片倉工業 株式会社
1873年(明治6年)創業
製糸業で培った精神で多角経営
1873年、製糸を祖業としてスタートした片倉工業は、シルクを通して日本の近代産業の発展に貢献。
現在、社会情勢の変化とともに、140年以上もの間に培ってきた進取の精神のもと
人々の暮らしに寄り添いつつ、豊かな社会の実現を目指して多角的に事業展開している。
代表紹介
代表取締役社長
15代目 佐野 公哉(さの きみや)
山梨県立日川高等学校、明治大学農学部を卒業後、
1977年に片倉工業へ入社。
2008年 総務部長
2010年 小売事業部長、同年執行役員小売事業部長
2011年 執行役員経理部長
2013年 常務取締役を経て
2015年 代表取締役社長に就任する。

片倉工業の歴史
- 1873年(明治6年)
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片倉市助、長野県諏訪郡川岸村(現岡谷市)で10人取の座繰(ざぐり)製糸を開始
- 1920年(大正9年)
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片倉組の事業を継承し、片倉製糸紡績株式会社を設立。本社を東京京橋に移す
- 1922年(大正11年)
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東京株式取引所清算市場に上場
- 1924年(大正13年)
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ニューヨーク出張所を開設。直輸出を本格的に開始(生糸出荷量は横浜港の25%を占める)
- 1939年(昭和14年)
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旧官営富岡製糸場(株式会社富岡製糸所)を合併
- 1943年(昭和18年)
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「片倉工業株式会社」に社名変更
- 1949年(昭和24年)
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東京証券取引所第一部に上場、前後して大阪・名古屋取引所に上場
- 1987年(昭和62年)
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富岡工場(旧官営富岡製糸場)を休止
- 1994年(平成6年)
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最後の製糸工場熊谷工場を休止、蚕糸業121年の幕を閉じる
- 2005年(平成17年)
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富岡工場(旧官営富岡製糸場)建物等を富岡市に寄付
- 2006年(平成18年)
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旧官営富岡製糸場が重要文化財に指定
- 企業情報:
- 片倉工業 株式会社 / 東京都中央区明石町6-4ニチレイ明石町ビル / 03-6832-1920
- 公式ホームページ:
- http://www.katakura.co.jp/
片倉工業の「知恵」
「創業の精神」~家訓や理念誕生の経緯~
片倉工業と世界遺産「富岡製糸場」が歩んだ歴史
1939年から2005年までの66年間
片倉工業は富岡製糸場の民間最後のオーナーを務めた。
富岡製糸場の操業が停止した後も、18年間、守り続けた片倉家。
「世界の多くの人に良質の生糸を」という強い思いを持ち、
一部の特権階級のものであったシルクを世界中の人の手に
届け続けるまでに至った片倉工業の歴史・創業の精神に迫る。
「決断」~ターニングポイント~
化学繊維の登場を乗り越えるための
第二の創業期、経営の多角化
戦後にアメリカで発明された「ナイロン」の工業化。
化学繊維の登場で、繊維事業は経営の多角化を余儀なくされる。
原点はシルクの工場とし、時代に合わせた事業への進化。
進取果敢な精神を家憲に挙げる片倉工業が如何にして
起こる危機を乗り越えて来たのか。
片倉工業のターニングポイントに迫る!!
「言魂」~心に刻む言葉と想い~
自分の生き方、会社の生き方
ぶれないで貫き続ける「進取果敢」
突然の社長への指名は思ってもみないことだった。
「一つ一つ与えられる任務をこなす連続で
自分に与えられる使命を理解して勤め上げ、成果を出していくだけ」
と語る佐野氏に響いた言霊とは・・・?
「貢献」~地域、業界との絆~
広大な土地を活用して造られた施設
「コクーンシティ」
埼玉県さいたま市のさいたま新都心駅前に建つ「コクーンシティ」
地域の歴史とともに工場が歩んできた土地だからこそ
施設を通じて地域に貢献する。
広大な製糸工場の跡地に建てられた施設で行われる
片倉工場の地域とのかかわりや取り組みとは?!
「伝燈」~受け継がれる伝統~
工場ごと威信をかけてつくられた商標
日本の輸出製品の看板を示す片倉工業の商標。
時代に合わせてデザインされた商標は
デザインの歴史としても非常に興味深い。
商標に込められた想い、受け継がれる伝統とは...
「NEXT100」~時代を超える術~
「信義誠実」「親和協力」
そして「シルク」への想い
創業250年を視野に入れる時代には
創業以来掲げる二つの言葉をもって持続的な最長を続けたい。
「信義誠実」「親和協力」
その言葉に込められた想い、片倉工業のNEXT100に迫る。