秋本産業 株式会社~本業に徹し、地域に貢献する~
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回は特別編と題し、広島の長寿企業の代表が登場。原爆投下の被害を乗り越え、現在は複数の世界文化遺産があり、日本国内からの観光客も多い広島の長寿企業の知恵・物語に迫る。
秋本産業4代目、金子俊介。
1895年、初代秋本又吉が広島県広島市で建築金物の卸売業として創業。
創業から1世紀以上、原爆・敗戦・オイルショック・バブルの崩壊など、激動する社会情勢を乗り越え現在に至る。
お客様をサポートする企業として豊富な在庫、タイムリーな配送ができる、常にサービスの向上に努めている。
今回はそんな秋本産業の4代目金子俊介の言葉から、事業継続の秘訣、その裏に隠された物語に迫る。
いまおか:今回のゲストは秋本産業株式会社代表取締役 金子俊介さんです。よろしくお願いいたします。
金子:よろしくお願いします。
いまおか:まずは秋本産業のお仕事について、事業内容をお伺いしたいんですが。
金子:建築金物の卸売業ですね。
いまおか:建築金物というと具体的には例えば?
金子:釘・・・わかりやすく言えば釘だとか、耐震のね、家と家の材木の間に打ち込むような金具類そういうものが一応のメインですね。
いまおか:それを販売していらっしゃる?
金子:そうですそうです。
いまおか:んーその他にはいろいろ手がけていらっしゃいますか?
金子:それに付随してね、それを打ち込むための工具類とか、今いろんなものが出てきますんで、くっつける針金とかそういうものもすべて販売しております。
いまおか:それをどの辺のエリアに販売されてるんですか?
金子:今は広島県内、それから岡山、それから島根県の広島県側、山間部ですね。その辺と山口県の岩国、周南くらいまで販売しております。
いまおか:随分エリアが多いですね。
金子:まあ店を出していきましたんでね、自然と増えていったということでございます。
いまおか:金子社長は何代目の社長でいらっしゃいますか?
金子:4代目と思います。
いまおか:4代目。
金子:はい。
いまおか:なるほど。「秋本産業」という会社のお名前ですが、ご自身のお名前は「金子」。
金子:金子。女房のお義父さんがやってたところへ私が入っていきましたんで名前は変えずにそのまま金子でやっております。
いまおか:ふーん。御養子に入られたわけではなく、そのまま会社を継がれた?
金子:ええ。おっしゃる通りです。
いまおか:えー。じゃあ奥様の方の代々続く会社なんですねー。
金子:はい。
いまおか:へー。秋本産業の強み・こだわりというのはなんですか?
金子:まあ一言で言えば「配送」ですよね。
いまおか:配送?
金子:配送。例えば山間部だとか島嶼部はなかなか配達しにくい所で、そこにお客さんがあるんですよ。山の中にも金物屋はありますのでね。
それから島の方にも金物屋があるんで、そこの方は売り物がなくなって取りに来るというのはできませんから、そうするとやっぱりうちみたいな所が卸売業で配送をやると。そうするとお客さんも喜んでいただけるし、うちも買っていただけるそういうことですね。それを大事にしなきゃいかんと思っております。
いまおか:へー。遠くにあるお店にわざわざ秋本さんのところから持って行く?
金子:そうです。
いまおか:それは助かりますね。
金子:と思います。だからお互いに生き残っていけるんだと思います。
いまおか:私たち、例えば「釘が欲しいなー」と思ったら、ホームセンターに行こうと思ってしまいがちなんですけど、そのホームセンターに行く人が増えるとちっちゃな商店はなかなか大変ではと思うんですがどうでしょう?
金子:おっしゃる通りです。うちが下ろしている金物屋さんの一番の敵はホームセンターさんでしょう。だけどもホームセンターさんも弱みはあるし、ちっちゃな金物屋さんも強みはあるし、その辺で生き残ってらっしゃる金物屋さんというのは多いんで、それをサポートしていかなきゃいかんと思ってますね。
実はうちもホームセンターから声がかかって「卸売りしてくれないか」と。だけどホームセンターさんじゃやっぱり要求が非常にきついんでね、小分けにして。うちはね釘でも5㎏単位とか、ホームセンターは5本でも10本でも入れて50円とか100円で売られるんです。それを仕分けしなきゃいけないし、バーコードもつけてくれって言われるんで・・・まあそれと一番大きなところはうちの販売店さんの敵だってところですね。敵ってほどじゃないんですけどやっぱりそっちに協力すると良くないと思って、遠慮してて、今は販売店さんの方に協力して持って行って、倉庫も片付けたりしますんでね、販売店さんの倉庫を片付けたりしながら枚数を数えてそれで「もうそろそろ減ってますよ」って「追加しましょうか?」っていうのが営業ですよ。
いまおか:へー。
金子:だから配達しながら営業も回ってる。自分のところの数が減ってるっていうのがわからない時があるんで、それをまぁ2日に一回行って枚数を数えたり個数を確認しながら「これはちょっと減ってるからそろそろ補充したほうがいいですよ」っていうのがうちの営業のやり方ですね。
いまおか:2日に1回行かれる!そのくらいの頻度ですか?
金子:そうですね。2日に1回、3日に1回とか月水金とかですね。
いまおか:それはお店にとっては心強いですね。
金子:まあ頻繁には行けないところもありますけど。
いまおか:逆にホームセンターの弱みって何ですか?
金子:というのはね、ちょうど30年くらい前から勢いを持たれて、ホームセンターで周りの方もDIYで自分で物事をやる、自分でペンキを塗る人が増えてきたんですけれども、ホームセンターさんの弱みっていうのは私の感じではね、やっぱりその大きな駐車場を借りなきゃいけない、それから人も雇わなければいけない、在庫もおかなきゃいけない、まあお金がかかるわけですよね。そのお金がかかるところが安さを売りにやられてるわけですけれども、その安さの敵っていうのがネット販売ですね。今工具類のネット販売もあるし、どんなものでも全部売ってますね。若い方は全部ネットで買われるんでそうなると配送もしっかりしてるからもうネットが伸びてきているわけです。
で、ネットが伸びてどこがやられてるかっていうとホームセンター。で、ホームセンターさんは仕方なく売り上げを伸ばすためにお米を置いていて、生鮮な野菜以外はほとんど置いてますよ。飲み物やら薬も置いてたり、まあ規制緩和でいろんなものが置けるんで。今はスーパーマーケットなのかホームセンターなのかわからない状態になってるんで私は将来これは多分専門的に別れてくるんじゃないだろうかと、専門的に。工具類だけ、スーパーはスーパーだとか。
いまおか:なるほど。
金子:ここへきてちょっとホームセンターさんも変わりつつあるなと。
いまおか:なるほどねー。ありがとうございます。
金子:いえいえ。
ここからは、各テーマを元に、
秋本産業4代目 金子俊介の言葉から、
歴史と伝統の裏に隠された物語、秋本産業が誇る長寿の知恵に迫る…。
最初のテーマは、「創業の精神」
創業の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯を
秋本産業4代目金子俊介が語る。
いまおか:改めて創業から現在までの歴史、現在に至るまでの経緯を教えていただきたいんですが。
金子:私も途中から入ってきたんで、古いことは明治28年ですから分かりませんけれども、ただ潮流はあったんだと思いますね。聞いたかぎりでは私が子供のころに見た風景で、ちょうど上流から太田川が流れてきて、それから天満川と太田川の角に今も昔も秋本産業があるんですけど、材木だとかいかだもね、上流のほうからずーっと流れてきてたのを見てましたんで、山中で焼いた瓦だとか釘類がのっかって、ずーっと来てて。で、ちょうど太田川と天満川の境にあげて、それを馬車とかなんかで、市内の家を作るところ大工さんだとかそういうところに配送していたということがあって・・・もちろん近所には今でも建材屋さんとかうちみたいな商売4、5軒まだありますね。
いまおか:そうですか。実は私の父も、戦前子供のころ寺町に家がありまして。ですからおっしゃっているお話がこう・・・イメージが膨らむんですが、あそこは南北、こう北から流れてきてちょうど分かれて東西に横に向いて分かれてまた流れていく、だから「横川」っていうんですよね。
金子:おっしゃる通りです。ちょうど分岐点になりますのでね。
いまおか:そこでそういうお仕事をスタートされた。曽御爺様が。
金子:そうですね。
いまおか:んーなるほどー。どうして建物の金物だったと思われますか?
金子:ちょっとね、想像は尽きませんけど、例えば家庭の鍋、窯だとか家庭金物。そういうものは出しやすかったんでしょうね。手が。
それから上流から流れてくるんで川の利便性があって、それから周りも何件かそういう店があったんで、そういうことで始められたんじゃないかなと思いますね。明治28年ですから・・・想像でしか言えませんけど。
いまおか:そうですね。建築関係の事業者がたくさんその辺りに集まっていたので「うちも」ということだったんでしょうかね。
金子:そうです。付け加えれば寺町のすぐ横には「左官町」っていうのが昔はあって、50年ぐらい前ですかね?左官町っていう地域があったり、その向こうには「鍛治屋町」っていうのがあったり。鍛冶屋さんがたくさんいて左官屋さんがたくさんいた。城下町ですから。そういうところでだいたいそういったまとめれば家が一軒建つような。
いまおか:まさにそのものですね!左官屋さんと鍛冶屋さんと。
金子:で金物屋さんもあるし。
いまおか:材木屋さんもあって!はーなるほどー。土地柄も大きかった?
金子:だと思います。
いまおか:へーなるほどね。
いまおか:家訓や理念といったものはあるんですか?
金子:先代から継いだものはないんですよ。というのも先代が脳梗塞で倒れてから私が東京からサラリーマンやめて帰ってきましたんで、仕事の件だとか話したこと一切ないんですけど、古い社員がおりますんでね、そういう人達と話しますと、非常に硬い人で二言目には「本業に徹する。金物の卸売業これを一本メインに」てことをずっと言われてたようです。
商売をやってるとね、今度あれに投資しないかとかいろんなことがあるんでしょうけど、やっぱり金物屋本業を一本筋を通してっていうふうに言われてたみたいです。
いまおか:なるほど。それを金子社長が引き継がれたときにそのまま引き継がれたんですか?
金子:引き継いだつもりです。広島県内のね、金物屋それぞれが生きていかなきゃいけないし、万が一いろんなことに手をだして失敗もあるでしょうし。
いまおか:本業以外に手を出されようとしたことはなく?
金子:ないです。
いまおか:その想いというのは社員の方にはどのように伝えているんですか?
金子:古い社員が多いんで、前々からそういう風な硬い・・・まぁ金物屋だから硬いんでしょうが(笑)
いまおか:はははは(笑)
金子:そういう風に先代から言われてたんじゃないでしょうかね。私が来てからは少し柔らかくなったんでしょうけれども、やっぱり硬い先代のほうを見てる古い社員もいますんでね、私もよく言われます。それ(投資、金物屋以外のこと)はやるなと。そういうこともありますね。
いまおか:そうですか。自分より、ご自身より古い社員の方がいらっしゃるところに戻ってこられて社長になられて、いろいろと葛藤はなかったですか?
金子:うちはね、50年働いている社員だとかいるんですよ。高校を出て中学校を出てそのまま70過ぎまで働いている社員もいましたからね。私がいたときはそれは番頭さんで教えてもらいました、いろいろとね。
私は東京でサラリーマンしてたんで入ってきて何もわからずに、その社員・・・番頭さんがね、私の職場に来られて「秋本産業を継いでくれ」と、「今の商売やめて来てくれ」と言われたんです。その時には「仕事が全然違うから自信がない」と。そしたら「いや、座ってくれているだけでいい。何もしなくて座っているだけでいいから来てくれ」って言われたんですよ。「そしたら今と一緒だな」と思ってね、「座ってるだけならやりましょう」っていって広島に帰ってきて。で社長になったんですけど、大変でしたね(笑)。
ちょうど10年ぐらい前なんですけど、今私70なんですけど60ちょっとすぎてから、61くらいの時に帰ってきたんですけど、ちょうどね、不況の真ん中でリーマンショックやら姉歯偽装事件、それからコンクリートから人へということで建物が建てなくなるうえに人口の減少、全部が重なってきましてね。ホームセンターさんがのしてきているところで、もう全部うちの業界は青息吐息。やめるところがたくさんあって、うちもその一つだったんでしょうけれども、うちは社員さんがだいたい35,6人いて、継ぐってことがわかって一安心したんじゃないかと。中から社長を作ればいいのにそうは思わなかったみたいですね。やっぱり血のつながった・・・繋がってはないんですけれども、娘婿って言うことで番頭さんが事務所に乗り込んでこられて「やめてくれ」ということで継ぐことにしたと。
いまおか:なるほどね。
決断 ~ターニングポイント~
続いてのテーマは「決断」~ターニングポイント~
秋本産業の発展と共に訪れた苦難、そして打開に向けた決断を
4代目金子俊介が語る。
いまおか:決断・ターニングポイントということでお話を伺いたいと思うのですが、まずは会社にとっての転機、ターニングポイントはなんだったでしょう?
金子:まずね、広島で言えば、私が生まれる前ですけど「原爆と戦争」というのははずせないところなんですけどね。それがあったからこそ「復興」というところで、うちのような商売、材木屋さんだとか建材屋さん、金物屋っていうのは、ある意味大きな力になったし、大きなちからをもらったんじゃないかと思いますね。
原爆の時にはそう・・・会社の時にはね。
いまおか:原爆の時は本当に何も無くなってしまったわけじゃないですか。その時のお話は聞かれてますか?
金子:いいえ。それも含めてね、先代社長からそういう話はないんですけれども、義理の母からね、聞いたことはあります。原爆の話は。原爆の話はする人じゃないんで、ただ一言「大変だった」と。原爆受けて、江波で受けたらしいんですけど、牛田の家で帰る道がわからない。道路がない。山の形だけで行くんですけど、橋もないというところでその途中で色々見たんでしょうけど、その話は何にもないです。
先代と私、面と向かって仕事の話ししたことないんで、以前の話は申し訳ないんですけれど本当に何もきいてないんですね。
いまおか:何にもなくなったところから立ち上がって?
金子:はい。兵隊から帰ってきて元の商売、もちろんその仕入先だなんとかってのは広島以外の所からは残ってるし、山間部の方にもメーカー・・・メーカーって言いますかね、そういうところを作っているところは残ってたでしょうから、同じように手に入れば売れる状態でしょうからね、この商売。
そういうもの。材木にしても金物にしても、みんな家がないわけで、そういう手に入れば売れる状態のところで、以前から商売をしてた川上の山の中から瓦を持ってきて材木を持ってきて、持って来れば売れる状態だと私は理解してますね。
いまおか:そういう風に考えると、何も無くなった広島の街を建て直すためになくてはならなかった仕事かもしれませんね。
金子:と思います。
いまおか:社長が就任されてからのターニングポイント、会社の転機はありましたか?
金子:あー・・・来たばっかりの時に、もう老舗だからお客さんも決まってると。「秋本産業はお客が決まってるんだから営業することもないし、座ってればいいんだ、判子を押してください」ということで、それじゃあ私にもできるなということで入ってきたんですが、ご存知のようにちょうど10年前くらいにリーマンショックがあって、日本航空は潰れるわ、あれは潰れるわ。銀行さんはもう名前が変わってわけわかんなくなるわ、いろんなことがあって。そういう転機の中で売り上げが、今ちょうど30億くらいなんですがその頃一番下が私が来た頃13億でした。それで35、6人社員がいて10人減らしてくれと。
いまおか:10人!
金子:コンサルの会社、会計会社なんですけど10人減らしたら保つよ。じゃないと保たなくなるよと言われてそれで悩んだんですよ。
いまおか:ええ。
金子:で、お客さん共々手に入れてっていう方法で、2人ずつ行けばそこで10人になりますんでね、で、なんとか減らさずに。
いまおか:はい。
金子:それで行く前に「自分の給料だけ稼げ」と。うちが非常に具合が悪い。首を切らなきゃいけない状態まできているんだけど、その間私来て給料2回減らしたんですよ。給料2回減らして、連続2年。でもこれを改善するためにはもうちょうど他所様も辞めるっていうし。じゃあその会社を買い取って、ウチの人間をぶっつけて、で給料だけ稼げと。となるとそこのお客さんも守られるし、それでうちも助かるしっていうことで店を出してってそれでまぁ・・・その辺がターニングポイントでしょうね。そこが。
いまおか:じゃあお一人も。
金子:切らずに。
いまおか:切らずに
金子:はい。
いまおか:お店も潰れそうなところは救って。
金子:救ってって言葉は悪いですけど(笑)まぁ利用したって言った方がいいんかわかりませんけど、まぁ社員さんは喜んでますよ。
いまおか:そうですか。
金子:ええ。社員さんは喜んでますよ。
いまおか:素晴らしいですね〜。
社長になられてからすぐのご苦労、このリーマンショックが来る前ですが、ご苦労がありましたか?
金子:来てすぐ、言葉通りすることがないんですよ。もともとは運送屋でしたんで、こっちへ来てもそれまでは運賃を売ってましたんでね、今度は「金物」目に見えるものを売るんですけれども。相手がどこかわからない、ライバルがどこかわからない。ただ飾ってもらってるだけだったので、それで私がまず困ったなーと思って、まずインターネットやら電話帳めくって金物屋さん大工さんゼネコン、いろんなとこへ300、400通手紙を書いたんですよ。いろんなところへコピーとって。「私が何をしても構わん」と言われたんで。で番頭さんが、社長来てなんかしよるわって。時間潰ししよるなって思ったんでしょう。
それで400通出すと(切手代が)80円ですからまあ3万ちょっとですね。それくらいの金くれって言ったらくれますんで(笑)それを全部切手貼って全部出した。
そしたら大変なことになって、お客さんから「今度来た社長は馬鹿か?」と。
いまおか:はあ!
金子:要するに自分のところを通り越して、あっちこっちに手紙出しとるって。で、卸屋のくせにお前が売るんか!と。要するに商流がわかってなかったんですよ。うちが仕入れて金物屋さんにおろしてそこにお客さんが呉に来る。地場の大工さんなんかが買いにくるわけです。安佐南区なら安佐南区の大工さんがくるわけです。その大工さんを調べて。手紙出して「うち安いですよー」みたいなことを書いて出したから「お前んとこの会社の社長は馬鹿か?」と言われて。それでもう徹底的に謝りに行って・・・
だから新任の挨拶じゃなくって「すいません」って挨拶。
いまおか:あら!最初がお詫びだった?
金子:大変ですよ。それが私が来てすぐの失敗。
いまおか:あらー、よくわかってらっしゃる社員さんがたくさんいらっしゃる中で、まぁもう眠れない日もあったんじゃないですか?
金子:そうですね。年上の人ってまぁ、私も結構歳食ってましたんで。年上の人は2、3人ですけど・・・経験者は多いですからね。全てが私より経験が多い。
今でも思うんですがいいんですよ、社長は何もわかってない方が。今でも専門的な文章、仕事の内容で一課二課三課四課って分かれてるんですけれども、彼らの取り仕切ってる課長さんは私のところに聞いてこないですもん。
いまおか:(笑)
金子:わからないから。だから自分らでものをやって自分らで判断して自分で値段を決めて全部。だから「これいくらでやりましょうか」なんて私には誰も聞いてこないし、これを売っていいですかとか、これを・・・といういろんなことは聞いてこない。それぞれのセクション6人ずつ部下を持っとるんですけれども、彼らはもう自分らが上司と思ってるんじゃないでしょうかね。一国一城の主で、っていうところでは、独立したような感じです。
いまおか:たくさんのご苦労があったわけですねー。
金子:まあ一生懸命でしたけどね。
いまおか:今度はご自身のターニングポイントについてお伺いしたいと思いますが、お話を聞いていると社長になったことというのが大きなターニングポイントだったと思いますが今一度、ご自身のターニングポイントはなんですか?
金子:前の会社の時に偶然なんですけど、広島で転勤があったんですよ。その時に広島生まれで広島で転勤というのもこれ偶然なんですけれども、まぁその時に昔の友人だったりして、ある程度生まれの広島で改めて馴染んだっていうのがあって、帰ってくることには抵抗はなかった。4年前からちょっと単身で前の会社から来てましたんでね。転勤の・・・転勤というか、帰ってくることの不安はなかった。友達がけっこうおりましたんでね。
いまおか:おかえりになることは急にだったんですか?
金子:いいえ。サラリーマンをしてます時に、先代が言いにくかったんでしょうね。番頭さんと若い社員を連れて、私の会社に乗り込んで来られて。それで「跡継ぎがいない。会社をもし継いでくれなければ・・・その・・・ある会社によって全部財産を分けて解散しようと思う。」と前社長が言っとるんだけれども、社員は「このままやりたい。できれば座っててくれるだけでいいから、何もしなくていいから帰ってきてもらえないか」と。っていうことで、やってもらえないだろうかと。
その時はさっきも言いましたけれども、ちょうど広島にいましたんでね。広島で歳も歳でしたんで支店長をしておりまして、そこへ乗り込んで来られて。で、私もあんまりの隠すような人間じゃなかったんで、うちの総務の人間とか入れてだいたい話をするんです。その時も同じように総務を入れて話して、向こう・・・今の番頭さんも直入にね「継いでくれ」ってストレートに言われて。
で、私も勢いに押されて「やりましょう」とかいうことになったんだけど(笑)「まだ先でいいですか?」ということで時間をもらって、それからどうですかね4、5年経って86の時に先代が・・・義理の親父なんですけれど、脳梗塞で倒れて、しゃべれなくなって。それで私慌てててすっ飛んで帰ってきました。 そしたら何も準備なかったので。
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
「言魂」心に刻む 言葉と想い
強い想いと信念が込められた言葉には魂が宿り、
人生を変える力を秘めている。
金子俊介が家族や知人、偉人から、
受け取った想い、そして自らの胸に刻む言葉とは。
いまおか:続いては言霊ということで先代から言われた印象的な言葉やそこに隠された思いなどがおありですか?
金子:先代が倒れてから帰ってきましたんで、仕事の件だとかいうことは一切話ししたことがないんですが、最初来た時に世間の不景気だったり、リーマンショックがあって大変な時期だったんですがね、まぁその時に社員共々色々手当てをしてやってきて、そのうち徐々に景気が良くなってきたんですね。
その中で少し私も緩みが出たのか、貯金と言いますか利益も出だして。
利益が出だしてきたんで、私はまぁ浅はかなんでしょうけど「お金を遊ばすことはない」と。お金の方も動かすとお金を生むんだからということで。銀行さんからお金を借りて、それから銀行さんがやっている証券会社なんかの投資ですね。そういうのをやろうかなって頭がきたんですよ。調子に乗ってたんでしょう。景気も上向いてきたんでね、これいけるなーと。株価も上がってきたし。大体株価に連動してるのが多いですから。間違ってはなかったんですけれどね、まあそれをやろうと決断した時にうちの社員に「違います」と。うちの番頭さん含めて2人くらいが「うちの会社は前社長、亡くなった前社長は本業でしっかりやれと。だから本業以外で手を出すことはよくないと。これはやめましょうと言われたんで、私も「ハッ!」と気がつきましてね。それが先代の思いだったんだなーと思って思い止まりました。
いまおか:へー。
金子:今もずっとそのようになってるかと言われるとそうでもないんですけどね、許される範囲の中でやることはありますけど、決して本業を外れることはないと今でも思っております。
いまおか:ご自身がこう胸の中にいつも思ってらっしゃる大切な言葉、格言ですとか。
金子:格言・・・そうですね、年をとると考え方も変わりますし、それからその折々の自分で思うこともありますんで、ちょっと昔の話をしてもよろしければ。
いまおか:そういう風に考えると、何も無くなった広島の街を建て直すためになくてはならなかった仕事かもしれませんね。
金子:と思います。
いまおか:はい。
金子:だからサラリーマンしとる時にはね、たまにこう・・・どういうんですかね?仕事に関係したことが頭にあったんでしょう。運送屋って言いましても国際貨物・・・海外に荷物を送ったり入れたり海外に行って渡したりするような仕事・・・のところがメインでして、まぁお客さんも会ったりして。その中で印象に残ってるのは、泊まりに来たお客さんを2、3日お世話をして、向こうも喜んでくれて帰るんですけれども、駅まで送って。まぁこっちの方はね「はーもう大変だったね、もう今日からゆっくりしようや」って。で夕方になって布団をこう・・・彼らが寝てた布団のカバーを外したらメモが残ってましてね。
そのメモにね「Keep in touch forever」“これからも仲良くしようね”って意味でしょうけれども、「これからもこれでお終りじゃないよ」「Keep in touch forever」っていうようなメモが残ってた。枕の下に。「コリャーまた粋なことやるな」と思いましてね。その言葉が30代なんですけど60まで誰かになんか言われたらもう直ぐ「Keep in touch forever」って書いてどんどん仲間を増やすと。
いまおか:なるほどー。
金子:要するに、お付き合いが始まったらもう自分から辞めることはないっていうことで、どんどん(仲間が)増えたんですが、もう60にもなってサラリーマン辞めて広島に帰る。で今度は70になるんですけど、70になった時にはやっぱりこのまんまでね、やっぱり今終活とか整理していかなきゃいかん時期なんでしょうけど。
その時にね、ちょうど岡山に一番古い学校があるんです。そこは孔子の言葉を教えてるんです。論語ですね。論語ってのは40にして惑わず、50にして天命を知る。60にて耳従う。っていうところで、60になったら人の言うことを聞きなさいよって。70になったらどうなんだって言葉があって、勝手に解釈してるんですけど「従心所欲」って言葉があるんです。
いまおか:「従心所欲」。
金子:ええ。従う心、「しょ」ってのは「所」ですね。「欲のある所に従う」みたいな、論語の中に入ってる。70にして。それを私が勝手に「70になったら好きにしなさいよ」っていう風に解釈して、今まで我慢してたんで、それを今言われたように、どういう言葉を座右の銘にしてるかって聞かれたら間違い無く「従心所欲」、なんかあったら勝手にするよと。
いまおか:思いのままに?
金子:思いのままに。で、人の言うことは聞かないよと。まぁ常識の中ですけど
いまおか:(笑)
金子:それを、字を書いてもらって、額に入れておいております。で毎朝見て今日もわがままでいようと思います。
いまおか:なるほど。
金子:はい。
NEXT100 ~時代を超える術~
NEXT100年、時代を超える術。
革新を続け、次の100年にも継承すべき
「核」となるモノとは。
秋本産業4代目金子俊介が語る
次代へ届ける長寿企業の持つ知恵とは。
いまおか:次の100年に向けて変えるべきもの・変えないもの、会社にとって核になる部分は何でしょう?
金子:やはりこの広島のね、地方の企業ですんで、まあうちの近所にも建材屋さん、それから金物屋、ちょっとずれているんですけれども4、5件はありますし、市内には沢山あります。やっぱりみんなで生き残っていくように、で次の100年はやっぱり全員が残れるように。自分だけ残っていこうと思うと必ず潰されると思います。そこらへんはよく考えて、今いろんな会社があるんですけど。そういう会社の社長さんと仲良くしながら。隣近所仲良くしてますんでね、お互いに足りないところを補いながらやってるんで、先代がやったように仲良く一人だけ残ろうなんて思わないで、うちは122年の歴史があるんですけれども仲良く生きていかなければいけないんですが、一人で生きていこうと思うとまずダメになると思いますんで。その辺は後継者には伝えていこうと思ってます。
いまおか:なるほど。そしてその中でやはり先代がおっしゃっていたように一番大切にしたいことは「本業」。
金子:そうですね。うちがレストランやるとかねそんなバカなことを考えちゃいけない。
いまおか:(笑)
金子:そういう風に本業だけでやっていこうということも伝えたいと思っておりますし、彼らはわかってると思います。はい。
いまおか:ご自身の今後の目標や使命はどんなことですか?
金子:まあ事業承継ですね。うまく次に渡してそれで企業が長続きするようにしたいと思います。ただ目標ってのは、ちょっとわがままですけど。先代はね、死ぬ間際まで社長をしておりましたんで、私はそうはしたくないなと思いますんでね。なんとか事業承継をうまくやって、自分の時間を作りながらわがままな時間を過ごしたいと思ってます。
行動してるつもりです。だからこの歳になって広島は海が近いですからね、70で船舶の免許を取る人は珍しいって言ってましたけどね。
いまおか:へー。
金子:「従心所欲」じゃないですけどね、前社長のようにね、死ぬまで社長をやるつもりはないですし、わがままをしてこれからもスポーツカー乗りたいし。
いまおか:へーすごい!
金子:スポーツカーも買いましたよ。
いまおか:素晴らしい!そうですか!
金子:わがままやらせていただきます。
いまおか:これから本当にこの先その夢がどんどん叶えられて。
金子:はい!
いまおか:会社もしっかりと続いていき、後継者も育ち、そして素晴らしい毎日が社長を待っているという感じですね。
金子:ありがとうございます、ありがとうございます。
いまおか:今日はありがとうございました〜。
金子:ありがとうございました。
秋本産業4代目金子俊介。
本業に徹する。他の事業に手を出さず、金物の卸に誠心誠意徹し
地域の企業と共に、全員が残っていけるよう事業を継承していく。
この想いは100年先の後継者たちにも受け継がれていく。