株式会社 秋葉牧場「続けるという信念」
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
今回のゲストは、株式会社秋葉牧場6代目代表 秋葉 良子。
創業は1887年。初代、「秋葉せい」が、東京都江東区砂町に搾乳専業牧場として創業。
1937年、千葉県八千代市に移転し、その後、「自分達が納得した乳製品を作り、お客様に直接届けたい」という先代の秋葉博行と、その伴侶である秋葉良子、両名の強い想いは、1987年に創業100周年記念事業として観光牧場「成田ゆめ牧場」を開設。
アイスクリームショップや関連グッズショップ、オートキャンプ場、レストランなど事業を展開し「動物たちとのふれあい」「四季折々の草花」「大地に触れる喜びを体感できる野菜の収穫」などまさに「ゆめのような、体験を提供する宝庫」といえるのが成田ゆめ牧場なのだ。
創業から「牛乳一筋」。製法にこだわり、生乳本来の味に近い牧場牛乳を提供し続け、現在、商品の通信販売も行い、全国に「ゆめ」を届け続けている。
今回はそんな秋葉牧場の6代目 秋葉良子の言葉から、受け継がれてきた物語、秋葉牧場の持つ長寿企業の知恵に迫る。
秋葉:私共は株式会社秋葉牧場と本体はありまして、131年ですか。酪農の牧場と生産の牧場と観光部門の牧場事業を持っております。
観光牧場って言うと本当に観光牧場だけで、生産を伴っているというところはなかなか少ないんですね。で、うちは逆に酪農の生産事業がもう131年経ちます。観光はちょうど100周年の時に観光部門として主人と二人で立ち上げて、プラスしたものですからそこは同じ同業者としても違いはあるかなと思いますね。
そもそも観光牧場を起こした時点で先代の社長と、まあ主人ですけれども一緒に考えたのは“自然を大事にしたい”という基礎はすごくありまして。あまり電気類のたぐいの乗り物はやめようとか、要するに「汗をかいて遊ぼう!」って言うのが基本にありますね。
一番今小さなお子さんにも人気があるのは“芝そり”でしたり無料ですけれども、斜面をそりに乗って滑ったり。一番最初からあるのは“変形自転車”って言うのがありまして、タイヤが四角い自転車ですとか三角とか、二人三人乗りがあったりしまして、それを自分で漕いで汗をかかないと前に進まないっていうところで、主人と共にこれはうちにぴったりと思って作っていただきました。
うちは牛乳にこだわりまして、そもそも明治20年に酪農を起こしてそれからずーっと牛乳を搾ってやってきましたので、 “良しにつけ悪しきにつけ牛乳と共に生きてきた”というのが本音でしょうかね。
この牛乳をもっともっと皆さんにこのおいしさを伝えたいって言うのが本音でありまして、主人と一緒に直売という形でとりました。
うちの今の牧場観光含めて、生産も含めて、それから通販もありっていろいろありますけれども全部それぞれが繋げていきたいと。今うちのキーワードは“繋がる”ってことでして、遊びの中でもなんでこの遊びがあるのか、どうして電位類のものは置かないのかっていうのはちゃんと一つずつ理由づけて、すべてが繋がっているんだということを皆さんにお伝えしたいなという風に思ってます。
人間の本能に必ず必要なものだと思ってますし、よく申し上げるんですけれども“緑を通る風って違う”。都会のビルの中を通る風と、牧場の中の木々の中を通る風は全然柔らかさ違いますし、そこをもっともっと皆さんに感じてほしいと。“本能を呼び起こしてほしい”というところが本音ではございますね。
~酪農の現状と問題~
酪農業界は現実どんどん数が減ってまして、ご両親のその・・・高齢化とか後引き継ぐお子さんたちがサラリーマンになったり、牧場を継がないというケースが多くて、いまどんどん辞めていく方多いですよね。それは日本にとって、国にとってこれから先を考えるとものすごいマイナスだと思います。
確かに牧場って普通家族労働が多くて、お母さんがものすごく大変な思いをしていると。時間的にも労働力的にも。で、もっと何とかならないのかなって思ってたら、これだけ働くお母さん方はいないだろうって私はいつも尊敬の念を抱いておりますけれども。
もう少しここがもっと・・・こう酪農で働く女性がクローズアップされて、楽しい思いとか良い思いとかがもっとできたらなっていうのをいつも感じているんですけれども。
日本の酪農は小さいところが多いので、これがもっと集約されて大きくなるかもしれない。この先分かりませんけれども。一度辞めちゃうと牧場ってなかなか改めて作るってことが難しいんですよね。牛も赤ちゃんから育てるって言ったって何年かお乳は出ない。「じゃあ酪農どうするの?」っていったら餌代しかかからないのでそれはやっていくのはもう大変なことでして。そういうこと考えると会社が簡単につぶれるということは・・・なくなるって言うことは酪農業界にも本当にすごくマイナスだと思いますね。
ここからは、テーマにそって、「秋葉牧場」の持つ長寿企業の知恵に迫る。
最初のテーマは、「創業の精神」。
創業者の想いを紐解き、家訓や理念に込められた想いに迫る。
秋葉:この131年継続したということに先祖に感謝してるということは第一に挙げたいと思います。先代の社長がよく申していたんですけれども、「長い継続で伝統が作られる」と。ですけど、同じことずーっと毎年毎年何十年と何百年とやってたんでは、時代が変わってくので、そこで淘汰されてしまうと。時代の変化に少しずつ変化もつけていくってことが継続する大きな要素になるんじゃないかなと思ってます。
変化をつけながらもこだわりは変えないっていうのは、伝統を残していくっていう一つの要素で、やっぱりそこはうちで言えば‟牛乳を離さない“というのが大きなこだわりになってますね。「おいしい牛乳を届けたい」っていう原点があって、そこが外れたらうちの事業はなくなるかなって思ってます。
秋葉牧場はもう歴史があるので、個人名でもありますけれども「秋葉」という姓ですので、ここはもうこれから先々すごく大事にしていきたいと心から思ってます。
“ゆめ牧場”は私と主人が興しましたので、極端に言うと後からできた子会社みたいなもので、観光って言うのは広告宣伝しますので、やっぱり間口が広くなり皆様から注目を浴びるってことは多々あるんですけれども、やっぱり私共は秋葉牧場が本体でゆめ牧場で皆様に知っていただいて来ていただいて、遊んでいただいてうちの牛乳の良さを知っていただくっていうところが一番肝心なところかなと思ってます。
〜理念の浸透〜
前の会社が遺された“クレド”といういろいろ書いてある文がありまして、それを毎日牧場では唱和してますし、日報も毎日メールで日報も書いてもらっているんですが、それも全社員が読めると。お互いの日報を。で、マイナスもプラスもお互いにちゃんと承知してプラスに持っていこうというのがうちの日報の在り方で、ただただ上の上司が見ればいいということではなくて全社員が共有するってことで高めていこうと思っております。
社員にもよく言うんですが、「人が思いつかないことをやれ、考えろ」と言ってます。
先代の社長もそうなんですが、うちは一度や二度の失敗は本当に問いません。で、私は主人に聞いたことがあるんですが「なんでそんなに失敗しているのに怒らないんだ」ってことを聞いたんですが、「失敗したことを怒ると二度と新しいことにトライしない」と「それは会社の損失だ」と「なので、失敗は責めない」と。
それを聞いた時に本当にハッとしましたよね。やっぱり怒ることよりも社員が意欲的に新しいことを見つけていこうっていう気持ちのほうが価値があるので自分から「○○する!」っていう仕事を見つけるってことがすごく大事だと思うので、今はもう次の代に移りつつあるのでそこを社員一人一人が責任をもって新しい自分の仕事を見つける、責任を持ってもらうっていうところに今移行しつつあります。
決断 ~ターニングポイント~
続いてのテーマは「決断 ターニングポイント」
会社の発展と共に訪れた過去の苦難、
それらを乗り越えるべく先代達が下した決断に迫る
秋葉:やーもう大きな転機がありまして、秋葉牧場で酪農だけやっているときに、“餌代の高騰”がありましてね。乳代は下がる。格段に下がってお水よりも安いっていう時期がありましてその時社員が・・・大学卒業の社員が5、6人いましたけれども・・・給料が払えない。乳代から餌代を引くとマイナスで毎月赤字で・・・。
赤字の会社でみんなに給料を払えないっていうのは事業ではないと私は感じまして、何とかしなければと思ったんですけれども、義理の父が社長でしたから「お前たちには口を出させない」と言われまして、「じゃあどうするよ?」2人だけで頭抱えましたけれども。
でも、何かやらないと秋葉牧場がもたないという想いがすごくありまして。「何をやったらいいんだろう、何をやったらいいんだろう」って本当に2人であちこちに行き考えましたよね。あの時が一番大変な時期だったかもしれません。
野菜を作って出そうとか、土地だけはあるのでそこから派生して考えたんですけれども、やっぱり私たちには“お金がない(笑)”で、両親は反対。ですから、じゃあどうしたらいいの?っていうところから始まりまして。
両親に頼み込んで保証人にだけなってもらって。ほかの新しい事業をやるにはリスクが伴うので。で新しいことをやると今の牧場がおろそかになるっていう想いもあって。じゃあ両立させていくにはどうしたらいいかってことは頭の中をすごくよぎりましてね。秋葉牧場をやりながら酪農をやりながらそうだ土地を共有してやれば、観光部門としてやれば両方見られるというのが最大の決定打でしたね。
~環境事業立ち上げ時の反応~
もう大反対でしたよ。近所のおじさんが、道路で二人でねこーやってあーやってって構想練っているときに後ろ自転車で通り過ぎてついたらまた戻ってきまして、私たちに「こんなところに誰も来やしねえ!」って一言捨て台詞を残してまた帰られたっていうくらい周りの方たちには両親も含めて周りの方たちにも「なんでそんなことするんだ?」っていうのが圧倒的な考えでしたね。
ですけど・・・生意気なんですけど(笑)“何となくうまくいく”という予感が私たちにはありまして。根拠のない自信と言うのは言葉にすると恐ろしいんですがそれを胸に「きっとうまくいくよね」って言うのが“2人の合言葉”でしたね。
多分事業起こす時って、そんな大げさなものじゃなくて本当に困ったとか、本当に夢を持ったとかそういうところから自然発生していくと思うんですね。で、後から 格言や理念とかっていうのはついてくるもんなんだなーっというのは思っています。
最初は本当に事業が大変で、何か次の事業を始めないと秋葉牧場が保てないっていう状況から新しい事業をということで主人と2人でもう本当に探しまして、そこから最終的には同じ場所で、秋葉牧場も続けられる、また新しい事業も始められるということで料理人を使いながらできるということでゆめ牧場を始めたもんですから。
本当にネーミングは考えました。シンプルなんですが秋葉牧場で行こうと思った時もあったんですが、あまりにも地味で楽しくない。“秋葉牧場“では。やっぱり観光って言うのはお客様に「楽しいね」って夢を見ていただけるようなネーミングでないと“想いを描いてもらえない”。それで、担当直入に“ゆめ”と“ゆめ牧場”といたしまして。しかも漢字で書こうとしていたんですが敢えてね、小さなお子さんにも読んでいただけるってことでひらがなのゆめ牧場にしました。
~成田ゆめ牧場の原点~
最初社員はとれなくて。人を雇うというのは社員を採用するというのはとても人件費として怖いことで、初めて興すには。なので、パートのおばさんにお願いしまして。地元の。このパートのおばさんたちが6,7年いましたけれども、本当によくやってくれて。うちの牧場うちの牧場ってよく遅くまでやってくれました。
この間もうちの社員に全員話したんですけれども。ゆめ牧場の原点は、そのパートのおばさんたちから始まっていると。社員旅行にも一緒に行きましたし、海外の旅行も行きましたし。「冥途の土産だ」って喜んでくれて。今でも会うと「いや~本当に楽しかったよ」ってみんなが行ってくれますよね。
私物事って表と裏の見方があると思ってて、見方によって苦労にも見えるし苦労に見えないと思うし、私は全く苦労とは思わなかったので、本当に3時間くらいしかねない毎日でしたけど毎日が楽しかった。
開園も実は地元の町長さんも開園日にはお呼びして、お呼びしたんですけれども無言で来られない。お返事もない。本当に周りから疎外された感じのオープンだったんですけれども、一番最初にお客さんで来てくださった方は地元のお母さんで白い割烹着つけて前と後ろに子供を乗せて。自転車で来てくれて。その第一号のお客様が涙が出るほど嬉しかったでしたね。もう本当に今でも覚えています。
実は7月19日の夏休みの初日にオープンしたんです。ですけど、8月のお盆には「どっからこれだけの人が沸いてくるの?」って思うくらい。お客様が次から次来てバーベキュー手が足りないっていうくらいでした。
5月の連休の時に連休前に仕入れって言うのはもう業者さんもお休みになるので、予定して入れるんですね。ですけど、5月の連休途中で食材が切れてしまって。ただお客様はお昼に軽食のところに並んでる。でもおうどん屋、お蕎麦屋、ラーメンと言うのは切れちゃって。担当のおばさんはどうしようかと思ったらしくて。で。あんまり入ってたんで事務所に言いにも来られない。
夕方上がって来た時に「今日悪いことしちゃった」と。「え!なにしたの?」っていったら「あんまりにも材料が足りなくなって。でもお客さん並んでて、もう終わりですって申し訳なくて言えない」と。申し訳なくて。で、自宅まで行って乾麺があれば大丈夫だろうということで持って帰ってきて湯でて、お出ししたと。
「会社だからそんなことしちゃだめだよ」って言ったんですけれどももう後の祭りで。でも私は、本当はいけないことだと。でもその気持ちがとてもありがたかったですよね。自分で考えて動いて、状況判断してお客さまにも良く、会社もマイナスにならないようにって一パートのおばさんが考えてくれて実行してくれたってことは、どれだけ牧場に思いがあるんだって思いまして、本当に嬉しかったですね。
でも「来年からちゃんとするようにするからもう二度としないで」って、申し伝えましたけど(笑)。本当に彼女たちがいて原点があるなと感謝してます。
6代目 秋葉良子のターニングポイント
秋葉:大学出てお稽古ごとに勤しんでて(笑)、あまり皆様からは「なにやってるんだろう」って思われるような状況で。
でも時代がそうでしたよね。「早くお嫁行って」っていうような母の気持ちもあってその中で本当に自由に過ごしたんですけれども、ある時本当に寂しくなりました。急に。車の中で一人でわんわん泣き出したことがございまして。「何でこんなに寂しいんだろう」って。世の中に必要とされていないってことに気が付いてそれはお小遣いはもらい、時間も自由にあり、あとはお嫁行くだけみたいな状況で、自由にさせてもらったと。だけど人間って必要とされることがどれだけ幸せかっていうことに気が付きまして。
ただ人間て、どこかできっかけがないと変われないんですよね。(だから)結婚したら絶対必要な人間になろうと思いました。本当に心の底から強く思いましたね。 お嫁行くときも私の一番上の姉が「あんた牧場に(お嫁に)行くの?」って「女の子が生まれたらアルプスの少女ハイジよ」っていわれて(笑)。「あ!そうだな(笑)」って思うくらいの程度でしたから楽しさしか思い浮かばなくて。
牧場でもお嫁に行って私が酪農をやるのではなく、会社組織になってたので、現場に出ることにもなく、そういう牧場でしたから、全然不安もなく楽しかったです。
ただ、社員の独身寮があったので三度の食事は面倒見てました。本当に子育てしながら毎日毎日10人分作ると「人間ってどうして3度も食べるんだろう?」って(笑)思ったりもしたこともありましたけど、そういう時に限って手が抜けているんでしょうね。同じように作ったつもりが、「今日なんか味が変」って社員に言われたり、「そんなことない。いつもと同じに作ったよ」とかいうんですけど、「イヤー味が変だ」とかいうんですよね(笑)。どうしてかなって思うと「あーごめん今日は愛情が入ってなかったわ(笑)」って言うと、「やっぱりねー」って言われて(笑)。そんな日々を楽しく過ごしていました。
~夫婦の決断~
主人と2人で興しまして、ずっとやって来たんですけれども3年くらい前ですか、主人が癌になりまして。その時に入院しましてね。“会社が継続しなければ困る”というのがまず第一にね、二人の頭の中にありまして。主人が「代表取締役を2人にしよう」と。表向きは主人が社長で私が専務でずっとやってきましたけれども、でも法務局の方には代表取締役は2人と言うことで登録してまして。
色々治療もしたんですが幸をなさず2年半くらい前に亡くなったんですけれども、その時に本当に代表を2人にしてよかったと思うのは、銀行の名前を変えるだけで継続できるんですね。
普通はだいたい亡くなったら通帳がストップしてしまいます。でも会社って毎日動いてて通帳が閉じられると本当に困るってことがどこの企業にもあって。会社が継続できるってことは主人の考えで大きな遺産だったなって思いますね。
亡くなるときに遺して言った言葉が「お前が社長になれ」と。そして「近い将来会長になって息子を社長にして2人代表という体制をもっていけ」というのが最後の遺言でした。
本当に振り返ると夢中でした。主人が病気の時から始まって、ほとんど動けませんでしたから。自分の体を直すことに全精力を使ってましたし。
また亡くなった後も2年半3年近くにありますけれども、この頃やっとちょっとなんか夢中で走って来たなって振り返る時間ができてて。それまでは本当に何も考えずにがむしゃらで走ってまいりました。
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
続いてのテーマは、「言魂、心に刻む、言葉と想い」
秋葉良子が家族や先代、恩師から受け取った言葉
そこに隠された想いとは?
秋葉:主人がゆめ牧場を興す前に、まずは私に30代半ばでしたかね。「自分は秋葉家の中興の祖になりたい」と。普通そういうことを言う男性ってなかなかいないですよね。
私も「へ?」って思いましたけど、むしろそれだけ何かをしたい!という威力にものすごい驚いたのと同時に尊敬しましたね。
なので、私もすぐそれはいいことだと秋葉家にとっても秋葉牧場にとっても中興の祖になろうよって言うことで、2人で意見が一致しまして、それでゆめ牧場を興しました。それで2人で二人三脚でやってきました。
最後に亡くなるときは、まあお話は一週間くらいできて。本当に最後の最後の時は「ゆめ牧場を作ってよかった・・・」と「すごく楽しかった・・・人生楽しかったよ」って終わりになりました。
これだけ言える人ってそんなにいないんじゃないかなって思って思いますね。「人生楽しかったよ」なんて言える人そうそういないと思いますし、私は「ありがとう」は言わなかったと思いますけど(笑)人生楽しかったよっていう言葉はすべてを含んでいるなって思います。最大の言葉を遺してくれたなって感謝しています。
ですから今息子がもう一緒にやってまして、近い将来は代表を譲ろうと思ってますけれども、2人の気持ちは本当に主人と一緒に聞いたので。もう一つは「牛は必ず隣に置け」と言い遺していったので、もう永遠に生産の牧場は続けろ、っていう意味だなと二人で解釈しておりまして、去年新しい牧場も手に入れました。
八千代にちょうどご縁があって、今の成田の牧場よりかは小さいんですけれどもそこは育成牧場という位置づけで、赤ちゃんから大人になるまで育てて、大きくなって成牛になったら成田のほうに連れてってお産をさせて牛乳を搾るという形にしたいと思っています。牧場が1つ増えたので、主人の方も喜んでいると思いますけど。
続いて、秋葉良子が、現在胸に刻む言葉・・・
秋葉:私は“人生を一生懸命過ごしたい”ってただそれだけです。
それはもう会社にとっても自分自身の人生においても全てに思い当たることで“一生懸命生きたい”というのが原点にあります。
多分それは、私がプラス思考だからかな、とも思いますけど。あんまり人のマイナスは見ないんですね。誰でもプラスマイナスがあって。マイナスをついたら底がないくらい追求しちゃうでしょうし。
ただ人間ってプラスもたくさんあって、そこのプラスをお付き合いできれば本当に自分にとっても学ぶところがたくさんあって。やっぱりプラスの人生でいかないともったいないなと思いますね。
やっぱり出会う方達が、本当にいい方達が多くて。私にとっては。
別に利害関係があるわけでもなく、出会っても本当に学ぶところが多くある方達が多くて。長いお付き合いもさせていただいておりますし。人ってこんなに素敵なんだっていつも思ってます。
貢献 ~地域、業界との絆~
「地域や業界との絆」
秋葉牧場が行っている地域や業界での取り組み。
そこに込められた想いとは?
秋葉:もう地域とのつながりってものすごく大切だと思ってますし、最初のパートさんも然りですし、今はあの・・・小さい頃、小学校低学年たちの野球とサッカーの試合をうちで冠でやってます。“ゆめ牧場”と一つは付いてますけど、もう一つは空港の名前が付いていますが、それはメインはうちで。
小学生の高学年からは、チーム対抗ってあるんですね。けれど、もっと可愛いちびっこたちの試合ってなかなかうまくとりはからえないらしくて、今までなかったらしくて。
かつて先代の社長の時ですけど、お話いただいて。「応援してほしい」と。それで小さい子達を、子供たちをもっと応援しようと。本当にちびっこたちのサッカーのボールを蹴るのがほんと可愛いというようなお子さんたちをもう長いこと応援しています。
NEXT100 ~時代を超える術~
最後のテーマはNEXT100、時代を超える術。
100年先にも変わらない「秋葉牧場」にとって核。
そして、未来を見据え、変える必要のあるもの。
6代目 秋葉良子(よしこ)が語る。
秋葉:酪農ですよね。ただ100年後に牛の存在っていうのがあるかどうかわかりませんし。 今考えられる範囲では100年後も酪農は会社の一つとして持っていたい。しかし時代に応じで変化が必要だってことも大事。
ですから本体をやりながら、そこどうやって変化をつけてやっていこうかっていうのがすごく大事。時代に乗り遅れないように、変化をつけながら。でも芯は変えないでというのが必要なんじゃないかなって思ってます。
あとは、やっぱり歴史っていうのはお金では買えないので、ここはもう信念として歴史として秋葉牧場を持ち続けるっていう気持ち。これ気持ちがなかったら続かないと思うんですよ。どこの代でも「やーめた」と言ったら終わりですから。
もう本当にここを大事にしてやっていくんだっていう気持ちが一番大事なんじゃないかなと思いますね。
〜次代へ届ける想い〜
息子ですけれども。主人は畜産を出ました。大学は。でも次の代を継ぐ子は畜産だけではダメだなと思いまして。経営を学びに大学に入りまして、でその後牛とは全く関係ない会社2社、お世話になりまして。
その後、イギリスに行ってMBAとって、帰ってきまして、やっぱりだんだん組織が大きくなると、経営ってことが大きな課題になりますので、もちろん酪農が主ですけれども、観光と酪農が主なんですけれども、経営者がどうやってこの時代を乗り越えていくのかっていうのは新しいことを学んでいかないと、そこつけないんじゃないかなって思いまして。
やっぱり全然違う角度から経営を見る必要があると思って、本人と話して、本人もその道をとって行って帰って、入ってきました。
彼が小さい時から中小企業って面白いって言い続けて育ててきました(笑)。それはしっかり入っているようで大企業も働くチャンスがあったんですけれども、そこ辞める時に「どうする?あなたの意志で決めていいわ」っていうことを話した時に、「辞めて家に戻る」って。「どうして?」って聞いたんですよ。そうしたら思いがけず「中小企業面白いから」って(笑)聞いた時は内心とっても嬉しかったです。
中小企業ってもちろん大企業みたいに資本がたくさんあるわけないのですが、自分で最終的に決められる。もちろんリスクも背負って。そこは経営者としてこれほど面白いことはないんじゃないかなって思いますね。
〜自分の使命〜
生涯現役で居られればいいなと思いますし、社長は譲って息子の代になって自由にやってほしいですけれども。現役っていう意味は人との出会いがたくさんある。奥に引っ込んでしまうのではなくていろんな方との出会いがあるってこれほど楽しいことはないなって心から思ってますので、そういう意味では生涯現役を続けたいと思います。
〜長寿企業の秘訣〜
時代に合わせて会社って大きくしたり小さくしたりして、そこは自由でいいと思いますね。どんどんどんどん大きくするっていうことだけを考えると時代の波もありますし、経営者もとても苦しいと思います。時代に応じて大変な時は小さくすればいいと思いますし、また時代によっては大きくなれる時がある。
それともう一つは“続けるっていう信念”ですよね。「この事業を何とかして続けていく」っていう。
それは少々形を変えてもいいですし、継続するっていう強い意志を持つことはすごく必要なことだと思いますね。気持ちも実際も。気持ちがないとやれませんけど(笑)プラス思考で。もちろんです!前向きに!後ろ向いちゃダメです!主人もいる時に冗談を言ってましたけど家庭に一人、会社に一人プラス思考の人間は必要だと言い続けてまいりました(笑)
秋葉牧場 6代目が次代へ届ける長寿企業の知恵…。
事業の拡大のみを求めず、時代の変動に合わせて、事業の規模も変化させる必要がある。
そして、事業を続けていく上で何よりも重要なもの・・・。
それは、「続けるという信念」である。
この想いは100年先の後継者へ受け継がれていく・・・