鳥料理 玉ひで
1760年(宝暦10年)創業

創業250余年。「軍鶏鍋」や「親子丼」など軍鶏料理の老舗

江戸時代から伝わる、醤油と味醂の割下でいただく軍鶏のすき焼き「軍鶏鍋」。
徳川将軍家に仕えていた初代の、大飢饉のため割下に砂糖を使わないで作った製法は、現代まで継承されている。
「軍鶏鍋」がベースの玉ひでが発祥とされる自慢の「親子丼」。
古き良き時代のメニューを時代に合わせた形で、伝統的な食を次世代に継承し続けている。

代表紹介

代表取締役
8代目 山田 耕之亮(やまだ こうのすけ)

1983年 法政大学社会学部応用経済学科を卒業した後
日本料理店での修行を経て、「玉ひで」に入社。

1998年 8代目を継承。

老舗の味と技を守るとともに、明治期の復刻版メニューや
サークルKサンクスとのコンビニ弁当の共同開発など
新たな挑戦にも取り組んでいる。

玉ひでの歴史

1760年(宝暦10年)
山田鐡右衛門が27歳の時、妻のたまと江戸日本橋和泉町にて創業。
1852年(嘉永5年)
名物店番付『江戸五高昇薫』内(軍鶏鍋部門)に江戸屈指の鳥料理店5店の一つとして紹介される。
1897年(明治30年)頃
山田秀吉が5代目を継承する。この頃より、「玉秀(たまひで)」と呼ばれ始める。
1898年(明治31年)
毎日新聞が料理店の人気投票番付の記事で「玉鑯」を「玉秀」と記載し、これ以降「玉秀」の名が広まる。
太平洋戦争末期
6代目・衷二郎のとき、戦中の強制疎開や政令等により、営業中止を余儀なくされる。
1949年(昭和24年)
戦災復興後、佃煮屋の2階に仮店舗を設けて営業を再開する。
1956年(昭和31年)
旧地に復して本店舗を構え、営業を開始。
1998年(平成10年)
7代目が亡くなり、耕之亮が8代目として継承
2006年(平成18年)
8代目のプロデュースする鶏料理専門店「とり五鐵(とりごてつ)」が名古屋に開店創業。
2010年(平成22年)
8代目が当店史上初めてコンビニエンスストア(サークルKサンクス)との商品共同開発に着手。
2010年(平成22年)
羽田空港新国際線ターミナルに初の支店もオープン。
2010年(平成22年)
創業250年を迎える。
企業情報:
鳥料理 玉ひで / 東京都中央区日本橋人形町1丁目17−10 /  03-3668-7651
公式ホームページ:
http://www.tamahide.co.jp/

玉ひでの「知恵」

「創業の精神」~家訓や理念誕生の経緯~

“オリジナル”が“スタンダード”へ
全ては軍鶏鍋から始まった・・・

江戸時代より軍鶏のすき焼き鍋を提供し続けること250年余。
代々思想の異なりはあったが
玉ひでを守り続けることは、一致する想いであった。

長い歴史の中で生まれた物語、玉ひでの創業の精神に迫る。

「決断」~ターニングポイント~

軍鶏肉で親子丼を作りたい・・・
玉ひでに課せられた使命は“日本の鶏肉の地位向上”

玉ひでの料理の要である軍鶏肉。
戦後軍闘鶏の禁止により軍鶏肉が激減し、全く手に入らなくなった。

軍鶏料理専門店の玉ひでは
いかにしてこの危機を乗り越え今日に至ったのか!?

玉ひでのターニングポイントに迫る!!

「言魂」~心に刻む言葉と想い~

祖父から隔世遺伝された
美味しい鶏肉を「美味しい」と感じる舌

幼い頃に鶏肉を食べることができなかった8代目山田氏。
そこには祖父の想いが通じるからくりがあった。

鶏肉を通じて生まれた孫、そして子に対する愛の重なりは
まるでドラマのようなストーリーを生む・・・

「NEXT100」~時代を超える術~

「変わらないように、変えていく」

流行りの味が移り変わっても
お客様に「また食べに来たい」と思ってもらえるものを常に提供したい。

玉ひでにとって100年先にも変わらない核となるもの。
そして、後継者への想いとは?

写真でみる玉ひで