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合資会社 一條旅舘〜トップとは、 その道のプロフェッショナル

合資会社 一條旅舘
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、時音の宿・湯主一條(ときねのやど・ゆぬしいちじょう)20代目代表 一條 一平(いちじょう いっぺい)創業は1560年。
初代一條長吉(ちょうきち)が宮城県白石の「鎌先温泉」に湯小屋を開いたことからはじまる。「鎌先温泉」は「奥羽(おうう)薬湯(くすりゆ)」として、古くから人々に親しまれ伊達政宗も訪れたといわれた。
1891年に旅館業を興し、1928年合資会社一條旅舘を設立。
湯主一條では当主が「一條一平」という名を受け継いでいる現在は20代目まで続いている宮城県内でも最大級の木造建造物である本館
鎌先温泉のシンボルともいえる存在であり、2016年には国の登録有形文化財に指定された東北の旅籠文化(はたごぶんか)を、体験できる旅館として多くの人を『幸せな時』を提供し続けている。
今回は、そんな「湯主一條」の20代目代表、一條 一平の言葉から時音の宿・湯主一條の持つ長寿企業の知恵、物語に迫る!

一條:私共の」事業内容は宿泊施設、旅館の運営・経営を行っております。458年目というかたちになりますね。宮城県の中では私共のところよりも古いところが2つ、二施設あるというかたちですが、東北の中ではたぶん古いほうに入ってくるという形になりますね。
歴史という部分もあるんでしょうけれども、私共の一番の強みと言うのが木造の本館、大正から昭和初期にかけて建てられた一部木造の4階建てで建てられているところ、これが現在「国の登録有形文化財」という形になっているんですが、これが何よりも今も残っていてそこを昔は湯治場だったところを現在は個室料亭、全部個室になってますので。その建物が残っていて、今も活用しているというところが何よりも強みだと思っています。

日本人、もちろん海外の方もインバウンドで来る海外のお客様両方とも、私共坂を登ってきて旅館があるんですけれども、その坂を上りきったところの登り口(左手)に本館が見えるわけですね。皆さん必ず初めて見た方は一様に「おー!」という声を必ずあげられる

で、チェックインをされて、部屋に行ってから荷物を置いてもう一回外に行って。(木造の本館は)時間帯で表情も違ってきますからその写真をバンバン撮影する。特に海外の方なんてほぼ帰ってこなくなるくらいですね。写真を皆さん撮っておられますね。

~一流に触れることが最高の育成術~

私共は、私が元々ホテルマンだったということ。もちろん私共の女将もホテルつながりですのでそういった意味では“ホテルのようなスマートな接客”それプラス東北の温泉旅館ですからそれは場面場面で“旅館の親しみやすさ”だとか“優しさ”って言うのもお出ししますけれども、スマートな部分と言うのも大切にしていますね。

数年前から始めていることなんですけれども、「まずは一流を見ようじゃないか」と言うことになります。「じゃあ一流ってなんなのか?」というのは、なかなか東北のほうにいると極める部分は難しいんですね。
ですので、東京に来てみて、そして最初のころやったのがジョエル・ロブションでフレンチレストランですけれどもそこで皆さんと同じホールの中で自分たちだけのスペースを作ってもらって、ワインのオーダーから。私は一切口出しはしません、全部スタッフにやってもらって一流ってものを体験していただく。

もしくはパレスホテル東京の時にも総支配人がおいでいただいて、そしてコンシェルジュに話をしてもらって「ホテルというものは?」もしくは「サービスというものは?」っていうものをホテルマンから話を聞いて。そしてソムリエからレストランでのマナーであるとか、そういったものを踏まえてから料理がスタートする。

やはり東京は一流のものがいっぱいありますので、そういったものなかなか地方では見れないものを体験させてあげることによってわかってもらう。私や女将が一生懸命伝えたとしても、「いいものを見てらっしゃいと」言っても、わからないんですよ。基準がわからない。
であれば、会社側が研修としてやってあげることによって体感をする。そうすれば、「どういうことを求めているんだろう」そうすると一歩先のお客さまが何を考えているんだろうと言うことが、もしかしたらわかるかもしれない。体験に勝るものはないと思っておりますのでやろうと思っておりますし、今年も実は東京でやろうという形に今計画しております。

本来であれば旅館で本当に丁寧に穏やかに流暢に接客をしている人間が、言葉が出てこなくなったりですね、どういう風にやったらいいのかわからずに。そしてワインのオーダーとかもやらせるんですが、ワインのオーダーしているだけなのに汗を掻いているんですね。ガチャガチャに緊張してしまって。これぞ本当の一流というもの、雰囲気にのまれている。大いに結構じゃないですか。
そういうのをやると、それが自信につながって反対にお客様が緊張しないようにやってあげる、逆の接客もできますよね。いい体験だと思っています。

~日本と海外 接客文化の違い~。

もともとサービス、コンシェルジュということもそうですけれども、私もホテルに勤めているときにコンシェルジュを経験しておりますけれども、誇りをもって皆さん仕事をしていますね。ホテルにリスペクトというか誇りを持っているということももちろんですが、自分がホテルマンであることに誇りを持っている。ですから皆さんの立ち振る舞いがまるっきり違うんですね。
「そこの名前をしょっている自分はホテルマンである。よって背筋をぴんと伸ばし、そして身繕いも。そうした一つ一つを一挙手一投足まで海外のホテルマンと言うのは見ただけでホテルマンだとわかる人がいっぱいいます

じゃあそれを旅館に当てはめるとどうかというと、若干違う部分がある。まだまだ出遅れている部分がある。しかし海外の人たちと言うのは、日本の旅館であるとか、女将さんであるとかそういうものをものすごく勉強していらっしゃる。でも我々旅館業界はどうなのかと言ったらまだまだ。せっかくサービスという意味では、お客様から“おもてなし”という言葉が飛び交っていますけど、そういうものは日本が先進のはずなのに残念ながらまだ日本はまだまだ遅れているなあと。旅館という意味では遅れているなあという風には感じます。

“一人前”と言うのは、私も含めてまだまだ一人前になっているサービスマンは私を含めてよっぽど出ない限りいると思いません。やはりそこの中で一歩一歩進んでいってるな、進歩しているなっていうのは、「基本を絶対に曲げない人」ですね。
我々で言うと”作法”というのがあります。戸を開け閉めの作法、それからもちろんお辞儀の作法やり方があります。そのやり方をいついかなる時も忙しくても、もちろん暇な時でも絶対に変えない基本を曲げない人、これが本当の一流といいますか、一人前になるための土台ができている人間だと私は思っています。自分も含めてね。

接客を相対してやる人間という意味ではお客さまは色んな感情をお持ちになっていますよね。忙しいかもしれない、夫婦喧嘩をしてイライラしているかもしれない。一人旅をしているのかも、仕事で疲れているかも知れない。そういった人たちに我々が接する時に、その感情に流されてしまったら元も子もない。反対にそういう人たちが何か私共の所にきている。うちのスタッフに「なんてここはしっかり一つ一つに事をやっているんだろう、そんな事で気持ちが「フーっ」となったり、「怒っていることが馬鹿臭いよね」ってなるわけですね。
なので基本はとっても大事だなっと思います。

ここからは、テーマにそって、「湯主一條」の持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」。
創業者の想いを紐解き、家訓や理念に込められた想いに迫る。

一條:私共今旅館がお泊りになるところが、現代。そしてお食事をする場所が古い個室料亭でという事で、タイムスリップ、タイムトリップ、その”時間“っていうものを一つのテーマにしているんですね。ですので”時音”っていうのは、昔から来た旅人の足音が聞こえるような、そういうずーっと歴史感の感じるようなそういう宿なんであるということをお伝えするために、”時音”という名前を使いました。

なかなか湯守であるとか湯本であるとか、要はお湯を持っているというある種の“湯主”という言い方をなかなか聞かないと思うんですね。昔から私共”湯主”という言い方を聞かないと思うんですね。昔から私共湯主という言い方をしている。これはまあ先代から聞いていることですけど言い伝えられていることは、もちろん温泉の主であるということ。
もともと私の方は一軒しかございませんでした。今は5件ありますけれど、他の旅館は存在しませんでした。そうすると、すべてのお客さまが私共のお風呂に入るということになります。

そして時代が変わりまして、土地を与え建物建てさせて私共を入れて4件の旅館がでてくる時がありました。この4件の旅館があったしても、温泉の源泉を持っているのが私共の旅館です。渡り廊下で全部つながっていたんです。要は結局はお湯の元は私共のところにあるということ。

そして(昭和)40年代の後半になりまして、温泉法という法律が変わりまして、それぞれ掘削をさせて、実は分湯しているという時代もあるんですね。
私共一店だけの温泉。それから渡り廊下で各旅館を結んでいた。そして私共のところから分湯をしてあげていた。そして現在は(温泉の源泉を)掘らせてあげていたってことになるんですが、結局そのお湯の元を持っているという、あるじ、主であったと。それから鎌先のほとんど、それから昔の福岡の中でも地主であったこと、ということも含めて「湯主」と。誰が主だ?という事で「一條」であるということを伝えるために湯主とつけたと聞いております。

~一條家の使命~

私共、ちょうど私で20代になるのですが、ずっと代を追っていくとですね、14代目、15代目、16代目、17代目この4代にわたって村長さんをしていた実績があります。
その中でやはり村人のために保証人になってあげて、村人が生活できるようにやってたと、そういう風に言い伝えられておりますけれども。
で、17代目の時に大繁栄はするんですが、繁栄はした変わりにやはり失うものも大きかったようです。村人の保証人になったりとかして、自分の所の財産を取り崩す、ということもあり、それ以降政治に関わるな、ということが父からは言われております。

先代の父からは政治に関わるなと言っている割には鎌先をずっと背負って立つこと、鎌先の将来を考えることは一條家にしかできないことであると。私にしてみればその時はよくわからなかったのですが、その言葉を言われて、そうかと。湯主一條という会社を存続させる事も大切なんですが、鎌先温泉という温泉地を今後も次の世代に、また次の世代に残していかなければいけない。”地域を残していく“っていう仕事も私にかせられているんだなということもその時思いましたね。

ただ残るんじゃなくて、やっぱりそこに人が足繁く行ってみたい。あそこに行こうよって“選ばれる場所”にならないといけないわけですよね。「そのためには」ということを今は日々考えながらやっているという感じです。

スタッフに対してということですと、毎日社訓それから経営理念の唱和って言うことをするわけですね。仕事始まる前にその部署ごとに全体でやる場合もございますし部署ごとによることもございます。
そして、それだけだと同じことの繰り返しになりますので、その時その時もちろん理念であるとか、社訓の中のテーマに沿ったものもありますし。その時に必要なスタッフに対しての、今起きている問題であるとか、もしくはこれから目指す方向である、そういったものを私がA4用紙の一枚にまとめまして、毎月の給料明細の中に入れて、私からのメッセージという形でお伝えをしています

~代表就任後に行った改革~

私共の制服なんですが真夏はちょっと違うとしてもですね、私共の制服は男性も女性も黒服。俗に言うスリーピースという形になります。
よく旅館といいますと着物を着たり作務衣を着たりというのが一般的と言われております。私共もよくお客様に言われるんですね。駐車場から旅館までご案内致しますと、玄関にたっているスタッフが男性であれ女性であれ黒塗りのパンツスーツをスリーピースを着ているスタッフがズラッと並んでいる。そうすると、「なんだか緊張するな、ここ旅館なのに」という風に言われますが、なぜ旅館だったら着物じゃなきゃいけないんでしょうか。じゃあなんで旅館だったら作務衣じゃなきゃいけないんでしょうか。それは、先入観ですよね。

それに私共は、先程申し上げた国の登録有形文化財。お客さまのいる客室のスペース、料亭のスペースは確かに冬は暖かく、夏は涼しいです。空調もちゃんと入ります。周りが廊下になっているんですが、周りの廊下は外気温と同じです。冬は寒いです。ですから着込めるように、色んなものを着込んで暖かくして風邪を引かないように暖かく過ごせるように。
ましてや私共は階段ばっかりです。着物を着ていたら裾を気にして歩くことすらかなわない。機能性、そしてもちろん動きやすさ、そして暖かさ。そういうものを兼ね備えるためにそうした。私共はもちろんホテルの出身だってこともあり、ホテルの要素も取り入れたいという事もありましたから色んな要素を加味して制服を変えたんですね。

実はそれが好評だったりもします。ちょっとこう・・・緊張する。でもその緊張も心地良というお客さまもお出でいただくのも確かなんですね。
私共のところでリピーターになっていただけるお客さまは、初めてきても「ここ気持ちいいね」と行ってくれるのはそんな要素です。きちっとした振る舞い、非常に背筋を伸ばして。だけれども、ある人は方言で、方言が抜けなくて方言で喋っている人もいたりする。地方から来ていて若干イントネーションが違ってなかなかそれが抜けない。でも誠実さがちゃんと伝わっていて、そしてお客さまに届いていればそれは良いことだなと思いますので、まずは制服を大きく変えているというところがあります。

お金をかけて、時間をかけて、ましてや車ないし新幹線などの公共交通機関を使って移動という行動までしておいでいただくのに、そこにダラダラの風景が待っていたらお金払いたいと思いますかね?私だったら思わない。この旅行は本当に無駄だったと思うと思います。
でも、心地いい緊張、ちょっと緊張するかもしれないけどそれぐらいの気持ちが伝わるんですね。お客さまとして行った時に伝わります。我々がだらーっと歩いてお迎えしたら。「(だらっと)いらっしゃいませ~」というのと「(シャキッと)いらっしゃいませ!」というのではまるっきり違う。そこにお客さまは価値を見出して、「またくるよ」と言ってお帰りになる。

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