等をお話するんですけども、やっぱりそれぞれ見てるとね、あっ、今日は何かこういう感じがあるなとかいうのがあると気になるんですね。だから、朝礼の後で必ずその社員には声掛けするようにはしてます。何かある?とか体調はどうだろうか?とかいうことをやってますね。
いまおか:はぁーーー!素晴らしいですね!
布﨑:でもね、私としてはそんな別段問題ではないんですけど、社員としては何か嬉しいみたいで、後でよくそれを言ってくれますね。
いまおか:それは社長自らお声を掛けて下されば、とても愛情を感じますね。
布﨑:まぁ、そう思ってもらえるとね、いいんですけど。
いまおか:そうですか。また、販売店さんへは何かありますか?
布﨑:あっ、そうですね。販売店さんにはですね、一応お会いする機会っていうのがどうしても少ないので、機会としてはですね、新年ですね。新年にもうとにかくその営業の者とまわらせて頂くというのが毎年のことですね。で、その時は必ず紅白の饅頭を持って(笑)お伺いするんですけどね。それは、待ってらっしゃる方もおられるし、私としては若い時分に営業にまわった時、今はほんとにお世話になってる方にお会いできるいい機会ですのでね、そういう時にまぁするとほんとに喜んで頂けますね。私もまぁ、当然ながらそういう時の話をしながら嬉しいひとときを過ごすんですけどね。
いまおか:そうですか。そうやって販売店ですとか、また、お客様とかやり取りを心がけてされている中で、思い出に残るエピソードなどはありますか?
布﨑:そうですね。私は、お好み村さんとはね、お好み村さんのスタッフのみなさんとは、よく若い頃30代から40代の頃ですね、全国の物産展、各デパートでされてますところにお伺いしましたのでね、その時に、何て言いますかね、よく現場ではどうしてもみんな忙しかったりするので、時々口論になったりするんですけど、まぁそれこそお取引先様だと忘れてですね、こっちも若いから口論になったりするんだけど、それが終わるとね、やっぱり夜にみなさんと一緒に会食したりして、こう仲間意識が生まれてきてですね、やっぱり何かその時のこういう経験が、今のお取引様との繋がりがもうちょっと密になってるというのがね、いい経験になったなって思うんですね。だから、そういう時に、色々とこう声掛けしてもらったり、お好み焼きの見方とか色んな原材料とかですね、そういったものについて教えて頂いたということはね、やっぱり私にとっては結構宝ですね。
いまおか:穏やかで物静かな方にお見受けしますので。
布﨑:いえいえ(笑)
いまおか:そんな口論されたりすることもあったんですね!
布﨑:そりゃやっぱりね、お好み村さんも、例えば3店舗の、それぞれの店舗の社長さんなり経営者の方が一緒に来られるんで、現場ではそれぞれ意見が違うわけですよね。それをまた私が、どうしてもみなさんそれぞれお得意先だから調整しないといけなかったりするし、急に色んなことを要求されたりするとですね、なかなかそこで上手くいかなかったりしたことは、やっぱり多々ありますね。今思うと大変恥ずかしいんですけども、だけど、それをすごく今でも仲間として扱ってくださるということがやっぱり嬉しいことですね。
いまおか:やりあったからこそ。
布﨑:そうですね。っていうか、そうだと思うんですよね(笑)はい。
決断 ~ターニングポイント~
続いてのテーマは「決断 ターニングポイント」
サンフーズの発展と共に訪れた過去の苦難、それらを乗り越えるべく先代達が下した決断とは?
布﨑:やっぱり48年に合併したというのが、大きなターニングポイントだったと思うんですけども。まぁそれはそれとしてですね、色んなことを、ソースを販売してるのがずっと続いた中で、結局今度自分たちの仕事が、例えばお得意先様にとってどれだけお役に立ってるかとか、そういったことを考えた際にですね、ソースを売ってるだけではなかなかお客さんにとって必要な会社なのかどうかちょっとわからないよということがあってですね、お好み焼きに関すること全てをやっていかないと我々はお客さんに対してお役に立てないんではないかという考えになりまして。
だから、それを色んなお好み焼き屋とも店舗を開店することも、色々なことを自分達が今度はノウハウを勉強していかなければならないということで、商売の幅を広げていくということに転換していったっていうのが1つは大きなターニングポイントっていうのはありますね。
いまおか:それがまぁお好み村であったり
布﨑:はい。
いまおか:ということにも繋がっていくわけですね。
布﨑:そうですね。まぁあの今私どもが大変みなさんに喜んでもらっているのが、お好み焼きの体験学習なんですけどね、年間私どもが今受け入れていますのが3000名から4000名ぐらいの間なんですけど、だけど、海外の方もたくさんおいでになるし、修学旅行のみなさんもたくさん来られるようになったし、それでまぁお好み焼きの認知度を高めるということには、何かしらお役に立ってるんではないかと思いますね。
いまおか:ご自身にとってターニングポイントというのはどこだったでしょうか?
布﨑:私はですね、やっぱり大学卒業して、商社務めをしてたんですけど、それからこちらに帰るということを決めた時がそうだったでしょうね。それから、まぁそれはミツワ食品という会社に帰るという形だったんですけども、まぁ一から色んなことを知って、古くからいる社員の人たちにですね、教えて頂かなければいけないということが、今までの立場とは全然違うので、結構そこは、私にとっては修行の場だったし、精神的にもちょっと苦しい時間だったかもわかんないですね。
いまおか:そういう苦しい時期、会社にとっても大変な時期というのは、どのように乗り越えたんですか?
布﨑:私自身はですね、やっぱりみなさんに認めて頂くっていうのは、社内的に認めて頂くっていうのは結構難しかったです。2代目3代目というのはだいたいみなさん経験されることかもわからないですけども、まぁ出来て当たり前なんですね。色んなことが出来て当たり前。出来ないと色々と言われると(笑)内部的にですね。
だから、そこをこう自分でやっていかないといけないし、修行してもらわないといけないというのはですね、なかなか自分だけではできないことなので、その環境を乗り越えるっていうのは、結構みなさん苦労されるのではないかと思いますね。
いまおか:その頃を思い返されて、何か思い出されるエピソードはありますか?
布﨑:そうですね。当時はね、やっぱりソースも今みたいにプラスチック容器ではないので、瓶容器だったんです。
いまおか:瓶ですか!
布﨑:はい。で、特に業務用っていうのは1.8リットル一升瓶ですね、それが木箱に入ってるわけです、10箱。そうするとですね、生半可な力では下げられないわけですよ。それを下げられるっていうのが、ひとつのもう何て言うんですか、尊敬の眼になってしまうわけですね。私なんかはとてもそんな下げられるような状況ではないです。
だから、昔からそういったのを慣れてる人っていうのは、ほんとにそれを両手で2つくらい下げられるわけです。
いまおか:えぇー!
布﨑:で、5段積みするだの6段積みするだのっていう、1つはそれが自慢になるわけですね。私はそれ出来ないんでね、なかなかそこで苦労しましたけど。
まず、自分なりに苦労して、5段積みする時は中の2〜3本をいっぺん抜いて、それをまた上げて、また2本戻すとかね、そういう風にしてやってました。
いまおか:へぇーーー!これが出来ないと一人前じゃないぞ!みたいな
布﨑:そういう感じですね。
いまおか:感じですね。
布﨑:そうですね。
いまおか:今そうやって色々工夫をされながら乗り越えられたりしたことは、今でも活かされていますか?
布﨑:そうですね。やっぱり自分が経営者の立場になって、仕事を自分で何かしらを作っていかないといけないわけですよね。ある程度の仕事が出来た部分は、今度はまたそれを他の社員に渡すと。じゃあ、次はまた自分で作っていかないといけないと。それをずっと繰り返してきた感じですね。
いまおか:あの今一度、社長就任の経緯をお伺いしてもいいですか?
布﨑:はい。私は、特に社長になるということはあんまり予想してなかったんです実は。
いまおか:でも、お父様やお爺様が会社をしていらっしゃったので、昔からそういう風にイメージは・・・?
布﨑:子どもの頃は結構そういう自覚みたいなものはねあって、これは自分で意識したか、そういう風に意識させられたかはわからないですけどね、まぁそれはあったんですけど、合併してますのでね何分にも、相手の会社もそういった形の方がおられるし、優秀な方がおられたので、その方が父親の後ですね、社長になられたら、それこそ(社長を)補佐する立場で俺はいいのだろうなという意識ではありました。
まぁその方がちょっとやっぱり身体が悪かったり、その後の当時父親の専務だった方が社長になった際も病気がちの方でしたのでね、特に何か教えて頂くということなく、結局私がせざるを得なくなったんですよ、全てのことを。そのまぁ常務の時代も専務の時代も、結局は社長を代行するような形でやってきましたので、実践で自分でやってきたので、社長にならないといけない立場になった時もそれはそれで自分で認めておりました。
貢献 ~地域、業界との絆~
長寿企業にとってかかせないもの…
それは…地域との関わり、サンフーズが行っている社会貢献活動、
地域との取り組みとは?
布﨑:一応、地域のみなさんとは常に接触する機会は多いんですけど、地域の小学校の皆さん、年に1回は必ず工場見学に来られます。それは、社会科の副読本に私どもの会社が載ってるので、それでみなさん興味を持って来られます。その中でも、何故サンフーズがこれまで(お好み村の)全店使ってるんですか?という質問が一番多いんですけども。
いまおか:へぇーー!
布﨑:そういったことが、よく社会科の教科書に載ってるので、大変私どもは嬉しいんですけどもね、そういったことがあります。
それと、私ども、「SunSun広島」という観光キャンペーンですね、これは昭和58年に始まったんですね、当時広島市の観光課を中心に。で、その方たちとやっぱりお好み焼きが広島の特産品、或いは洋食文化のひとつの大きな要素として認めてもらう為の、所謂地域での認知度を高めるということをね、ずっとやってきてます。それは、各デパートさんとの協力ということもあるんですけど、それ国内だけではなくて海外でもやってきています。はい。それは、業社の人たちと一緒に、また海外に出かけて行って、お好み焼きをみなさんに知って頂いて、広島に来てくださいということをやっています。
いまおか:へぇー!国内ではもう随分広がったと思いますが、海外というと、具体的にはどのような国?
布﨑:海外はですね、ハワイはもう24年近く毎年やってますし、アジアが中心になるんですけどね、香港・台湾・シンガポール・マレーシア、そういったところでもやってきています。
いまおか:海外の反応は、国内とは違いますか?
布﨑:そうですね。まぁあのでも、みなさん美味しいと言ってくださるんですけど、やっぱり海外での食文化が違っていますのでね。だから特に中華圏、中国とか台湾とか香港では、ソースを使うっていう文化がないので。
いまおか:あっ、そうなんですか?!
布﨑:はい。中華料理ってソース使わないですよね?
いまおか:あぁ〜。
布﨑:だから、そういったところにこうみなさんに紹介していくっていうのは、結構やっぱりこちらのなかなか努力が必要なんですけれども、少しずつ認知されてきていると思います。
NEXT100 ~時代を超える術~
NEXT100、時代を超える術。
革新を続け、100年先にも継承すべき「サンフーズ」にとって、核となるモノ・・・
そして、5代目・布﨑正憲(ぬのざき まさのり)が語る
次代へ届ける長寿企業が持つ知恵とは?
いまおか:次の100年に向けて、変えるべきもの、或いは変えてはいけないもの、会社の核になるものと言ったら何でしょうか?
布﨑:そうですね、私どもは食品会社ですのでね、食品…まぁソースですけど、ソースの味がちょっと変わるだけでお客様から必ずクレームくるんですよ。で、それは当然ながら毎日毎日検査をしてるんですけど、我々の良しとする幅の中でも、多少やっぱりお客様にとっては気になる部分、必ずクレームがきますので、一応商品の基本になる部分の味っていうものはですね、やっぱり継続していかないといけない。そこで何がしか変化することはないし、他社さんの真似をする必要もないと思っています。
ただそれは、一番基本になる部分で、さらにそこから色んなものを広げていくっていうのは今後も新製品としてですね、作っていかないといけないのは我々の使命であると思ってますけども。
いまおか:100年先の後継者の方に伝えたいことは何ですか?
布﨑:そうですね。やっぱり我々は、私自身もそうですけども、今まで努力してやってきてくださった方の恩恵にあずかってるわけですよね。だから、そこのところを忘れるとまずいという。それは、自分たちの会社のスタッフであったり、また、今までの経営者の方であったりするでしょうけども、当然ながら得意先様ですよね。育ててくださった方たち。そういった方たちに恩返しできるというか、そういったことが自分たちの気持ちの中で常に持っていないと、なかなか維持することが難しいと思いますね。
いまおか:感謝をということですよね。
布﨑:そうですね。それはもうほんとに社員のみなさんたちも同様ですね。
いまおか:布崎社長ご自身の今後の目標や使命というものはありますか?
布﨑:そうですね。私がやってきた仕事を今度はみなさんに引き継いでいかないといけないので、それをどのように引き継ぐ、バトンタッチするかっていうのは大きな仕事でしょうし、それからまぁ、仕事を維持する為の経営者の方、そういった方をきちんと育てあげるというのが今からの僕の目標になりますね。
いまおか:後継者も順調に育ちそうですか?
布﨑:まぁなかなかそこは難しい面もありますけどね、そこは、私がやらないといけないことでしょうね。
いまおか:では最後に、長寿経営を行う上で、最も重要なもの・要素を一つあげるとしたら何でしょうか?
布﨑:やっぱりこれはね、長寿ということに限っていうと、いかにバトンタッチをしていけるかっていうことでしょうね。それと、経営者とその社員がいかに信頼し合えるかということがないと、やっぱりそこで揉め事が起きると思うんですけど、それをお互いに信頼し合うということが一番大事ではないでしょうか。
いまおか:次へのバトンタッチと信頼。
布﨑:そうですね。私の経験では、そのように思いますね。
サンフーズ
5代目 布﨑正憲(ぬのざき まさのり)。
サンフーズの発展に関わってきた人たちに感謝、恩返する気持ちを常に持ち、忘れてはいけない。
社員と信頼を築き、後継者にバトンを渡していきたい。
この想いは100年先の後継者へ受け継がれていく・・・