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片倉工業 株式会社〜世界遺産「富岡製糸場」とシルクへの想い

片倉工業 株式会社
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、片倉工業15代目、佐野 公哉。
片倉工業は製糸を祖業とし、1873年に創業。
シルクを通して、日本の近代産業の発展に貢献。

社会情勢の変化とともに、140年以上もの歴史と伝統の中で培ってきた進取の精神のもと、製糸から派生した繊維事業、医薬品事業、機械関連事業、不動産事業、人々の暮らしに寄り添い、現在も多角的に事業展開している。
今回は、そんな片倉工業の15代目佐野 公哉の言葉から、事業継続の秘訣その裏に隠された物語に迫る!

石田:本日のゲストは片倉工業株式会社、代表取締役社長、佐野公哉さんです。宜しくお願い致します。

佐野:宜しくお願い致します。

朝岡:長い歴史のある片倉工業ですが、現在の事業の内容を簡単に教えていただけますか。

佐野:現在は、祖業の繊維と医薬品、機械関係、不動産、この事業に加えまして、新規の事業を加えています。

石田:佐野様は今、何代目でいらっしゃるんですか。

佐野:私は15代目の社長でございます。

朝岡:はあ~、15代目。

石田:そしてこちらに、片倉工業の製品をお持ちいただきました。ご説明いただけますか。

佐野:はい。数有る事業の中でもですね、特に当社の祖業に関係あるシルクの商品でございますが、プレミアシルクでございます。どうぞ、お手に取ってご覧ください。新ブランドの「Katakura Silk」でございます。

石田:すごい、柔らかいですねー。

佐野:当社のシルク製品で、毎日心地よく過ごしていただきたいということでございます。伝統的なシルクの良さを知っていただくということで、良いものを身につけて頂くことの気分の良さ、それからゴージャスな気分を感じて頂ければと思います。

朝岡:これね、日本の絹と言ったらね、昔は世界の最高級品でしたもんね。

佐野:国産のシルクでございますので、縫製も仕上げまで国内でやっております。

朝岡:高級品ですねー。

佐野:そして、こちらはスキンケア化粧品でございます。クレンジングクリーム、化粧品、オールインワンジェル、洗顔石鹸ですね。こちら、私共の研究所でミツバチを飼っておりまして、ミツバチの取ったハチミツ自体を使って、シルクの元々の成分である「セリシン」を原料といたしまして、ハチミツとセリシンを原料とした絹水という希少化粧品でございます。

石田:お名前からして凄く保湿力が高そうですよねー。

佐野:大変好評でございます、是非お試しください。

石田:そしてその他にも、不動産業ですとか、あと機械関連事業とかも出されてるんですよね。

佐野:不動産事業はですね、元々製糸工場を蚕種製造所に関連する事業所が全国にございましたので、その工場跡地を利用するということでですね、佐野:ショッピングモールですとか、佐野:介護施設等を運営しております。不動産事業の中でもっとも大きいところは、埼玉県のさいたま新都心の駅前にあります、コクーン、コクーンシティですね。

朝岡:あそこは片倉工業さんが。

佐野:はい、そうです。大宮製糸場の跡地になります。

朝岡:製糸工場の跡地だったんですか。

石田:それだけ広い敷地があったということですねー。

佐野:あとは機械関連のことなんですけど、元々製糸工場の中でですね、製糸機械、糸を紡ぐ機械を自社で生産しておりました。それをルーツに持ちます機械関連。中でも農業機械ですとか、消防自動車を作っています。消防自動車は、国内でもNO.2のシェアを誇っています。

朝岡:あら、消防車のシェアNO.2、知らなかったなー。

佐野:これもですね、やはり意外性があるんですけども、私供の製糸工場からの発生でございます。

石田:やー、ビックリですねー。

朝岡:生糸をね、作るという結びつき、それがまあもともとのアレですけれども、それが強みというのは改めて感じますかねえ。

佐野:そうですね、あの、それぞれの事業が製糸工場から派生した事業ですので、そういった点では全て身内のようなグループを形成しております。

石田:そしてですね、社長のゲン担ぎも、やはりシルクと伺ったのですが、今日も何か身につけていらっしゃいますか。

佐野:そうですね、少しお見せできませんけども上も下もシルクです。かつてはブランドライセンス業に力を入れていた時代もありまして、その時代はこの上から下までシューズまでのブランドを持っておりましたので、全部身に纏うものが自社の製品、ないしは自社のブランドでした。全部身にまとうものが自社の製品ないしは自社のブランドで身に着けれた。今はライセンス業を弱くしてますので、シルクの下着が私の勝負下着です(笑)

朝岡:勝負下着!これがねー、本当の洒落者はね、アンダーウェアに凝るといいますからね。

石田:その通りですよー

朝岡:なるほどー。意外だったなー。

ここからは、各テーマを元に、片倉工業15代目、佐野公哉の言葉から歴史と伝統の裏に隠された「物語」、
片倉工業が誇る「長寿企業の知恵」に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」
創業者の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯を、片倉工業の15代目、佐野 公哉(さの きみや)が語る。

石田:創業の精神ということでまずは片倉工業さんの歴史や現在に至るまでの経緯を伺えますでしょうか。

佐野:はい。1873年明治6年に長野県の諏訪郡川岸村、現在の岡谷市で10人取の座繰(ざぐり)という製糸を始めたわけです。これが明治5年ですから富岡製糸場が開業して翌年です。
それから1878年明治11年に6月、初代の片倉兼太郎が川岸村に洋式の器械製糸工場垣外工場を開設いたしました。明治28年には製糸事業の拡大に伴いまして片倉組を組織いたしました。同時に、東京京橋にも支店を開設することになります。
1919年、大正8年には朝鮮、現在の韓国の大邱に製糸工場を開設して、1924年大正13年にはニューヨークに支店を開設していくという形で世界に目を向けていったわけですね。
1928年、昭和3年には御法川式多条繰糸機という自動的に糸を引き上げてですね、絹糸を作っていくという機械を独占導入してですね、高級生糸の片倉ミノリカワ・ローシルクという、これが当初のブランドでしたけれども世界的評価を得るようになりまして昭和初期のピーク時には日本の輸出の約4割をシルクで占めて、そのうちの2割を片倉がシェアを持っていたということで、実績はトップだったと聞いております。

朝岡:戦前のね、戦前の日本の生糸ってのはね輸出品の柱でしたからねー。

佐野:はい。外貨獲得のためということで日本の産業の中心だったわけですね。

朝岡:大正時代から海外にこうやって支店を設けられているわけですけれども、そもそも絹というものに目を付けたっていうその先見の目っていうのはどのあたりにあったんですかね。

佐野:日本のシルクは江戸時代にはまだ製品が均一ではなかったわけです。そこで、まだ江戸時代には、(シルクは)輸入に頼っていました。中国とかヨーロッパの輸入に頼っていました。そこで明治時代になって輸出推奨策の一つとしてシルクが注目されて、国策としてフランスから技術者を招いて、それから富岡の製糸場が操業していくわけです。
富岡製糸場は、2014年に世界遺産になったわけですけども、富岡市に寄贈するまではですね、私共が66年富岡製糸場を保有しておりました。その66年のうちの後の18年は、工場の操業を停止してから保存管理だけになったわけですけれども、それ以前はですね、私共が最も長い期間富岡製糸場を本当の生糸を紡ぐ工場として使っていたわけですね。

朝岡:片倉工業は代々創業者一族の経営でやってらっしゃったのですか。

佐野:第二次世界大戦までは片倉一族が経営をしておりました。で、終戦と同時に財閥解体、で一族から離れてったわけですね。

石田:そんな片倉工業さんのですね、家訓や理念を伺えますでしょうか。

佐野:片倉家の家憲10か条というものがあります。

朝岡:家憲というのは家の憲法…

佐野:憲法ですね。

朝岡:それで「家憲」ですよね。10カ条は、もともとはその片倉家の家憲というのが10か条あるんですか。

佐野:ええ、10か条ございます。
でその家憲をですね、現在会社の中では家憲としては使っておりませんけれども、その中に重要なところが私の中でありまして、4番目にですね「家庭は質素に、事業は進取的たること」。第10番目に「雇人を優遇し、一家族をもってみること」。これらが私にとっても家憲の10か条の中でわたくしが重要視しているところでございます。

朝岡:これは実際働いている方々に浸透させるには何か工夫をしていらっしゃることはあるんですか?会社で。

佐野:一般的にやっていることと同じだと思いますが、社員手帳への掲載ですとか、各会議室の部屋への掲示ですとか、会議室にも当然ございます。社員向けのこういった小型の卓上カレンダーに、その理念を入れたカレンダーをみなさんに使っていただいたりですね。あと新しく新入社員で入社しますと富岡製糸場と私共シルク、熊谷にシルク記念館という施設があるんですけれども、当然それは入社したら見てもらうんですけど。片倉家の創業の地岡谷にですね、行って初代の生家を見てもらって、お掃除もしてもらって創業の精神に触れてもらうというところから会社に馴染んでもらいたいなと思っています。

朝岡:やっぱりこれだけ歴史が出てくるとね、そもそもどういう志と気持ちでね、仕事を始めたのかと。少し遠いところになりがちですからね、そこに新入社員の皆さん行って、創業の地へ行って実感してもらうということですか。

石田:実際に社員としてもう働いていらっしゃる方とコミュニケーション、これもいろいろ工夫なさっているとお聞きしましたが、何か具体的にやっていらっしゃることを教えていただいてもよろしいでしょうか。

佐野:ランチミーティングというのをやっていまして、これは先代の社長から引き継いでいるんですけれども。社員、課長以下の社員を絶対に4人か5人呼んで、普段持ってきているお弁当でいいんですけれども、会議室の一つをランチミーティング用の部屋といたしましてそちらで会議をしながら、皆さんの意見を聞きながら、私の想いを伝えながら、っていうことをやっています。そこで普段直接私と話をしていただけることはないんで、そういった点では直接話ができるということと、普段思っていることが、なかなか実現できないことでも直接社長に話せたということが大事にしていますので。そう言った点ではいい機会だなと思っています。

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