合資会社 一條旅舘
1560年(永禄3年)創業
個室料亭で「森の晩餐」をいただく美食の宿
宮城県に佇む創業約600年を誇る老舗旅館。湯治場として栄えた旅館を建物はそのままに、現代の生活スタイルを取り入れ
国の登録有形文化財となった木造本館を個室料亭として活用し、客室部分は露天風呂付き客室のスイートルームから
リピーターに人気の和室まで8種類を用意している。訪れる人々の旅行が最高の思い出になるよう心を込めた接客、
優しい泉質の「薬湯」や入浴後は肌がつるつるになるといわれる「洞窟の湯」など3種の温泉、特別な空間で特別な人と特別な時間を
叶える料理より、大手旅行会社などのカスタマー評価も高い。海外から訪れる人々より言われる
『Old is Beautiful』という言葉のように、時流に流されることなく歴史ある旅館を守り続けている。
代表紹介
代表社員
20代目 一條 一平(いちじょう いっぺい)
専門学校日本ホテルスクール卒業
1989年 ホテルワトソン入社 フロント勤務
1996年 ホテルインターコンチネンタル東京ベイ入社
フロント・コンシェルジュ勤務
1999年 合資会社一條旅舘入社 常務
2003年 合資会社一條旅舘 代表社員就任
2014年 一平に改名
一般財団法人日本ホテル教育センター評議員、宮城県ホテル旅館生活衛生同業組合常任理事、仙南信用金庫総代、宮城県観光推進協議会監事
宮城県白石市長山田裕一後援会会長などを務める

湯主一條の歴史
- 1560年(永禄3年)
- 初代一條長吉(俗称:市兵衛)が鎌先温泉に居を構える
- 1891年(明治24年)
- 旅館業就業
- 1905年(明治38年)
- 一條一平(16代目)宮城県福岡村村長2期
- 1915年(大正4年)
- 一條一平(17代目)宮城県福岡村村長2期
- 1925年(大正14年)
- 帳場棟完成(現在も事務所として利用)
- 1928年(昭和3年)
- 合資会社一條旅舘設立
- 1941年(昭和16年)
- 木造一部4階建(湯治棟)完成 (現在は個室料亭として利用)
- 1942年(昭和17年)
- 一條一平(18代目)宮城県福岡村村長1期
- 2003年(平成15年)
- 19代目一條一平死去により一條達也へ世代交代
- 2004年(平成16年)
- 木造本館の一部を個室料亭へ改装
- 2008年(平成20年)
- 全館総リニューアル
- 2014年(平成26年)
- 20代目一條一平に改名(襲名)
- 2016年(平成28年)
- 木造本館2棟、土蔵が国の登録有形文化財に指定
- 企業情報:
- 合資会社 一條旅舘(時音の宿 湯主一條) / 宮城県白石市福岡蔵本字鎌先1-48 / 0224-26-2151
- 公式ホームページ:
- https://www.ichijoh.co.jp/
湯主一條の「知恵」
「創業の精神」~家訓や理念誕生の経緯~
旅人の足音が聞こえる宿
坂を上ると目の前には木造の建物が・・・
その建物は、現在、国の有形文化財に指定されている。
旅館という形の接客を重んじながらも、
元ホテルマンの一條氏だからこそ行き届く
社員、お客様への想いがあった。
会社の理念を浸透させるべく行った‟ひと手間加える工夫”とは?
「決断」~ターニングポイント~
なぜ湯主一條は‟休業”という選択をしたのか
東日本大震災発生時、
宮城県に宿を構える湯主一條も甚大な被害を受けた。
周囲の予想に反し一條氏が下した決断は、
大きな反感を生んだ・・・
そこには‟一流の接客”を重んじる一條氏の強い決意があった。
「言魂」~心に刻む言葉と想い~
「想像=創造」
自分が想い描いたことは、
行動することによって形創られる。
一條氏のに胸に刻む言葉は、
自身の人生のテーマへと繋がっている。
言葉の中に隠された想い、物語に迫る!
「貢献」~地域、業界との絆~
鎌先を昔に戻し、地域の将来を見つめる
鎌先の地で、歴史を重ねている湯主一條。
「地域への愛情がなければ、
この土地に戻るという決断はしなかった」と語る一條氏。
湯主一條にとっての地域貢献とは?
「NEXT100」~時代を超える術~
トップとは、
その道のプロフェッショナルである必要がある
良いことばかりではなく、辛いこともある。
常に同じ動きをしない‟時”の流れの中で、
一條氏が語る、湯主一條にとっての核とは?
そして、次代へ届けるの想いとは!?