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株式会社 船橋屋「くず餅ひと筋 真っすぐに」

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、株式会社船橋屋代表取締役八代目当主 渡辺雅司江戸文化二年、1805年の創業以来、どんな社会変化があろうと、ただひたすらまっすぐに、くず餅の磨き込みを重ね、職人の手から店頭を通じ、お客様のもとへ。一貫したこだわりとおもてなしの心を持ち続け、200年の時を超えて、多くのお客様に愛され続けてきた。人が美味しいものを口にした時、自然とこぼれる笑顔は幸せの証。そのひとつひとつが繋がることで、心豊かな社会が実現する。「江戸固有の和菓子であるくず餅の創造的継承を通じ、この心豊かな社会の実現のお手伝いをして参りたい。」そんな想いを胸に刻む渡辺雅司に、船橋屋、そして自身のストーリーを語ってもらう。

石田:今回のゲストは、株式会社船橋屋代表取締役八代目当主、渡辺雅司さんです。よろしくお願い致します。

朝岡:ようこそお越しくださいました。

渡辺:ありがとうございます。

朝岡:船橋屋という名前を聞くと、歌舞伎の屋号みたいで、いかにも歴史と伝統を感じますけれども、古いものも新しいものも、非常に事業内容豊富なようで、どんなものをやってらっしゃるかお聞かせください。

渡辺:もともとここに置いてあるくず餅という、江戸特有のお菓子なんですけども、これを亀戸天神の参道でずっと作って売っている企業なんですね。くず餅というのは千葉の田舎で食べられていた、農家の方々がおやつで食べていたお菓子なんですね。それを商品化したのがうちの初代でして、亀戸天神の中でそのお店をおこしたのが、今から211年前になります。

朝岡:千葉と言うと、船橋という地名がありますけど。

渡辺:船橋大神宮というのが今もありますが、その横で豆腐屋をやっていたんです。

朝岡:そこから。

渡辺:そこからこっちに出てきて、出身地の屋号を取って、船橋屋とつけた。

石田:そしてこちらに並んでおりますのが、船橋屋さんのくず餅。三種類ございますけれども、こだわり、パッケージなども伺ってらっしゃるんでしょうね?

渡辺:広重の画をそのまま、長年使っているものですけれども、パッケージは同じものを基本的にずっと使わせて頂いているんですね。

朝岡:ずっと変えないものというと、パッケージに450日自然熟成なんて書いてあるんですけれども。

渡辺:くず餅というのは、実は和菓子で唯一の発酵食品なんですよ。

石田:発酵食品なんですか?

渡辺:実は知らない方がすごく多いんですけれども。小麦粉がベースなんですが、そこからいわゆるグルテンというものを水洗いして取って、残ったデンプンを450日くらい発酵させて作っているんですね。ですから皆様に食べて頂くお餅というのは450日前に仕込んだものなんです。

朝岡:一年以上?

渡辺:だから年によって、夏が暑かったりすると結構美味しかったりとか、冷夏だとイマイチだったりなどがあるので、ワインみたいに、「その年のくず餅は旨かったね」などは結構あるんです。

朝岡:変化がある。知らなかったですね。

渡辺:変化が全然違うんです。やはり発酵のなせる業かなと思います。

200年の時を超えて、人々に愛される船橋屋のくず餅。実際に試食し、その味に隠された想い、こだわりに迫る。

石田:それでは早速頂きます。

渡辺:黒蜜ときな粉をよくまぶして頂いて。

石田:すごく弾力がありますね。

渡辺:独特の弾力が、召し上がっていただくとおわかりになると思うんですが、何にも似てないような弾力が。

朝岡:プリンとか、お餅とか、もちっとしたものはいっぱいあるけど、この弾力というのはくず餅だけですね。

渡辺:そうなんです。発酵しないとこれが出ないんです。300日でもちょっと違うし、500日やりすぎても違う。

朝岡:そこで450日。

渡辺:それが今までの中の一番良い所という。

朝岡:でもこれ、そのものに味があるというよりは、黒蜜ときな粉が一緒になって出てくる味わいで、すごくくず餅自体はシンプルですよね。

渡辺:昔はもっと発酵臭があったんですね。あえて出してたんですが、最近それがあると、たぶんお客さんが「これ何?」っていうことになってしまうので。

例えばヨーグルトとか納豆は酸っぱくても良いけれども、くず餅が発酵してるということをご存知ない方が多いので、酸っぱいと「何だこれ」という話になってしまうので、極力それを全部消してるんです。ですから30年前と全然お味が違う。実は。

朝岡:変化してるんですね。

渡辺:そうなんです。仕込みの間に呼吸をするものですから、例えば音楽を聞かせてあげたりとか。

朝岡:何を聞かせるの?

渡辺:モーツァルトを聞かせたりとか、あとクリスタルボールってご存知ですか?水晶で作った大きいボールがあるんですが、あれを音でCDに入れて、聴かせてるんです。

石田:くず餅に聴かせてるんですよね?

渡辺:音楽を聴かせながら「ちゃんと良い子に育てよ」って言って。

朝岡:お酒なんかだと聞いたことありますよ。お酒を仕込むときにモーツァルトを聴かせたりすると、味わいが微妙に変わって優しくなると聞いたことがある。船橋屋さんのくず餅もそういうものを聴かせて?

渡辺:色々聴かせたんですけど、クリスタルボールというのが一番良くて、なんかとってもいい感じで出来上がるんですね。これ不思議なんですけど。

ここからは四つのテーマをもとに株式会社船橋屋八代目当主渡辺雅司の言葉から、歴史と伝統の裏に隠された物語、船橋屋が誇る長寿の知恵に迫る。まず最初のテーマは「創業の精神」。創業者の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯、家訓や理念が生まれたきっかけと共に、今の社員へ伝え浸透させる術を渡辺雅司の言葉から読み解く。

渡辺:211年前に亀戸天神の参道で創業したんです。昔は神社の中で商売をやるというのは、利権が凄くあったものですから、私の初代は豆腐屋でこちらに出てきて商売をする時に、すぐ商売できなかったので、植木屋に弟子入りして、少しだけ境内で店を持たせてもらって、このくず餅を始めたんですね。

よくお聞きになると思いますが、近江商人の「三方よし」という言葉が商道のど真ん中にあって、売り手がよくて、買い手がよくて、世間がよいというのを叩き込まれてこっちに出てきたと。自分の縄張り以外で商売する時は、まわりの地域をも幸せにしなくてはいけないと、そういう想いで亀戸へ出てきて。まずは地元に貢献するところから始めて商売を起ち上げていったと聞いているので、それが我々の今に至るまでの創業精神の中に入っているんですね。

だから家訓に「売るより作れ」という言葉がありまして、売ることばかり考えるなと。作れば必ず認められるんだという、いわゆる昔ながらっぽい家訓ですけれども、そういうものがずっと脈々とあるので。我々はどちらかというと商人なんですけども、作る方へのこだわりというものが凄く強い。

朝岡:450日熟成で、あっという間に食べちゃうわけですよ。だから現代ではもっといっぱい売りたいとか、あるいはどこでも手に入るように真空パック作るとかね、いろんな技術革新と一緒に歩む企業も多いですけど、船橋屋さんはそのあたりはどうなんですか?

渡辺:我々は「刹那の口福」と呼んでいるのですが、一瞬の幸せを楽しんで頂きたいという想いがありまして。もちろん保存料とか真空パックにすれば売上は5倍にも10倍にもなるんでしょうけども、人間というのが自然の中で生まれたものでしょうから、自然にとって頂きたいという想いがあるんですね。ですからそれが出来ないのであればそこでは売らないということなんです。ある意味、江戸時代から何も入れてないものを自然にとって頂くというのが体に一番優しいんじゃないかと。

450日かけて2日間で売るというのが江戸っ子っぽくて、潔くて、儚くて、粋だろうなと。これが江戸の粋なんだろうなと。そういうのが一社くらいあっても良いんじゃないかなと。守り続けるものがあっても良いんじゃないかなと思って、そこから愚直にずっとやっている。

石田:そこから企業理念の「くず餅ひと筋 真っすぐに」が生まれたと?

渡辺:とにかく真っすぐであれというのは、外に対してもそうですけれども、みんながうちのくず餅を買ってくださるというのも、ちょっとでも嘘があるものとか、そういうものを作ってたら、多分買っていってもらえないだろうと。少しでも会社の中に嘘があってはならない。常に真っすぐにいこうと。それはくず餅が白い餅に蜜ときな粉をかけるだけのシンプルなものなので、それ故に違いがわかってしまうんですね。材料もそうですし、製法もそうですし、そういうお菓子なものですから、そこに嘘があってはすぐわかってしまうんですね。

だから初めて食べて頂いた方には「これがくず餅なんですね」ってよく言われるんです。まさにそこがこだわりと言っていいのかわからないですが、正直に真っすぐに行った結果がそこに至っているという。

朝岡:大事なものを守っていく理念、家訓というものを社員の皆さんにも伝えていくのは、やり方というか、浸透させ方があるとおもうのですが、そのへんはいかがですか?

渡辺:あまり眉間に皺を寄せてあれをやろうと言って目標を立てるというのはあまり好きではないんですね。よく成功哲学でそういうことを言われる方もいらっしゃいますけど。どちらかというとそれは少し古典的で。今ここで楽しく良いものを作る喜びを味わうと、自然にある所まで行っちゃうんだろうなと。それを組織の中に浸透させているんですね。後ろ姿が、会社に行く時もゴルフに行く時も一緒にしようという。

石田:羨ましい会社ですね。

渡辺:お父さんがそうやって出て行くと、それを見た子供が「仕事って良いんだな」って思うじゃないですか。社会に出るって良い事だなと思うと思うんですね。だからそうやろうよと言っているんです。

朝岡:素敵だね~。

決断 ~ターニングポイント~

「決断」~ターニングポイント~。長い歴史の中で起こった経営危機や苦難に対し、どのような決断を下し乗り越えてきたのか。船橋屋、そして渡辺雅司にとってのターニングポイントに迫る。

渡辺:祖父の代というのはご存知の通り、東京大空襲があって全部丸焼けになって、倉に火が入るのを見てから逃げたと言ってました。ただ原料の仕込みというのは水をかけて上から何かかけて逃げたので、焼けた跡かたくず餅の原料だけは出てきてくれたと。

それで早急に復旧ができたということですね。その当時闇市なんかもすごくあったんですが、ちゃんとした価格で皆さんに振る舞っていたことが、あとから皆さんの恩返しじゃないですけども、お客様がさらに戻ってくるのに繋がったという風に聞いています。

長寿企業の宿命であり事業の継承に欠かせない後継者問題。船橋屋の八代目当主、渡辺雅司誕生の経緯とは?

朝岡:渡辺さんご自身は、小さい頃から継ぐことを意識したりとか、親から言われたりとかはしたんですか?

渡辺:それが一切ないんですよ。祖父も父も養子だったので、また養子が継げばいいじゃないくらいに思ってたんです。住んだのも亀戸ではないので、千葉の山の中で僕は放っておかれてたもんですから、蛇とか振り回したりですね、昭和40年代でしたから。まあとにかく悪ガキで、野原とか田んぼとか駆け回ってたんですね。

大学入ったくらいから、金融マンになりたいと思いましてですね。円が自由化されたりとか国債化されてる時期で、プラザ合意というのがあったんですよ、85年に。急激な円高が進みまして、これは面白そうだな、ディーラーをやりたいと言って都市銀行に入っちゃったんですよ。銀行マンです。銀行で多くを学ばせてもらったんですが、特にディーリングの世界で、バブルのまっただ中だったんで、楽しませてもらって、一切実家のことなんて考えないという生活を送っていたんですね。

石田:そこからどうして?

渡辺:大好きだった祖父が倒れまして。実は祖父には長男がいたんですが、継ぐ力がなかったというか。それで祖父は長男を泣く泣く外に出して、父を養子に迎えたんです。そういうものを僕には口に出さなかったですが、背負って生きてきたんだろうなというところがありまして。

祖父が死ぬ間際にうわごとで何かを言っているのでちょっと聞いたらですね、息子の方が先に酒の飲み過ぎで死んじゃったんですが、その息子を諭しているというか、死ぬ間際までお説教している姿を見たときに、やはりこういうものは脈々とした色んな願いとして、実は子供が継がないといけないんじゃないかということに、27、28歳で気が付いたんです。

それでものづくりも面白いのかなと。ずっとお金の世界の中にいたので、日本というものはやはりものづくりなので、一回そこに入ってみようかなと思って、家業に入ったというのが経緯。

石田:いざ家業を継がれて、やはり色々苦労されたんじゃないですか?

渡辺:面白いんですけど、今でこそマスコミの方々に愛される会社ということで取りあげて頂けるんですが、当時私が入った22年くらい前は、夕方くらいになると職人が酒盛りしているんですよ。16時くらいから。「何やってるの?」と聞くと、「仕事終わったからやることねえんだよ」みたいな話で一升瓶をみんなで。あと日曜日になると、場外馬券場に行っちゃって誰もいなくなるみたいな。

一応銀行員で多くの企業さんもディーラーやったあとに持たせて頂いて、企業を見てきたので、このくらいの中小企業は簡単だろうと思って入ったんです。ところが本当に大変でしたね。全く言う事聞かないし。

朝岡:そりゃ働いてる職人さんはね、この世界の事は俺たちが一番よく知ってるぞと。

渡辺:そう。後から入ってきたやつが何を言ってるんだと。もうドラマのような世界ですよ。

朝岡:そこを10年かけて少しずつ?

渡辺:まさに眉間に皺寄せて、経営者たるものは利益を出さなきゃいけないと思ってやっていましたので、経営の目的は利益を出すことだと。銀行員でしたから。キャッシュフローをどれだけ潤沢にまわすことだってやっていたので、ちょっと違う人を見ると、なんか異物みたいに見えるわけですよね。

だから焦ってくるわけですよ。この人がいると会社が大変なことになるんじゃないかと思ってくると全部バッタバッタ切りたくなっていくわけです。そういうことを30代の頭頃にやっていましたね。

石田:社員の皆さんはどういう反響だったんでしょうね?

渡辺:まだ専務だったので「あの馬鹿が社長になったら辞めてやる」みたいなことを言っていたらしいんですけど。ただ、やると自分もどんどん元気が無くなってくるんですね。返り血を浴びますので、夜鏡を見たら血まみれの自分が見えたんですね。自分も夜寝れなくなったりとか、色んなことがあったので。

根本的に自分の考え方もマネジメントも変えていかないといけないだろうなとその時思いました。だから自分のターニングポイントはまさにその時だったなと思います。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

心に刻む言葉と想い。強い思いと信念が込められた言葉には魂が宿り、一人の人間の人生に大きな影響を与える。渡辺雅司が先代や家族から受け継いだ想い。そして現在自らの胸に刻む言葉とは?

渡辺:私共の船橋屋という字なんですが、実は文豪の吉川栄治先生に書いて頂いたんですね。宮本武蔵とか書かれていますけども。私どもの黒蜜を食パンにかけながら執筆してたというのが有名な話なんですけれども。実は吉川栄治先生というのは非常に良い名言を持たれていて、いくつかあるんですが、特に二つあります。

ひとつは「我以外皆我師也」という、自分以外はみんな師ですと。例えそれは子供であっても、お年寄りであっても、ひとつひとつに大きな耳を傾けなさいという教えだと思うんですね。これはもの凄い大切にしてきたことです。

もうひとつは登山のことを吉川先生がずっと言われていて。「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある。」本当の登山の醍醐味というのは山の中腹で見る草木であったり景色だったり、それが最も面白いんだと。人生もそういうものなんだよと。

頂点ばかり見ていると見えないものがあるから、ふと止まってまわりを見渡すんだと。そうすると色んなものが見えてくるという教えですね。

朝岡:それは多くのお客様やお取引先と関わるのが最初の言葉、もうひとつの言葉というのは、経営をしていくという、そっちの方向ですか?

渡辺:まさにそうです。常に今を楽しめということだと思うんですね。今を感じろってことだと思うんです。頭で考えないで、今ここを感じろってことだと思うんです。そこをすごく大切にしています。

スターウォーズの中でもヨーダが同じことを言っていますけど。「今ここにお前はいない」ってルークスカイウォーカーを説教するシーンがありますけど、まさにそこ、今を持つという。それをマネジメントの中にも入れてるんですね。この二つだけはしっかり守っているんですけど。

石田:心に沁みますけれども。渡辺さんは新卒採用の説明会でも学生さんと自らお話になったりとかされるんですよね?

渡辺:我々は新卒採用というのはひとつのイベントとして見ていまして、お陰さまで今1万7000名くらいの新卒の学生さんが殺到する企業になってまして。よくこれだけ下町の和菓子屋さんに入りたいと言ってくれるなと思うんですけれども。

会社説明会がすごく面白いという学生さんの評判があるんですね。我々は選考というよりも、先ほど後ろ姿の話をしましたけれども、やはり社会っていいものなんだよと、仕事っていいものなんだよというのを学生に教えてあげたいなという風に思っていて。多くの企業というのは、我が社はこうだと、こんなもんやってて、こんな目標がありますと、そんなこと言うんですけど、うちの説明会はそういうのはあまり無いんですね。それはちょっと会社説明から読んどいてと言って。

あとは僕が出て行って、「いきなり社長何しにきたの?」ってみんな言うんです。前に出ていって、「君たちが今一番望んでいるものはなんですか?」と言うと「内定欲しいです」ってみんな言うじゃないですか。「じゃあ内定をとれる3つのポイントを教えてあげよう」ってそれだけなんです。「聞きたい人?」って言うとワーって盛り上がるんです。それで3つのポイントを言って。そうするとそれが口コミで広まって。

もちろんそれだけじゃ無いんですが、わざわざたどたどしい社員の1年目とか2年目の子にプレゼンテーションさせるんです。去年の気持ちはこうだった、ああだった、今こんな仕事にやりがいを持っていますという風に言うんですね。だから新卒採用を本格的に始めて10年なんですが、当時200名くらいしか来なかったのが今1万7000名に膨れあがっている。

石田:ポリシーとか考え方が似たような方々が集まっていると思うんですけれども、それだけ社員の皆さんが仲が良いとか、それでイベントがこんな沢山あるとか。

渡辺:よく会社でいがみあっているとかあると思うんですけど、それがよく分からないんですよ。みんな楽しいし。うちは人事評価も上にいけばいく程チームビルディングできないと評価されないようになっているんですね。一人がパフォーマンスを出しても評価しないということになっているので、必然的にみんなでワイワイやりながらやっていくと。中期経営計画も漫画になっているんですよ。

パートの70歳のおばあちゃんもいるので、漫画で3年後の船橋屋はこうなるっていうことを言っていて。表紙にシャレで「1人見厳禁」と。みんなで見てワイワイやっていると。中期経営計画とか理念とかビジョンというのは、みんなのものなんだからと。

つくる時も僕がつくるわけじゃなくて、プロジェクトを組んで、20人くらいで作っていくんですね。それをすると志が共になってくる。常に志というものが一番大切だと思っているので、それはくず餅売るのも採用も一緒ということでやっていると、絆とかつながりを大切にされている世代には凄く響くんじゃないかなと思うんですね。また古いうちみたいな老舗がやっているから面白いんじゃないかなと思いますけど。

朝岡:コミュニケーションの場がいっぱいあるようなものを意識なさっているじゃないですか?

渡辺:共通の言語といいますか、共通の認識、共通体験を非常に大切にしているので、そういう場を沢山作っています。例えば社内報というのがあるんですが、堅い社内報ではなくて、本当にふざけているんですけど、ひとりひとりにスポットを当てた面白いものになっていて。

その編集も1、2年目の子が編集長やったりとかですね。とっつきにくい部長のところに行ってインタビューしたりとかですね。普段は管理部門にいてあまり目立たない人達にスポットを当てるような内容にしているんです。

あとは夜の運動会というのをやっていまして、仕事終わったあと小学校の体育館を借り切って、大玉転がしやったりとか、玉入れやったりとか、童心に戻ってやったりとか。

あとありがとうを形にするということで、ありがとうカードというのをやっていてですね、複写になっていまして、ちょっとやってもらっていいですかって言って、一枚渡して一枚自分のところに取っておく。そうするとあげた方がどんどん元気になっていくんですね。多い人は600枚とか700枚を年間で、ありがとうという言葉を出していく。言霊というのは本当に大切なので、そこを社内の中に浸透させていく活動をしています

NEXT100 ~時代を超える術~

「NEXT100年」~時代を超える術~。革新を続け、100年先にも継承すべき核となる部分とはいったい。長い歴史と共に先代達が綴り、時代を超えて語り継がれてきた船橋屋の物語。8代目当主渡辺雅司が次代へ届ける長寿企業の知恵とは。

渡辺:ちょっと夢がありましてね、プロバイオティクス企業を作りたいなと思っているんですね。先ほどから申しているとおり、くず餅というのは450日樽の中で発酵させておりまして、江戸時代からずっと生きてきた乳酸菌があって、くず餅の中には13種類くらいの乳酸菌がひしめきあっているんですよ。

7年前から研究を大学病院とはじめて、7年前にわからなかった菌が5種類くらいいたんですよ。その後発見されて、一昨年くらいから、人の免疫力を高める菌がくず餅の中にいたことがわかったんですよ。ラクトバジェルスの一種なんですが、新種だったものですから、くず餅乳酸菌ということで商標登録して、とれたものですから。くず餅株という名前を図々しくも付けまして。

その乳酸菌を同定して抽出して培養して、サプリメントの実験をしてみたんですね。それを医療の世界で体にどのような影響があるだろうかということで、8名の年代と性別の違う方々に2ヶ月間接種していただいて、腸内フローラの動きを見たんですね。そしたら全員の悪玉乳酸菌がいなくなっちゃったんです。これはすごいということで、まさに製造の最後の部分なんですが、早ければ来年の頭にも医療機関専門のサプリメントが出来上がるんです。

ちょっと今日持ってきたんですが、これはなんでもない乳酸菌を持ってきたのですが、これをカプセルに入れて、2017年の頭くらいからお医者様の間で出すと。もう結構コアなファンが沢山、サンプルだけで付いていてですね、もう半年くらいしたら、一般向けにジュレタイプの黒蜜味の美味しいやつを出していきたいなと。

これも試作の方は終わっていまして、ウィダーみたいに手軽に摂れる。1日1包5チューチューするだけで、つやつやになるよみたいなサプリメントを出していこうかなと。これをもって社団法人をつくりまして、くず餅乳酸菌研究所というのをこの前起ち上げまして、ここでラボをつくって色々研究していきたいと。どこが良いかというと、動物由来ではないということ。

植物由来なので、乳アレルギーの方でも摂って頂けるということと、211年ずっと生き続けた菌なので、もの凄く強い菌なんですね。それを皆様方の体の何かお役にたてる形で出していければいいなというのが将来の夢なんですね。くず餅屋さんというよりもこちらの方で自分はやりたいなと思っているんです。

朝岡:それが変わっていく部分。

渡辺:変えていく部分。もちろん変わらないくず餅はそのまま。この前も68年くらい経っている本店を耐震補強しまして、そのまま残していくと。くず餅も2日間しか売らない。

朝岡:450日熟成して。

渡辺:そこは絶対変えない。技術があったとしてもここは絶対変えない。海外にはくず餅乳酸菌なら出せますから。それでくず餅って何だってことになると思うので、東京オリンピックに向かって食べに来てくださいよと、そういうような。

朝岡:なるほどね。老舗の生きてく二大鉄則、守るべき伝統と変えるべき革新。これを見事に渡辺さんのところはおやりになってるんですね。

渡辺:くず餅乳酸菌が出来ましたので、いろんなスイーツに入れられるんですね。そうすると発酵和菓子が出来あがるわけです。その発酵和菓子の専門店もつくっていきたいなと。体にもいいお砂糖を使うとか、こだわって、ひとつのブランドを作っていきたいなと思っています。

朝岡:日本に100年を超える企業が非常に多くて、世界的にとても注目されているんですけど、中でも食べ物を扱うお店で100年、200年続くお店があるのは日本だけなんじゃないかと思うんですよ。その中でこれからの100年に渡辺さん、そして船橋屋さんが残していきたいこと、100年後に伝えていきたいことっていうのは何でしょうか?

渡辺:100年と200年でも大きな違いがあるんですね。明治維新を挟んでいるという。200年企業になると急に少なくなる。100年企業は結構あるんですけど。3000社しかないんです。

どこが違うかというと、社会構造が変わっても生き残っているということは、社会から必要とされているんです。社会性のある企業だと思うんです。社会性というのは、世の中の色んな問題とか、そういうものにどうやってアプローチできているかというのが凄く大切だと思うんですね。

我々は食の安全性とか、さらに良いものを体に入れて頂きたいという想いを、ずっと新しい形で繋げていきたいという風に思っているんですね。そのやり方としてはくず餅が基準になることは変わらないんですが、色んなブランドを増やしていきながら、ずっと残していくものというのは、潔さと儚さというものが日本人の心なんだと。ここは心として活かしていくんだけれども、見せ方を凄くクールなものというか、未来的なものにしていきたいなと。

これから人工知能なんかもどんどん入っていくので、こういう乳酸菌の配合なんかも、色々と勝手に人工知能が出すようなハイブリットというか、先進的な和菓子をどういう風に作っていくか。たぶんそっちの方へいくんじゃないかなと思っています。世の中大きなデジタルに分かれるか、完全なアナログになるのか、どっちかだと思うので、アナログのちょっと後ろにもの凄い高度なデジタルがあって、それを支えていくような。

それが世の中全体を作っていくというか、幸せにしていくような仕組みを作っていきたいなと思っています。そしてやるのは人間ですから、いつも人間が幸せで健康でいられるような仕組みづくりというのを微力ながら出来ればいいなと思っています。

朝岡:みんなが幸せになるくず餅と会社ということですね。

渡辺:久しい寿と書いて別名「久寿餅」というんです。

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