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銀座 菊廼舎~お菓子で心安らぐ場所を提供する~

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、銀座菊廼舎4代目代表 井田常道。銀座菊廼舎は1890年創業。天然素材・天然の色素のみを用いて、ひとつひとつ職人の手作業により作られた和菓子は、「心安らぐ美味しいものを」という想いと共に、日本の四季折々の彩りを添えて、美しさ・可愛いさと共に、独自の世界観を展開し、江戸和菓子の老舗として愛され続けている。
今回は、そんな銀座菊廼舎の4代目であり、現在会長を務める井田常道の言葉から、事業継続の秘訣、その裏に隠された物語に迫る。

石田:本日のゲストは、銀座菊廼舎 代表取締役会長 井田常道さんです。よろしくお願い致します。

一同:よろしくお願い致します。

朝岡:改めて、事業といいますか、内容からまずお伺いしたいのですが。

井田:私は、和菓子屋をやっていまして、これが今うちのカタログですので、どうぞ。(渡す)

石田:拝見してもよろしいでしょうか。

石田:また綺麗な。

朝岡:ねぇ!

朝岡:まぁ、開けた途端にパッと見たら、なんかお花畑のような!

石田:本当ですね。お花が咲いていますね。

朝岡:お花見してますみたいな感じですね。素晴らしいな。これは、一口に和菓子と言っても色々な種類がございますけれども、いわゆる乾き物とか或いは生ものも含めての色んなものを作ってらっしゃる。

井田:そうですね。色んなものをやっています。だけど、今、主役になっているのは、この冨貴寄(ふきよせ)というお菓子ですね。

朝岡:こちらですか。

石田:こちらですね。

朝岡:真ん中に可愛い富士山があって。

井田:これはね、和菓子屋ですから、やっぱり季節に合わせて、この(カタログ)今写真に載ってるのは春。春だったら桜が入ってたりするんですけども、例えば夏になれば、富士山や貝殻を入れたり、秋になったら紅葉を入れたりとか。

やっぱりそういう感じで季節感。乾き物なんどけれども、そこは一生懸命工夫してます。

朝岡:見た目も素晴らしいですけど、ちょっとつまんでもよろしいでしょうか?

井田:どうぞどうぞ。色んな味が入ってます。

石田:いただきます。ほんと色んな味が入ってますね。金平糖を頂きますね。

朝岡:私はこのなんかかわいらしい…

石田:美味しい!懐かしい。

朝岡:これはこの、コリコリカリカリっていうのがなんともいいですね。甘さも上品で。

石田:あと、この金平糖だったりクッキーだったり、なかなかこうやって同時に頂けるって珍しいですよね。

井田:まぁそうですね。我々和菓子でやってますので、クッキーとはやっぱり違うような主張をしているんですね。

どこが違うかって言うと、クッキーっていうのは、中にバターが入ってたりするんですけれども、我々は和菓子屋だから、和にこだわって、動物性の油は一切使わないようにしてるんです。

もちろん、本当に美味しいクッキーなんかは、世界中にいっぱいあるんですけど、あえてうちはシンプルな味を目指して、あと、彩りとかアメリカとかヨーロッパにあるクッキーとは違うという主張で一生懸命やっています。

朝岡:それで、この瓶とか或いは箱・包装も和の香りがもうほんとに満ち溢れているという。

井田:和菓子って何かという大きな課題で考えてみると、結構面白いんです。日本って、和菓子屋と洋菓子屋ってジャンルが分かれているじゃないですか。(ジャンルの分かれている)国って、あんまりないんですよ。もうお菓子はお菓子で一括りになってるんですよ。

ヨーロッパなんかどこのお菓子も一緒ですから、だから、そういう中、どこで分かれたかっていうと、明治以降に入ってきたお菓子は洋菓子にするんですよ。だから、チョコレートとかキャラメルとか洋菓子と呼ばれて、それ以前からあるお菓子は和菓子と呼ばれて。

朝岡:確かに。日本の文化をね、背負っているようなところがあるのが和菓子ということですね。

「心安らぐ美味しいものを」銀座菊廼舎の和菓子に込められたこの想いは、素材や製法、商品の包装など、細部に至るまで浸透され表現されている。
今回はそんな銀座菊廼舎の工場に潜入し、ものづくりの秘密に迫る。

5代目:余熱でもうちょっと色が濃くなるものですから、ちょっと薄めに揚げとかないと丁度良い色にならない。ここでいい色に揚げると濃すぎちゃって、揚げすぎない。

通常一色であれば粉だけで良いんですけど、貝なので、貝の部分に色を付けてるもんですから二色で。そこがちょっと非常に細かい作業で、手で埋めてからきちってのがちょと大変なところで。

生地がどんどん乾いてきちゃうので、時間との勝負なんですよ。本当に遅いとちょっとやっただけでも、生地がダメになっちゃいますので、やっぱりこの量出来るっていうのはそれ相当な修行も必要なもんですから。

売上自体は変わっていないっていうか増えているんじゃないですかね、コンビニとかでも和菓子自体売っているので、和菓子の需要は増えていると思います。

そこで我々としては、和菓子が好きな人が多いのであれば、まぁコンビニさんもすごいんだけども、我々はまた違うんだよっていうのを出してね、やっぱ専門店は凄いね、って言ってもらえるように我々も努力しなきゃいけないですし。

ここからは各テーマを元に、銀座菊廼舎4代目、井田常道の言葉から、歴史と伝統の裏に隠された物語、銀座菊廼舎が誇る、長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは、創業の精神。創業者の思いをひもとき、今に至るまでの経緯、社是や使命が誕生した背景を、井田常道が語る。

石田:創業の精神ということで、銀座菊廼舎さんの創業の経緯を伺えますか。

井田:創業は明治23年。1890年です。だから今年で127年になります。最初は、菊廼舎っていう名前もちょっと変わった名前ですよね。で、初代がこれ始める前は、家業はどうやら洗濯屋さんだったらしいっていう話。

昔の洗濯屋ですから、干す所がいっぱい必要じゃないですか。で、ちょっと庭があってその干し場のところに、菊を植えたらしいんですよ。

そうすると、秋になると菊が咲いてきて、ご近所の方とか、知り合いの方が集まってきてくれて、菊を見ながらお茶を出したりお菓子を出したりしたら、とっても喜んでもらって、それで初代が洗濯屋を辞めて、和菓子屋を始めたと聞いています。

石田:そんな菊廼舎さんの家訓や理念を教えて頂けますでしょうか。

井田:理念というと、名刺にも書いてあったんですけど、「心安らぐ美味しいもの」と。これが、うちの理念っていうか、時々社員なんかにも「菊廼舎ってどういう会社だい?」って言った時に、「心安らぐ美味しいものを出してる会社だよ」と。そういう風に言いなさいってしょっちゅう教育してるんですけど、我々やれることっていうのはお菓子作りですから、お菓子作りっていうのは、笑顔で心安らぐ場所を提供すると。

こういう今ストレスの多い社会ですから、せめてそれは我々の仕事かなとこういう風に考えてこの言葉は、ずっと言い続けています。

朝岡:安らぎっていい言葉ですよね。初代は洗濯屋さんやって、こう良いお天気の時に、ヒラヒラヒラ〜なんてね、それを見ながら、こう座って、初代が手作りのお菓子かなんかで。その時にもう心安らいでたんでしょうね。

井田:そうでしょうね。

朝岡:良い光景ですよ。

石田:そういった想いを、今の引き継がれた社長の方やまた、社員の皆様にはどのようにして浸透されているのでしょうか?

井田:一番うちの会社の大きな問題として問題意識を持っているのは、お菓子を作る場所が、葛西に工場があるんですけど、お店の方は葛西工場から、配達するような形になんですよ。そうしたら、お菓子作ってる人が、お客様の喜ぶ顔とかってダイレクトに見れないじゃないですか。

それで、やっぱり仕事の歓びっていうのは、お客さんに喜んでもらったり、こないだ美味しかったよとかって言われることが歓びだから、それと切り離しちゃったら良いお菓子は作れないと思ったんですよ。

だから、毎週月曜日には、営業の者から工場の人間に、お客様まわりに誉められること、これもいっぱい言ってあげなさい。もちろん注意されることもあるから、これも話して、喜びとか辛さとか、こういうのが作り手の方が分かるようなこういう会社にしていきたいなと思っておりますけどね。

朝岡:お客様から色んな声が日々出て来ると思うんですが、特に印象的だったお客様のコメントというか感想というのは何かございますかね。

井田:印象的だったのは、15年くらい前だったんだけど、この、うちの冨貴寄(ふきよせ)に、誕生日祝いに名前を入れたり。例えば、朝岡さんとか石田さんとかっていう御名前も入れられるんですよね。

で、朝行ったら、事務の者から報告があったのが、昨日の夜、お客様からお嬢さんの名前で1缶だけ作ってくださいって言われたんですよ。で、その時にすごく工場も追われていて忙しいからと思って、その事務員は断ったらしいんですよ。

そしたら僕はね、翌日、もう一回お客様に電話して、ちゃんと1缶でも作りますと。いうことを言った時に、その報告を事務員にさせたんだけど、事務員がニコニコ顔で僕のとこに報告にきたんですよ。

作りますって言ったら、拍手が聞こえたって言うんですよ。

朝岡:(受話器の)向こう側のお客様の声?

井田:向こう側の!何人かお友達がいて。その一言。だから、我々の仕事の喜びっていうのは、そういうとこにあるんだな、っていうのを50過ぎてから教わって、大切な部分が分かってきたんですよね。

朝岡:そうですよね、一つだけど作ってもらえたら、その感激といったらやっぱりものすごく大きいですけどね、その感激が受話器の向こうの拍手とかで直接返ってきた、っていうのは、良いお話ですね。

石田:こういったお菓子って、とても細かくて作るのも難しいと思うんですけど、こういった技術の継承というのは大変なんでしょうか?

井田:そうですね、その技術の継承プラス…、ただ前からやってること繰り返しやってると、なかなか事業ってうまくいかないんですよ。

やっぱり、イノベーションっていうか、色々創意工夫をしたり、より良いものを、ということ常に持ってないと

朝岡:今どんな風にしてその職人さんとか、社員の皆さんにそのへんを、心がけといいますかね、会長として、井田さんはお伝えになったりするんですか?

井田:技術的にはもう、いろいろ、例えばパッケージにしろ、どんどん変わっていきますし、食材も世界中からいろんなものが入ってくるし、じゃ、今考えてるのは、例えば小麦粉、小麦粉も今、日本の小麦粉ってのは、アメリカとか、カナダとか、オーストラリアから来たやつをうまくミックスしてやってるんだけれども、ちょっと怖いのが、遺伝子操作した、

朝岡:ああ、組み替えとかね。

井田:(うなずき)混じっちゃうから、そうじゃない国産の小麦粉に変えようと思って、そういう食材なんかも、食の安全性はとっても大事ですから、それは出来ることはどんどんやっていかなきゃいけないし、昔と同じ様な作り方やってるだけだと、やっぱり企業として残っていかないなと。

決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは、「決断〜ターニングポイント〜」。当時の稼業は洗濯屋だったが、着物を干すための広い庭に菊を植え、親戚やご近所と花を楽しむために振る舞っていた和菓子が喜ばれ、現在に至った、銀座菊廼舎。そんな銀座菊廼舎に訪れた苦難。そのときに下した決断を、4代目、井田常道が語る。

石田:続いては、「決断、ターニングポイント」ということで、ご自身と会社の転機、ターニングポイントをうかがえますでしょうか?じゃあまずは会社から教えて下さい。

井田:ちょうど1972年、私がちょうど会社に入ったときに、銀座コアというビルを作って、 そのときに本店がなくなっちゃったんですよ、それで、本店の売上げがその間、ぜんぜん、建築期間でなくなっちゃって、会社がものすごく苦しくなっちゃったんですよ。

それで、なんとか立て直しましてね、ちゃんと。ということで、本当に小さな工場を、銀座の八丁目の方に、本当にプレハブみたいなところで、当時は社員が4人でお菓子作っていたんですけれども、そのときはものすごく苦しかったですね、まだ私24歳くらいだったかな。

だから資金調達の仕方もわからなくて、その頃は私の先代の3代目が一切仕事しなくなっちゃったんで、ひとりでお金の苦労、ずっとしてました。

朝岡:24歳の時ですよね?いま銀座コアビルのあるところって、銀座の超一等地じゃないですか、そこにお店が元々あって。

井田:あって。工場もそこにあったんですよ、ええ。

朝岡:あって、それを大きなビルにするので、工場はもう、お店がなくなっちゃったし、工場もどっか作らなきゃならないと。それだけでも大変ですけど、それで一気に資金面も両肩に来て、銀行で融資の話だとか色々やらなきゃいけない。

井田:でも、本当銀行に行っても相手にされなかったですよ、だって、ノウハウがないんですから、融資を受ける。

朝岡:いきなり大変でしたね。それが会社にとっての、ご自分にとっても凄いターニングポイントでいらっしゃる。

井田:いやまあ、そのあとはみんな社員が協力してくれて、だんだん売上もあがってきて、 まあやれば、少しずつ事業っていうのはよくなっていくんだなって、お客様に教えられたっていうことですかね。

朝岡:そうですか、海外で和菓子の普及でしょうかね、そういうかたちでやってらっしゃったことっていうのは、どんなものがあるんですか?

井田:たまたま、20代はずっと苦労してましたけど、40過ぎてから、東京和菓子組合っていう組合があるんですけど、そこの若手の和菓子屋さんのまとめ役を引き受けたんですね、当時70人くらいのメンバーがいたのかな、和菓子の。

で、たまたままとめ役だから、なんか事業をやろうよ、ということで、まず、2年間だったんですけど、そのときに仲間に言ったのが、「和菓子を海外で紹介しようよ」と。

「和菓子ってこんなに良いもんだよ、と、だから和菓子っていうと、日本のお菓子ね、ってわかるような状況、どうやったらできるかね?」とかいうことを投げかけて、そしたらみんなそれに反応してくれてね、興味を持ってくれたんですよ。

それで、これはなんかやりたいなと思って、直接外務省に行って、「和菓子屋の組合で、海外へ和菓子紹介する事業やりたい」って言ったら、うまく、関係機関紹介してくれて、事業として資金出してくれると。たぶん1000万円くらい出してくれてたんだと思うんですけど。

そのときに言われたのが、イタリアとポーランド、ベルギー、それからオーストリア、この4カ国へ行って、全部で17日間あったんですけど、7都市で和菓子の講演をやらせてもらったんですよ。原点はやっぱり最初一時間はレクチャーをする、それから和菓子教室をその後続けてやったら、やっぱりみんな喜んでくれて。

朝岡:ああ、お話だけじゃなくて、お話プラス、実際に作って味わってもらうと。

井田:そうなんです。そのときに、外人はあんこ食べないよとかって言われたんですよ。だけどもそんなことない、やっぱり手順を踏んでひとつひとつ丁寧にやっていくと、みんな喜んで食べてくれました。

朝岡:お話を伺っていると、井田さんはもちろんお菓子を作る職人、という立場もものすごくお持ちでいらっしゃるんだけど、会社を経営して発展させていく、そういう考え方も、若い頃の苦労もあったせいか、味の世界とは違った世界も、いつもお考えになっている気がしますが、そのへんはどうなんですか?

井田:ベースは食品で、特にウチの場合は、「江戸和菓子 銀座菊廼舎」と言うことだから、和菓子にずっとこだわり続けたいと思っている。でも、「失礼だけど、和菓子って何なの?」と

これもやっぱりね、時代によって変わってくかもしれないんですよ。だから、そういう変化も考えるとなかなかね、「和菓子作っている」言葉ひとつでも、難しいですね。

朝岡:でも和菓子が原点っていうのがね、そこからすべて会社のことも、お客様のこともお考えになると、こういう結果としてひとつにまとまる、という形かもしれませんね。

石田:今、井田さんは会長というお立場になられて、常日頃心がけていらっしゃることっていうのはおありですか?

朝岡:例えば、今、息子さんが5代目の社長でしょ?

井田:そうですね、それはね、なるだけ任せるならきちっと任せないと、つい、子供だから、なんだか、ああだこうだ言いたくなるんですよ。これいうとね、たぶんうまくいかなくなっちゃうなと。他でも見てると、同族関係でうまくいかなくなっているところも、所々聞きますから、あまり親が子供のことああだこうだ指図しちゃいけないなと思って。

ありがたいのは、今の5代目も、バトンタッチして2,3年になるんだけれども、どんどん自分で勉強して、こちらの考えているようなことを、どんどん理解できるように成長してくれたから、これはやっぱりありがたいことだなあと思って。

朝岡:そうかあ、任せる以上は任せて、そのへんもお考えなんですね。

先代と現代表、銀座菊廼舎にとってそれは、親と子の関係にあたる。実の父である先代は、現在代表を務める5代目、井田裕二の目にはどのように映るのか。それぞれの思いに迫る。

5代目:最初ですね、10年くらい、まず大学卒業して入って、それからちょっと5年くらい、全然別の業種の方に行かして頂いて、35のときに戻って来て、3年間、専務という形で社長の下でやってから、社長に就任したと。

IT関係に行ってきました。ということがあって、まただんだんとインターネットの通販の方も大事になってきたので、それもあったんで、なんとかそういうところで利用できる、っていうのもあれですけど、知識を活かせるんじゃないかと、今後の発展に繋げられるんじゃないかなということで戻って来ました。

先代に継ぐように言われましたか?

5代目:皆さんによく聞かれるんですけど、実はウチはそういうのは全然無いんですよ。

代々、その、前の話を聞いていても、明確に「継げ」と言われたことはないみたいで、逆にもう、何やっても良いよと、そういう雰囲気ではあったみたいですね。私ももう、そんな感じで、別に継ぎたければ継げばいいし、他にやりたいことがあるんだったら、それはもう、僕の人生だから好きなようにやって良いよ、ということは言われていたんですよね。

「和菓子とは何なの?」

5代目:それはまぁ考えなさい、と言うことで、言われますね。

先代から伝えられていること

5代目:我々の商売、時代にも合わせていかないといかないので、変える部分もあるし、変えちゃいけない部分もある。それと「和菓子」っていうのを考えて、どこまで変えても大丈夫なのか、どういうふうな菊廼舎にしていきたいのか、それは考えなさいっていうのは、ずっと言われているものですから。これはなかなか答えが出ないので。

たぶんそれは、私5代目なんですけど、3代目、4代目それぞれ答えが違うと思うんですよ。

でもやっぱりそうやって継いで、今の私の代まで来ているものですから、やっぱり時代に合ってたんだなと。私もやっぱり後に引き継ぐために、そこはずっと考えていかなきゃいけないものだとは思っています。

先代に対してどう思うか?

5代目:先代はとにかくバイタリティがあるというか、すごいなと。私はどちらかというと安定というか、あんまり冒険はしたくないタイプなもんですから、堅実というか臆病というか、無理はしたくないな、というところがあるんですけれども、父はどんどん表に出て、いろんなところでお店も増やしていったり、大きくしてくれたので、そこはすごいなと思っています。

貢献 ~地域、業界との絆~

地域や業界との絆。長寿企業が行っている、地域貢献。そして、業界で行っている取り組み。そこに隠された想いとは。

石田:ところで今、菊廼舎さんで地域貢献活動、社会貢献活動などされていることはありますか?

井田:葛西に工場がありまして、葛西のそばに知的障害者の生徒さん預かってる学校があるんですけれども、そういう学校から依頼されて、職場の体験というか、社会貢献させてくださいっていうのが、年に何回かあるんですけど、そういうのは大いに、みんなでやれることはやっていこうよと。

世の中に少しでも、小さな会社だけれども、やれることはやろうということで受け入れてますし、その近所の学校さんにも、ちょうど4月くらいに新しい生徒さん入ったときには、紅白のおまんじゅう出してあげたりとか、和菓子屋でしか出来ない些細なことなんですけど、そういうことでも喜んでも頂いてね、ありがたいですよね。

朝岡:そういった地域のつながりとか、地域の人との交流みたいなものって言うのは、100年、それからずっと長く続いていくうえで、企業にとっては大事なことだとお考えですか?

井田:もちろんそうです。それがなくなっちゃったら、社会への貢献、っていうことがなくなっちゃったら、意味が無いですし、一番大事にしなきゃいけないなと思っているのは、社員ですよね。

社員がやっぱりハッピーな会社じゃなかったら、何のための会社なんだということですよね。だから、あまりできなかったけれども…小さな会社だから給料なんか、ささやかなものしか出せないんだけれども、やっぱり少しずつ、そういう、社員なんかも喜んでもらえるような会社にならないと、やっぱりお客さんにも喜んでもらえないですし、そういうのがやっと50過ぎてぐらいからわかってきましたね。

朝岡:やっぱり会社自体もね、長く続いていく中で出来上がっていく伝統があるけど、社長というお仕事も、ある程度の年代の積み重ねでお分かりになってくるってことも多いんですね。

井田:やっぱり、ある面では辛い面って、あるんですよ、孤独だし、決断しなきゃいけないこともあるし。それはね、それの判断ていうのがなかなか難しいしね、よく失敗もしました。でも、まぁなんとか会社も残ってるので、有り難いなと思って続けています。

石田:ところで、今、井田さん4代目と仰いましたけど、こう代々受け継がれている、例えば書物ですとか、何かあったりしますか?

井田:書物とかってのはないですけど、先代…先々代くらいが使っていたお菓子を作る木の型だとか、ああいうのは歴史の中で一生懸命代々伝わってきたものだなと思って、こういうのはやっぱり大事にしてますよね。

NEXT100 ~時代を超える術~

NEXT100 時代を超える術。革新を続け、100年先にも継承すべき、核となるものとは。4代目、井田常道が語る、次代へ届ける、長寿企業が持つ知恵とは。

石田:最後に、次の100年に向けて、変えるべきもの変えないもの、御社にとってコアになる部分、教えて頂けますでしょうか?

井田:私も若い頃から、和菓子を海外に紹介したいなという想いがずっとあったので、これは、今後も、グローバルな方向っていうのはあんまり変わらないでしょうし、外国のお客さんでも、やっぱり喜んでくれる方もいらっしゃいますし、少しずつ今広がっているな、と思うんですよね。

ありがたいのは、最近若い女の子、あるいは男の子が和菓子に興味持ってくれて、ウチの工場なんかに、「和菓子をやりたい」という人が増えてきたので、こういう部分はやっぱり継続して、100年へ向けて継続していけたら良いなと思います。

朝岡:まあ、これから100年経つと、菊廼舎さんの場合は200年企業になるんですけどね、100年先にいる後継者に言葉を今かけるとしたら、どんな言葉が胸の中に浮かんでいらっしゃいますか?

井田:やっぱり、お客さんも変わっていくんですけども、その変わっていくお客さんに、いつも喜びを与えられるような会社を作って欲しいし、それからお客さんの他に、一緒に働いている社員達を、やっぱり喜ばしてあげるような、そういう良い会社を継続して欲しいなと思います。

銀座菊廼舎4代目、井田常道。
和菓子のすばらしさを世界へ届けたい。時代が変化し、お客様が変わっていっても、作り手と共に、常に喜びを与えられる和菓子を作ってほしい。
最後に、文字アーティスト、平井省伍が、銀座菊廼舎4代目、井田常道の言葉から感じ取った想い、メッセージを書に綴る。
「心味」
気づきと喜びは続けていく中にある。
心安らぐ美味しいものは人の心を笑顔に変える。
さあ、喜びを分かち合おう。
「心味」
気づきと喜びは続けていく中にある。