株式会社榮太樓總本鋪
1818年(文政元年)創業

頑固に守る、榮太樓の三角飴

「お客様には見えなくとも、手作りにこだわること」を信条に、
本物のおいしさを追求し、200年以上の歴史と信用のもと、辿り着いた境地。

「老舗」という言葉は、長い年月の中でお客様の方から
「あの店は信頼、信用できる店だ」という評価を頂いてもらえる言葉である。

代表紹介

相談役
6代目 細田 安兵衛

1927年 東京都中央区日本橋一丁目生まれ
1950年 慶應義塾大学経済学部 卒業
     株式会社榮太樓總本鋪 入社
1972年 代表取締役社長に就任
1995年 代表取締役会長に就任
2000年 相談役に就任 現在に至る

〈現在の要職〉
東京都及び全国和菓子協会名誉顧問
東京都及び全国観光土産品連盟顧問特別顧問
東京都及び全国観光土産品公正取引協議会特別顧問
東京商工会議所名誉議員
茶道宗遍流時習軒十一世家元
(社)日本橋倶楽部相談役、名橋「日本橋」保存会副会長 他
地元日本橋関係各種団体役員を歴任している

1994年  藍綬褒章受章
1999年 勲四等瑞宝章受章
2012年 東京都中央区名誉区民
著書『江戸っ子菓子屋のおつまみ噺』(慶應義塾大学出版会刊)

榮太樓總本鋪の歴史

1818年(文政元年)
埼玉県飯能で菓子商をしていた細田安兵衛が2人の孫を連れて江戸(九段坂)に出府
1857年(安政4年)
旧名日本橋西河岸町に独立の店舗を構え、屋号を「榮太棲」と改めた
1854年~1860年(安政年間)
「梅ぼ志飴」創製
1861年~1864年(文久年間)
甘納豆の元祖である「甘名納糖」 創製
1868年~(明治初期)
「玉だれ」、「黒飴」を創製
1877年(明治10年)
第一回内国勧業博覧会で「甘名納糖」が優等賞受賞
1885年(明治18年)
イギリス・ロンドンのサウスケンジントンで開催された「万国発明品博覧会」に参加、出品
1945年(昭和20年)
東京大空襲で日本橋店舗・工場が焼失
1951年(昭和26年)
東横のれん街設立、百貨店市場に初出店
1962年(昭和37年)
日本橋に栄太楼ビルを竣工
1974年(昭和49年)
「はーいえいたろうです」でお馴染み「みつ豆」テレビCM開始
2009年(平成21年)
オンラインショップ「楽天市場」オープン
2010年(平成22年)
「のど飴」発売

榮太樓總本鋪の「知恵」

Story 特別編
江戸の生き字引~伝承者の使命~
細田 安兵衛
予告

老舗企業とのご縁が深い東京日本橋の地において、「安兵衛氏なくして、老舗を語ることはできない」と多くの方に助言をいただき、たくさんのご縁とご協力のもと、榮太樓總本鋪6代目 細田安兵衛氏の取材が実現しました。
取材をさせていただいた2018年は、榮太樓總本鋪が創業200年を数えた記念すべき年であり、私どものプロジェクトに賛同いただいた皆様より、平成の終わりにふさわしい、素晴らしいお声をたくさん頂戴しました。本映像を通じて、日本橋の歴史やそこに生きる人々の想いが次代へと繋がっていくことを切に願います。

【第1部】

「最後の大旦那・6代目細田安兵衛の歩み」

榮太樓總本鋪6代目細田安兵衛。東京都中央区名誉区民であり、東都のれん会会長など、数々の要職を歴任する男の生き様を、日本橋ゆかりの方々の声と共に探る。
榮太樓の暖簾を継ぎ、託すまでの想いを、本人と証言者たちのインタビューから紐解いていく。

【第2部】

「日本橋への誇りと愛情、そこに宿るDNA」

日本の交通の要所、日本橋。江戸時代には水上交通の要所であり、市場を抱えていた街並みは、平成の再開発により、新しい街並みへと生まれ変わった。建物は新しく、新たに人々の集う街と変化した日本橋への誇りと愛情。日本橋とともに生き続けるDNAとは。

【第3部】

「唯一無二の集い・東都のれん会」

他の地域に類を見ない、『三代、100年、同業で継続し、現在も盛業』という加盟店50店弱の「東都のれん会」。東京が戦災の荒廃から立ち直ろうとしていた1951年(昭和26年)に発足。現在会長を務める細田安兵衛と同志たちが語る「のれん仲間への想い」と「果たすべき役割」とは。

【第4部】

「日本橋の商人として、次代へ繋ぐもの」

商売の形、物流の形は、昭和から平成の時代に大きな変化を遂げ続けてきた。日本橋の街並みも再開発が進み、街を訪れる人々、客層にも変化が見られる。激動の時代の中、私たちは何を守り、何を変えていかなければならないのか。細田安兵衛が次代へと遺したい知恵と想いに迫る。

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