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老舗高級旅館の価格破壊戦略 ~いかにして苦境を乗り越えたのか?~

箱根湯本といえば都心にもっとも近い、老舗旅館が軒を連ねる高級温泉地だ。中でも寛永7年(1630年)に創業した一の湯は老舗中の老舗であり、箱根を代表する温泉旅館である。温泉旅館、しかも380年もの歴史を持つ老舗旅館であれば、1泊数万円が当たり前。ところが一の湯は平日1泊1万円以下の格安料金で広く名を知られている。
現在、代表取締役を務める小川晴也氏が旅館を引き継ぎ、支配人の席に座ったのは昭和54年のこと。現在の一の湯は、グループとして7店舗を展開する箱根でも指折りの優良企業だが、当時の一の湯は明治時代に建てられた本館と新館のみ。周りは次々とホテルや旅館が新築され、収容客数が増える中で旧態然とした経営のまま、時代に取り残されつつあった。
そんなマイナスの状況から始まった旅館経営だったが、小川氏は経営を刷新、奇跡の復活を遂げる。ドラマティックな顛末はテレビドラマになったほどだった。なぜ終わりつつあった老舗から一気にビジネスの最前線へと乗り出すことができたのか?小川氏を助けたのは、伝説的な経営コンサルタントのアドバイスだった。

旅館を継いではみたものの…
先行きが不透明で不安


一の湯本館 客室と温泉

慶応義塾大学を卒業後、日本ユニバックに7年勤務し、実家の一の湯に入社したのが昭和53年。

「あんたのおしめを替えたよという仲居さんがいっぱいいましたからね、頭が上がらない。」

ドル・ショック、ニクソン・ショック、オイル・ショックの不景気はすでに過ぎ、箱根の景気は回復していた。500人前後の収容力のある大型旅館が何軒も建ち、活況を呈していた。鬼怒川温泉など他の温泉に比べ、一の湯のある箱根湯本は宿泊料の格が違った。高級温泉地として人気があったのだ。しかし、その中で一の湯は出遅れ、低迷していた。

「当時は塔ノ沢本館と新館キャトルセゾンという名前のホテルの2軒しかなくて、どちらも客室数が少ない。箱根湯本の同業他社とは格差をつけられていたんですね。引き離されていたどころか、土俵が違う。」

全然良くなかった、と小川氏は苦笑いする。

「羨ましいなと思う反面、どうしたらいいかなと。素人ですよ。まだ30才ぐらいでどうしていいかやり方がわからない。旅館業のコンサルタントの先生方に習ったんですけど、ほとんど無駄でしたね。有名な先生がおられるんですが、あの手この手でちょっと変えたらこうなりますよ、みたいなね。そういうのが多い。言われたとおりにやったつもりではあったんですが、うまくいかない。結果的にはまったく無駄でしたね。」

歯がゆい日々が続く。

「毎日お客様はいらっしゃるし、日々のことで困ることはないんだけど、将来の展望が見えないんです。」

景気がいいため、取引先の業者は価格を吊り上げ、旅行業者は集客の手数料をどんどん上げる。旅館経営者が集まると、そうした業者の悪口を言い合って終わる。

「そんな仲間内でくだ巻いててもつまらないし、何か良いことないかなと思っていた。」

そんな時に、友人に誘われて参加したのが経営コンサルト・渥美俊一のセミナーだった。渥美俊一といえば、ダイエーの中内功やイトーヨーカ堂の伊藤雅俊らが参加していたチェーンストア経営の研究団体ペガサスクラブの設立者であり、戦後日本の流通システムの近代化に多大な貢献をした人物である。

「流通の研究会なので、ホテル旅館の会員企業は僕と友人の2人しかいなかった。全然分野が違うと思っていたんですが、渥美先生いわく、何の業種であろうと勉強する内容は、本質は全部同じだからと。そこで先生のところへ行き始めて、いろんなことを教えてもらったんですが、今の私どもにとって圧倒的に重要なことばかりを学ばせてもらいました。最初に行ったのが80年代ですが、30年以上、教わったことしかやっていません。

赤字を止める技術
労働生産性を考える

小川氏が教えられたのは経営の根幹となる考え方である。

「箱根湯本では、同業他社は投資がすでに終わっていて、儲ける箱ができていたわけですよね。ですがうちには箱が全然なかった。箱作りはすぐにはできない。箱を作るには土地と金が必要ですが、私たちにはどちらもなかった。しかし投資しない限りは売上高は増えない。渥美先生が、努力では売上高は増えない、と教えてくれたんです。」

経営努力をすれば売り上げは伸びそうなものだが、努力で伸びる範囲はせいぜい1割程度。2倍にしようとしてもそれはできない。

「売り上げを倍にするということは売り場面積を倍にするということなんです。私の場合、2軒の旅館を4軒にしないと売り上げは倍にならない。」

建物を増やすことができないなら、今できることは何かないのか?そこで教えられたのが生産性である。

利益は技術によって出ると言うんですよ。売り上げから原材料費を引いたものが粗利益高です。そこから経費、光熱費や人件費などを払っていき、最後に残るのが利益なわけです。払うということは、やり方によって変わってくる。同じものでも安く買えるかもしれないし、人件費も能率の良い人に払う場合と能率の悪い人に払うのでは違ってきますよね。」

サービス業では特に人件費の占める割合が大きい。人件費を一定の枠内に収めれば、利益が出る。そのためには良い仕事ができるフォーマットを作り、それを全員が共有すればいい。

「天才1人ができるだけじゃなくて、みんなでやり方を決めて、みんなが訓練して身に着ける。仕事=作業=技術なんだという。仕事を効率化して人件費を抑え、利益を出す、それは技術だというんです。」

小川氏は、それならできると思った。

「実際は儲からないどころか赤字を垂れ流しているような状態でした。それが技術の問題なら、赤字垂れ流しを止めて黒字に持っていけるんじゃないか、自分たちでやり方を考えてやればやれるんじゃないかと思ったわけです。」

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