味が家訓ー有限会社 日本橋弁松総本店
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは、有限会社日本橋弁松総本店代表取締役 樋口純一。嘉永三年創業、江戸から続く甘辛の濃ゆい味を守り続け、現存する中では日本で一番古い弁当屋である。砂糖と醤油をたっぷり使ったその味は、調味料の配分を間違えたのではないかと食べた人から問い合わせが来るほどだが、それでいてどこか懐かしさを感じさせる弁松の弁当は、リピーターになっている人が多数存在し、創業から現在に至るまで、甘辛の濃ゆい味は東京・日本橋を中心に多くの人に愛され続けているのだ。今回は弁松総本店が誇る伝統の味へ、想いと共に、八代目樋口純一の言葉から、その裏に隠された物語、長寿の知恵に迫る。
石田:本日のゲストは、有限会社日本橋弁松総本店代表取締役 樋口純一さんです。よろしくお願い致します。
朝岡:ようこそ。日本橋ですから、お江戸、お弁当ですね。色んな種類というか、毎日つくられているお仕事ですね。
樋口:そうですね。
石田:今何代目でいらっしゃるんですか?
樋口:八代目をやらせていただいています。
朝岡:八代将軍吉宗ですね。早速そのお弁当を食べてみたいですね。
創業160年をこえる弁松総本店。その歴史、伝統を知るうえで欠かせないのが、弁松が誇るこだわりのお弁当に隠された味。そしてそこに想いがある。
石田:ということで弁松さんのお弁当をご用意頂きました。美味しそうですね。
朝岡:まず色を見たときに、江戸風というか、色が濃いですね。
樋口:ちょっと地味なんですけどね。
朝岡:懐かしい感じがして。頂きます。卵焼き、たけのこ、れんこんにかまぼこ、しいたけ。お芋も煮込んであるのね。どれから食べます?普通。
樋口:煮物からまず。
朝岡:しいたけが好きなのよ。
石田:私はごぼうを頂きます。
朝岡:これすぐご飯食べたくなりますね。
樋口:そうですね。かなり濃い味だと思います。
朝岡:そう。しかも濃いといっても、ただ辛いだけじゃなくて、甘辛い。良い甘辛さがありますね。
石田:しっかりと煮込んであって、母の味を思い出すような。
樋口:よくおばあちゃんの味に似てるというご感想を頂きます。
朝岡:卵焼きも美味しくてね。卵焼きも甘辛がついてるんでしょう?
樋口:卵焼きはもしかしたら今日自分が焼いたやつが入ってるかもしれないです。夜中から数人で焼いてきましたね。
朝岡:本当甘辛の良い卵焼きよ。甘い卵焼きは多いけど、ちゃんと甘辛いっていうのがね。
樋口:出汁が結構沢山入ってます。
朝岡:きいてますね。今お弁当をつくってるところが見えてるんですけど、煮物、焼き物で昔ながらの江戸のお弁当というね。お弁当は沢山あるけど、日本橋弁末さんのお弁当というのはすぐわかりますね。
樋口:そうですね。お二方は今までうちのお弁当を召し上がったことは?
朝岡:僕実はあります。それまでいろんなロケ弁を食べたけど、日本橋弁松さんのが来たときは、今日は江戸のお弁当だぜって感じで、関係者で盛り上がりますね。
樋口:うちのお弁当の味はこういう江戸からの甘辛い濃い味なので、好き嫌いが分かれてしまうんですね。お口にあった方ですと、「今日弁末か、やった」となるんですけど、逆もあって、「今日弁末か、嫌だな」というお客様もいらっしゃいます。
朝岡:でもそれも良いんだという形で進めておられるわけでしょう?
樋口:どうしても独特な味付けなので、万人受けはしないんですね。
味をもっと薄くしたりして誰でも食べられるお弁当にすることは出来ます。そういう商売もありだと思うんですけど、それをやってしまうともう弁松では無くなってしまうので。うちはもう、お客さんが100人いらっしゃったら90人の方がお口にあわないという感想を持っていても、残りの10人がうちの熱狂的なファンになって頂ければそれで良いと思っていますので。
弁松のお弁当には、甘辛の濃ゆい味に加え、もう一つ特徴があるようだ。果たしてそれは一体。
朝岡:入れ物も、ちゃんと昔からの木の箱で、二段でご飯とおかずにわかれてるでしょう?これも変えない?
樋口:これもうちのお弁当の特徴の一つで、実際はこの木の折っていうのは生き物のようで、扱いが非常に難しくて、すぐ反ってしまったり、底が抜けたり、プラスチックとか発泡スチロールの容器に比べて、問題点も多いんですけど、やはりご飯やおかずを入れた時に、適度に水分を吸いとってくれたり、持った時の木の肌触り、木の香りがご飯について、その雰囲気も弁松のお弁当のひとつなので。なかなかこれも変えることができないんですね。
朝岡:あえて万人受けは狙わず、弁松の味。
樋口:お客さんから見ると、殿様商売してっていう方もいらっしゃるかもしれないですけど、このこだわりを捨ててしまうと、別に弁松がつくらなくてもいいようなお弁当になってしまうんですよ。かつこの濃い味つけっていうのは、マネしようと思えば他のお弁当屋さん、極端にいえばコンビニでもつくれるかもしれない。
ただ他所のお店がこれをやってしまうと、本当にクレームが連発するような気がするんですね。弁松だからこの濃い味というのが許されている部分もあるので。うちがやめてしまうと、この味はもしかしたら無くなってしまうかもしれない。
朝岡:江戸を今に伝える心意気みたいなものが詰まってるんですね。
ここからはテーマにそって八代目樋口純一の言葉から歴史と伝統の裏に隠された物語、弁末総本店が誇る長寿の知恵に迫る。まず最初のテーマは「創業の精神」。現在は独自の味でお弁当屋として多くの人に知られている弁松だが創業者が営んでいたのは食事処であった。一体どのような経緯でお弁当屋へ業態変化していったのか。
樋口:そもそもうちの初代は越後、今でいう新潟の長岡あたりの出身でして、樋口与一というんですけど、江戸に出て来て。当時日本橋に魚河岸がありました。その魚河岸の中に樋口屋という名の小さな食事処を開きました。今魚河岸は築地ですけど、築地の場内や場外にお寿司屋さんやまぐろ丼とかのお店があるじゃないですか。あんな感じだったと思うんですけど。日本橋の魚河岸の場内といっていい位置に食事処を開きました。1810年のことなんですけど。
朝岡:文化文政の時代ですね。
樋口:文化7年ですね。
石田:ペリー来航より前ですね。
樋口:最初はお弁当屋ではなく食事処だったんです。その食事処で出していた定食が盛りがよかったらしく、お得感があるということで、お客さんは沢山きてくださったんですけど。魚河岸の中にあったので、お客さんのほとんどは魚河岸関係の人なんですよ。
当時魚河岸は冷蔵庫や冷凍庫も無い時代だったので、朝仕入れた魚をお昼までに売り切らないと、腐ってしまう。それで魚河岸の人達はとにかく時間を無駄にしないように動きだとか喋りだとか、どんどんシンプルになっていって、ああいったぶっきらぼうな感じになっていったんだと思うんですけど。
そういう人達がお客さんだったので、盛りが良くても食べきる時間がなかったんですね。大体の方が残して帰ってしまったらしい。それを見たうちの初代が、残ったご飯とかおかずを竹の皮とか、経木という木の薄いものにくるんでお持ち帰りいただいたところ、そのサービスが非常に好評で。
そのうちお客さんの方から、最初から全部持ち帰りでつくってくれないかという要望が出て来たんですね、これがうちの弁当の原型になってきていると思うんですけど。初代から三代目にかけて、イートインとテイクアウトと両方やっていたようなんです。
三代目の時代からうまれたお弁当屋の弁松。創業160年以上を誇り、これまでに当主をつとめた者は8人。その歴史を支え、継承されてきた裏には、やはり多くの長寿企業がもつ家訓や理念があったのだろうか。
樋口:三代目の時代になると圧倒的にテイクアウト、仕出しの需要の方が多かったようで。三代目は樋口松次郎という名前なんですが、お客さんからは食事処ではなく、弁当屋の松次郎という愛称で呼ばれていたようなんです。それで三代目の時に弁当屋一本でやっていこうと業態変更して、屋号も名字からとった樋口屋だったんですが、「弁当屋の松次郎」を略して「弁松」に変わりました。キムタクみたいな感じで。
弁松の長い歴史と伝統をつくりあげた裏には樋口純一が語った「味こそが家訓の精神」と見えない部分での強いこだわりがあった。言葉ではなく味と想いでつくられている弁松の創業の精神は、いったいどのように現在の社員、スタッフ達へ浸透しているのだろうか。
石田:弁松さんの家訓や理念を伺っていきたいのですが。
樋口:残念ながら言葉としての家訓はうちは無いんです。たぶんつくってないんだと思います。たぶんマメな当主がいなかったんだと思います。
無いんですが、自分で思っているのは、うちは味自体が家訓だと思っています。何かぶれた時には、この味を守るとか、そういったことを優先すると自ずと修正されていくのではないかと思います。
朝岡:それがさっきのお弁当の味だったんだね。
樋口:一応家訓ではなく経営理念、コンサルの方がつくった方が良いよと勧めてくれるので、何回かつくったことがあるんですね。一番新しいのは「弁当の折箱の中の風景が私達の心粋です」というのがあったんですよ。
意味はお客様がうちのお弁当をお買い上げになって、開けて内容を目視しますね。実際に召し上がって美味しいと思って頂ける。満足して頂ける。それが一番うちとしては嬉しいことなんです。それをお客さんに体験してもらうためには調理とか詰め作業というのは弁当そのものなので、直結してるんですけども、弁当が100点満点でも、接客がいまいちだったり、配達の時間に遅れてしまったら、せっかくお弁当は良いのにお客さんの気分としてはマイナスになってしまうと思うんですよ。
あとはうちの工場とか売り場のあらゆる仕事ですね。例えば工場のトイレ掃除。一見弁当には直結していないですけども、そういった掃除とか衛生面の部分をおろそかにすると、もしかしたら食中毒につながってしまうかもしれない。ですから全ての作業がお客様がお弁当を召し上がる瞬間に繋がっているよっていう内容の経営理念をつくったんですけども、ちょっとわかりにくすぎて全然浸透しませんでした。
朝岡:でも目に見える形で浸透させるのは難しいかもしれませんが、社長のお考えを社員とかスタッフに浸透させないといけないですよね。これはどのようにしてらっしゃるんですか?
樋口:弁当自体の話ですと、5年以上いる職人だと、うちの方向性が身にしみていて、逆に新しい提案が出ると、これはうちのカラーじゃないんじゃないかとか、職人の方が判断してくれる感じですね。
朝岡:そういう意味では長年お務めの社員もかなりいらっしゃって、そういう方から社員の間に世代を越えて引き継がれていくと。態度や考え方が。
樋口:もちろん先輩社員から後輩にというのもありますし、あとうちの場合はお客さんから教えていただくということが多いんですよ。お客さんも三代、四代当たり前という感じでずっとうちのお弁当を買ってくれていて、たまに「昔の弁松はこんなんじゃなかった」というご意見を頂くこともあるんですけど。ちょっと怖い部分もあるんですけどもね。
決断 ~ターニングポイント~
2つ目のテーマは「決断」〜ターニングポイント〜。160年以上の歴史を誇る弁松を襲った苦難やそれらを乗り越えてきた知恵。その裏に隠された物語に迫る。
石田:会社やご自身にとってのターニングポイント、転機はありますか?
樋口:会社のターニングポイントは、そもそも樋口屋という食事処から弁当屋の弁松屋になったということで、弁松屋としてはターニングポイントから始まっているような感じなんですね。業態変更という。
そのまま現在に至るわけなんですが、その間は、他の老舗も同じだと思うんですが、まず関東大震災で店が一回リセットされています。その後復活して、またすぐ戦争で、東京大空襲でうちは焼けてしまって、またリセットで。戦後はしばらく大変だったようですけど、また復活しまして。
聞いているのは、本当にピンチだったのはそれくらいで、潰れそうになったというのは聞いてないですね。ただ普通にバブル崩壊だとか、米不足だとか、最近ですと食の問題、産地偽装だとか、エネルギーの問題だとか、そういったのに対応するのがなかなか大変なのと。今現在一番大変なのは人手不足というのがありますね。若い新人さんもちょくちょくは入ってきてくれているんですけども、今お弁当を詰めたりする部署のメインは留学生のバイトになるんですね。
朝岡:海外から?アジアですか?
樋口:昔は中国の人が多かったですが、今はベトナムとかネパールとかミャンマーとかが多いですね。
石田:日本文化に興味がある海外の留学生も多いんじゃないですか?
樋口:やっているうちに興味が出てくるのかもしれないですね。やはりバイトの子は学生なので、学校が終わったらいずれ帰国したりどこかに就職するかという感じなんですけど。この先うちもそうですし、宮大工とか伝統の仕事が、なかなか日本人の後継者がいないというのがありますので、素質があってやる気があれば外国人のスタッフも増やしていくことを考えていかなきゃいけないなと思います。
朝岡:パッケージするだけの単純作業ではなくて、もっと弁松さんの味をつくっていく中枢の部分にもいずれは海外の人材を?
樋口:増やしていかないとまわっていかないような気もしますね。
朝岡:江戸の、しかも弁松さんの独特の甘辛の味付けの技術は意識して継承していかないと、難しい部分があるでしょう?
樋口:初代とか三代目とか江戸時代の人間が、うちの味を外国人がつくるなんて想像もしてなかったと思うんですよ。それは非常に面白いなと思って。今後日本自体が移住とか緩くなっていけば、うちも色んな国の人が働く職場になるかもしれないです。
朝岡:お相撲を思うね。相撲の世界と弁松さんは重なる部分がありますね。
樋口:本当は日本人に横綱とってほしいというのが、うちも本当は日本人にどんどん頑張ってほしいというのはありますけども。
先代たちがつくり続けてきた味を守り、職人の発掘、育成に励む樋口だが、幼い頃から8代目として弁松の暖簾を背負うことを心に決めていたのだろうか?その疑問をとくうえで欠かせない、樋口自身のターニングポイントに迫る。
樋口:学生時代まではどちらかと言うと外交的ではなかったので、知らない人の集まる会合とか今日みたいな取材はお断りというか、行きたくない感じだったんですね。
朝岡:人見知り系だ。
樋口:大学を出てから二年くらいよそで働いて弁松に戻ってきたんですけど、弁松に入ったら長期休みはとれないというのはわかっていたので、最後に自由をもらいたいということで、7ヶ月くらい世界旅行、貧乏旅行をひとりでしてきたんですね。
最初南米の方から入ってしまったんですけど、あのへんはスペイン語圏が多くて、ビックリしたのが、ワンツースリーとかハローとかその程度の英語も通じないんですよ。ひとりなので宿をとるとか食事するのも自分でスペイン語の単語を覚えて積極的に話していかないと生きていけない。
たまに日本人のほかの旅行者がいたらつかまえて情報聞いたり、助けてもらったり。今みたいにスマホとかパソコンの無い時代だったので、行ったら自分の身ひとつで浦島太郎状態になってしまうという。
そういうのを7ヶ月ほどひとりでまわってるうちに、自分から話しかけないと進まないという状況だったので、それで人見知りはあまりしなくなりましたね。
朝岡:それは今の社長という仕事においてはとても大事な要素だから、それがターニングポイントというのはわかる気がしますね。
樋口:途中でいろんな人と出会って、こういう生き方もあるのかとか、こういう生活してる人もいるのかとか、色々見れたのはよかったですね。でも今また行っていいよと言われてもちょっと行けないですね。
ひとつは便利になりすぎちゃって、冒険に行くワクワク感が無くなってしまったのと、職業柄衛生観念が非常についてしまったので、アジアの小汚い屋台で麺とか食べたいといっても、大腸菌がついてるとかわかってしまうので、前みたいには楽しめないかなと思いますね。
朝岡:ものごころついた頃から「お前は継ぐんだよ」というようなことは言われていたんですか?それとも他の気持ちがあったりしたんですか?
樋口:継げとはほとんど言われてないと思います。大学で就職を考える頃に「どうする?」とは聞かれましたけど、「継がないんだったら他の人間に継がせるからいいよ」というような感じでしたね。
昔はうちの本店と工場と自宅が全部同じ建物にあった時期があったんですね。何十年か。五階建てだったんですけども、厨房が二階で、3,4,5が自宅部分で、自分の部屋は五階だったんですよ。今の工場みたいに密閉されてない、昔の衛生基準の工場だったんで、窓も開けて煮たり焼いたりしてると、匂いが外に漏れていくわけですよ。朝の6時7時になると自分の部屋まで匂いが。その匂いを嗅いで起きるような感じだったので、そういうので刷り込まれていたんじゃないかなと思います。自然と。
朝岡:弁松のおかずと一緒だ。染み込んでる。それで社長に自然となっていったわけだ。
樋口:職場と自宅が一緒だったのがある意味良かったのかなと思います。
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
3つ目のテーマは「言霊」心に刻む言葉と想い。強い思いと信念が込められた言葉には魂が宿り、人の人生を変える力を秘めている。弁末総本店八代目樋口純一が先代、家族から受けとった言葉。その裏に隠された想いとは?
石田:幼いころ先代や祖父母から言われた印象的な言葉、そこに隠された想いを伺いたいと思います。
樋口:先代にうちを継ぐか継がないかといった頃に言われたことだと思います。「弁当屋という仕事は無くならない」という言葉ですね。
同じ老舗仲間でも色んなものを扱ってますが、扱ってるもの自体が今あまり必要とされなくなってきていて、この先残るのかというお店もありますし、同じ食べ物でも昔程あまり食べなくなってしまったものというのもあります。
その中で弁当というのはたぶん無くなることはない、むしろどんどん増えているような感じがしますので、最初にその言葉を聞いたとき、自分の店を継げば仕事は安泰だと思いました。ただ今思うのは、弁当屋は無くならないと思うんですが、弁松は下手したらは無くなるかもしれないという危機感はあります。
朝岡:でもお弁当って日本だけの文化だと思うんです。海外だとテイクアウトはあるけれど、弁当って形で売っているのはまずないですよね。
サンドイッチとかは売ってるけど、日本ほどバラエティに富んでいて、しかも江戸時代からある会社がお弁当専門というのは、日本の文化だと思うんですよね。で日本橋ですからね。会社だけじゃなくて、他の活動というか、江戸みたいなものとの関わりというのも法被から感じるんですが、何かされていませんか?
樋口:まず夜中から仕事が始まるんですね。0時とか1時に工場に行って仕事をしてるもので、なかなか地域の会合が夕方からとかなので、出る事ができないんですよ。
皆さんの時間にあわせてお手伝いすることはなかなか出来ないんですけど、自分の出来る時間、午前中だとか昼過ぎくらいまでで、まれにお客さんで日本橋の街をガイドしてほしいという方もいらっしゃるので、そういった時は自分がこの格好でガイドに。
朝岡:社長じゃなくて日本橋ガイドになっちゃう?
樋口:日本橋のツアーというのは色んな方がやってらっしゃいます。ただ老舗の人間が実際にご案内することとの違いは、一般の方は、弁松に来て、ここにはこういう歴史があるで終わっちゃうんですよ。
老舗の人間が行くと知り合いばっかりなので、中に入って若旦那とか社長に直接説明しろみたいな感じで。あとはどこまで言っていいのかというのはありますけど、ここの老舗の商品は素晴らしいけど、旦那は最低だとか、そういう裏話もお話できる。
朝岡:ビジネスにするのは難しいけど、それに参加できたらもの凄く楽しいと思う。
樋口:旦那が最低だというのは冗談だとしても、ネットやガイドブックではわからないようなお店の個性というか人柄がわかると親近感は必ず湧くと思うんですよ。
個人的に目指してるのは老舗というのはなんか普通の人からすると敷居が高いというのがあって。確かに店構えがどっしりしていて、ごつい番頭が入口にいると入りづらいというお店もありますけど、入ってみたら楽しい。良いものが沢山ある。そういったのを日本橋エリア限定になってしまいますけど、もっと広めたいというのがあって、ガイドをしています。
貢献 ~地域、業界との絆~
自ら代表を務める弁松だけでなく、地元の日本橋の発展と伝統の継承に励む樋口だが、多くの長寿企業が集う日本橋には昭和26年に創業100年をこえる企業が集い発足されたものがある。その名は「東都のれん会」。
樋口:今54社か55社か、みんな江戸時代、明治時代から続いている会社が、色んな業態があるんですけど、集まった会合がありまして。
そこは全く利害関係のない懇親の会で。大体が先々代のあたりに結成されたので、食事会とか参加して、別の老舗の会長クラスのおじいさんおばあさんが出てくると、お前のおじいさんとは昔こういう芸者で遊んだとか、そういう話を聞かせてもらったりして。また自分たちの子供の代が出てくると、家族みたいな付き合いで。そこで利害関係がないので、老舗とはとか、経営のこととか教えてもらうこともあります。
石田:私実はかつて日本橋に住んでいたんですけども、老舗が沢山ございまして、皆さん仲が良くて、私はよそから来た者だったんですけど、すごく気さくに声をかけてくださったんですよね。
街全体が繋がっている印象があったんですけども。だからこそ新しく来た方も受け入れるという感じで、今日本橋は再開発されていますけども、沢山のインバウンドを受けいれて、温かくおもてなしされているんではないかなと思います。
朝岡:お話伺ってると、単なるお弁当だけにとどまらず、江戸の歴史とか全部一緒になって弁松さんと一緒に歩いているみたいな気持ちになるんですけど、ご趣味は歴史関係とかお好きなんですか?
樋口:そうですね。今の日本橋の街の話になるんですけど、うちはただお腹を満たすだけのお弁当をつくっているというよりは、江戸の文化としてのお弁当をつくってるつもりなんですね。
もちろんお弁当そのものもそうですけど、付加価値として日本橋とか江戸の文化を知ってもらいたいということで、ガイドやったり色々しているんですけど。その中のひとつで、自分の趣味でもあるんですけど、こういった日本橋界隈の昔の絵葉書を。
朝岡:いわゆる着色写真みたいなね。昔の日本橋、高速道路なんか全然なかった頃の。
樋口:そうですね、彩色写真。関東大震災でやられちゃった。橋は無事だったんですけど、まわりは。これは魚河岸ですね。
朝岡:魚河岸があった頃の。見入っちゃうな。こんなに空がいっぱいあったんだ昔は。
樋口:これは三越ですね。絵葉書を集めて分かったのが、大体明治の半ばから昭和初期くらいの間の風景があるんですけど、日本橋の橋を通っていて、 高速道路がなかった風景は皆さん何かしらで見ているかもしれない。ただそれ以外にも橋の上ひとつにとっても色んな風景があるんですね。
日本橋の街は大通りから一本入った小道に実は凄い歴史が隠されていたりとか、目には見えないんですけども、老舗もそうですが、色々面白い歴史があちこちに埋もれている。ただそれは見る人が自分から見ようと思って探さないとわからないんですね。今は多少街自体でアピールしている部分もあるんですけど。
ただ通ってしまったらただの道で終わってしまう。それがもったいないので、自分もまだまだ地元に住んでいながら知らないことが沢山あると思うんですけど、そういった面白い事を伝えていきたいというのがあります。ハガキは整理がついていないんですけど、ちょっとまとめたりもしていて。
石田:全部樋口さんのコレクションなんですか?
樋口:そうですね。
朝岡:日本橋名所案内だって。建物好きにはたまりませんね。
樋口:これも何枚がゴールなのかわからないので、今1000種類くらいあると思うんですけど。
朝岡:これはいよいよ弁松博物館をつくるしかないですね。
NEXT100 ~時代を超える術~
最後のテーマは「NEXT100年」〜時代を超える術〜。革新を続け、100年先にも継承すべき核となるものとはいったい。長い歴史と共に先代達が綴り、時代を超えて語り継がれて来た弁松の物語。八代目樋口純一が語る、次代へ届ける長寿企業の知恵とは。
石田:最後に次の100年に向けて変えるべきもの、または変えないもの、会社にとってコアになる部分を教えていただけますか?
樋口:うちのお弁当はうちのお弁当は味が非常に独特のため万人受けしません。
100人いて90人に嫌われたとしても10人が熱狂的なファンになってくれればそれで良いと思っていますので。お客さんに変に迎合しないで、この味をひたすら守っていきたい。守らないといけないと思っています。
朝岡:変えていこうかなというところはあるんですか?
樋口:弁当というは非常に自由なものだと思っています。
うちはこの味というくくりは根本的にありますけど、今デパ地下行けば色んな種類のお弁当が出ています。和食に限らず洋風、中華、色々出ています。さらにネットで見たりするとキャラ弁のもの凄い手のこんだ、色んな表現方法があります。うちも味は絶対変えちゃいけませんけれども、表現方法は何でも自由だと思っています。
朝岡:もう100年こえてますけど、これから100年後に弁松屋を継いでいる後継者がいたとして、その方にどんなメッセージを伝えていきたいと思いますか?
樋口:味は変えないで続けてくれということと、本当にその代で自由にやっていいと思うんですね。
何から何まで先代と同じにする必要はないと思うので、その代の当主と一緒にやってくれた職人たちの個性が出るような時代をその都度つくってもらいたい。色んなシリーズもの、水戸黄門とかスターウォーズとか、パート3が良かったとかあるじゃないですか。そういった感じで何代目の時代は面白かったとか、あとからお客さんに振り返って言われるような、自分の個性を出してほしいですね。