株式会社 岩波書店「低く暮らし高く思う」
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは、株式会社岩波書店代表取締役社長、岡本厚。岩波書店は1913年、岩波茂雄によって神田神保町に創業され、翌年に刊行した夏目漱石「こころ」を皮切りに活発な出版活動を展開。1927年には岩波文庫、1938年には岩波新書を創刊。そして1955年には後に国民的辞書と言われる「広辞苑」第一版を刊行。さらに「おさるのジョージ」や「星の王子さま」などの児童書から学術書まで、時代のニーズに応える総合出版社として電子辞書版「広辞苑」をはじめ、豊富なコンテンツの電子配信も積極的に展開している。今回はそんな岩波書店の7代目、岡本厚の言葉から、歴史の裏に隠された物語、長寿の知恵に迫る。
朝岡:本日のゲストは、株式会社岩波書店代表取締役社長、岡本厚さんです。よろしくお願い致します。
岡本:どうぞよろしくお願いします。
朝岡:私も含めて、子供の頃から今に至るまでお世話になっている本がいっぱいあるんですけども、改めて伺いますけど事業の内容というのは相当多岐にわたるんですか?
岡本:そうですね。岩波書店は総合出版社という風に言っておりますけども、元々は文芸書籍から始まったんですけども、どんどん広がっていきまして、そこにもありますが、文庫から新書から児童書から広辞苑、まあ辞書、それから雑誌ですね。もう色んな分野、ほとんど全てと言っていい分野ですね。
朝岡:ここに岩波書店の商品、ほんの一部なんですけどありますが、なんと言っても広辞苑。これもう日本の辞典の王様みたいなイメージがあるんですが、これはどのようにして始まったんですか?
岡本:戦前に「辞苑」という、広辞苑から広という字を除いた辞典があったんですが、戦後それを再編して、1955年に広辞苑第一版として出しまして、現在のところ六版まで出ています。
朝岡:それから子供向けというよりは大人が何度も読み返している「星の王子さま」。これも永遠のベストセラーというのかな。
岡本:これは内藤濯先生が訳したもので、翻訳の質という意味では非常に定評のあるものです。「星の王子さま」というのは、原題は「小さな王子さま」なんですね。Le Putit Princeというタイトルで。これを「星の王子さま」と訳したのがやはり内藤先生の、その後これがもの凄く沢山の人に読まれた一つの理由ではないかなという風に思います。
1962年に第一刷が出てますけど、もう半世紀以上愛されてるというのは、翻訳者の、子供達に、そして大人達にも広げたい、読んでほしいという願いが実現されたものだと思いますね。
朝岡:それから何と言っても会社の始まりとも関係してくる夏目漱石。夏目漱石はまた色々と全集も出て来てますよね?
岡本:漱石との関わりが岩波書店の出版社として出発した最初の礎なんですね。最初の出版物が漱石の「こころ」なんです。1913年。漱石が亡くなったのが、昨年100年ですが、1916年の12月ですね。
亡くなってすぐに、岩波茂雄が漱石全集を出さなきゃいけないということで準備を始めて、かなり大変だったと思いますけど、ちょうど1年後に最初の漱石全集を出したわけです。それがこれですね。一番新しいもので、昨年没後100年を記念して12月から出し始めました。新しい装丁で。この文字ですけども、漱石が「こころ」の単行本を出す時に、自分が装丁もやりたいと言って、こういうものを作ったんですね。
朝岡:じゃあこれは夏目漱石オリジナルの装丁?そうなんですか。この100年を超える歴史の中で、岡本さんは社長としては何代目にあたるんですか?
岡本:私は社長としては6代目なんですけども、創業者の岩波茂雄を入れると7代目ということになるんですね。戦後株式会社に変わって社長ということになるので、そうすると6代目ですね。
朝岡:岡本さんも少年時代、学生時代は岩波の本を読んで来たり愛着をもったりも多いんですか?
岡本:そうですね。だから入ったわけで。
朝岡:そうですよね。岩波愛が嵩じて、今社長ですもんね。
ここからはテーマをもとに岩波書店の代表、岡本の言葉から歴史と伝統の裏に隠された物語、岩波書店が誇る長寿の知恵に迫る。最初のテーマは「創業の精神」。岩波書店の創業から現在に至るまでの経緯、そして先代達から継承されている想いとは。
朝岡:まず岩波書店さんの創業の経緯を教えて頂きたいんですけども。
岡本:1913年に岩波茂雄が創業しました。もともと岩波さんは信州の出身で、女学校の先生を短期間やっておりました。しかしある時、自分が教えるとなると子供達を損なうものであると考えたんですね。そこで、そうでない仕事はないかということで、神田神保町にまずは古本屋として創業されたんです。
普通古本屋はお客さんとの交渉で大体値段を下げる。それが古本屋さんの習慣だったわけですが、岩波茂雄は正価販売。これは自分としてはこの値段で売るんだと。交渉によって下げたりはしない。この本の価値はいくらであると。それが自分の信念であるということで、まわりからはそんなんじゃ通用しないよと言われたんですけども、結果的にはそれが一種の信用を生んで、色んなところから大量の注文が来たり、そういうこともあって、逆に正価販売というのが段々広がっていったということなんですね。
出版社としての岩波書店は、当時大変な流行作家であった夏目漱石との信頼関係といいますか、それが岩波書店の出版社としての始まりなんです。たぶん安倍能成という方が漱石のところに岩波茂雄を連れて行って、まずは岩波書店の看板の題字をぜひ書いてくださいと。かなり図々しいかもしれませんけどね。
それで漱石がいいよと言って。岩波書店の看板のもとの書は漱石が書いたものなんですね。そのうえで当時若かった茂雄に対して、漱石も何かこの若者は見所があるな、この男は何か信用が出来るなと思ったんだと思います。
「こころ」というのは今多くの人に読まれていますし、岩波でも最初の初版から現在までずっと出していますけども、朝日新聞に連載されていたものですね。それを是非うちで出させてくださいということで。それが非常に多くの人に手に取ってもらったというのが岩波書店の全ての始まりなんですね。
朝岡:若き岩波茂雄を当時の大流行作家の夏目漱石との繋がり。これが岩波書店の創業の大きな力になっているということですね。100年をこえる企業ですと、よく家訓とか、創業以来の理念とかがありますが、岩波書店さんはありますか?
岡本:それは特にないですが、岩波茂雄が非常に良く言っていたのは、「低く暮らし高く思う」。つまり暮らしは質素でいい。しかし思いは非常に大きな高いものを思って、暮らしていかなきゃいけない。それが大きな理念だったと思います。
あとここにもありますが、「種まく人」。ミレーですね。これがひとつの理念で、文化の配達人、つまり文化の種をまくんだと。我々は文化の種をまくことで社会を良いものにしていこう。人々の生活を豊かにしていこう。
それがこの会社のマークでもあるし、岩波書店の100年を貫く理念、精神であったと言えるかもしれませんね。
創業者岩波茂雄の思いである「低く暮らし高く思う」。それは岩波書店の企業ロゴにも願い、理念として反映され、出版している書籍を通し、世の中に届けられている。
朝岡:そういう理念というか思いはどういう風に社員に受け継がせてきたんですか?
岡本:それは世代を継いで先輩社員が後輩社員に色んなものを伝えていく。その中で自分の仕事のやり方だとか、こういうことはやっちゃいけないよとか、ここはこうあるべきじゃないかとか、そういう形で繋がってきてるんじゃないかなと思います。
戦争を煽るものとか、差別を煽るようなものはやっちゃいけないと言っています。そうでないもの、逆に世界を暮らしやすく、人生をより豊かにするものを是非出してほしいと言いますけども。その二つですね。
会社というより私のポリシーかもしれませんけども、それも受け継いできたものを僕が言葉にしただけなので、精神は変わらないと思います。
決断 ~ターニングポイント~
2つ目のテーマは「決断」〜ターニングポイント〜。160年以上の歴史を誇る岩波書店のターニングポイントとは?
朝岡:会社自身にとってのターニングポイントはどのあたりでしたか?
岡本:危機ということで言えば、戦争中。言論統制が厳しくて。かつ岩波茂雄は中国に対する戦争は絶対反対だと言い続けてきたんですね。そういう中で当時の政権からはにらまれたり。例えば横浜事件という非常に有名な、戦争末期になりますけども、出版弾圧事件がありまして、社の幹部だった小林勇が捕まってだいぶひどい目にあったようですね。
その時に検事からは「岩波のようなものは潰してしまうぞ」というようなことを言われたと聞いております。非常に出版社として危機だったんじゃないかと思いますね。
朝岡:戦争も末期になると、本を売る事自体が非常に厳しい環境というか、本なんて読んでる暇はないだろうという時代になるので、それだけでも危機的状況だったと思いますが。
岡本:出版法違反ということで、津田左右吉という有名な国文学者が書いたものが天皇に対する侮辱だということで、法廷に引きずり出されたこともあって、その時に岩波茂雄も同じ法廷に立たされたんですね。
その時に法廷で岩波茂雄が言ったのは「自分は資本論も出すが松陰全集も出すんだ」と。つまり右から左まで。これは読者が読むに足りるもの、読まなきゃいけないもの、読んで色々考える必要があるもの、これを出すんだと。
自分はイデオロギーでマルクス主義を宣伝しようとしてるんでもないし、松陰のことを褒めるつもりもない。読むに足るものを出す。これが出版社としての価値の中核なんだということを述べたんですね。それは彼の本音だったんだと思います。法廷でうまい口を利いたわけじゃなくて、実際にそういうことを彼はやってきたんですね。
どうやって危機を乗り越えたかといえば、ひとつは出版人としての確信というか信念、それがあったということが大きいと思います。
もう一つは学徒出陣で学生たちも兵隊で出てったわけですけど、その時に岩波文庫を求めていったんですよ。我々ももしそういう状態になった時に、どういう本を読むだろうかと考えたときに、あまりどうでもいい本は選ばないと思うんですね。自分を見つめ直したりする本を選ぶんじゃないか。学生達もそれを持って行った。当時紙は配給になったんですが、陸軍は岩波書店のために紙を提供しなければいけなくなった。
何千冊か軍が買い取ったということも聞いていますけども。そういう危機的な社会的状況の中で読まれる本。もしかしたら明日死ぬかもしれない人が読みたいと思う本を出していたということが岩波書店を救ったといいますか、存続させたんだと思いますね。
続いては現在岩波書店の代表をつとめる岡本厚自身にとってのターニングポイント、そこに隠された思いに迫る。
朝岡:岡本社長にとってのターニングポイントはどこですか?
岡本:私は1977年に岩波に入社したんですね。何故岩波を選んだかと言いますと、早稲田の学生だったんですが、その頃ちょうど韓国の民主化運動があって、金大中さんが東京で拉致された事件、若い人は知らないと思いますけども。これは何なんだ、隣の国で何が起きてるんだと思った時に、「世界」という岩波書店が出していた月刊誌に韓国のことが非常に出ていて、こういう事が起きてるのかと思ったことが、岩波書店に入ろうと思った動機のひとつになったんですね。
「世界」という雑誌に入社してからすぐ配属になって、ずっと、何年だろう、編集長だけでも16年やっていたので。そういう意味では岩波書店に入ってずっと「世界」一筋というのがこれまでの経過だったので。そういう意味ではターニングポイントは社長になった時じゃないですかね。
非常に大きな転換だったと思います。あまり雑誌をやっている時は経営のことは考えないじゃないですか。本当は考えなくちゃいけないんだけども。雑誌をどうやってつくるかというところに全力を挙げてるので。
その後社長になった時に、総合出版社、あらゆるものを出しているわけですから、それをもう一回自分の中で勉強しなおすというか。「世界」とは何かというのをずっと考えていたわけだけど、岩波書店とは何かというのをもう一回反芻して、自分の中で一つ一つ納得していくというんですかね。
朝岡:「世界」を読んで世界が広がったという。それで岩波書店に入ったのが最初のターニングポイントですね。
岡本:入りたいといっても、いらないと言われたかもしれないですからね。
朝岡:今度は社長におなりになって、いよいよ会社の世界も知らなきゃいけない。「世界」というのはそれだけ岡本さんにとって大きな存在だったんですね。
出版不況と言われている現代は、岩波書店のみならず、業界にとってのターニングポイントと言える。そんな出版社にとっての商品は雑誌や書籍。それらを実際に書店などで購入するのは読者である。果たして岩波書店で代表をつとめる岡本厚にとって読者とは一体どのような存在なのだろうか?
朝岡:岡本さんにとって読者という存在はどのように受け止めてらっしゃいます?
岡本:私自身も一人の読者ですよね。読者の中で色んな作用を引き起こす中で、初めて色んなものが完結するという意味で言うと、読者というのは非常に大事なものだと思います。
ビジネスの相手としての読者ではなくて、我々の事業そのものが、読者の中で初めて完結するというか。色んなものを生み出していく。もしかしたら著者の思いを超えるものが読者の中で生まれるかもしれない。新しい思想や哲学、新しいものが読者の中から生まれるかもしれない。
そういう意味ではもの凄く大切な存在だと思いますね。
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
3つ目のテーマは「言魂」心に刻む言葉と想い。強い思いと信念が込められた言葉には魂が宿り、一人の人間の人生に大きな影響を及ぼす。岡本厚が先代、家族から受けとった思い。そして現在自らの胸に刻む言葉とは。
朝岡:職業柄色んな言葉に出会うと思いますが、自分の心の中で生きている言葉があれば伺いたいのですが。
岡本:私が印象に残っているのは、学生時代に影響を受けた「世界」の編集長で、後に社長にもなられた安江涼介さんという方がおられて、10年以上一緒に仕事しました。
非常に影響を受けました。「人間は必ず死ぬんだよ」と。死ぬ前にああいうことをやっておけばよかったな、「世界」でこういうことを何で自分はやらなかったのかなと思わないようにしようじゃないかという。
売れれば良いとか、ちょっとした言葉をもてあそぶような形でウケようとか、そういうことじゃなくて、例えその場でみんなにわかってもらえなくても、ある時点で本当の事がわかるようなものをちゃんと出していくべきじゃないか。命をかけて作ろうということがありましたので。それに影響を受けたと思いますね。
朝岡:死ぬ時に後悔しないようにしようと。普通の言葉なんですけどね。
岡本:そうだと思いますね。ただ、今まさにポストトゥルースとか、ポストファクツとか、事実なんかどうでもいいじゃないかという言葉。トランプさんなんかが言ってますよね。そんなバカな話はないわけで。
まさに岩波茂雄さんから安江さんから私に至るまで、その真逆をやらなきゃいかんと。言葉の真実を信じて、それを出していこうということじゃないかなと思いますけどね。
朝岡:「言葉の真実」も言霊のようなものかもしれませんね。今社長ご自身が心に刻んでいることはどんなことがあります?
岡本:「世界」を創刊した1946年1月、戦争が終わった直後だったんですけども、その時に岩波茂雄がどんなことを言ったかというと、自分は戦争に反対であったと。三国同盟も反対だった。国際連盟脱退も反対だったと。
しかし私はそれを言うには言ったけれども、本当に真剣にそれに反対しなかった。だからこんなひどい戦争になって、多くの友人達、子供達が死んでしまったと。若い学徒達が特攻隊で敵艦に体当たりするような勇気を持って自分は戦争に反対しただろうか?と。我々老人が死をかけて反対しなかったからこんなひどい戦争をしてしまったんだと。
それを反省して二度とこのようなことを繰り返してはいけない。これが次の原点だと彼は言ったんですね。それは「創刊の辞」というのがあって、「世界」の一番最初の本当に薄い、紙もボロボロなんですけど、そこに書かれているのはそういうことで。こんな激しい魂の言葉をもって彼はこの雑誌を創刊したんだなと。
自分は本当に死をもって戦争に反対しなかった。それの一種の後悔の気持ちというのは私の中で刻まれているものですね。
NEXT100 ~時代を超える術~
最後のテーマは「NEXT100年」〜時代を超える術〜。革新を続け、100年先にも継承すべき核となるものとはいったい。そして変えるべきもの。岩波書店に求められる変革とは。
朝岡:岩波書店さんにとって、守るべきもの、変えるべきものとは?
岡本:我々の事業は本ですよね。なので本とは何かを考えるんですよね。若い頃は色んな本を読むのが当たり前で、友人達とも本の話をする時代でしたが、それが段々変わってきた。なかなか若い人たちが本を手に取らなくなってきている。
じゃあ本ってなんなんだろう。本というのはずっとあり得るんだろうか?出版業界で言えば年々売り上げが下がっているんですね。
じゃあ本というのはこれからも読まれるんだろうかというのを我々としても考えるんですね。でも先ほど言霊という話もありましたが、人間の中の色んな経験や考えを伝えたいとか表現したいとかいうことは必ず残るだろうと思いますね。
何か引き継ごうとすれば140字じゃ無理なので、必ずまとまった言葉が必要になってきます。となったら本は残るだろうと思います。どういう形態であれ。人間社会をつくるひとつの土台だと思うんですね。
一人一人の人生の価値をつくる上でも土台になりますし。社会というのはどういう価値を大事にするかとか、優先順位をどうするかというところに成り立ってるわけですよね。
それを表現するのも言葉であるし本であるというのであるならば、私は残っていくと思います。これは確信であって。だとしたら事業としてそれがどう成り立つのかというところを考えていて。そこには変化の部分があると思うんです。内容は精神は貫く。だけどどういう形態でそれを出すかというのは、もう少し考える余地はあると思いますね。
朝岡:昔ながらの本という形が続くかはわからないけども、その中身というか大事なところは形を変え、これからも王道として、文庫や新書を生み出した岩波としてはその器を模索中ということですね。
岡本:電子も良い所もあるけども欠点もあるんですね。冊子体も重いとか時間に縛られるとかもちろんあるんです。本は自分から積極的に動かないとダメなんですね。
テレビみたいに見てれば向こうから発信してくれるんじゃなくて、考えながら読む、場合によっては元に戻りながらまた読む。一種の積極性がないと本当のものは掴めない世界なんです。
でも器が違っても同じものは入ってくるんじゃないかと思うんです。だとするならばどういう器が良いのか。アメリカなんかでも電子が下がって紙がまた売れ始めてるというのもあって、紙の良さ、ページをめくることの良さ、これがまた復活している気がします。
朝岡:科学技術だと進歩という言葉で捉えられますけども、出版社だと売れるものだとか活字だとかとは別に、知性を種まく部分があって、技術だけでは計り知れない部分がありますもんね。
岡本:そう思います。ある意味人間の全てが入っていると思うんです。
昔のギリシャ時代やローマ時代のものも読める。数千年前の仏教のものも読める。あるいは遠くサハラ砂漠に住む人がどういう事を考えているかも読める。そういうものって他にあまりないと思いますね。
テレビだろうと映画だろうと、その中から出来ているんですよ。テレビの人も映画の人ももの凄く本読んでますもんね。そういう意味で言うと、本は知の基盤であって、これが崩れると人間社会全体が危うい。基盤が崩れていくんじゃないかなと思います。