長寿企業の知恵を、
次の世代・時代へ継承する
Webメディア 智慧の燈火

MENU

株式会社 桝屋〜多様な業種展開で地域に密着した商売を続けて110年

株式会社 桝屋
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

 

今回のゲストは株式会社桝屋。8代目代表 加藤勤。
1907年、株式会社桝屋の前身となる、合資会社桝屋商会が誕生し、米穀精米、製粉、食品、肥料・飼料、石油製品、セメントなど、卸会社として、三多摩地域に事業を展開してきた。その後、1947年に現在の「株式会社桝屋」に商号変更し、1958年のスーパーマーケット「マルフジフードセンター」を開店以後、時代の変化に対応しながら、卸売業から小売・サービス業に事業転換を果たし現在も「お客さまに信頼され、満足していただける経営」を信条に、地域密着で日々のくらしに必要な商品の販売とサービスを提供しているのだ。
今回はそんな桝屋の8代目代表、加藤勤の言葉から、先代達が下した決断、語り継がれる物語を紐解き、桝屋がもつ「長寿企業の知恵」に迫る!

石田:今回のゲストは、株式会社代表取締役社長 加藤勤(8代目)さんです。よろしくお願い致します。

一同:宜しくお願いいたします。

朝岡:桝屋さんは様々な事業なさっているようですが、具体的にどのような事業内容ですか。

加藤:例えば、不動産業や食品スーパー、カーディーラー、あとガソリンスタンド、書店などですね。

株式会社 桝屋
決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは決断。
まずは桝屋にとってのターニングポイント。これまでに訪れた苦境、それらを乗り越えた術とは。

石田:まずは桝屋さんにとっての転機・ターニングポイントをお伺いできますか。

加藤:4代目の社長 加藤裕一。私の叔父にあたるのですが、社長在任中に48歳で急に亡くなられました。桝屋の社長で、グループの中核で、急なことでしたので、私どもの歴史の中でもかなりのピンチだったと思います。私は当時小学2年生でしたが、家中大騒ぎしていたのを覚えていますね。

朝岡:急に亡くなられたとのことで、その時どのようにして乗り越えたのですか。

加藤:その時は私の父ですとか、叔父達。ちょうど30代、40代でした。私の祖父もいたので、みんなで補って、事業を継続させていったと聞いています。

朝岡:家族が一致団結していくというのが、桝屋さんのカラーみたですね。

加藤:そうですね。家族一致団結はピンチの時、より一層大事だなと感じています。

石田:代によって、様々な事業をされているのですよね。

加藤:私の叔父が急逝し、次が私の父だったのですが、配送参拝事業や本屋、カラオケ事業などを始めました。次が私の叔父ですが、その時、不動産業を本格的に始めました。次に歳は離れていますが、私のいとこになります。その時はカーディーラーや飲食店事業を始めました。

朝岡:100年を越える企業様で、代が変わる頃にビジネスを新しくしていくというのは珍しいですね。

加藤:そうですね。珍しいですかね

朝岡:在任する社長がこれをしたいと思ったものをしていいのですか。

加藤:みんな中々個性が強いものですから。よく言えば起業家と言えますね。アントレプレナーですかね。

 

続いて、加藤勤にとってのターニングポイント。

石田:ご自身にとってのターニングポイントをお伺いできますでしょうか。

加藤:一番は書店の事業を平成15年に引き継ぎました。その時会社としては大変な状況で、赤字も大きく出している状況でした。不採算店を閉めるとか、取引先を変えるなどをしました。受け継いだときは9店舗あったのですが、一旦6店舗くらいになりました。そこから黒字に転換することができ、最大12店舗まで大きくなりました。現在は10店舗で運営しています。書店事業の再生をできたということはいい経験であり、自信になっています。

朝岡:各代表が広げていくので、引き継いだときに、引かなきゃいけないことも多々あるような気もするのですが。

加藤:そうですね。本屋は上手くいった例で、父が始めたカラオケ事業というのがありました。それも引き継いだのですが、ちょうどリーマンショックがあり、競合も多くでてきて、最終的に撤退することがありました。痛みもありますが、一つの大きな経験にはなりました。引くときは引かなくてはいけないなと感じましたね。

石田:バランスを見て、どのタイミングで引くかなど難しそうですね。

加藤:そうですね。気持ちとしてはいつまでも続けて行きたいですが、どこかのタイミングかで決断しないと、傷がより大きくなってしまいますので。

石田:そのような経験を乗り越えて学ばれたことはありますか。

加藤:そうですね。事業を支えるのは人だなと思いましたね。カラオケの事業は引き継いだときの状態は、本屋の方がよっぽど厳しかったです。それを支えていく人材が十分育っていなくて、競合が出てきたときに勝てなかったりしたので、事業を支えていく上で人が大事で、人が育っていないと成功する可能性があっても、上手くいかないケースが多いですよね。

朝岡:加藤さんの場合、幼少期からお前は何代目だよといわれるのですか。

加藤:私は実は次男坊です。長男は別にいるのですが、現在別の仕事をしています。結果的に私が継いでいます。実は私の父も次男坊で、流れからすると私は傍流の方です。なので、必ず継ぎなさいみたいなプレッシャーはなかったですね。

石田:そうなると、継がれる前は何か他にしたいことなどあったのですか。

加藤:もともと海外に興味があったので、外交官試験受けたりしたこともありましたね。

朝岡:実際に継ぐとなった際は、任命されたのか。立候補したのか。どうだったのですか。

加藤:親の方から声かけがあったのですが。私としても、学生のときに台湾や香港など現地の大学生と交流する機会がありまして、日本だと公務員になるとか、大企業に入るというのが人生のゴールみたいに言われますが、海外に行くと自分で事業を起こすことの方がステータスというのを肌で感じました。その時から経営というのに興味がありました

朝岡:もともと海外に興味があって、結果的に海外でも仕事が出来ていいですね。

加藤:計画的にしようとしたわけではなく、人とのご縁や、めぐりあわせでそうなりました。

>>次のページ「株式会社 桝屋 言魂 ~心に刻む言葉と想い~」