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株式会社 土橋園〜現状を打破して初めて守れることがある。

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、「土橋園」5代目土橋武雄(どばしたけお)
1892年、初代土橋鐵五郎が赤坂一ツ木通りで茶専門店を開業
昭和に入り給茶機が開発され、企業に急速に普及すると共に、給茶機用の茶葉や粉末茶を他社に先駆け、開発したことが大きな転換となる。
現在は大手企業の他、和食チェーンやホテル、航空会社などへの外商に加え、あらゆるメディアを通じ、日本茶を始め、フレーバーティーや茶成分を活かした健康茶の新製品を販売。海外に向けて市場も拡大している。
今回は、そんな土橋園 5代目 土橋武雄(どばしたけお)の言葉から長寿企業の持つ、「知恵の真髄」に迫る!

石田:今回のゲストは株式会社土橋園、代表取締役社長、土橋武雄さんです。よろしくお願い致します。

一同:よろしくお願いいたします。

朝岡:早速ですが、土橋園さんの事業の内容というのは一口にお茶と言ってもいろいろあると思いますけれども。

土橋:リーフのお茶、それから今特に力を入れてるのはそれ(リーフのお茶)を全部粉末にして全部丸ごと飲めるようにと言うことと、それからメインの事業としましては自動給茶機。

朝岡:自動給茶機?

土橋:はい。ボタンを押すと自動で・・・よくオフィスにあると思うんでございます。あれの販売・リース、それからレンタル、中身の補充、機械の清掃まで一貫して請け負ってるというのが、今のところうちのメインの仕事だと思います。

石田:そうですか。土橋さんは今何代目でいらっしゃるんですか?

土橋:世代的には3代目なんです。おじいさんが興したんですけれども、その間に長兄・次兄と社長をしましたんで、僕で5代目の社長ということになります。

朝岡:土橋園さんの強みと言いますか、特徴・・・いろいろ業界、会社とかお店とかいっぱいあると思うんですけれども、どういうところにありますか?

土橋:掛川地区なんですけれども、静岡県掛川なんですけれども生産者と一体となってるということなのかと思います。我々がどんなにこのお茶が欲しいといっても生産農家がそれを作っていただかなければそれはできないわけでございますから、そういう意味では生産農家とコミュニケーション、飲みニケーションも含めて入ってって、「来年はこんなところ変えたいよね」ということで全部してもらってるっていうのが強みなのかな、というふうに思ってます。

朝岡:掛川の名前が出ましたけれども、土橋園さんのずっと歴史とともに生産農家の方とお付き合いが続いている。

土橋:そうですね、戦前はともかく戦後からはずっと続けさせてもらっているということでございます。 2代目の私の父になります土橋鉄五郎になってからのお付き合いになります。ずっと繋がらせていただいてます。

朝岡:そうですか。

石田:そうですか。そしてこちらには土橋園さんの商品をこちらにお持ちいただきましたけれども、ご説明頂けますでしょうか?

土橋:これは先程お話しした通り、全部いろんなものをですね、粉末にしたり抽出してからそれを乾燥させてドライ製法にしたりしたのもあるんですが、こちらの方にあるのはうちの新しく出た機械なんですけれども、全部粉砕として丸ごと砕いてしまったもの。全部粉砕というかたちで細かくしまして、丸ごと飲めるようにというかたちで。
それと簡易でどこに行ってもお湯、水さえあればすぐ飲めるよというようなところがメインなのかなと思ってます。

朝岡:そうですか。いろいろありますね。

土橋:はい。なんでも粉末にしてしまいますので。

石田:(笑)

朝岡:いやでも粉末にするのはなかなか難しいとお聞きしましたけれども、丸ごと飲めるのもあるんですか?(商品を指して)こっちですか?

土橋:こういうのも全部そうです。名前がこれちょっと恥ずかしいんですけれども(笑)

石田:ネーミングがドバッチャっていうのは(笑)

土橋:恥ずかしいんですけれども、ええ。これもカテキン増量茶で、カテキンが「ドバッと入ってる」という意味で。お恥ずかしいんですけれども。

朝岡:(笑)

石田:それはちょっと土橋園さんとかけてるんですか?

土橋:そんなような名前で。

朝岡:そうですか

土橋:それはテアニンが増量中で甘み。こちらはカテキンですから渋みが強いんですけれども、みんなテアニンで甘みを十分に、一番強調したお茶でございますね。

朝岡:そうですか。

石田:ウーロン茶でそういった粉末タイプというのは珍しいですよね。

土橋:いえいえ何でもございますよ。それと、今一番力を入れているのが、後でご覧になるかもしれないけれどもお抹茶を、それにですね、水でも解けるようにしてるというのも含めて、基本的にもお抹茶っていうのは全部お茶を砕くわけですよね。

石田:はい。

土橋:ですからそういった意味ではお抹茶の定義というのは蒸気で蒸した後、揉まないで乾燥させて、それを石臼で摩るっていうのが抹茶の定義ですから、それをお煎茶の方にも加えていって、みんなそういう形にしていこうって話ですから。今は石臼ではなくって機械で非常に効率の良い機械が・・・

石田:ええ。

土橋:ありますけれども。

朝岡:あれですか?これ新しいハーブティーなどの新しいお茶の提案などなさってて、周りの反応とかはいかがなもんですか?

土橋:ハーブティ・・・フレーバーティという感じでフランス人シェフの方とそういうのでコラボしながらですね、お茶になんでこういう香りをつけてはいけないんだと、そういう風に今世界的に潮流でございまして、特にドイツあたりの紅茶にも全部そういうのをご存知かと思いますけど、それを日本茶で、日本茶の良さを消さないでできないかというのが最初の発想でございますね。

朝岡:はーそうですか。色んなね?

石田:そうですね、色んなそういう斬新な商品がたくさんあるんですけれども、そういったアイディアはどこから生まれるんですか?

土橋:なんとかお茶っていうと大変失礼ですけど、お年寄りが飲むものじゃなくて若い人にもアピールできないかと、それからペットボトル以外にもそういうのができないかと、そういうところから、どういう風にできないかなということでやっております。

朝岡:それは土橋さんの代になってからかなり・・・

土橋:はいそうです。

朝岡:アイディアマンですね!

土橋:そんなことないんですけど。いつも同じところにいたらまずいんじゃないかなと思いまして。伝統を繋いでるんですけれども伝統を繋いでるだけじゃ生きていけませんから必ず新しいこともやっていかなきゃいけないなと思って色々考えているというわけです。そのヒントはうちの女性社員かなんかがいろんな飲み物をいつも持ってくるんですね。ペットにしても何にしても。それはやっぱり「そうなんだ」というところからですね。

朝岡:そういうところからですか。

石田:お茶に関しては何でもご存知かと思うんですけれども、ぜひお客様をおもてなしする際の美味しいお茶の淹れ方というのを教えていただきたいんですけれども。何かポイントとかございますか?

土橋:いやいやそんな難しいことは私は(笑)。本当にお茶はですね団欒、お茶を飲むというよりも、時間を買うみたいなところがあると思うんですよね。時間をどう大切にするかっていう意味ですから。

お茶の入れ方っていうのはごく普通にみなさんいれていただいて、その代わり自分にあったような入れ方、お茶を入れたものに氷を入れて冷たくして飲むのもよし、ティーカップで飲むもよし、お猪口みたいなもので飲んでもいいのかな、とかですね、それはその方が自分がどう団欒の時間を使うか、ということをお考えになればよろしいのかなっていう風に思います。

朝岡:なるほどねー。

石田:こちらに、土橋園さんの商品をご用意いただきましたけれども、こちらは?

土橋:これはですね水でも解けるような仕立て抹茶という名前で売ってるんですけど、すぐ解けるようにしてるんですね。それでミルクを加えたもので抹茶ラテになってますので。

朝岡:抹茶ラテになってるんですね?

土橋:はい、なってます。どうぞ。

石田:いただきますー。(飲んで)あっ確かに。しっかり・・・抹茶の味が濃いですね。

土橋:(笑)

朝岡:(笑)

石田:しっかりと、香りも。

土橋:これが全部水で溶けてますところが、先ほどからお話ししている、要するに、手軽にっていうのはおかしいんですけど、やはりすぐ飲めるのが大事かなっていう風に思いまして。

朝岡:はいはい。抹茶ってどうしても手がね、かかるというイメージがあるんですが。

土橋:お湯で解かないとダマダマになっちゃいますでしょ?それがなってないと思うんですけれども。

朝岡:本当。きめ細かくてね!

石田:まろやかです。

朝岡:美味しいよね?!

石田:美味しいですー。

朝岡:冷たくてもこんなにすぐ溶けてね。カーッとこう飲むと抹茶のあの・・・(笑)うん。重み浮かんじゃうね。

石田:そうですね。老若男女に受けそうな。

土橋:口触りは最後の方抹茶の香りが残りますよね。

朝岡:ふわーっとね。

石田:美味しい〜。

朝岡:これを今までやったとこはなかったんですか?!

土橋:いや、やっぱりお抹茶売りのお抹茶屋さんはちゃんときちっとやれということだったんですけれども、我々はどうしたら先ほど申しましたように、若い人とかそういう方には手短に味わって・・・まぁ入門編でしょうか。やっぱりその先は茶道の方に行っていただければいいかと思うんですけどね。

朝岡:入り口を広げて。

土橋:はい。でも美味しく飲めるっていうのが一番大事かなと思ってますね。美味しく簡単に。

石田:へー。確かにこんなに素敵なものが簡単におうちで出せたら嬉しいですよね。

土橋:本当に難しいことはないんで。こんな粉でもってスプーンでとっていただければいいわけですから。

朝岡:(商品を手にして)あっほら抹茶ラテって書いてある。

石田:本当ですね!お試しサイズもあるんですね。

土橋:はい(笑)

朝岡:ほらだって見てくださいこの粉末これこういう感じ。

石田:ほー。細かいですねー。

朝岡:だからさらさら〜と溶けちゃうんだ。

土橋:ええ。ですからですね、お抹茶ですともうちょっとこうなんでしょうか、ダマになりやすいんですが。ちょっと改良して

石田:溶けやすいように?

土橋:その辺がまあうちの

朝岡:アイディアだなー。

石田:なるほど〜。

朝岡:「お茶屋が作った」この一言が

石田:またー(笑)

土橋:(笑)

石田:惹かれますよねー。

朝岡:お茶屋が作った!あっそうか飲んでみようか!ってね

石田:なります。

朝岡:さっすが土橋園さんだ。ありがとうございます。

石田:ありがとうございます。

朝岡:でも日本茶の需要というのはどうなんでしょう、比べると以前と比べて減ってるんですか?そんなんでもないんですか?

土橋:茶葉の生産量は私がお茶に入ったっていうか学校卒業して入った頃には10万トン強あったんですけれども、最近では茶葉は8万トンを切るくらいになってますね。
でもお茶を飲む機会はペット(ペットボトル)の普及によって増えたんじゃないかと思ってます。

朝岡:あーそうですか。

土橋:昔みたいに急須で入れるという茶葉が伸びないっていうのと、実際はそう意味でこういうのとか(粉末状のお茶)、ペットボトルとかでは非常にお茶はよく飲まれてますよね、海外にも非常に出てるということですから。やっぱりそういう意味ではそんなに減ってないのかなと。
お茶を飲むことは減ってない、茶葉の売り上げが減ってるということなのかなと

石田:なるほど。

ここからは各テーマを元に、土橋武雄の言葉から、歴史と伝統の裏に隠された物語、長寿の知恵に迫る…。
最初のテーマは、「創業の精神」
創業から現在に至るまでの経緯、先代達から受け継がれてきた想いに迫る

土橋:うちは場所をほとんど変わらずに赤坂一つ木通りのほぼ中央で、明治25年に私の爺さん・・・祖父になりますけど、開業したということでございます。もちろんうちの祖父は元々の名前が、「あらい」という名前だったんですけれども。青山通りにありました土橋園というところにですね、修行をして昔でいうところの養子にですね、養子縁組をして、で土橋園の名をいただいたというのが始まりでございます。

その後は関東大震災、それから昭和20年の下町大空襲じゃなくて5月25日の山手大空襲それでもまた全部焼けまして、2度も完全に。それで復興復興という歴史をもってまいりました。

その昔からは、赤坂の料亭とかありましたんで、その辺りにお茶を収めてた。
それから戦前からなんですけど、うちの父が弟子を連れて大八車で、その頃はもう丸ビルとかあった頃で、まあ戦前ですけどそういうところに大八車引きながら法人用のお茶を収めに言ってたというところですね。

後は戦後、私が会社に入ってからは、今までの法人の収めだけじゃなくてと思った時に、会社でもって「女性のお茶くみ社員」っていうのが問題になって、やはりこれはなんとかできないかな、という時にちょうど自動給茶機っていうのが出てまいりまして、でこれの、これはなんとか女性のお茶くみ・・・なんていうんでしょうか廃止というのか、これはある意味福利厚生という意味でも会社がそういうのを用いるようになってって。

私はそういう意味では最初の給茶機のリース。先ほどもお話ししたリース業、リースっていうのが昭和43年ぐらいの頃は私自身リースということを知らなかったので、日本じゃその頃1社か2社・・・だったのかなっていうのが、私のお得意様の方からですね「こういうのもあるよ」と。

メジャーの会社でございますので海外に資産を置かないということで、要するに財産にしない給茶機を買い取らない、要するにいつでも何かあった時には元の国に帰れてしまう、というリースという世の中に。自動車もリース。ちょうど始まった頃だと思うんですけど、それで給茶機の方に。やはりオフィスの需要というのはいつまでたってもお茶くみの女性が朝入れて、10時に入れて、お昼休みって言うことでいつでも。社員さん全部が自分で飲みに行けばいいというような形でそれを提案したというあたりでしょうか。

それからが給茶機のアレが広がっているでしょう。今は、どこのオフィスにも入っているんでしょうけど。

朝岡:そういう意味では日本のお茶の環境というかね、文化の一端も変えてきたのが土橋園さんの歴史の中にはあるいう風に考えてもいいかもしれない。

土橋:その辺はあるかもしれません。その辺は急須に入れるというのと、茶葉にこだわるっていうのも大事なことなんでしょうけれども、うちはやっぱりそれよりもお客様が望むもの、やっぱり事務所のそういう形はなんていうんでしょう福利厚生、それから女性社員のより良い活用みたいなものを提案していくことによって伸びてきたのかなっていうように思ってます

朝岡:給茶機は確かに大変な変革のきっかけになったと思うんですけど、出てきた当時っていうのは反応なんていうのはどうだったんですか?

土橋:お茶屋さんが全部が「あんなものが」という言い方(笑)こんなこと言ったら失礼かもしれないんですけど、そういう評判だったんですけど、これはもう絶対に女性のお茶くみを解放する、別に会社に美味しいお茶を飲みに来てるわけじゃないでしょうと。会社の、女性社員さんの効率化っていうんでしょうか、仕事の。それにはこれは欠かせないもんじゃないかと。必ず広まっていくなっていうように思いました。朝岡さんの元会社のテレビ朝日さんも入ってましたですね。

朝岡:入ってた入ってた。各フロアーに置いてあるんですよ。食器とか簡単に洗うような洗い場みたいなのがあって。そこに必ず給茶機があって。

土橋:ちょっと中身を入れさせていただいたこともあります。

朝岡:あーそうですか。じゃあそのころからお世話になってますね。ありがとうございます(笑)いろんなことお考えですね、土橋園さんね。

石田:そして最近では通販にも力を入れていらっしゃるそうですよね。

土橋:そうですね。テレビ朝日さんじゃないですけどTBS系のアレなんですけど、やらしていただいてます。もう10年になるんですかね。そういう意味では。

朝岡:でもあれですね、給茶機といい通販といいね、お茶っていうお茶の売り方ってだいたいお茶屋さんがあってね、そこでお客さんが来て、いわゆる主との対面販売というか、そのお話をしながら、選んだり・・・みたいなイメージがとても強かったんですが、それとはまた一線を画した新しい時代にあった売り方というか。

土橋:確かにうちの店舗でもそういう形はきちっと残しております。伝統的なお茶はですね、飲んでいただくお客様本当に大事にしてやってるんですけど、やはりより多く広がっていくのはそっちなのかなという風に思ってますね。

石田:そして今欧米などでは日本食ブームですけれども、やはり日本食とセットで日本茶もやはりニーズが高いと思うんですけれどもいかがでしょうか、海外展開などは・・・

土橋:そうですね、海外展開もこの何年かワールドティーエキスポっていうんですかWTEっていうんで、それにも参加させていただいて、徐々に徐々にアメリカのお客様にも出てるんですけど、やはり逆にアジアの方がより多く広がるのが早いですね。タイとか香港とか・・・はい。欧米のお客さんはグリーンティっていうと日本茶と思ってないんで。グリーンティであれば中国の方からの緑茶ですから。我々としては本物の日本茶、日本緑茶を売っていきたいなというのは、そういう意味ではこういう抹茶とか絶対崩せない部分はあるのかなって思っているんで。

朝岡:そうなると茶葉、お茶の葉っぱへのこだわりというのも大事なものになってくると思うんですよね。

土橋:ええ。本当やはりお茶は外観形ですね、形状・・・お茶の形それから香りそれから水の色って書いて「水色」、お茶の色ですね、最後はやっぱり「地味」、味だと思うんですよね。やはり味にこだわってますね。味というのはやっぱりテアニンの甘み、カテキンの渋みとかこの調和のバランスだと思うんですね。そこのところはやっぱり「感応」っていうんですかね。感じる方の・・が、どれだけ頑張れるかということだと思ってます。

朝岡:ふんふんふんふん。いろいろ要素がありますね。

石田:はい。

土橋:すみません、専門的なことばかり言って。

朝岡:いやいやいやいや。

決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは、「決断・ターニングポイント」
土橋園の発展と共に訪れた苦難、それらを乗り越えた先代達の決断を土橋園 5代目土橋武雄が語る。

石田:決断、ターニングポイントということでまずは土橋園さんにとっての転機・ターニングポイントを伺えますか?

土橋:自動給茶機、その中のそれを昔、茶葉を入れてたもんですから、最初のだと5杯目くらいを飲むと味が変わってきちゃうわけですね。それの均一化を図るために、これはやっぱり粉末という声・・・一煎一煎同じ味のものが出てくるように、だと。給茶機の茶葉から粉末にしていったっていうのが一つのターニングポイントだと思います。

やはり東日本大震災ですか・・・あの時に地震でうちも全国展開してましたんで、仙台とか東北地方のお客様の自動給茶機が倒れまして、お湯とか倒れてこぼれたり、火傷をされる方はいらっしゃらなかったんですけれども、そういう意味では非常にうちの社員が一生懸命頑張って東北中を走り回って全部直したり入れ替えたりしたんですけど、それでだいぶ・・・ でもそのあとが、もともとの節電ということで全部電気抜かれちゃったんですよね。そうしますと冷たいお茶も飲めないでしょ?あったかいお茶も飲めない。でも会社にとって無用なものって言ったら言い過ぎなんでしょうけれども「だけどやっぱり今は使えないね」ということで、撤去と。

そのあと、今度は自動販売機に移っていって、「自販機で社員さん自分でお金出して飲みなさい」みたいな形になってしまったと。その辺もある程度見られることだったんですけれども、一番困ったのは風評被害ですね。

要するに放射能がお茶のあれ(葉っぱ)について放射能が出るということで、富士山のふもと、それから静岡までですねそういうの(放射能)が出たということでお客様は「お前のところは証明書がついているからいいよ」と言ってくださるんですが、うちのお歳暮でお茶を送ろうとすると「私はわかってるのよ。でも(もらう方は)どう思うか。だから送れないのよ」という。

朝岡:つらいですよね。

土橋:そうです。お客さんは「わかってるのよ」というんですけど、やはりね、そういわれちゃうと・・・「おっしゃる通りで」って・・・今その辺がちょっと一番つらかった時期ですね。4、5年続きましたですけれども。はい。

石田:そうですか。特に東日本大震災の後のお茶の風評被害、給茶機が自動販売機に代わっていっちゃうっていう状況をですね、これはしかし座して見てるのは本当につらかったと思いますが。

土橋:はい。

朝岡:乗り越えるためには何か動かれたんですか?

土橋:やっぱり信用っていうんですか?(給茶機が)倒れないようにするには倒れないような・・・きちっとですね、下に留めるとか全部そういうことをですね、全機械全会場さん回ってそういうのをさせていただいて、これだったら平気ですよとかいうのはやったということと、その時にうちの社員が東北中とか回って頑張ってくれたというのが一番の支えかなと思いますね。

朝岡:あとは茶葉の風評被害関しては、お茶の産地の方ともそこで関係が崩れてしまうわけにもいかないからなかなか大変だったんじゃないですか?

土橋:いや・・・あれはもう我慢ですね(笑)。やっぱり農家の方と二人三脚でやってますから、「お互いにつらいよね」って言って、それでもわかってくれるお客様にわかっていただけるように努力しながら、一軒一軒説いて回ったって言い方は失礼かもしれませんけど、やはりそうですよという現状を説明して回ったということですね。でもそうしても先ほど言ったように贈り物とした場合には「私はいいのよ。相手の方が」って・・・これだけはもうやはりどうしようもなかったということです。

朝岡:でもそのほかのところは、フットワークとね!

土橋:はい。

朝岡:誠意で、フットワークで、直接お話、コミュニケーションして少しずつ少しずつ・・・

土橋:そうですね。

石田:一方で土橋さん自身にとってのターニングポイントというのはございますか?
何かこう代表になられてから新しい取り組みを始められたとか。

土橋:私自身は営業をずっと22年やっているんで、特別私自身のあれはない・・・まあ先代先々代と、社長になってからは一番どこに重きを置こうかと思ったときに、やっぱり人間だろうな、と。人だろうなと。社員をどうしていくんだと。社員あっての会社だということを肝に銘じて私としてはそれを思って、現実的にお話ししたような風評被害に向かうにもやっぱり頼むよね、任せる!ということが大事かなというのが一つこういう時に思いましたね。

朝岡:最近はいろんな試みというのも、特に土橋さんが社長になってから土橋屋さんをおやりになっているんですけれども、イートインっていうんですか?

土橋:はいはいはい。

朝岡:この試みもおやりになってると伺いました。

土橋:はい。「プランタンさん(ブランタン銀座)」のオープンにあわせてうちがお茶の売り場として出るというときにですね、考えてみればあそこのデパートさんは若い方中心ですよね?

朝岡:はい。

土橋:ターゲットがそういう方たちだったんで、有名百貨店みたいなある一定のお得意様がないので新たにするってことなんで、じゃあ一ついろんなことを試みましょうということで、全く新しいことを試みさせていただいたということで。

その時、イートインもそうなんですけど、その前に少量の小口パッケージというものを作りましてお茶を10グラム20グラムにしまして「ピックアップティー」という名前を付けましてですね、全部自分でとってこれを自分の好きな人に小さな贈り物という形で。それでリボンをつけたりして。そういうので「ピックアップティー」というのを作ったんです。 でもそれその時に、「これ人にあげるのに飲まなきゃわかりませんよね?」ということで、そこでカウンターをつけてイートインにしたということが。

朝岡:あーそういうことですか。

土橋:イートインでしようということではなくて、少量のピックアップティーをお客さんにあげたい、でも自分が飲んでおいしくなければあげたくないだろうということで。

朝岡:試飲をする?

土橋:試飲というとあれですけど、それの味わい方も提供して・・・そういうことで一緒にやらせていただいたという。非常にこれは受けたんですけど、まあ全国展開までちょっとできなかった部分で。ちょっと最後はやっぱり人手不足というんですか、そのころバブルのころでちょうどできなくなって、閉ってしまったんですけれども。

朝岡:そうですか。また新しいこともね、新しい試みを・・・

土橋:お客さんは同業がものすごい来てまして「なんでこんなバカなことやるの?」と

朝岡:(笑)

石田:(笑)

朝岡:でもね、給茶機の時もそうですけど、「あんなもの作って」て言われたとおっしゃってましたけど、だいたいその後の発明でもなんでもね、最初はね、「なんだあれ?!」ってね。それを厭わずよくお考えになりますよね。新しい伝統的な食文化のお茶というところからね。

土橋:現状維持では何も打破できませんからね。何か、何か、今でもなにか考え付けばやりたいなと思ってるんですけどね。いい知恵あったら教えてください(笑)

朝岡:(笑)そういう方なんだよな、土橋さんは。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

心に刻む 言葉と想い
強い想いと信念が込められた言葉には魂が宿り、人の人生に大きな影響を与える。
土橋武雄が家族や知人、偉人から受け取った想い、そして自らの胸に刻む言葉とは。

石田:続いては“言霊”ということで、幼いころ先代やご家族から言われた、印象的な言葉、そこに隠された思いを伺いたいと思います。

土橋:そうですね、うちの父親からよく言われたのは「商いは飽きない。飽きてはいけないよ」と。やっぱり商いっていうのは飽きて嫌になったらだめだから、飽きずに一生懸命やることだということはおやじからよく言われましたし、それから法人様に一人でも「お前はお茶を売るんじゃないよ」と。「まず自分を売ってこい」と。「自分が信じてもらえないとこでお茶なんて買わないだろ」ということはさんざん言われました。

朝岡:お茶の前に自分ですね。

石田:(笑)

土橋:出すぎたとかそういうことではないんですけどやはり、信用してもらえなければどこのお茶でも同じ分になるんじゃないかと。そうじゃないのはなんだと。土橋園のお茶はどうなんだ!ってことその前に、お前が信用してもらえなかったら買ってくれるわけないだろうと。

朝岡:そういうのは実際、お客様のところに回ってお話しなさったりすると、今言われた言葉なんてかえって実感できたりすることもあったですか?

土橋:やっぱりそうですね。長いお付き合いをしている会社様とはやはり人間関係でつながっているということで。もちろんそのかわり、それをするにはいろんな新しい提案だったり、これもありますとかいつも新しい提案をすることによって「土橋園おもしろいね」っていうことを言ってくれなければ、担当の方もやっぱり信じてもらえないんだと思います。

新しいものなり違うものなり、相手のお客様の立場になって何を一番求めてるのかなってことをいつも提案したいなっていうふうに思ってますね。

石田:素晴らしいですね。では今現在ですね、胸に刻んでらっしゃる言葉というのはございますか?

土橋:そうですね、堀紘一さんの著書にあったんですけどニーチェの「脱皮しない蛇は死ぬ」ですね。これはやはり何かいつもしてないとダメなんじゃないでしょうかと。

あとは私、柄にもないんですけどサミエル・ウルマンの「青春とは」って言葉が好きでして。40代のころは毎年手帳の一番最初にあれを全部書いてたんです。最初だけですけどやっぱり「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の有様を言うのだ」と。で「人は年を重ねただけで人は老いない」と。「理想を失う時に精神は萎む」と。これが好きで。

ちょっと前に見た時も松下幸之助さんもそのようなことを言ってらして、やっぱり人間も成長しなければということで。松下幸之助さんの言葉だと「青春とは心の若さである」と表現、まぁたぶんおなじようなこと、これと同じようなことかな、と思ってますね。この年になってもまだ気持ちだけは・・・(笑)

石田:(笑)

朝岡:(笑)やっぱりそれは社員の方々ともそんなお話は、まぁ言葉をネタにと言いますか、お話になったりする機会も多いんですか?社内では。

土橋:私もお酒が嫌いじゃないんで、飲みにケーションというところで、酔うとついいつも同じようなことを言っちゃう(笑)

朝岡:(笑)でもそれは気持ちがね、どういうことを考えてるかって社長がわかるにはもってこいの機会ですね。

土橋:私自身はそう思っているんですけど、やっぱり社員には「向こう傷には問わない」 要するに、積極的にやって失敗したことはいいじゃないかと。失敗するよりもやらないことのほうが一番よくないと言ってますから。ですから向こうからやってきてぶつかってって切られたら、その傷に対しては失敗があってもそれは問わないよと。やっぱなんかじっとしてるなよ!って(笑)

石田:ちなみにですね、先代というのはお父様でいらっしゃるんですよね?お父様はどういった方だったんでしょうか?

土橋:細かいことにこだわらなくて、くよくよしない人でした(笑)大雑把な人で(笑)

朝岡:あー。

石田:ドーンとかまえて?

土橋:やりたきゃやったら?みたいなところがあって、だから息子の僕がいろんな事やっても「やったら?」みたいな(笑)

石田:その精神は引き継いでいらっしゃるような気がします。

土橋:いやいやいや(笑)

朝岡:反面教師のタイプのね、お父様とかお母さまとかもいるけれども土橋さんの場合は受け継ぐ部分がかなり多い先代でいらっしゃったという風にお見受けしますけどね。

土橋:自分では意識したこと無いんですけどね(笑)

石田:創業者の方から言われ続けている言葉、信念などございましたら教えていただけますか。

土橋:難しいですね。信念なんてなくて一年中その場その場でやってもいい気がするんですけど、この100年以上続いた会社を僕の代で絶対に潰さないところでしょうか。それがやっぱり僕としての一番心の底にあるところだと思います。あとは、この会社を支えるのはやっぱり人間・・・要するに社員さんがどれだけ力になってくれるか、ということであるかなと。それも先ほど申しました人間が会社の財産でありますけれども、人間教育なのかなって思ってます。

石田:では続きまして、代々引き継がれてるものって何かございますか?

土橋:なんでしょうこのいい加減なところでしょうか(笑)

石田:いやいやいや(笑)お品物が何かあったりですとか掛け軸だとか・・・

土橋:特別そういうものは・・・ビルにしました45年くらいですか?新社屋に来た時から戦前からあった「看板」ですね。「土橋園」っていうのは今でも壁に埋め込めさせてもらってるということですね。あとはうちの親父は何かを残すというよりも背中を見て育てという方ですからうちの親父の肩幅の広いところくらいしか(笑)

朝岡:ねぇ。パッと看板が埋め込まれててね、お店をこう見つめ続けてるということですよね。まあ馬術をね、学生時代からおやりになっているそうで、あれも繰り返しの中に発見があったり、また新しい段階になってったりというスポーツだと思いますけど、ご自身日常生活の中でルーティンワークにしてることとか何かあるんですか?

土橋:なんでしょうこのいい加減なところでしょうか(笑)毎朝仏壇に手を合わせてお線香をあげて、お茶をあげて水をあげてというくらいでしょうか。でやっぱり私の親父もいつも毎朝仏壇の前で商売繁盛、家内安全と唱えてたんで、なんかいつの間にかそんないうようなことをしてるということでしょうか。

あとはもうちょっと私は朝風呂が好きなもんで朝から入って、風呂入って。他人の前に出るときに・・・なんていうんでしょう、みっともない格好をするなと人の前に出る以上はきちっとしなさいということで、それだけはさせていただいてます。

朝岡:そうですか。

貢献 ~地域、業界との絆~

地域や業界との絆。
長寿企業にとって欠かせないモノ・・・。
それは、地域との繋がり・・・
「土橋園」が行っている地域貢献、土橋武雄自身が行っている取り組みとは?

石田:地域の皆さまからにも愛されてらっしゃる会社さんだとお見受けするんですけれども、地域との取り組みだったり社会貢献活動などございましたら教えていただけますか?

土橋:立教大学の馬術部の総監督をしているんですけれども。学生さんといつになってもこの年で18歳の大学一年位と面と向かってやりあっているところがあります(笑)

石田:(笑)

朝岡:(笑)また青春ですね

土橋:すいません、どうも(笑)
大学の馬術部の目標としましては、いつも言うのは、「目標は優勝だよ。目的は人間形成だよ」と。やはり4年間何かをつかんでいってくれたらいいじゃないかというのが一番ですね。それが地域ではなくて私自身の母校でありますけれども、学生時代から馬術してましたんで。その辺りが未だに今言ったように学生さんと話せるというのが本当にありがたいことかな、と。

あと地域で言いますと、まぁ赤坂交通安全協会の会長もさせていただいてるんで、赤坂から交通事件を一件でも無くすよっていうことに対して、赤坂が東京で一番安全で安心な街になるように何かできればという風に思っていることと。

それ以外に私は赤坂氷川神社の氏子でございますので、お神輿とかそれから宮神輿を去年作りましてそれのこととか。それから後は10年ほど前から氷川神社の江戸時代から続く「人形出し」のですね、復興とか。後は「赤坂もち作り代表」みたいなのやって、「Swing赤坂」っていうのも今年で9年目になるんですけれども、そんなことでステージを作って木曜金曜に赤坂の一つ木通りにスイング、ジャズが流れるというのを作っていきたいなと思ってやってるところですね。

朝岡:赤坂でもね、一ツ木通りっていうのは放送局もあるし、あそこも随分変わりましたしね。ちょっと行くと溜池だとか虎ノ門があるんですけど、変貌が激しいでしょ?

土橋:すごいですねー!

朝岡:ね、だからその中で伝統的な地域のイベントだとかコミュニケーションだとかそういうものを大事になさるっていうのはやっぱりそれがめぐりめぐって土橋園さんの家業といいますかご商売にもつながっていく部分っていうのはあるのかなって気がしますけどね。

土橋:赤坂っていうのが戦前の三大山手商店街の一つだったんですね。一ツ木通りとか麻布十番とか赤坂一つ次通りとか。その賑わいを取り戻したいっていうので。ですから地元の行事についてはいろいろ参加したりお手伝いしたりしてますね。

私が子供の頃は赤坂一ツ木通りっていうのは1の日と6の日、「六地蔵さん」って言ったらそれで縁日にずーっと一ツ木のとこに出てたんですね。そういうものも復興してみたい、それで9月の14,15あたりはやって、木金でSwing赤坂がそれで縁日とかやって、金曜日の夜から宵宮、それから土曜日が地元のお祭り、日曜日が氷川神社の宮神輿の巡行、渡御みたいなもの。一つその1週間を赤坂ウィークみたいなものにしたいなって思って、力はないんですけれどもいろいろやらさせていただいているということですね。

朝岡:なるほどね。

NEXT100 ~時代を超える術~

NEXT100年、時代を超える術。
次の100年へ向け、革新を続ける中で、土橋園にとって継承すべき「核」となる、そして5代目 土橋武雄が次代へ届ける長寿企業の知恵とは。

石田:それでは最後になりますが次の100年に向けて変えるべきもの変えないもの、土橋園さんにとってコアとなる部分を伺えますでしょうか?

土橋:やっぱり「一所懸命」って言葉が好きでしてね、「一生」っていうより「一所」、一つのところに命をかける。やっぱりこれではないかなって思って。やっぱり次の200年を目指すにはこの赤坂で一所懸命やるということではないかなと思ってます

朝岡:しかもやっぱりその赤坂一ツ木通り創業の地でね、ずっとやってらっしゃるのはまさに一所懸命でね。

土橋:はい(笑)

朝岡:ね!一つの所にね、命をかけてらっしゃるってそれはとてもそれはよくわかる言葉ですけれども、老舗にとって何が大事かってそれぞれに色々あると思うんですけどね、長寿企業土橋園さんにとっても長く続いてこれが100年後にもつなげていくために大事なものって、一つあげていただくとするとなんだとお考えですか?

土橋:やっぱり現状維持ではなく現状打破だと思います。いつも変えていくということじゃないでしょうか。トップがいつも何か考えていくと。で、やっていく。失敗は問わない。その精神でやっていくことが結果的に続くことになるんだろうと思います。守ろうとして守れるもんじゃないので。やっぱり攻めていって、初めて守れるのではないだろうかなって。それはやっぱり200年でも続けていける秘訣かな、企業の生き残る道かなというように考えてますけど。

朝岡:どうでしょう、これからもここまでも、お茶の可能性随分広がってきてるんですけど、これから100年先を睨んだ時に、まだお茶の可能性って広がっていく気がしますか?

土橋:お茶の葉っぱがどうなるかがわかりませんけど、日本ではペットボトルですけどやはりヨーロッパなんかではまだまだ緑茶って形では広がりがありまして、それからさきほどお話があったかと思うんですけど、日本料理と同じようにアジアなんかでもどんどん広がっていくということあるんで。そういう意味でお茶ということにかかわらず飲み物というように考えていけばいいんじゃないかなと思ってます。

もちろんお茶の葉が基本ですけど、それ以外にも別に美味しく飲むものが何なんだろうか、お料理に合うもの何に合うもの。それから時に合うもの。団欒の時に合うのかゆったりしたい時に合うのかとかそういうものの中でお茶というのは健康にも非常にいいんでね、丸ごと飲んでもいいかと思うんでそういう広がりですか、今度・・・嗜好品であるものが健康食品にもなっていくんだろうなって思ってますんで、そういうものかなと思ってます。

石田:最後にですね、社長ご自身の今後の展望というものを伺いたいんですけれども。

朝岡:これやってみたいとか。まだこれやってみたいとか。

土橋:そうですね。もう少し世界にはばたきたいですね。やっぱり日本の中だけでなくてワールドティーエキスポとかそういうのも出てるんですけれども。海外に出た方がお茶の可能性が無限に感じるような気がしますね。無限というとオーバーですけど日本っていうとお茶っていうと、どんどんどんどんこうなる(狭くなる)感じがするけど、向こうだとどんどんこう広がっていくような気がしますんで、その辺はターケットに頑張っていければと思ってますけど。

朝岡:なんかこの間ニュース見てたらヨーロッパとの関税なんかもね、もっと輸出しやすくなる流れっていう風にニュースで聞いたりしたから、なんか流れはまた土橋園さんのヨーロッパへ向かうー!みたいなあるのかな。

土橋:海外の場合ってのは、やっぱりアメリカっていうのは必ず有機なんですよね。日本みたいに肥料をいっぱいやるんじゃなくてやっぱり有機栽培、無農薬、有機栽培ってのがキーなんで。一番最初にお話ししたと思うんですけど、静岡のお茶農家さんとも話して有機の茶園にしてくれということで有機茶園にするのに三年くらいかかるんですけれども、それは今徐々になってきたんで、一所懸命農家さんにお願いして。

有機栽培しますと本当に大変なんですね。要するに殺虫剤とか撒けませんから無農薬とかにしますんで、お茶を刈る人が虫刺されとか本当に大変なんですよ。それをお願いするのはしんどいんですけど、一所懸命に売りますからお願いします!と(笑)それは長年のお付き合いの中でね「お前が言うんなら徐々にやってやろうか」みたいな話をしてくださってるんですが。

朝岡:そうですか。これからね、またさらなる世界の、世界の土橋園っていうのは本当に広がっていきそうですね。

土橋:できたらいいですね。

土橋園 土橋武雄
現状を打破し初めて守れることがある。
時代が変化し、お客様が変わっていっても、失敗を厭わず常に考え、常に変えていく。
そして、お茶の可能性を世界中の人々へ伝えていきたい。
この想いは100年先の後継者へ受け継がれていく。

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