〈中編〉「萬燈照国」特別対談 榮太樓總本鋪 細田安兵衛
「萬燈照国」特別対談インタビュー 榮太樓總本鋪6代目 細田安兵衛〈前編〉
「萬燈照国」特別対談インタビュー 榮太樓總本鋪6代目 細田安兵衛〈中編〉※本記事
「萬燈照国」特別対談インタビュー 榮太樓總本鋪6代目 細田安兵衛〈後編〉
〈第2部〉日本橋への誇りと愛情、そこに宿るDNA
田中:長年日本橋の変遷を見てこられて、今どう感じられていますか?
細田:時代を経ても、日本橋の景観は昔からそれほど変わっていないのですよ。木造家屋がコンクリートのビルに変わったけれど、三越や山本海苔店の店舗、榮太樓總本鋪などは同じ場所にあります。日本橋と比べると、東京の都市は驚くほど変わりましたね。渋谷、新宿、池袋などは全く異なる街になってしまったように見えます。なぜ日本橋だけが、昔のまま変わらずに存在しているのかと思われるかもしれませんが、それは日本橋のDNAとも呼ばれる繋がりの強さにあると思うんだ。
田中:内側の団結力も強い一方で、外から来るものも拒まない江戸文化の寛容さが日本橋にはあるとも聞きましたが、そこはいかがですか?
細田:みんな日本橋にいる人は、日本橋が大好きで誇りももっています。日本橋三越、日本橋高島屋、日本橋榮太楼と、どの店にも「日本橋」が付いているほど、みな日本橋のおかげだと思って感謝しています。日本橋を善くしていかなければならないという気持ちを強く持っているんですね。
一番残念に思っているのが、日本橋に高速道路の高架橋がかかって景観が損なわれたことでした。わたしも、直下型地震が一番の心配事です。時間帯によっては、首都高速が崩れると大惨事になるのは目に見えているから、早急に手を打たないといけないと思っています。早ければ早いほどいいと思っています。
田中:2011年の東北大震災のとき、東京も揺れ、高速道路も大きく揺れ、国交省が危機感を感じインフラの見直しを行うことになりました。修繕の案も出てきましたが、「もう一度、日本橋に青空を。日本橋に光を。」という掛け声に、4年間で40万人もの署名を集めて撤去が決まったのだそうですね。日本橋を愛する人たちの、地元の結束力の強さが伺えますね。細田さんは、民主的に意見をまとめて、みなさんをまとめられたのですね。
細田:銀座で高速から降りている車はほとんどなく、全部通過しているから、日本橋に高速道路は不要ではないかと言い続けていました。一刻も早く三環状線が完成して撤去してほしいですね。関東大震災に遭ったときに、一番早く建ったのが、今のCOREDO室町のあたりで白木屋のところなんだ。あれは清水建設、当時の清水組が、三越、明治屋、第一生命も全部手がけて、江戸の棟梁だったんだよ。それ以来うちとも仲良くしてもらって、お袋さん同士も非常に仲がよかったんだ。建物にも人同士にも愛情が通っているから、日本橋の伝統を壊すようなことはしてほしくないね。
田中:日本橋の再開発にあたり、COREDO室町の誕生になどでさらに賑わいを見せている日本橋で、細田さんというリーダーの存在も大きかったと言われています。
細田:日本中が若者の街を作ろうとしている中で、日本橋は大人の街であり続けようとしています。年寄りの街という意味ではなく、日本橋は大人の身嗜みや感性がある街として品位が保たれているのです。だけど、華美な必要はなく、ネクタイを締め、女性もちょっとおしゃれして出かける場所でありたいと考えています。
加えて、来店された方にも榮太樓の店で何かを得ていただきたい。賓主互換(ひんじゅごかん)という言葉があるように、一方的な関係ではなく、この店に来たら、たとえ小さなことでも何かを学べたと思われる存在を目指しています。
〈第3部〉唯一無二の集い・東都のれん会
田中:東都のれん会は、のれん会は100年三代以上にわたり続いている店の集まりだそうですね。発足したきっかけはいつになるのでしょうか?
細田:ロータリークラブや青年会議所にも参加して仲間も大勢いましたが、地元ののれん会仲間が一番親しい仲です。学校時代の友達よりも、のれん会や日本橋界隈の仲間が一番長く続いています。家族ぐるみの付き合いがあり、当代は知らずとも先代はよく知るということで、親さが並外れているのです。そのため、相互扶助の精神も強いものとなっています。
呉服、扇子、刃物などの江戸の匠の技、味を伝承していくことを目的に、東都のれん会は発足しました。昭和25年頃の安定していた時代の憧れにより、消費者の方から求められていた方が強かったが、我々も「技・味」を正しく伝承していくことを目的に始めました。のれん会の存在をどうPRしていくかを考えるのが会の第一の目的で、親睦や和も同じくらい大切にしてきました。
田中:のれん会の御三家として、榮太楼本舗、山本山海苔店、虎屋が筆頭になり、日本橋の商店を束ねている集団だと聞いています。会に入ることがある種のステータスだったとか。
細田:のれん会の新年会は、ホテルでやっていたり、酒を飲みながら小唄をやらされたりしてね。お師匠さんのところに無理やり弟子入りされたり(笑)。日本銀行から三越から、高島屋などの建物もすごいけど、人の交流、人脈が一番大事だね。花柳界で芸者を張り合った、長唄の稽古が一緒だった、娘の仲人をお願いしたというように、小さな村なら想像つくが、こんな大都会での密な繋がりは稀で、驚かれることも多いくらいです。代々仲良しというところに、独特の日本橋のDNAがあるのです。
田中:それほど一族のつながり、連鎖を大事に文化的な指導をするところに意義を感じている人が多いのですね。次世代を担う若旦那が集う東若会が作られているそうですが、他に今後の課題とされていることはありますか?
細田:昔は若旦那衆は、神楽坂あたりで遊んでいました。(笑)今は、若い人たちが考えていることややっていることを聞きたいくらいだね。積極的に若い人たちの話しを伺いたいです。若い世代の人たちが、新しい価値を求めて課題に取り組んでいくのを見守りながら、脱線しそうなときは、支えていきたいです。
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