株式会社今朝 店自体が「すき焼博物館」
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは株式会社 今朝5代目代表 藤森朗
1880年(明治13年)に、すき焼専門店として創業した今朝は5代にわたり口溶(くちど)けの良い最高級黒毛和牛(さいこうきゅうくろげわぎゅう)の「松阪牛(まつさかうし)」を中心に板前が一枚一枚包丁で切り分け、今朝秘伝の割下(ひでんのわりした)に根深(ねぶか)の白い千寿葱(せんのひさしねぎ)、椎茸、焼豆腐など吟味したザク(野菜)や玉子を使用して、東京のすき焼の味を守り続けている・・・。
今回は、そんな今朝の5代目・藤森朗の言葉から日本が世界に誇る「すき焼き」への「想い」と「こだわり」創業から続く伝統を守っていく中で、当時の代表達が下した決断その裏にかくされた物語を紐解き、長寿企業の持つ「知恵」の真髄に迫る!
石田:今回のゲストは株式会社今朝、代表取締役社長、藤森朗さんです。
宜しくお願い致します。
藤森:よろしくお願いいたします。
朝岡:ようこそ。最初にこの番組は会社の事業内容を聞くことになっているんですけど(笑)
今さら今朝さんに事業内容を聞くのも何でございますけど。すき焼き、お肉の内容に関してはプロフェッショナル、こういう事業内容でよろしいでしょうか?
藤森:はい。あと私どもビルで営業してまして、上の階は事務所で不動産業もしております。
石田:藤森さんは今何代目でいらっしゃるんですか?
藤森:私で5代目です。
朝岡:なんて言ったって見てくださいよ、この鹿鳴館かな?!という。
石田:(笑)ほんとに。新島襄かな、と思ってしまいました。
朝岡:新島襄なんて言うとちょっと渋いですけど(笑)
石田:いやいやいや(笑)もうファンなんですけど。
朝岡:やっぱり老舗企業の代表という形で普段からこういう…おしゃれがお好きなんでしょうか。
藤森:そうですね、はい。髭を生やしてから、髭に合わせたちゃんとした格好をしようというのはしております。
朝岡:髭もね、いろんな髭もありますけど、藤森さんの髭はね上のほうがカイゼル髭っぽいですよね。
藤森:そうですね。
朝岡:昔のドイツ皇帝のヴィルヘルム2世って人がいて、明治から大正にかけてこういう髭をする方が多かったのよ。政治家とか軍人さんで。
石田:はい、そういえばそういった写真をよくお見掛けします。
朝岡:かっこいいですよ。でも、この髭、気になるでしょ。いつごろからですか、この髭は。
藤森:大学卒業してドイツで働いてまして、その所で子供にみられるから髭を生やして、だからもう今年で29年目になります。
石田:へー!当時からずっとそのスタイルを維持していらっしゃる。
藤森:童顔だったんですよ。
石田:あぁ!(笑)
藤森:童顔だったんで、大人にみられるようにって生やされて、でも好きになっちゃってね29年。髭の社長ですよ。
石田:ね、トレードマークですね。
今朝さんといえばすき焼きのお店で有名ですけれども、改めて他のお店と違った特徴やこだわりをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか。
藤森:私どものすき焼きは東京の昔ながらの牛鍋のスタイルを守っていますので、わりしたを使って。あと、私どもは松阪牛を中心に扱っていまして、その中でも長い間飼育した雌の牛だけを使いまして本当の脂身のおいしさをご提供するようにしております。
朝岡: すき焼きだとお肉はもちろんですけど、その他にお豆腐があったりねお野菜があったりするじゃないですか。その辺はどうなんですか。
藤森: お葱は千寿葱と申しまして、東京の千住に葱専門の市場がありますからそちらから仕入れていますし、お豆腐も新橋に昔からあるお豆腐屋さん、です。
朝岡: 切り方なんてどうなんですか。
藤森: 私どもは板前が一枚一枚切っておりますので。
朝岡: 板前さんが。
藤森: はい。
朝岡: 一枚一枚包丁で。
藤森: はい。
石田: 板前さんが切ることによってよくあるスライサーで切るものとはどのように変わってくるのでしょうか。
藤森: スライサーですと、一度凍らせないといけないんですよね。板前がやるときは、なるべく0度に近い温度、味しいお肉というのは融点が低くて室温に置いておくだけですぐ溶けてしまいますから、なるべく低い温度で切るわけですけれども包丁ですと多少はギザギザとなりますのでそこにわりしたが染み込みやすくてそちらのほうがやっぱりおいしいですね。
朝岡: なるほどね。食感にもね、味の絡まり方とかそういうのも切り方ひとつで変わったりするんですよ。あと、今朝さんくらいのお店になると、使っていらっしゃるお鍋にも独特の特徴というかこだわりがあると伺いましたけれども。
藤森:私どものお鍋は昭和40年ぐらいですかね、親父の代にそれまでのものは一新しまして独自のものにしようと南部までおやじが行って、少し角度をつけて、直角だと端っこが取りづらくて焦げやすいので、少し角度をつけて取りやすくした鉄鍋を使っています。
朝岡:南部鉄の。
藤森:ええ。
朝岡:はー。こういう話してるだけで食べたくなっちゃうね、今朝さんの所に行ってね。
石田:はい。
朝岡: 社長自らが接客することなんてあるんですか。
藤森: はい、しょっちゅうしてます。
石田: えー!
朝岡: 働いていらっしゃるんですか!
藤森: ええ。昼間忙しい時は洗い場とかにも入りますし、夜はお客様のところへ運んでそのまますき焼きを焚くこともございますよ。
石田: ちなみにその時のスタイルはどういった…
藤森: このまんまですよ(笑)変わらないです、このままです(笑)
石田: そうなんですか。
朝岡: 今朝さんそのものが社長だから。歴史を感じてサービスをしてくれる、社長自ら。
石田: やってくださるんですね。美味しいお肉をいただけるお部屋の中はどういた感じになっているのか気になるんですけれども。
藤森: 基本的にはこたつで、掘りごたつ式になってましてお楽に座っていただいて、ちゃんと床の間があって掛け軸がかかっていて、お花がいけてあって、お香は焚いてないんですけど日本の設えを伝えたいなと思っております。
石田: ちなみに海外で日本のすき焼きのようなものはあるんですか。
藤森: 牛肉の場合ですと、塊で焼くが煮るかということしかないので、薄切りにするのはせいぜいカルパッチョぐらい。
朝岡: 生でね。
藤森: ええ、生で。なのでそれをわざわざ鍋にかけて食べるってことはたぶんないと思いますね。
石田: そういったお肉を設いの空間でいただけるっていうのは、きっと日本好きの海外の方々大喜びだと思うんですけどね。
藤森: えぇ。企業様がご接待で取引先の海外の方をお連れになるっていうのは多いですので、そういう方はほかの店にもいらっしゃるんでしょうけど、掘りごたつ式で足が延ばせて座れて、目の前で調理されるっていう所にはとても喜んでいただけていると思いますね。
朝岡: お肉にこだわっていらっしゃる、松阪のお肉という話ですけれども、いろいろどれがいいってずっと気を張っていないといけないんじゃないんですか。
藤森: そうですね、基本的には問屋さんにお任せしておりますけれども。以前はA5(ランク)だったら何でもいいというのがあったんですけれども、ちゃんとした脂身はやはり脂身が月齢が長いお肉でないとだめなので、そういったものを中心に選んで場合によっては農家も指定することもございます。
ここからは、各テーマを元に、藤森朗の言葉から、長寿の知恵に迫る…。
最初のテーマは、「創業の精神」
今朝の創業から現在に至るまでの経緯、先代達から受け継がれてきた想いに迫る!
石田: まずは創業の精神ということで、創業から現在に至るまでの歴史、経緯を伺えますか。
藤森:初代は藤森今朝次郎と申しまして、上諏訪から遠い親戚でありました宮坂廣吉という方を頼って東京に出まして今廣というお店で下足番からはじめまして、当時の牛鍋を習いまして、明治13年1880年に独立をしたんですね。
でその後、今朝という名前で始めまして、大正時代になって2代目の時に株式会社になりまして、その時洋食のお店も始めたようなんですね。戦後の昭和39年に今のビルにいたしまして違うところでも行ったんですけど、また戻って営業してということでございます。
朝岡: 明治の初めに西洋の食文化が入ってきて、すき焼きも始まったわけですけれども完全に西洋のものではなくて日本の文化とうまーく溶け合って進んできたんですけれども、新橋でお店をやっていらっしゃって、若干の不動産の仕事もやっていらっしゃるということですけれども今の新橋の駅前のビルの営業っていうのはいつぐらいからだったんですか。
藤森: 昭和40年ぐらいからですかね。親父が新しくできたビルだからいいだろうということでそっちに移ったんですけれども結局回りが雑居ビルでしたので、小料理屋さんがカラオケをおきだして音が漏れてくるとか、雰囲気に合わないお店が増えたりとか、私どもの店だけしっかり衛生管理をしてもどうしても害虫が入ってきたりですとかそういうことがあったので今の場所に戻ったわけです。
朝岡: 藤森さんの代になったのはいつの時ですか?
藤森: 私が社長になったのは2007年です。
朝岡: じゃあちょうど年。
藤森: そうですね。
朝岡: 藤森さんが社長になってから変えたこととか新たに取り組んだこととかはありますか。
藤森: それまで洋食もちょっとやっていたものですから、2008年にすき焼き一本という形になりまして引き継いで、「はい、お前やれ」という感じだったので、知らないことが多くて伝統伝統言ってても結構知らなくて、床の間にかざる掛け軸も扱いを知らなかったのでちょっと勉強をしようかなっということも致しました。
朝岡: もう一回そういうところも含めて勉強なさったという。
石田: ところで今朝さんの、お名前の由来はどんなとこに。
藤森: 私どもの初代が「藤森今朝次郎」っていう名前であったのと、修業したところが「今廣」で、今廣さんは「今銀」というところの枝分かれで、暖簾分けということで「今」という字をもらいまして自分の名前の今朝次郎に合わせて「今朝」という名前になっております。
朝岡: こういう老舗だとさぞや立派な家訓や理念が掛け軸になっていることを想像してしまいますがそんなことはあるんですか。
藤森: いや、何にもないですよ(笑)特に家訓とかそういうのはないので。もう好きにやりなさいということでバトンタッチされましたね。
朝岡: そうは言ったって、親が働いている姿を小さいころから見てそれがだんだん世代を超えて教えになっていく、みたいのはあるでしょうね。
藤森: そうですね。
石田: 社員教育といいますか人材育成で力を入れていらっしゃる点はどういったところですか。
藤森: お客様にとって一番いい状態でお肉を召し上がっていただくように、というところは一番に気を配っていますね。
朝岡: その辺は日ごろから気が付いたときにアドバイスをするとか話をするとかやってらっしゃるってことですね。
藤森: 一番勉強になるのはクレームをいただいたときにそれをどういう風に生かしていこうか、とういうことは従業員と話し合いますね。
決断 ~ターニングポイント~
「決断・ターニングポイント」。
これまでに今朝に訪れた苦境や、それらを乗り越えるべく、先代達が下した決断、その裏に隠された物語とは?
石田: つづいては決断ということでまずは会社にとっての転機・ターニングポイントをお聞かせいただけますでしょうか。
藤森: 古くからやっておりますので、戦争が終わるころですかね、昭和20年の8月になってあの辺は、空襲には合ってないんですけどそろそろ危ないということで強制疎開ということで自分たちの手で建物を壊してしまったんですね。
戦争が終わってほんの数日間だけだったらしいんですけど、建物に戻っていったら、当時木造の建物だったんですけれども、お肉の冷蔵庫には扉だけが大きな扉と小さい窓があってそこから通りに出たところに知らない人が住み込んでて、勝手に不法占拠されててそこを取り戻すのに大変苦労したということを聞いております。
朝岡:そうですか。戦争の混乱で銀座のほうは焼けちゃってるし、下町は空襲で全部やられちゃってるし、そういう人たちがなかなか住むのに困って不法占拠の始まりだったのかもしれないけどご苦労多かったんですね。
それはどのくらいで解決なさったんですか。
藤森: 何年も裁判をして、やっと戻ったという風に聞いてます。
朝岡: その他に何かご苦労があったことはありますか。
藤森: 2代目はかなりのアイディアマンでして、自分が芸者遊びするときにお茶屋さんに出前で今朝を取ったりとか、あるいは神社・仏閣に碑を立てて宣伝したりとか、とてもいろいろされたんですけど、最後は何でもOKOKで保証人になってしまって、借金して逃げられてしまって肩代わりするのに大変だったということを聞いております。
朝岡: 2代目(笑)
藤森: 2代目ですね(笑)
朝岡: 2代目ですか(笑)2代目も…やんちゃだったんですね。
藤森: そうですね、きっと(笑)
朝岡: 新橋ですからね。粋な人とやんちゃな人は紙一重ですからね。それを乗り越えたと。
藤森: はい。
朝岡: なかなかしかし借金が増えていたりするとね、また埋めたりするのもこれ大変だったんじゃないですか。
藤森: 当時夏の7,8月は江の島にお店がありまして、全員そちらに移ってそちらで営業していたらしいんですけど、そこも清算して戻ってきたことで何とかなったという風に聞いてます。
朝岡: (笑)すごいですね。
石田: 藤森さんにとってのターニングポイントを伺いたいんですけれども。
藤森: 学生が終わってドイツの鉄板焼き屋さんで働いてたんですけれども、背も低いですし童顔なもんですから、子供にみられて仕方がなくて。オーダーストップが11時で1時くらいまでやってましたから、「なんで子供が働いてるんだ」とか「東南アジアだから貧しくて売られてきたのか」とか「養子にしてやろう」とかそんなのはしょっちゅう言われたんで、髭を生やしてから、今はトレードマークになってしまいましたから、その時生やさなければまたちょっと違う人生歩んだんじゃないかと思いますけど(笑)
朝岡:でも海外で鉄板焼きのアルバイトをなさっているというのは、それはいずれ今朝を任せるから武者修行してこいみたいなそういう感じだったんですか。それとも違う理由があったんですか。
藤森: 基本的にはそうなんですけれども、大学4年くらいになって親父が「お前どうすんの?」と聞いてきたときに、とりあえず家から出たかったので、できたら海外でっといったときに、せっかくだからフランス料理も見たいなと思ったんですけれどもフランスにはそういうツテがなく、アメリカがドイツだったらあるということで、ずっとクラシックが好きで大学でもトランペットを吹いてましたからドイツだったらばホームシックにもならずに行けるだろうと。
朝岡:音楽もいっぱいあるしクラッシックも。
藤森: それでドイツに行きました。
朝岡: そうですか。
石田:ドイツを経験されて、海外と日本とで飲食業界の在り方というのは全然違うのでしょうか。
藤森: 全然違いますね。日本ですとどうしてもこちらがサービスする側ですので下にみられますよね。でもヨーロッパですと、職業訓練学校を出た人のサービスでもあるので、ほんとに人として同等に扱ってもらってるという感じがありますね。
朝岡: 昔は特にそういう意識が強かったのかもしれませんね。「マイスター」とかいるわけですもんね。食べ物屋さんで100年を超える企業、しかも一族とかでずっと続く企業が日本にこんなにあるのって珍しくないですか。
藤森: はい、そう思います。
朝岡: ね。ドイツだと有名なビアホールだとかあるけど経営者が代々ずーっと一緒でっていうのはなかなかないと思いますけどね。
藤森: 少ないと思いますね。
朝岡: やっぱり。その辺もドイツ時代に肌で感じて。
藤森: そうですね。
朝岡: 社長になってから新たな苦労はありませんか。
藤森: 日々色々ありますけど、ビルがやはり古いですから、建て直すかそれか今のを耐震工事にするのかってことを役員、親父とか弟とかていう時に、建てなすんじゃなくて耐震工事を選ぼうという時に、私共のお店が2階にあるんですけれども、通りから入った所に以前は窓ガラスで、上からお客様が来るのを見えるようにしてあったんですけれども、やはりそこが弱いからということでそこが壁になったんですね。
で、その時に弟とかは安い壁紙でいいじゃない?って言う風に言ってたんですけれども、せっかく入ってくられた方にアイキャッチになるようなうちのオリジナルがほしいという事で、まぁ「きーやん」と呼ばれたますけど(笑)木村英輝さんにつてを頼ってなんとかたどり着いて壁画をお願いして描いていただきました。
朝岡:それが今やお店のシンボルになっている壁画になるわけですね。
藤森: そうですね。
朝岡:そうか。じゃあ建て替えるか建て替えないか、建て替えないけどこういう壁紙にするかそうじゃないかっていうご苦労があったところで、いい方向に持っていけたと。
藤森: そうですね。
朝岡: 今嬉しく髭がピクピクっとね。
石田:笑
朝岡: お客さまと接する中で、色んなクレームがあったりするとそれが財産になると伺いましたけど、お客様から寄せられたご意見、まぁクレームでも良いんですけど、非常に印象に残っているものを上げていただくと、どういうものですかね。
藤森: 私個人に向けて一度言われたことがありまして、「あんまりいい格好するなよ」と。お客さまより質の高いスーツを着てて、結局お客さまを引き立てる側の者がお客さまより目立っちゃいけないよ、ということは言われましたね。
朝岡:あーそうですか。じゃあ今日のこの格好は、こうやって外にいらっしゃるときの格好というわけですか。
藤森:そうです。
朝岡:じゃあ普段お店にいらっしゃる時は。
藤森:普段はもっと安いスーツです。
朝岡:笑。お客さまを引き立てるという。
藤森:はい。
石田:蝶ネクタイはどうですか。
藤森:蝶ネクタイのときもありますし、そうでないときもあります。色々です。
石田:どんなのをされてもきっとおしゃれなんでしょうね。
藤森:心はピカイチだけど、外見はお客さまを。
石田:引き立てるために。
朝岡:そういう哲学みたいなものがあるんですね。
藤森:ですね。
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
続いてのテーマは「言魂」心に刻む、言葉と想い。
強い想いと信念が込められた言葉には魂が宿り、人の人生に大きな影響を与える。
藤森朗が先代や家族から、告げられた言葉の裏に隠された想いに迫る。
石田:続いては言霊ということで、先代やおじい様、おばあ様から言われた印象的な言葉、またそこに隠された思いを伺えたらと思います。
藤森: 特に家訓はありませんし、(先代から)言われたことはないのですが、家族ではないのですが、小学校のとき担任の先生に「喜んでそれをやっていますか?」と聞かれたのが、今でも印象に残っています。やはり嫌々やっていると顔や態度に出るので、気持ちが入らないのでお客様と接するときも喜んでお仕事させて頂くということを常に心に置いておりますね。
朝岡:やはり、幼い頃に言われたことは印象に残りますね。しかも、お店をされているので、それが直結しますね。それは社員の方にも伝えるのですか。
藤森:直接同じ言葉ではないですが、「自分本位ではなく、お客様の為に」ということは伝えていますね。
石田:今、社長ご自身が心に刻んでいる言葉はありますか。
藤森:よく利他主義「人のために」ということを第一に考えていますので、他には何でしょう特に無いですね。
朝岡:なかなかお店をやって伝統がきて評判ができてきたりすると本当はいろんなことをやりたくなる経営者が多いと思うんですけれど
藤森:そうですね、私の場合はドイツから戻ってきた時に、一階のテナントさんが抜けたもんですから、それから洋食…ビストロを17年くらいやって、やり尽くした感があるので、今はもうすき焼き一本で十分ですね。
朝岡:あーそうですか。
石田:経験を
朝岡: 経験なさっているからね。さっきの言葉の質問に戻りますけどね、ドイツでアルバイトなさって働いていらっしゃる時にお客さまとかあるいは仕事の現場で言われた言葉で何か印象に残っていることってありますか。
藤森: ドイツですか…
朝岡:なんかドイツでやっていらっしゃる時に色んなお客さんいらっしゃって、この人の言ったこと今思い出すと、そうだったなーとかっていう、働いている現場で言われたこととか。
藤森:始めてすぐの頃に、大学は出たとはいえ日本ではアルバイトでちゃんとしたサービスってものを学んだことがなかったもんですから、ワイン注ぐのも注ぎ方を知らないですよね。開けるのもやっとで首根っこ持ってホイッと注いでしまったんですね。それはすごい怒られました笑
朝岡:あーそっか。
藤森: ちゃんと下をもってていうのを知らなかったもんですから。とにかくやれって言われるからやったって感じで、でその頃は「教えてくれないから!」と悪態ついてましけど笑 言われてみればひどかったなとは思いますね。
朝岡:「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」というじゃないですか。やっぱり若い頃にそういう経験ができたって幸せですよね。
藤森:そうですね。
朝岡:そっかー。やっぱり外国は行ってみるもんなんですね。
石田:そういえば外国にはチップの文化がありますけど、日本には無いですけれども、チップって必要だと思われます。
藤森:外国の場合はお金で感謝の気持ちを直接つたえられるって言うことがあるので、そういう文化でもありますから。日本の文化でも昔はありましたよね?今も相撲の末席にいく時に御礼をちょっと渡す方もあれば、旅館にいく時にお願いしますと渡すって方もいるので、私はあってもいいなって思いますけどね。今は今日はご馳走様でしたってことでお渡しになる方もおりますので。
朝岡:チップわざわざポチ袋であげるっていうのもありますし、あとは小銭なんかをね、お釣りのねこれは取っておいてください、みたいなのもありますしね。
藤森:ありますね。
朝岡:やっぱり新橋ってね、粋なところだから、そういうのがわかっていらっしゃるお客さんがくるとちょっと嬉しかったりしますよね。
藤森:そりゃそうですね。
朝岡:食べるだけじゃなくて周りも含めて文化みたいなところがあるからね。特に新橋銀座あたりとかあるのかもしれませんね。
貢献 ~地域、業界との絆~
地域や業界との絆。長寿企業にとって欠かせないモノ・・・それは、地域との繋がり・・・。
今朝が行っている地域貢献、藤森朗自身が行っている取り組みとは?
石田:続いてですね、現在地域での取り組みや社会貢献活動に取り組んでらっしゃったりしますか?
藤森: 町内の、東新橋一丁目町会とあと、港区の芝地区の100年以上の企業の集まりで「芝百年会」というのができましてそちらの方は老舗の知恵を出し合って地域の活性化をしようと今始まったばっかりなのでそれに関してはこれからどうなりますかねっという感じなんですね。
朝岡:地域の取組っていうのはやっぱりあの辺とてもお店が多いですよね。ビルとかね。だから一般の住んでらっしゃる地域と言うのとちょっとまた地域の意味が違う気がしますけど、お仕事での関わりにおいては連携の必要という…
藤森:そうですね。住んでる方はほとんどいらっしゃらないのでビルオーナーばっかりの集まりではあるんですけれども、昔親父も色々やっていたらしいんですが、たまに役職がついたりとか会合が多すぎて大変だからって一切やめてしまって、私が引き継いだ時は「そんなのもうでなくていいよ」と言われましたけど笑。そういうわけにもいきませんし。地元の方ですと何かに使おうということにもなりますし、町中歩いてて知らんぷりもできませんし、今はもう店員さんにも覚えやすい顔ということもありますけれども、道ですれ違ったらご挨拶もしてますし。やはりそれは地元のことですし、あと震災の後ですね、特に地元で今度大きな地震があった時にどうしようってことを真剣に考えるきっかけになりましたので、良かったと思いますね。
朝岡:これは仕事に特化したかとじゃないんですけど、藤森さんご自身が努力していらっしゃる色んな楽しみでもなんでも良いんですけど活動あります。
藤森:たくさんございますね笑
朝岡:笑ありそうだもんな。
藤森:学生の時にオーケストラ部に入ってましたので、そのOBとして学生の演奏会の受付のお手伝いですとか、あるいはその相談事、運営のことですとかあるいは就職活動のお手伝いとか、海外演奏旅行についていってあげたりとかそんなことをしたりとか。あとは音楽好きだってことで蓄音機を持ってって。
朝岡:蓄音機!?
藤森:はい。
朝岡:CDじゃなくて?
藤森:はい。レコードコンサートをしたりとかですね。
朝岡:それは地元の新橋で?
藤森:いや、今週末は金沢でやりますし、全国頼まれれば。来月は亀戸のほうでやります。
朝岡:そうですか。それじゃ色々趣味の方が集まってそこで実際蓄音機で。
藤森:そうですね。
朝岡:蓄音機ね。
石田:DJのようなっていうことですよね。たとえば選曲されて皆さんに聞いてもらう。
藤森:まあそういうことですけど、そんなに流暢には喋れませんので、曲の紹介と録音当時の話ですとかレコード版についてちょっとお話しながら聞いて頂くということですね。
石田:粋ですね。
朝岡: すき焼きも蓄音機も歴史だからね。藤森さんに合っているんですよ。藤森さんこの格好とかで蓄音機の当時の話とかしたらもう納得しますでしょ。
石田:説得力が違いますよね。
藤森: ありがとうございます。
石田:そして藤森さんはお肉にも合うワインにお詳しいと伺いました。
藤森:そうですね、洋食やっている時にソムリエと唎酒師の資格を取りましたので。いまはせっかくある資格ですし、他のお店に比べるとワインの種類はかなり置いてますので、和牛、すき焼きに特に合うワインと日本酒をご提供して私共主催でワイン会ですとか日本酒の会なんかもやっていますね。
朝岡:ドイツにいらっしゃったから、ドイツも実はワイン大国でね、ワインというと普通フランスとかイタリアとかあるけど、ドイツのワインって非常に和食には合うって言いますよね。
藤森:ございますですね。ドイツは甘口の白ワインが多いと思われがちなんですけど80年代後半から辛口のものが主体となってまして、和食には少し甘味が残っている方がお出汁とかお野菜にとても合いますね。
朝岡:あとはその若い学生さんといかもっと若い世代にも色んなことをやっていると伺いましたけれど。
藤森: 墨田区立竪川中学という所に毎年職業講話会でお招き頂くので、お仕事の話、いろんな職業がありますよと話してますし、あと、私共で親子すき焼き体験ということで小中学生がちゃんとしたすき焼きを食べて頂きたいということで、あといらした時に自分だけ食べるのではなくてちゃんと親御さんに作ってあげるということもやっております。
朝岡:なるほど。なんとなく藤森さんのライフルタイルというのが、蓄音機にしろワインにしろ親子すき焼き大会にしろ、ライフスタイルがそのままこう活動につながっている気がしますね。
藤森:そうですね、皆仕事につながっている気がしますね。
朝岡:そうですね。
伝燈 ~受け継がれる伝統~
受け継がれる伝燈。
創業以来、代々受け継がれている書物や品物・・・。
そこに隠された想い、物語とは・・・?
石田:それではですね、続いて創業者や先代から受け継がれたものですとか、書物そういったものはございますでしょうか。
藤森: 私共では古い写真が唯一残ったぐらいと、お鍋がですね創業時からずっと変遷されて幾つか残っております。最初の頃は火鉢で炊いてましたから小さなもので薄いものだったのが大正時代になってガスが通ってからちょっと大きくなって、親父の代に現在の形になりましたので、そのお鍋と、それと古い写真を利用して、当時のお店の様子を写真をで飾ったりとかしましたね。
それからあと以前出入りしてましたブリキ屋さんが店内で作業する時に着てたハッピをお貸して頂いたのでそういったものがございますね。
朝岡:反応はどうですか。そういったものをご覧になったお客さまは。
藤森: やはりそこに歴史を感じられるといいますか、本物があるということで結構皆さんビックリされますね。
朝岡:すき焼き博物館ですね。
石田:ですね。まさに。書物だったり、百年史みたいなものはございますか。
藤森:ちょうど100年の時に親父が色々まとめましてすき焼きの歴史も含めて肉食ということと私共今朝の歴史について一冊の本にしましたね。
朝岡:それは一般に売るというものなのか、家系の方にお配りするという形で。
藤森:1980年のちょうど100年目の時に親しいお客さまにお配りしてあとは図書館に寄贈してそれで終わってしまいましたので売り物ではなかったですね笑
朝岡:そうですよね。それから150年近いですもんね。でも伺うと代々受け継がれてきたものというのが、お店、それから新橋という場所、それから藤森さんご自身もお好きだし財産がたくさんありますね、今朝さんは。
藤森: そうかもしれないですね。古い掛け軸も今はぼろぼろなので、直そうと思って外注に出すととても高いので最近は私が表装教室へ行って習って、自分で今直すようにしております
石田: えー!
朝岡: 掛け軸も修繕なさっちゃう。すごいなー。
NEXT100 ~時代を超える術~
NEXT100年、時代を超える術。
次の100年へ向け、革新を続ける中で、今朝にとって継承すべき変わらぬ「核」となるモノ・・・
5代目・藤森朗が語る次代へ届ける長寿企業の知恵とは?
石田:最後にですね次の100年に向けて、変えるもの変えないもの会社にとってコアになるところを教えていただきたいんですけれども。
藤森: 変えないのは私の代もそうですけど、すき焼きの中身ですね。お鍋の中に入るものは、割り下の秘伝レシピ、お野菜お肉もそれは絶対変えないですね。でもそれ以外のサービスの提供の仕方ですとか、あるいは場のしつらいですとか変えられるところは今の時代に合わせて。昔は正座していたのが当たり前だった時代にまあ親父の代に掘りごたつにして今は料亭でも畳にテーブルを置いているところもありますけど、やはり低い位置で召し上がって頂くというのが良いと思いますのでそういったことは残しますけど、それ以外で時代の要請に変えられるものがあればどんどん変えたほうが良いと思ってます。
朝岡:ちなみに今朝さんの、藤森さんの次の後継者ってのはもう決まってるんですか。
藤森:うちの長女はまあ女将さんやってもいいよーとは言ってくれているので、そのかわり子育て終わってからというんで笑。まだ結婚もしてませんしね、大学生なのでわかりませんけれども、いちおそういう風に言ってくれてる以上はそれまでは頑張ろうかと思ってますね。
朝岡:お嬢様の彼氏ができたらぜひお店に呼んで、展示してある品物を見てもらって、食べてもらってっていうのも大事なのかもしれませんね。
石田:もうすぐ創業150周年を迎えるということですけれども、改めて、長く事業を継承する上で大事な物はどういったものだとお考えですか。
藤森: 自分たちだけが儲ければいいということでもないので、やはりお客さまが喜んでいただきそれから農家ですとか生産者に対しての感謝の気持ちも忘れずに人のためになるようなことはしたい、続けていきたいと思いますね。
朝岡:食べる、美味しいものを作って差し上げるというのはそういう原点はそこですもんね。
藤森:そうですね。食べることはすなわち生きることでもありますから、私たち人間はどうしても動植物の命を頂いているので、それで「頂きます」という言葉がございますからね。そういう感謝の気持ちはいつまでも忘れないようにしたいと思います。
株式会社今朝。5代目藤森朗。
時代が変わっても鍋に入れる今朝秘伝のタレは変えず、お肉や野菜の強いこだわりも変えない。
お客様や生産者へ感謝の気持ちを持ち続け時代に合わせた商品の開発・環境つくりを続けてほしいこの想いは100年先の後継者たちへ受け継がれていくだろう。