京橋白木 株式会社〜「モノ、コト、ヒト」を繋ぐ
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは、京橋白木株式会社 4代目代表 竹下 茂雄、専務 竹下 雷太。
創業は1896年。
初代 竹下松蔵が中央区八丁堀にて創業し、1913年には大根河岸青物市場に移転後、荒物雑貨問屋「白木屋本店」を開業。その後、1923年の関東大震災により、一時的休業、第二次世界大戦の東京大空襲により、店舗が焼失するなど、様々な苦境に直面するも、1946年に「白木屋商店」として営業を再開。1973年、中央区京橋に本社社屋の竣工を開始し、「白木雑貨株式会社」と社名変更法人化する。2005年に現在の中央区八丁堀に移転し、「京橋白木株式会社」に商号変更をした。
創業120年を期に掲げた、コーポレートメッセージ『New value on the table』の基、国内外の「外食産業」におけるプラットフォーマーとしてお店づくりに必要な「モノ、コト、ヒト」を繋ぐこと、「人を幸せにしたい」という志を抱く、飲食店の繁盛、業界の発展に貢献すべく、新たな価値を、提供し続けている。
今回は、そんな京橋白木の4代目、竹下 茂雄、専務取締役、竹下 雷太の言葉から、次代へ継承すべき、京橋白木の持つ長寿企業の知恵を紐解いていく。
茂雄:我々レストランを180度ひっくり返したときに、落ちていくものそれの口に入るもの以外のものを取り扱っている商社、いわゆる料理道具ですとか食器とかそういってモノを取り扱っている食専門の商社になりまして、東京都内を中心にレストランさん居酒屋さん、ホテルさんなどにお届けしております。
BtoCじゃなくてBtoBなので、お客様のもとに出向いて行って、直接販売しております。
取扱点数が10万点以上と非常に多いので、まず飲食店さんが困っている商材が手に入らないことはないことと、すべて自社配送でやっているので、不在配達とかそういう問題が結構あると思うんですけれども、そういったことがないので。
非常に飲食店さんって現場が時間がなくていろんな業務に追われている中で我々がそこの流通の購買の代行が一社はいることによって、すべて商流と物流が整って届けられるというのが一番の強みですね。
~こだわりと強み~
茂雄:クライエントさんが飲食店さんなので、やはり食器や調理道具であれば業務用の扱いに耐えられる“耐久性”といったものも必要になってくるので、ただデザインがいいとか安いからいいっていうものでは選ばないように。
すべて自分たちの営業が自社配送しているので、結局現場の困りごとを直接拾えるんですね。なのでそこで上がってきたやつを優先順位つけて我々が判断していくっていう方向でやっていますね。ぼくらが「これやろう」と押し付けちゃうと結構現場との解離があるので。温度差が。それがないようにどちらかというとユーザーさんの声を聞いて判断していくっていう形にしています。
営業日報をいわゆるSNS型にしているので、その都度上がってくるものを僕らがキャッチして情報交換している形です。
~会社の特徴や制度~
茂雄:例えばある意味でその良い意味でこだわりがないので、結構自分たちのやっているコアなところ以外は他社さんの良いところとか制度とかをすぐ真似して取り入れていくって言うのが面白いところかなーと思って。
例えば、その社員の健康を考えているっていうのをどうやって伝わるかなと考えた時に会社で“禁煙手当て”を出してみたり。「禁煙成功したら10万円だよ!」みたいに。で、失敗したら罰金3倍返しという(笑)
僕らも元々喫煙者でやめてやっぱり調子いいので、社員にも伝えて3人くらいゲットしましたね。
雷太:雰囲気は恐らく昔っからそうだと思うんですけれども、“アットホーム”やはりこう・・・なんでしょう、昔からのこう家族的な経営の流れの雰囲気が恐らく今も残っているんじゃないかなと思って。
ここからは、テーマにそって、「京橋白木」の持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」。
創業者の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯。
家訓や理念に込められた想いを紐解く・・・
茂雄:そもそもの創業者が1896年に20歳の時に千葉の白木村というところから5円玉1つ持って上京して起業したって言うのをずっと聞かされてて。
その時からなんですけれども、やっぱり当時僕らの実家というか自宅にその住み込みで従業員の方が働いているって言うのが当たり前の状況だったので、本当に寝食一緒にしながら会社を大きくしていったっていう名残があって、そこから「社員さんは絶対に家族みたいに扱うんだよ」って言うのは聞きました。
今の経営理念の中にも“お客様と仕入れ先と社員の3つをどうやったら幸せにしていけるか”って言うことを明記してやってますね。
雷太:コミュニケーションというものに関しては非常に今力を入れてますので、その取り組みって言うのは少しずつ浸透してきているんじゃないかなと思いますけれども。
経営理念って言うのは、隅々まで浸透しているって言うのはまだ言えないと思いますね。って言うのは、これが一番難しい部分だと思いますし、これに関して浸透させるのは僕らが発信し続けることとそれに伴った行動し続けることじゃないかなあと思います。
茂雄:小さいコンパクトな手帳型の“経営計画書”っていうのを作って「僕らはどうやって行くんだよ」ということを書いたものを毎週朝礼で読み合わせしているんですけれども。
最初はA4のこんな大きい企画書みたいなのを作ってみんなに発表して「こうするんだよ」といってやってたんですけれども、やっぱり大きいと一年間手帳を机の中にしまったまんまだとか、だれも見ていないみたいな(笑)と言うことがあってコンパクトなものにして。
で、さらに今まで文言にしてこなかった会社の理念はしっかり書くように、どうしていくかっていうのを書くようにしました。でも結局それだけだと口だけなんで、書いただけなんで、理念を達成するために何をして何をしたらあなたのお給料いくら上がるんですかって言うことを明確に書いて。あとみんなの有給の休みとか書くようにしたら、「自分のことなんだな」って言うことで、見てくれるようにしました。
~独自の研修制度~
茂雄:営業部単位だとやっぱり全国の窯元さんだとか佐賀の有田とか岐阜の美濃焼とかは営業単位、チームでは行くんですけれども、今全社として取り組んでいるのは、いわゆるビジネス研修というより心とかいうより、コミュニケーションに関する心に関するいわゆる心の研修の方を力入れてて。
昨年幹部・・・今幹部が通っているんですけれども、幹部全員で屋久島のモッチョム岳って、本当に素人が登れるような山じゃないところをみんなで登って、10時間くらいかけて役員で「わー!」みたいな(笑)泣いて帰って来たみたいな(笑)ことをやってきて。
それが結局何をしたいのかというと、どうしても会社の中にいると幹部がぎくしゃくして。まあ僕から発生したんですけれども。でも山登っても同じことするかっていうと絶対一致団結するんですよ。結構大変なんで。それを会社の持ってこれないかっていう研修をずっとやってて。それが今少しずつ会社が変わり始めてる雰囲気は出てきましたね。
雷太:登って降りてくる間、だいたい11時間くらいかかったんですけれども、その中で最初にはなかった“思いやり”だったりっていう“相手への気遣い”とかって言うのを途中から感じながらやれたっていうのが非常に良かったし、それを終えてからの方がお互いに今まではちょっと抑えていたことを素直に言ったりとか。社長だからって意見を言いにくかった部分も少し変わってきたり、っていうのはありますね。
決断 ~ターニングポイント~
続いてのテーマは「決断 ターニングポイント」
会社の発展と共に訪れた過去の苦難
それらを乗り越えるべく先代達が下した決断に迫る。
茂雄:やはり私の父の代になるんですけど、バブルが崩壊してからやっぱり業界的にもずっと沈んでて、僕も僕と父の間に結構歳の差があっていわゆる事業承継がうまくいかず、父が3代目の父が60歳の時に僕が24歳だったので、多分これが10個(歳)ずれていたら事業承継もうまくできていたんでしょうけれども、、いかんせん社内の空気が、ずーっと右肩下がりで売り上げも下がっていて非常に大変だったっていう時期がありました。
私の母をはじめ、2代目の次女の方と長女の方いわゆるファミリーがとにかく会社を継ぐっていうことで僕の代にバトンタッチするまで、とにかく踏ん張ってくれたっていうのが一番大きいと思いますね。
〜災害時の苦難〜
雷太:やっぱり東京中の飲食店さんがぱたっと静かになりましたので、全く影響がなかったかって言われたらそんなことはありえないんですけれども。
茂雄:本当にこれ倒産するなって思って。全部オーダーストップしたんで。僕は海外出張のフライト中に地震が揺れて本当はその日に成田に着く予定が、博多空港に着いて。会社の状況も、あの時はラインとかなかったんで全然わからなくって。落ち着いて連絡が取れて、まあ大丈夫だってことで、社員もお客さんに被害がない。
それで嫁さんから電話かかってきて、メール入って、家に帰ったらうちは千葉の県の浦安に住んでいたんですけど、当時。家が液状化で後から保険会社に行ったら半壊扱いになってて。家は本当に泥だらけになってて。傾いちゃって。一番被災しているじゃんっていう感じで。
その時家のある浦安市は水道ガス電気も止まって家の中でキャンプをしている状況で。でもなんか自分の弱さで社員にそれを相談できなくて・・・助けてくれって。格好悪いというかなんというか。もう会社も売り上げ下がっているし家もこんなんだしヤベェなーと思ったことはありましたね。
続いて、4代目代表、竹下 茂雄のターニングポイント。
茂雄:ずーっとちっちゃい時から柔道をやってて、それこそオリンピックの選手になるんだってくらいの夢でやってて、体育大学出て。それまでやったんで、夢叶わずだったんですけれども、どうにか柔道を教えたいということで、千葉の公立校に教員として勤務してやったんですけれども、柔道部がなかったっていうオチで(笑)
教員やりながら教員試験とか採用試験とか受けながらやってたんですけれども、親父がとうとう体調崩したぞとなって「実家に戻ってこい」ということですぐ、教員自体は1年ちょっとで戻りましたね。
正直入った時は理解していなかったんですけれども、後から考えると9期連続で売り上げ落としていて、今決算書見ると後4,5年で債務超過になってたなっていう状況なんですね。
自分自身はそんなこと理解していなくって、実家の商売がそんなにいけてないなんてわかんないじゃないですか。
なので入ってすぐ必死にやって、やっているうちにちょっといけていないことに気がついて。例えば当時パソコンが会社に一台もなくて全部伝票を手書きでやっていたり。お客様の荷物を扱っているのにくわえタバコで作業してたり、これはあかんなっていうのをずーっと感じてて。
ただ3年間は我慢しようってことで我慢して、それからやったことはまず「社員たちに数字を公開すること」と、後「流通の経路を変えること」をやりました。
いわゆる私たち河童橋さんとか築地の販売店さんに卸してその先に飲食店さんがあるっていう流れだったんですけれども、それじゃ生きていけないということで、直接飲食店さんにアプローチするようにして。相当業界からは「中抜きするの?」みたいな圧力はあったんですけれども、今考えるとそのとき踏み出しておいて間違ってなかったなっていうのは感じてますね。
続いては、竹下雷太のターニングポイント。
雷太:ごくごく最近ですけれども、やっぱりなまじ仲がいいと言われてきた兄弟だったので、それが仕事が関わるとどうしてもそういうわけにはいかない状況がずーっと続いて。何度もやめようと思ったし。本当に嫌だなと思うことは数知れずっていうくらいあったんですけれども、それが心の仕組みだったり、お互いを理解するだったりっていうことを学んできてやっとこう・・・自分と違うんだ。人はこう違うんだっていうことでなんか変わってきたというとこですかね。特にここが(兄弟間)ワンツーのトップでやっている以上はギクシャクすると会社全体がまずいので(笑)
茂雄:子供の時はすごく仲よかったですね。
雷太:そうですね。
茂雄:(笑)
雷太:(笑)よくくっついて歩いてましたね。はい、もちろん喧嘩もしましたけれど。基本的には仲よかったですね。相談はだいたい決まったことをベースに話すので(笑)
茂雄:相談じゃなくて連絡だよな(笑)
雷太:(笑)
茂雄:報告?(笑)
雷太:(笑)
茂雄:重めに言って解決するくらいだったら全国の兄弟の社長さんは救われていると思うんですけれども。やっぱりそのちゃんとした外部の研修機関でやらないと、相当もうお互い心の中で思っていることを取れないので。簡単に言うと洗濯をするというか(笑)
雷太:(笑)
〜お互いの長所〜
雷太:やっぱりこう・・・見切り発車かもしれないけど、パッと前に進める大胆さとか直感的に変化を感じ取ったりっていうのはすごいなあって思いますね。
茂雄:まず僕が未来しか見ていないでどんどんどんどん動いちゃうタイプなので、それをしっかり今の自然体・・・会社としてどうしても膨張しそうな時をしっかり抑えてくれている。「膨張だよね」みたいなのをちゃんと地に足をついてやってくれているなと思いますね。
雷太:まあなんでしょうね。ええかっこしいというか。
茂雄:ははははは(笑)
雷太:よく見せようとしたがる・・・ところですかね。現実よりちょっと上げて言うようなところかなーと(笑)
茂雄:僕はとにかくええかっこしいとおっしゃるのもわかるんですよ(笑)
雷太:(笑)
茂雄:なんか未来のこと喋っちゃうんで、その間の翻訳をもうちょっとしてくれると社員に伝わりやすいかなって。こことここに(入り口と出口)なっちゃってるんで、この間くらいをちょっとお互いで伝えられるといいかなって。お願いします(笑)
雷太:お願いします(笑)
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
続いてのテーマは、「言魂、心に刻む、言葉と想い」
竹下 茂雄と、竹下 雷太が家族や先代、恩師から受け取った言葉
そこに隠された想いとは?
茂雄:親父からは・・・「とにかく何でも出来るんだよ」っていうのは言われたんで、なんかそれが自分の中で根拠のない自信になっている・・・なんていうか今風に言うとたぶんそのベンチャースピリットじゃないですけど、「諦めなければ絶対成し遂げられるんだ」というようなことはずっと言われてましたね。
あとは、物心ついておもちゃとか買ってもらおうとすると、「うちのたわしとかラップを何個売ったら買えるか考えなさい」って言われて。全然わかんないんですけど(笑)それをちっちゃい時からすっごい言われてて。
やっぱり「自分たちで稼いで、その稼ぎの中からお金っていうのは出てくるんだよ」っていうのはすごい教わったんで。それは大きかったかもしれないですね。
雷太:うちは父親からはいつもいつもこう・・・「男は強いほうがいいよ」とか「弱い者を助けられるようにいろよ」とか、「例えば学校でいじめられている子がいたら必ず助ける立場になれ」とか、そういったことをずっと言われてましたね。
〜胸に刻む言葉〜
茂雄:社員から言われた言葉で、その・・・なんだろう?有給をしっかり長期で取得してもらう時に何回も「本当に休んでいいんですか?」って言われて。なんかそれがすごい嬉しいような、なんか恥ずかしいような・・・なんだろうな。今僕がやろうとしているのは、しっかりちゃんと休みもとって全員でやっていこうぜっていう風にやっている中で、それでもそう思っちゃうんだなって。すごいもっと伝え方が足りないなっていうのを。やっぱり有給なんて当たり前の権利なので。それでもそういう風に思っちゃうのかーていうのはまだまだ自分の中で伝えきれてないなーっていう風に(思いました)。
1回ちょっと失敗しちゃったと思ったのが、消費税が5%から8%になると決まった時に、その日の朝礼で「うちの会社は絶対増税分の給料を上がる会社にしよう!」っていうことを言ったんですが、やっぱり勘違いされちゃって、「3%しか上がらないのか!」っていう風に受け止められちゃって、いたな?(雷太さんに)
雷太:うん(笑)。
茂雄:(笑)やめちゃった子がいたんですけど。全然そんなつもりじゃなくって、自分の気持ちがちゃんと伝わらないと、こういう風に相手は傷ついてしまうんだっていうことをすごい思いましたね。
NEXT100 ~時代を超える術~
最後のテーマはNEXT100、時代を超える術。
100年後にも変えない「京橋白木」にとって核。
次代を超え、変える必要のあるもの。
竹下 茂雄、竹下 雷太が語る。
茂雄:マーケットであるお客様が求めるものをいかに柔軟に取り込んでいけるか、だと思うので、それだけは進化していかなければいけないと思いますんで。多分これから100年間、100年後っていうと取り扱っている商品とか事業そのものがもしかしたら変わっている可能性がすごく高いので、まあそうなった時にもやっぱりその関わる人を中心に考えていくっていうところはブラさない。
〜100年後の後継者へ届ける思い〜
茂雄:ちょうど今回この企画をいただいて実家を掘り返してきたら100年前の創業者が掛け軸“孔子”の言葉の掛け軸、書が出てきて。簡単に言うと「誰も理解者がいなくても、自分の道を信ずれば天には通じているよ」みたいなことが書いてあって。まさに僕はそれを伝えたいなと。
結局誰が正しいとか、誰が素晴らしい人生だって決めることなく自分の道を全うして正しいことができればそれが一番だと思うんで。それは伝えたいかなと。
雷太:人の言葉でこうブレることなく自分の信じている道っていう今(茂雄氏が)言われたようなことが一番大事じゃないかと。自分で考えて判断して進んでいくっていう頭と、強さとが必要なんじゃないかなと思いますね。
茂雄:僕たちが生きている飲食業界の、なんていうんですかね「価値を高揚していく」っていうのは使命だと思っているので。どうしてもニューヨークとかパリに比べて、あちらだとレストランオーナーもステータスであったりすごいみんな憧れの存在なんですけど、日本だとどうしてもすごい大変な業界でっていう扱いを受けちゃっているんですけれども。本当はもっとクリエイティブな業界なんで。それをよくしていこうっていうのはひとつの使命ですね。
あとは経営者としていわゆるこれからは僕がトップになってピラミット型の組織ではなくて、逆に僕がピラミットを逆にして僕が一番下で支えながらチーム全員がなんか大きくなっていけるような組織をしっかり・・・なんだろうな理論として・・・経営論じゃないけどそういったものを残したいなと思っています。
雷太:自分がこう・・・死んだ時に何ができてきたのかっていう誰か一人に対してだけでも、いい影響じゃないけど成長させる一つのコンテンツであれればいいかなっていうのは思うので。僕が自分自身成長することで誰かを幸せにするっていうことができて、その輪が少しでも大きくなってったらいいなっていうのを思ってます。
~長寿経営を行う上で一番重要なモノ~
茂雄:やっぱり当事者同士・・・僕らの場合は兄弟という形だったんですけれども、まあそれが親子だったりっていう関係になってくると思うんですけれども、やっぱりそこの関係が仲良くないと。それが一番だと思います。
どれだけ事業内容が素晴らしくて財務内容がすごくっても結局トップでいざこざが起きちゃうと、分裂したり問題になったりということが起きてくるんで。やっぱりトップの親子だったり兄弟がしっかり絆で結ばれていることが一番大事なんじゃないかなと思いますけどね。
〜兄弟経営の秘訣〜
雷太:どうでしょうね?もう本当にごくごく最近までうまくいっていないことの方が多かったと思うんで(笑)
茂雄:(笑)
雷太:やっぱりそれは外部の力も借りてですけど、本当の意味でお互い分かり合えてきたっていうところなのでそれまでは本当に先祖代々受け継いてきた会社があって。だから継がなきゃいけない残さなきゃいけないっていう変な使命感でやってたのが、本当に協力してよくしていきたいっていう風に思えたっていうのが一番だと思うので、それができたらと思いますね(笑)
茂雄:やっぱり正しく機能すればこんなに頼もしいパートナーは他にいないので、お互いしっかりビジョン持って信じ合うっていうことが一番大事じゃないですかね。
京橋白木、4代目代表竹下茂雄、専務取締役 竹下雷太が次代へ届ける長寿企業の知恵…。
お客様、仕入先、社員。この「三つの幸せ」を追求する。
兄弟という親族での会社経営の中で、様々な困難に直面することもあれが、その絆は絶対であり、機能すれば強力なパートナーとなる。
この想いは100年先の後継者へ受け継がれていく・・・。