株式会社 梅林堂〜想い・こころをお菓子にのせ、伝えていく
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは、梅林堂 6代目代表 栗原良太
創業は1864年 埼玉県熊谷市で創業。
農民であった初代久兵衛が幕末の動乱のなか京都や伊勢で食べた菓子のおいしさに魅了され、おいしいお菓子を作ろうと思い立ったのがはじまり。
熊谷は中山道という、京都と江戸を結ぶ街道の宿場街として栄えており「行き交う人々に一瞬の「幸せ」を届けたい」それが梅林堂の原点となっている。
基本となる素材の選別や、煮る、練る、焼く、蒸す、包む、折るといったお菓子作りの技術や技能の磨き込み、そして、試行錯誤の連なりが個性的で豊かな味わいのお菓子を育んでいる。
現在は和菓子・洋菓子の製造・店頭販売の他、ブランディング戦略の強化を図り、事業を展開している。
「たくさんの方に喜んでいただきたい」という想いをお菓子に込め 創業から150年以上、熊谷の地でお菓子を作り続ける。
今回は、6代目代表 栗原良太の言葉から、次代へ継承すべき、「梅林堂」の持つ長寿企業の知恵、を紐解いていく。
栗原:創業が1864年になりますので、ただいまをもちまして154年目になろうかと思います。
初代は久兵衛と申しまして、同じ埼玉の熊谷の田舎の方の出でございますが、その久兵衛が始めて以来、直系の形でずっと営業を続けさせて頂いておりまして、私で6代目。また、この後続けば7代目、8代目ということでございます。
埼玉を中心に和菓子、そして洋菓子、或いはまた和菓子の生菓子、或いは米菓等のいろんなお菓子を販売をさせていただいております。特に日常のお客様、気楽にお菓子を好んでお使い頂けるようなそういうお菓子を中心に品揃えを指して頂いております。
埼玉県内に今32店舗。そして東京、或いは群馬にもお店がございますが、そのような店舗を設けまして営業させて頂いております。そしてまた、近年は、インターネットでの販売の、こういうお客様も増えて参りましたので、そういった営業形態も取り入れながら進めさせて頂いております。
~梅林堂のこだわり~
栗原:菓子屋でございますので、勿論、一番大切にしているのが“商品の品質”“味づくり”これが、初代の頃から、梅林堂にとっては生命線だということで、一生懸命味づくりに努力をして参りました。
特に、一つは香りをどう出すか、お菓子の香りをどう出すか、小豆の香りをどう出すかという風なこと。
もう一つは、お菓子の味をですね、他の素材を混ぜた形で、他の味の力を借りてどう今の時代に受ける味を作り出すかという、この2点、これを研究しつつ、商品の品質というものにこだわって参りました。
香りと申しますと、お水と空気と言いますか、この“間”というものを非常に大切にしてきました。わかりやすく申し上げますと、「関東のお水を小豆でどう活かすか」。少し全国的にも硬めの、軟水の中でも硬めのお水でございますので、それを小豆の味づくりにどう活かしていくか。
それから、空気の力も非常に私は大切だと思っておりまして、「お菓子の中にいかに空気を抱き込むか」というのがもう一つのポイント。
近年、一方で、融合という意味では、小豆の味とそれからミルクの味とか、こういったものをお求めのお客様も多ございますので、そういった“新しい味との融合をどうはかっていくか”、それらを、お塩や、或いはお砂糖の味をどう借りて、一つの私ども独自の味を作るかということにかなりの力を注いでですねやっているわけでございます。
やはりお客様にとってですね、お菓子を販売をさせて頂く、ご利用頂くというのが商売の根幹ではありますが、それを取り囲む店舗の姿ですとか、或いはパッケージの形、お菓子を楽しんで頂くという観点から見ても、開けたときの感動、或いはお買い上げいただくお店の様子、勿論、お店の店員の対応。こういったものを総合的に含めてですね、一つのお菓子をつくりだしていくものではないかという風に考えてますので、そういったものにはですね、かなりいろんなものに注意をしながら、作り上げているつもりでございます。
特に、屋号がですね梅林堂という、こういう風な屋号でありますので、梅の包装紙等でこだわりながら用意をさせて頂いております。
基本的にお菓子というのは、生活の中になくてはならないものなのかと考えたときに、お菓子を食べなくても生きていくことはできるわけです。
一方でお菓子は、お菓子を食べながら甘いものをいただきながら口論をするとか、或いは変な表現ですが喧嘩をするとかはあり得ないことで、私たちが扱っている“お菓子の持つ効用”というのは非常に不思議なものがあるという風に考えております。勿論、景気の後退とか少子高齢化とかこういった時代の流れの中で、お菓子そのものの消費が増える・減るって、色々この流れがあるとは思いますが、お客様に喜ばれるお菓子づくりの中に必ずマーケットっていうのは拡大できるという風に信じてさせて頂いております。
ここからは、テーマにそって、「梅林堂」の持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」。
創業から受け継がれる想い、家訓や理念などに込められた想いを紐解く・・・
栗原:「お客様に喜んでもらうお菓子をつくり続ける」この言葉に私は集約できるんじゃないかなという風に考えております。
このお客様に喜んでもらうということをよく考えてみると、お客様に対する想い・愛情、或いは自分自身、或いは一緒に働く仲間に対する愛情、こういったものがあって初めてそのものが出来上がる、こういった背景というものがあるから、お客様に対する喜んでもらおうとする想いというものが醸成できる、これが歴史だと。
先人たちの想いを汲んで、お客様に美味しいお菓子を作ろうという風に思えること自体がですね、なかなか難しいことであります。私にできることは、その想いを伝えるということでありますので、日々の仕事の中で常にその言葉を出す、いろいろな会議の場面、ミーティングや店舗に行ったときに、必ずその言葉を社員一人一人に伝えていく、この繰り返しを何度も何度も行っていくということが、ある意味では想いを伝えるという風なことに私は繋がるんではないかないう風にと思って、そういう具体的な方法でですね、まぁ繰り返してるということですね。
~融合と地縁で新しい発想を生む~
栗原:実はですね、私たちの2代目の寅吉。この2代目が作ったお菓子に、“荒川さざれ”というお菓子がございます。これは、卵白を使ったお菓子でございまして、ある時、ヨーロッパのですね、メレンゲ菓子ございますが、これを見た時、もしかしたら寅吉は、その時代にこのメレンゲ菓子を見て、当社の今続いている荒川さざれというお菓子を作ったのかもしれない。それは、メレンゲを立てて、そして、或いはお砂糖を入れる、或いは小麦粉を入れるというような形で、色々なメレンゲ菓子がございますが、当社のメレンゲ菓子は、実は片栗粉を入れたメレンゲ菓子なんです。
技術そのものはメレンゲでありますので、その技術というのはおそらくヨーロッパのものかなと。それを導入をしたということと、それから、地元で普段使っている片栗を使ったそこに我々が次の時代に向けてお菓子をどう作っていくかというヒントが、大きなヒントが私はあるかなぁという風に思っております。ある意味では“融合”であり、ある意味ではその“地縁”であり、こう言ったものをですね、いかに結びつけて新しいお菓子を作っていくか。
お饅頭は点心がその原点にあり、これが進化して今の日本流のお饅頭になった。このことを考えてみると我々の荒川さざれも、ある意味ではそれに近いものがあるなぁと。これが一つのそういったものを考えるきっかけになったっていうですね。
決断 ~ターニングポイント~
続いてのテーマは
「決断 ターニングポイント」
会社の発展と共に訪れた過去の苦難
それらを乗り越えるべく先代達が下した決断に迫る。
栗原:私が一つ思うのが、非常にあの代々それぞれの役割を果たしつつ、その中で“恵まれた巡り合わせ”、これがあったのかなと。特に初代が見様見真似で始めた菓子屋、それを本来の生菓子屋と言いますか、しっかりと形を作った菓子屋に成長させたと言いますか、形を作ったのが2代目でございます。この2代目の寅吉が、東京の有名店で修行をすることが出来た、そのことが私は一つの当社が今に至るポイントの一つだという風に思います。
もう一つは、その2代目が非常に長寿であった。その技術をですね、当社の或いは当店の中で、長年に渡って伝承し続けることが出来た、これが一つのポイントかなという風に思います。先ほど、お話を申し上げました荒川さざれというお菓子も第2代目の考案でございますので、そう言った背景の中で歴史が生まれてきたとこんな風に考えています。
熊谷は、空襲が昭和20年の8月14日の晩でございます。戦火が広がってですね、非常に厳しい状況だということはどこも同じでありますが、最後の最後で空襲を受けて一面焼け野原になったと。ここにおいてですね、果たして新たに継続してですね、立ち上がれるのかという風なこういうことがですね、非常に問題だったと私は思います。
色々なご商売をやってる方々が熊谷にもおられましたが、この戦争を機に廃業をするなり、転業をするなりという風な方々もたくさんおられたように伺っております。この中で、当社におきまして、当店におきましては、地域の皆様との繋がり、特に3代目・4代目、この辺のお客様との繋がり、或いは地域との繋がりの中で、終戦を迎えて、何もない状態の中から、いち早く立ち直ることが出来たというこういったことが一つの大きなポイントとして考えられるのではないかなという風に思います。
特にあの時代ですから、お菓子を作る場所の問題は勿論のこと、材料がないわけです。特にお砂糖なんかは非常に貴重品であります。粉もそうですけど。そういったものをどうやって手に入れてお菓子を作るのか、その辺で、熊谷においてはですね、今もございますが、軍の関係の施設もあったようでございますので、そういった方々のご配慮を頂きながら、なんとか営業を続けられたと申しますか、いち早く立て直すことが出来た。これも一つの続いてきた要因だという風に考えております。
代々続くということは、勿論、店の一人一人の努力ということもありますが、一緒に働いている従業員の方々のこういった努力も勿論のこと、周りの地域の応援ということもこれは不可欠だという風に思います。
基本に儲けろというよりも、地域のお客様に喜んで頂くお菓子を作るということに徹することによって、そういう人たちがですね、成り立っていく、続いていくというこういうことなのかなぁという風に思うわけです。
~躓きの中で繋いだ長寿の礎~
栗原:私は大学卒業しまして、やはり菓子屋の息子ですから、見習いに行くということで、京都の有名な生菓子屋さんにご厄介になることになりまして。そちらでは、お茶人さんのお菓子やお寺さんのお菓子なんかも作って。
3年程行ってるつもりで、そこでお菓子をしっかり学んで帰ろうと思いましたが、当時の先代、また、私の母親が専務をやっておりました。色々会社の中で混乱があったようでございまして、この混乱の中でですね、早く息子を引き戻してこいという風な先代のご意向の元、急に熊谷に帰ることになる。
その混乱の中でですね、いろいろなことを学びまして、ある意味ではそれがですね、自分の生き方のベースになる。やはり人を大事にする、正しい商売を続けていく、こういった観点ですね、色んな貴重な経験をさして頂いたような一つの私にとってのポイントかなと思います。
順風満帆の中で次の時代を繋いでいくという風なことでスタートしたのではなくて、非常に混乱の中で、まぁお店や会社という視点では、“躓きの中でそこから自分のこの梅林堂におけるスタートがあった”。何か考えるというよりも、一日一日無事にすむことが、夢中で気がついたら一日終わると、この繰り返しの中で、1年・2年と朝から晩まで働いたというのがスタートですね。
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
続いてのテーマは、「言魂、心に刻む、言葉と想い」
栗原良太が家族や先代から受け取った言葉、そこに隠された想いとは?
栗原:「風雪ありて、幸福あり」こういう言葉もよくあります。そのことも、かなり強く胸に刻んでおりますが、一方で、母親が幼少の頃私に言ったのがですね、「お前は男だろ、付いてるものがあるだろう。人の役に立たない男は、男じゃないよ!」と、何かと事あるごとにその言葉を入ってきて。「人の役に立てないような人間は、人間のクズだ!」という風にいつも言って聞かされました。
人に喜んでもらえるような自分に、自分を磨き込むということは、洗脳されたと申しますかね、よく母親から教育を受けた。それがかなり自分の気持ちの中に強く残っております。
それをどう実践をしていくのか、そして、そのこと自体、人の役に立つということは、すなわち、その人にとって、自分にとって何なのか。これに対する基本が常にあって。答えがなかなか見つからない中にですね、実は、私の同級生で、私が高校の時にその友人に「ところで、人生っていうのは何なんだろう」と問うたことがあります。
高校生ですから生意気で、色々、哲学的なことやら何やら議論をするのが好きな時代でありますから、そういう話をすることが多々あります。その時友人が言ったのが、「人生っていうのは結局のところ、泣いたり、笑ったり、喜んだり、悲しんだり、涙を流したり、それそのものが人生だ」と、いう風に。
同じ高校生ですから、当時は、「何言ってんだよと。お前わかったようなことをよく言うよと」という風に思ったものですが、それを今でもよく覚えておりまして。
正にこの年齢になって、人生というは、「いかに強く喜べるのか、いかに強く泣けるのか、悲しめるのか、涙を流せるのか。中途半端に泣いたり笑ったりというよりも、おもいっきり泣ける人生、おもいっきり笑える人生」これをおくることが大事だなぁとつくづく思うわけでございます。
そういう意味では、幼少の頃に仕込まれたと言いますかね、人の役に立つというようなことの中に、おもいっきりやる!というような、こういう中にですね、自分の存在意義・意味・価値というものが生まれてくるんじゃないかなという風に考えておりますし、日々、そう思って行動しているつもりであります。
貢献 ~地域、業界との絆~
「地域や業界との絆」
梅林堂が行っている地域や業界でのとの取り組み。
そこに込められた想いとは?
栗原:今個人としては、若い頃に青年会議所というところにも所属をしておりましたので、そのOBとしての関わり、後輩との繋がり。
また商工会議所においては、商工会議所の副会頭を仰せつかっておりまして。そう言った局面での地域に対するお手伝いと言いますか、これをさせていただいております。
一方で、スポーツと言いますか、子どもの頃から野球をやっておりましたので、野球を通じて育てていただいたそのご恩という風な意味も含めて、ちょうど埼玉に、埼玉県民球団 武蔵ヒートベアーズという球団が3年程前に生まれましたので、この後援会の会長としてお手伝いをさせていただいております。
大震災の時にですね、同業の中で、福島県の方のお菓子屋さん、千葉県の方のお菓子屋さん、被災をして非常に辛い思いをされた業界の仲間ですから、よくお話を伺ったりしました。
この東日本大震災この未曾有の大災害になったわけですが、自分も何かお役に立たなければいけないかなということで、地域の仲間たちと協力をしてですね、熊谷において、熊谷に被災をされた方々をご支援を申し上げるということで、東日本大震災自立支援ネットワークということで、熊谷でそういった任意の団体を立ち上げて、そこで3年程事務局長をさせていただきました。
やはり困ってる方に微力ではございますが、ご協力できることはないかということで、熊谷で5,000万円程の現金を皆さまからお預かりしまして、被災された方々にですね、それを生活のご支援、或いは就職のご支援、或いは住居そのもののご支援と、色々な角度からですね、約200名強の方々、お一人お一人に私お会いしまして、援助を、熊谷の皆さんのご好意でいただいた現金を配分をする係をさせていただきましたし、勿論、そういった中でですね、特に福島県の南相馬でありますか、こちらに赴いて現地のボランティアから現地の方々との交流と言いますかね、どのような形でご支援を申し上げたら良いのかということについて3年程お手伝いをさせていただきました。
非常に私自身にとっても大きな経験でありますし、そういった行動というのが、地域の皆さん、或いはまた社員での一人一人に対する私自身の考え方というものが少しずつわかってきてくれたかなぁという風なことがあります。
非常にわずかなことでありますが、その被災した方々の気持ちを汲んで行動をさせていただいたというようなことは、私にとっても宝物だなぁという風に思っております。
NEXT100 ~時代を超える術~
最後のテーマはNEXT100、時代を超える術。
梅林堂にとっての「変革・革新」を栗原良太が語る。
栗原:老舗企業には家訓ですとか、いろいろな言い伝えとかっていうのもあると思いますが、私どもではやはり先ほど申し上げたように、「美味しいお菓子を作り続けていく。お客様に喜んでもらえるお菓子を作り続けていく」この言葉の裏側にある本質というもの、正しく生きるであるとか、或いはそれなりの必要な徹底したと言いますかね、努力を続けていく、こういったことについてはですね、まぁ一つの枠組みではなくて新しいお菓子を2代目も発想した心ですとか、こういった背景ですとか、また、2代目・3代目・4代目・5代目終戦を迎えた・・・。いろんな時代の変化の中で培ってきたものは、その想いじゃないかなぁと。その想いをお菓子に乗せてお客様にお伝えをする。そこのところの心というもの、生き方というもの、もうこれは代々、或いはその先も大切にしてもらいたいなと思います。
「人として正しく生きていく。最善を尽くし生きていく。おもいっきり泣く。おもいっきり笑う」この“想い”というものを繋いでいくことが大事かなという風に考えています。
変化という言葉がよくあります。時代についていくという、次代の変化に対応していくという。このことが大事なんですが、何故変化できるかということがあると思うんです。
そのときに自分がこうであったということがあって、成し遂げたそのことに執着をあまりすると変化を好みたくないわけですよね。成功すればするほど。
でも本当はその先におそらく、先ほど申し上げた心というか想いというか、確実に存在しているはずなので、それを大事にすれば次の時代に必要な対応、これは自ずとできるでしょうと。客様のことを考えれば変われるでしょうと。次の時代の従業員であり、或いはお取り引き様、勿論お客様のことを考えれば変われるでしょうと。そこに変わろうとする意思がなければ変われないので、やはり最終的には先ほど申し上げた創業の時のお菓子づくりの心というものに私は帰着するのではないかなという風に思います。
梅林堂 6代目 栗原良太
人として正しく生き、最善を尽くす。
思い切り笑い 思い切り泣き、想い・こころをお菓子にのせ、お客様に伝えていく。
この想いは100年先の後継者へ受け継がれていく・・・