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能は自分と心の対話~革新こそが能の本質~

大衆化が進む歌舞伎に対して、能は一般には敷居が高い。
伝統芸能という高尚さと古語で行われる舞台のわかりにくさに敬遠する人も多い。
室町時代から続く宝生流の第二十世宗家、宝生和英氏は、「わからなくてもいいんです。」
能は自分と向き合う時間を提供する芸術なんです。」と言う。
門外漢が能を知り、能を楽しむにはどのように能と向き合えばいいのか?
宝生氏に話を伺った。

陸文化を吸収して
完成した能楽


【能】船弁慶

能の始まりは千年以上前の民間芸能、猿楽からである。
「座(役者や演奏者の集団)は、それぞれ信仰している山(神社仏閣)に由来します。私どもの宝生流の場合は、大和国外山崎(現在の奈良県桜井市外山)が発祥で、名前の由来は宝生如来です。」
以来、時代によってさまざまな受け取られ方をしながら、能は現在まで絶えることなく伝承されてきた。

最初は天地災害や病気など死への恐れを克服するために行われていました。世阿弥がそれを文化芸術に高め、そこから世界の文物を取り入れて広める文化振興へと変わっていきます。戦国時代には武士のためのメンタルケアとして機能し、江戸時代には政治的な社交上の道具として、優秀な能楽師を抱えていることが権力者のステータスになりました。明治時代になると国威昂揚に利用され、戦時中は天皇が逃げる話に墨が塗られました。戦後はバブルを迎えると、ゴルフのように経済人の社交道具になり、コミュニケーションの場になったんです。

では今は何かといえば、マインドケアで利用されるのだろうと思っています。今は戦のない戦争と言われますが、経済戦争は続き、貧乏になる人が増えているのです。そうした中で、将来への不安を癒す場を能は提供できると考えています。」

現在の能の原型は、室町時代に観阿弥・世阿弥が確立した。実は歌舞伎も能楽から生まれている。
得意なことを十八番というが、十八番は元々能の用語。能の形式を踏襲し、背景に松を描いた舞台で演じる松羽目物(まつばめもの)のことを指す。
意外なことに、能は日本オリジナルの文化ではないのだそうだ。

能はビザンチン文化(西暦400年前後〜12世紀頃に栄えた東ローマ帝国の首都コンスタンチノープル(現トルコ領)を中心とした文化)の影響を強く受けています市松模様も唐草模様も、日本のデザインではなくてビザンチン文化から来ています。元々の着物の柄には幾何学模様はなかったんです。ローマやトルコからシルクロードを経由して、あるいはインドから海路で伝えられた文物が大量にあり、それを取り込んだものが能を生み出しました。

能の舞台も、元々は中国の建築技術でした。昔は明かりがなかったので、太陽の光を内側に入れるために、周りに水を張ったんです。
翁という演目で着物に使われている柄は、モスクの天井に描かれている蜀江模様というアラベスク模様です。幾何学的な文様は当時の日本にはありませんでした。格子や襖もフィリピンから来ています。ドットや縦じまもそうした海外から伝わった文様です。

日本の元々の柄はシカや鳥の絵を描くという感じで、それが海外から影響で幾何学模様を描くようになったんです。
日本は昔から海外の文化を取り入れて、自分たちの文化にするのが得意だったんです。」

古典であり、門外漢からは伝承の中にマンネリ化しているかに見える能だが、その本質にあるのはコスモポリタリズム本質的に非常にラジカルな芸術なのだ。
「能楽がつまらないとか眠いと考えられるのは、今の舞台エンターテイメントとして見ているからだと思うんです。」

宝生氏によれば、能は現代演劇や音楽とはまったく別物だという。

「美術館といえばわかると思うんですが、能楽は大きな驚きや感動を与えるためにあるのではないんですね。その真逆なんです。心を落ち着かせて自分の心と向き合うことが能楽の本質にあるんです。なぜかといえば、元々、死と近い時代に生まれたものだからです。人間誰しもが不安を抱えながら生きていて、でも不安を抱えていると何もできない。だから死への不安を取り除く必要があったんですね。だから自分自身と対話する時間を作る必要がありました。それが能やお茶の本来の効用だと言われています。」

そう言われても、大変に失礼な話ではあるが、能を観ていると眠くなってしまうのだが‥‥?

「それには理由があって、能楽と雅楽は一定のリズムを刻むんです。他の音楽のように、メロディが激しく変わるようなことはありません。曲が早くても遅くてもリズムは八拍子で進むんですが、これは心音のリズムから来ていると言われています。一定のリズム音を聞くと、人間は副交感神経が優勢になります。副交感神経はリラックスさせる神経なので、眠くなってきます。どんなに速い曲でも、等間隔にリズムが刻まれているとリラックスする。能を観て眠くなるのは当たり前なんです。」

眠くなるように作られているのなら、眠ってしまっても恥じることはないだろう。

「今の時代は、経済的な問題や将来に対する不安、そうしたものをエンターテイメントを見て一時的に忘れるようにしています。しかしお祭りの帰り道がとても寂しくなることがありますよね。フェスティバルは大きな感動や喜びを生み出すんですが、その代わり、終わった後にとても寂しい。それに対して能楽には、そういう寂しさはありません能は観るモノではなく問題を解決する場なので、能をボーッと観ながら、自分の不安の原因を洗い出したり、人間関係のことを考えたりするととても良い時間になると思います。」

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