株式会社 江戸清 〜横浜の風土に育まれて一世紀

株式会社 江戸清
創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは、株式会社 江戸清4代目代表 高橋伸昌(たかはし のぶまさ)
創業は1894年
創業者の高橋清七(たかはしせいしち)が横浜で豚肉販売業を開業したのが始まり。
関東大震災や横浜大空襲の大過に見舞われるが、事業環境の激しい変化の荒波を乗り越え現在に至る。
食肉の歴史とともに歩み続けたなかで、食肉先進国であった米国と早くから取引をしたことにより、安全・衛生面において、いち早く近代化を取り入れてきた。
“ブタまん”をはじめとした各種中華まんじゅう、中華惣菜、創業の頃から始めた肉の加工品は、横浜名物として広く愛され、中華まんじゅう製造会社として全国屈指の規模に成長。
常に「おいしさ」にこだわると同時に、「品質・鮮度」「環境」そして何より「安心・安全」にこだわったものづくりに邁進している。
今回は、そんな「江戸清」の4代目代表、高橋伸昌の言葉から、江戸清の持つ長寿企業の知恵、物語に迫る!
高橋: 私共、株式会社江戸清は、横浜で生まれて横浜で育った企業です。明治27年創業で今年で124年目になりました。事業内容につきましては、お肉を中心とした加工製造、卸もありますが加工製造・卸し・販売と言うことで一般消費者向けに売っているお饅頭類。あと、業務用でやっているメーカーとしての色彩を持ったもの、この2通りで現在事業を進めています。
~強みと特徴~
うちの会社は一般消費者向けに売っているものと、業務用のものと、いわゆるサービスとメーカーの2つの色を持っているというところがまず他社と違うところのなのかな?と思っております。
後は非常に江戸清が戦後、米軍との取引。米国、アメリカとの取引が始まりまして。アメリカは肉の本場ですから。日本の場合はお米とか魚ですけど、アメリカは肉の本場なので、そういう意味で肉の取り扱いとかを、親分のアメリカに教えてもらったというか。
あとは大手企業と言うか、自分の背丈にあっていないような大企業とお付き合いさせていただけたおかげで、非常に安全・安心・衛生・鮮度、こういったものに非常に厳しい要求がございましたので、業界の中でも特に風変わりな企業として。
例えばですね、豚はワクチンを打つんですね。ワクチンを打つと注射で打つわけです。この注射が当然豚が暴れるとこの注射の針が体の中に入る。豚肉をおろすとですね必ず何頭に一頭には注射針が入っている。これは肉屋では当たり前のことだったんです。
ただ大手企業はそれを許してくれずに、まず江戸清では金属検出機を入れました。これは業界の中でもですね、「江戸清気が狂ったか?」「肉にあいつら金属検知器かけてるぞ」こんな声が聞こえまして。
それが今度は笑っていた企業にも一般的になって、そのころには私共はX線を使っていました。「今度は肉でX線かけてるぞ」そんなことでですね、特に安全安心という部分では米国、それから大手の取引先のおかげでですね、私共の御岳背丈に比べるとですね、ISOの14,001環境、ISOの22,000安全、こういったものはいち早く中小零細企業の中では取得しているほうかなとは思ってます。
将来的にはさらに大手とどんどんどんどん取り組みをしてますので、FSSCというISOのもう一歩上のレベルの、衛生基準と言うかそういう国際基準、そういったものの取得も現在検討中です。
~国産と外国産の違い~
基本的には国産のものも海外のものも、一つの安全基準そういってた基準にのっとってみんなに提供されてますから、安全と言う部分ではほとんど同じだと思います。
ただ、日本人と言うのは非常に “想い”を入れるというかね。例えば和牛を取ってみても、体をたわしで和牛の農家の方が一生懸命洗ったりだとか、牛に話しかけたりと。そういうことで非常に想いが製品のクオリティになっていく。毎日「お前はいい子だいい子だ」と言っているといい子になるようにですね「お前はおいしくなるんだおいしくなるんだ」と・・・そうは言ってないかもしれませんけど(笑)。そういうことでお肉もおいしくなる。
海外へ行くとですね、とにかく規模が大きいんですね。何ヘクタールの中に何千頭、何万頭という牛がいて、それを一頭一頭当然なでるわけにはいけませんので。これを一挙に放牧をして、それを一挙にキャトルロードと言う、牛は後ろに進めないのでね、前に前にどんどん進めるんで、最後に三角形の頂点に一頭だけが前に進むようにする所があるんですね。後ろには牛が何千頭といる。そのなかでこう牛が押されて一頭入ると、頭がボコンと打たれて気絶さえられて、それで処理をされる。やっぱり日本の牛肉って言うのは非常においしいし、一つの世界中での憧れの的みたいな。和牛と言えばですね、アメリカに行っても中国に行ってもどこに行ってもそれなりの値段になる。
ですからそういったところをめがけて、アメリカもオーストラリアも努力を重ねてどんどんどんどん品質を改良していってます。ですから以前の何十年前のオーストラビーフと今のオーストラビーフでは全くクオリティが変わっている。だからどんどんどんどんこの差が少なくなってきているという意味ではですね、非常に選択肢の幅は増えたのかなと思います。
高橋: 西洋文化の入り口ということで、アイスクリームだとか肉だとかいろんな文化も文明も入ってきているわけですね。特にお肉については当時高価なものだった。
魚肉を食べて動物性たんぱく質を補っていた日本人には、急に完全に哺乳類の動物性たんぱく質、そういったものを取るところに行くには、まだいくつかの階段があったんでしょうね。壁が。やっぱりお肉って言うのは獣ですから、獣臭がするわけですね。この獣臭を日本人は嫌うんで、獣臭を消すために味噌を使ったわけですね。横浜のお肉のスタート地点である牛味噌。高価なものなのでこれを今度は薄く切って野菜と煮込む。それで量を食べるようになった。これがすき焼きですよね。
ですからそういう意味で、肉が入ってきてうちが操業したのが明治27年ですから20年を超えるような年月が経ってますんでだいぶお肉ってものに対しての認識はできていた時代だと思います。
その中で千葉のド田舎の人間が急に出てきて「これはうまいぞ」といって曽御爺さんの顔、感激、それは何となく目に浮かぶような気がします。
やっぱり我々もそうですよね。意に反して「美味しいな!」って言ったときにはすごく心も体も感動するわけですよね。この感動体験って言うのは絶対に忘れない。それがうまく仕事につながった。さすがだと思います。先祖だけど(笑)
~社名に隠された物語~
だいたい江戸清っていうと、すし屋か蕎麦屋に間違われるんですね。肉屋って思う人はまずいないと思います。
そういう意味では最初の創業者、ファウンダーがわたくしの曽御爺さん、高橋清七(たかはしせいひち)「きよく」「ななつ」で清七と書くんですけれども。もともとうちは千葉で庄屋をやっておりました。そこでとれた農作物をですね、横浜の港のほうに運んでそれで行商をしていたということがもともと横浜とのかかわりの始まりです。
その中でうちの曽御爺さんが、横浜に行ったときにお肉を食べたと。「こりゃ美味いぞ」と。「これは絶対これから日本人が常に食べるものになる」ということでうちの曽御爺さんは千葉で養豚業を始めます。この養豚業で育てた豚を横浜に卸した。
その時に江戸屋さんというところがそれを買って下さったと。たまたまその江戸屋さんには江戸屋ワスケさんという方がいたんですが、息子、息子というか跡継ぎがいなかった。「高橋さん、それだけ気持ちをもって売ってるんだったらうちを継いでくれないかね?」ということで、この江戸屋さんを引き受ける、今でいうとM&Aということになるんでしょうけれども、それで引き受けて江戸屋さんの「江戸」と高橋清七の「清」という字を合わせて、「江戸清」という名前を付けたと聞いております。
うちの曽御爺さんが私のお爺さんに話し、おじいさんが父親に話し、父親が私に話す。だから風呂場の中でですね、親と子が入った時に例えば「うちの名前はこういう風に言うんだぞ」と。「お爺ちゃんはこうだったんだよ。お前は将来継ぐんだよ」とそのように風呂場の中で経営学とかそういったものはあったと思います。その中で伝わって来たということです。
~社是に込められた想い~
基本的に江戸清のということになるとやはり社是。「事業を通じて社会に奉仕する」これが私共一丁目一番地ということになります。
じゃあ事業って何なんだ?って。ここらへんをもっと将来的には「事業って何?」「社会奉仕って何?」こういったものをもっともっと社員たちにはブレイクダウンしていかなければいけないと思っていますが、とりあえず事業を通じて社会に奉仕する中で、地域に貢献していく。なぜ地域に貢献するのか?それは我々が地域に生かされているから。
そういうことで、私の父もおじいさんたちもやっぱりそれなりに地域の中での篤志家。地域にいかに役に立てる人生が送れるかということをやってきた。そういうことが江戸清の中に脈々と継がれていると思います。
だから社是は基本的には変える必要はないと思っています。ただ、時代がそういうことを求めるのであれば、その時にその時の経営者がやはり考えていかなければいけない。そう思っています。
~理念や想いの浸透~
この社是「事業を通じて社会に奉仕する」。例えば社是を実践するための企業理念、“品質優先・顧客志向・食文化の創造”。これに我々社員たちが「会社発展の心得8か条」っていうのがあるんですが、これを必ず毎日唱和してます。
やはり唱和することによって体の中に入る。空に暗記することによってその意味を知ろうとする。そういうプロセスになっていくのかなって思うんですね。
後はやっぱりうちの会社に勤めているのはどちらかというと子供をみんな持ってますから、親が務めてますんで、子供が「お父さんの会社なに?」って言ったときすぐにさっと言える。「どういうことを基準にしてるの?」で「うちの企業理念はこうなんだよね」って、そういう風に空に言えるって言うのは親としても誇らしいのかなって。子供にとって映る親って「かっこいいな」って思うと思うんですね。だからなるべくわかりやすい言葉で、そして四字熟語というのは非常に語呂がいいのでそういうようなことで、朝礼だとか毎日の1か月に1回の全体朝礼の中で唱和をしております。
ただ、どうですかね?受け止め方に差が少しあるのであればそれを修正してやっぱり同じレベルにしていかないといけない。その努力は会社としてやっていかなくてはいけないと思ってますけど。
ここからは、テーマにそって、「江戸清」の持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」。
創業者の想いを紐解き、家訓や理念に込められた想いを紐解く・・・