株式会社近藤海事
1904年(明治37年)創業
人の輪、知恵の和を活かし、地域と未来に貢献し続けていく
1904年、福岡県遠賀郡若松村(現在の北九州市若松区)の地に創業。座礁した海防艦の解体・撤去を機に海事部門を創立。以来、サルベージ業を中心に海難救助・構造物の曳航(えいこう)・海洋建設工事等、海に関わる様々な事業に従事。2000年、先代との葛藤の末に事業承継した4代目近藤観司は過去最大の負債をV字回復。しかし2005年、「マラッカ海賊事件」が発生。最悪の事態を想定する中、多くの方々に支えられ無事全員を助けることができた。2010年、初めて一族以外の社長へ事業承継し、以後地域活性化に尽力。時代のニーズに応えるべく、サルベージ業で培った技術を応用しながら、”総合海事会社”として事業を展開。これからも人の輪、知恵の和を活かし、地域と未来に貢献し続けていく。
近藤海事の歴史
1904年 (明治37年) |
愛媛の村上水軍の血を引く初代が福岡県遠賀郡若松村(現在の北九州市若松区)の地において船舶解体、酒類・醬油・味噌の販売を業として“近藤組” 創業 |
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1925年 (大正14年) |
海防艦“沖島”の解体・撤去を機に、近藤組 海事部門を創立する。本艦は、日露戦争でロシア/バルチック艦隊に所属し、参戦していたが、日本海軍が鹵獲し、海防艦“沖島”と改名した。第一次大戦後に除籍され、佐世保海兵団の練習船として使用されたのち、1924年(大正13年)廃艦となった。翌年、福岡県の日本海海戦 戦跡保存会にて記念館に保存される予定であったが、荒天時に座礁し、当社にて解体撤去を行う事となった |
1937年 (昭和12年) |
船舶の浮上・撤去・解体・クレーン船の作業技術をもとに海難救助部門及び沿岸荷役部門を開設する |
1944年 (昭和19年) |
日本陸軍暁部隊の海難救助部隊として徴用され、代表を含む全社員・船舶・資機材共に呉港に移動する |
1945年 (昭和20年) |
第二次世界大戦終戦と共に徴用解除となり若松の地に戻る |
1946年 (昭和21年) |
社名を“近藤海事工業所”とする。当時、日本最大の400t吊り双胴型起重機船“よろず丸”を建造し、関門海峡・洞海湾で触雷等により沈没した船舶二百数十隻を無償撤去し、関門港開港に貢献する |
1963年 (昭和38年) |
八幡製鉄株式會社殿よりクレーン船による重量物荷役の指名を受け、120t吊り蒸気式起重機船”久丸”による輸出コイル等の本船荷役を24時間体制で行い、高度成長期の一翼を担う |
1968年 (昭和43年) |
デッキバージによる鋼管杭/重厚長大貨物輸送の海上輸送部門及び曳船による曳航部門を開設する |
1969年 (昭和44年) |
株式会社近藤海事工業所に法人改組。多年に亘る曳航ノウハウを以って近海区域オーシャンタグ新造による曳航部門の拡充を図り海外に進出する |
1973年 (昭和48年) |
内航運送業許可取得、一般建設業(福岡県)許可取得 |
1974年 (昭和49年) |
起重機船”不退転”を建造する |
1975年 (昭和50年) |
株式会社近藤海事に商号変更。海難救助現場で最も視認性の高いオレンジ色をコーポレートカラーと定め、24時間体制でサルベージ業務に従事する。また、大型ジャケット/プラント/プラットフォーム等、大型構造物の国内外への曳航/海上輸送及びアンカーハンドリングタグの運航による海底油田開発工事に参画し、総合海事会社として飛躍を図る |
1979年 (昭和54年) |
原油備蓄基地建設工事に伴うボーリング櫓設置作業を皮切りに、地盤改良/基地建設/貯槽船曳航等、基地完成までの種々作業に携わると共に完成後の維持管理業務の一端を担う |
1984年 (昭和59年) |
工事部門新設により臨海土木工事に進出する。京浜大橋・大鳴門橋トラスの海上輸送を行い、その後の備讃瀬戸大橋/しまなみ海道/角島大橋/首都高速台場線/福岡アイランドシティー連絡橋等、橋梁輸送の足がかりとなる |
1988年 (昭和63年) |
特定建設業許可取得(福岡県) |
1989年 (平成元年) |
離島保全工事/生態調査に参画。265t吊り起重機船”白虎”による発電所の取/放水管設置工事(台湾)を皮切りに、国内外での海上工事事業に着手する |
1993年 (平成5年) |
東京湾横断道路木更津人工島工事にかかる海上輸送業務に従事する |
1997年 (平成9年) |
最新鋭の海難救助船兼アンカーハンドリング船である”韋駄天”を建造する |
2004年 (平成16年) |
創業100周年を迎える |
2005年 (平成17年) |
サハリンプロジェクトに参画する |
2006年 (平成18年) |
国内各地へ風力発電設備の海上輸送を開始する |
2007年 (平成19年) |
新若戸道路沈埋函工事に参画する |
2008年 (平成20年) |
羽田滑走路建設工事のジャケット/床版輸送に従事する |
2010年 (平成22年) |
調査業務船兼海難救助船”風神”を購入し、新たな分野へ進出する。また、作業艇”うしわか”を購入する |
2011年 (平成23年) |
東日本大震災に伴うサルベージ作業・復興支援業務で船団を派遣する |
2012年 (平成24年) |
再生可能エネルギーの広まりに伴う浮体式洋上風力発電装置設置工事に本格参画する。作業艇”よしつね”を新造リプレイスする |
2013年 (平成25年) |
海難救助船兼曳船”五十猛”をリプレイスする |
2014年 (平成26年) |
緊急の海難救助に対応し、更に日本近海における海洋資源開発・調査業務にも対応するため、充実した居住設備と作業甲板を有した多目的海難救助船兼曳船 “雷神” を建造する |
2015年 (平成27年) |
作業艇”べんけい”を新造リプレイスする |
2016年 (平成28年) |
内航貨物船”恵運丸”を建造する |
2018年 (平成30年) |
ISO9001・2015(品質)・ISO14001・2015(環境)・ISO45001・2018(労働安全衛生)取得 |
2020年 (令和2年) |
新本社ビル、新倉庫完成 |
公式ホームページはこちら
代表紹介
代表
近藤 観司 (こんどう かんじ)
近藤 観司 (こんどう かんじ)
経歴:
1945年(昭和20年):生誕
1968年(昭和43年):玉川大学を卒業後、近藤海事工業所(現:株式会社近藤海事)に入社
1973年(昭和48年):一度、近藤海事工業所を退社し、山九株式会社に入社
2001年(平成13年):再度、株式会社近藤海事に入社し、代表取締役を就任
第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021
2021年11月19日(金)開催
福岡県北九州市にて、「第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021」を開催し、近藤海事 代表取締役社長近藤観司 氏に登壇していただきました。
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〈前編〉第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021 ~葛藤と知恵〜
〈中編〉第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021 ~苦悩と革新~
〈後編〉第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021 ~振り返る〜
写真でみる近藤海事
※ 2021 年 11 月 19 日時点