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AGC株式会社〜世の中のためになるものを作り続ける

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

AGC旭硝子はおよそ30の国や地域で、グローバルに事業を展開するAGCグループの中核企業である。
建築、自動車、ディスプレイ用ガラス、電子部材、化学品、セラミックスなど、ソリューションプロバイダーとして世界のお客様に高機能材料を提供しており、100年以上にわたる技術革新を通じて、世界トップレベルの技術とノウハウを強みに製品及びサービスを提供している。
今回は、そんなAGC旭硝子の18代目島村琢哉の言葉から事業継続の秘訣、その裏に隠された物語に迫る。

石田:今回のゲストはAGC旭硝子CEO島村琢哉さんです。よろしくお願いいたします。

一同:よろしくお願いします。

朝岡:丸の内の本社へお伺いしましたけれど…

島村:ようこそいらっしゃいました。

石田:ありがとうございます。

朝岡:ガラスというのが社名に入っていますけれども、その事業内容はかなり多岐にわたっていらっしゃるようですか?

島村:そうですね…普通、ガラスの専業メーカーさんが多い中で、私ども、今1兆3千億円くらいの売上規模がありますけれど、約半分が建築用のガラスと、自動車用のガラス。残り25%くらいずつが、いわゆる電子関連の商品とケミカル。そういった構成になっています。

石田:創立110年というように伺いましたが、社長は今何代目でいらっしゃいますか?

島村:私が18代目になりますね。

朝岡:18代!

石田:18代!

石田:徳川幕府よりも長いですね(笑)

島村:歴史を感じますよね。

ここで、AGC旭硝子の多岐にわたる製品を紹介

石田:こちらには、AGC旭硝子さんの商品をご用意いただきました。こちらは、どういったものでしょうか?

島村:これは、ごく一部なのですが、こちらは、最近ではごく一般的になってきましたけれども、建築用の、いわゆる住宅やビルのガラスです。それを切ったもの、2枚のガラスの間に空気を入れて断熱効果を高めて…

朝岡:二重になっているんですね、こういう感じに2枚が…中に空気が入っている!断熱効果があるんですね。

島村:今一般的な家庭は、だいたい1枚なんですね。もしこれを2枚に代えると、今の既存の日本の国内の数を計算しますと、原発2基分くらいいらないことになるんです。

朝岡:つまり、暖房とか冷房とかの無駄なエネルギーを使わなくて済むんですね。

島村:室内と外の熱のやりとりっていうのは、実は開口部と呼ばれているガラスの部分で、ほとんど8割くらい。

朝岡:そこで熱が外に行ったり、中に入ったりするわけですね。それで二重にすることで断熱効果があり、非常に効果が上がるということですね。そのほかには?

島村:室内用のガラスの内装材としてのタイルです。

朝岡:タイルなんですね。音が…

島村:これ、ガラスが表面に(コーティングされていて)色を付けています。軽量で、非常に意匠性を出しやすいということで、ヨーロッパを中心に非常に人気が出ています。日本国内でもこれから少しずつでてくるかなと思っています。

石田:こちらのガラスを用いて、スタジアムも作られたりしていると?

島村:スタジアムを作るときなんかにやっているのは、フィルム、フッ素のフィルムなんですけど。

ドイツで言うと、バイエルン・ミュンヘンのホームスタジアムのアリアンツアリーナというのが、実はこのドットのついたフィルムでカバーされています。

朝岡:これも広い意味でガラスになるんですね。

島村:これは、樹脂ですね。これの特徴は、非常に耐候性があって、一回使うと20年くらい変えなくていい。かつ、太陽光を通しますので、スタジアムの中の自然の芝を養成できるんですね。

そういうことで、サッカーのW杯等、色々なスポーツ、人工芝はかなり足に負担がかかるので、これを採用していただいているケースが非常に増えてまいりました。

それから、これは、押していただけるとわかるのですが、

朝岡:中のほうが製品?

島村:ここにあるのが、Dragontrailという非常に特殊なガラスで、薄くて、これは0.8ミリなんですけれども、皆さんお使いのスマートフォン。

スマートフォンは液晶を使っているのですが、液晶を挟むガラスの上に、それを保護するためのカバーガラスが使われています。

これが、実はカバーガラスで、0.8ミリのガラスだが、弾力性があり、割れない。非常にタフなものです。

朝岡:ちょっと見たところでは樹脂製かと。樹脂かと思いましたよ。透明度が全然違いますからね…ガラスと樹脂では。

朝岡:今お話しを伺っただけで、国内だけでなく、グローバルな展開ですけれども、ヨーロッパなどでもかなり需要があり、こちらの製品を使っているものがかなり広がっていると考えてよろしいのでしょうか。

島村:そうですね…もともとガラス自体が、ヨーロッパが技術的に発祥の地です。日本はそれを輸入してきたという歴史を持っています。デザインや機能については、ヨーロッパスタートというものが多いですね。

朝岡:色がイタリアっぽいですね(笑)

島村:ちょっと日本人の感覚だとわからないですよね。

石田:家の中のガラス、建築用のガラス…他にはどういったものが最近だとあるのですか?

島村:まだ日本ではブームになっていないのですが、ヨーロッパの自動車は、このガラスを内装に使い始めました。自動車の中にあるメーター類が今タッチパネル化してきています。もう30車種以上に採用していただいています。

タッチパネルを支えるために、車なので、危険性の視点から、昔は樹脂が使われていたんです。しかし、光沢や高級感を考えると、ガラスを使いたいというお話しをいただいて。

我々がスマートフォン用に開発したものを、自動車のガラスも作っているので、(応用して)ご提案をして、今ではほとんど、ヨーロッパのこういうガラスを使っている会社のものは、私どもの会社の製品です。

ここからは、各テーマをもとに、AGC旭硝子18代目島村琢哉の言葉から、歴史と伝統の裏に隠されたものがたり、AGC旭硝子が誇る長寿企業の知恵に迫る。最初のテーマは、創業の精神。
<創業の精神>
創業者の想いをひも解き、今に至るまでの経緯、社是や使命の裏に隠されたものがたりに迫る。

石田:まずは、創業の精神ということで、AGC旭硝子さんの創業から現在に至るまでの経緯、歴史を伺えますでしょうか。

島村:私どもは、創業が1907年です。板ガラスを初めて日本で作り始めたというのが原点です。ところが、それ以前30年くらいにわたって、いろんな会社が板ガラスを作ることに挑戦していたんですね。その中には、国営企業もありました。

残念ながら、どの会社もうまく成功することができなかった。私どもの創業者、岩崎俊弥が、留学先のロンドンから帰ってきて。時は、新しい文化の息吹が出て、建築がどんどんどんどん盛んになっていく。ガラス、板ガラスの需要もそれに加えて必要になってくる。

しかしながら、日本はそれが作れていない。

その現状を見た時に、いつまでも輸入しているガラスに頼っていては、日本の国として損失が大きい。また、それを実現できない日本の実業家というのは、無力だと言われても仕方がないということで、自ら、板ガラスの生産をすることを決心して、創業したと。

会社ができたのは1907年、実際に生産を始めたのは、兵庫県の尼崎で1909年。それからずっと歴史が続いている。

原料は全てヨーロッパからの輸入だったんですね。ところが第一次世界大戦が勃発して、原料が入ってこない。そこで、当時社長だった岩崎俊弥は、自分で原料を作ることを思い立って、今は化学品という部門を持っていますが、原料のひとつであるソーダ灰というものを、自社で作ることを始めました。

これが、実は(AGC旭硝子の)化学品のスタートです。原料を溶かすための釜、耐熱レンガが必要なのですが、それがセラミックスの事業の発祥になるんです。

石田:創業者の方が岩崎俊弥さんとおっしゃいまして、調べてみたら、岩崎弥太郎さんの甥っ子なんですよね?ということは、「三菱ガラス」等の名前になりそうですが、「AGC旭硝子」の社名の由来は?

島村:このガラス、ことごとく皆さんが失敗しているんですね。三菱ガラスと冠してもいいいのですが、もしここで失敗したら、三菱の名を汚すと。そう考えられて、三菱という言葉を使わずに(社名がついた)

諸説あるが、創業・設立日が9月9日だったということで、それをもじって「旭」にしたという説もありますし、朝日が昇るごとく、事業を伸ばしていきたいという事で、旭とつけたということも言われています。

朝岡:九に日で”旭”ですもんね…

朝岡:明治の日本で、あらゆるものを国産で作っていった時代ですが、ガラスは、そんなに難しいものだったのですか?

島村:最初のつくり方は、よく観光地に行って、ガラスのコップなどを作る体験がありますよね。あれの大きい版だったんです。ですから、吹く先に大きなガラスの塊をつけて、膨らましていくんですね。ある程度まで膨らましたところでそれを切って、広げて、板ガラスにしていたんです。

今でこそ、平坦度の高いものができますが、(当時は)600メートルくらいの長さのあるプラントで、すずという金属の上にガラスの生地を流して作っていくスタイルになっています。

当時は、肺活量がいるので、お相撲さんを呼んできて、アルバイトで吹いてもらっていたと。私が小学校の頃のガラスというのは、小さいものがいっぱい重なってできていて、歪んでいたんです。これは、製法としては、今の一般的なものから数えると、1代も2代も前の話です。

朝岡:今でも古い建物のところに行くと、歪んだガラスがありますよね。趣があるというか、あれが昔のものなんですね。

朝岡:均等に均質に広げるという技術がとても難しいんですね。

石田:家訓や理念なども遺されているんですか?

島村:いくつかありますが、その中で私が好きなものが、「易きになじまず難きにつく」要はチャレンジという意味なんですが、岩崎俊弥が24歳の時に、作ったひとつの社訓です。

あと3つありまして、「人を信じる心が人を動かす」「世界に冠たる自社技術の開発」「研究開発の成功に使命感あれ」この4つを岩崎俊弥が唱えた、我々の創業の精神です。今も大事にしています。

朝岡:易しいところにつくのではなく、難しいほうにむしろ行けというのをはじめとして、なかなか現代だと、逆のほうに私も含めて、流れてしまうんですが。でもその理念を、毎年浸透させ、わからせるというのは、なかなか大変な気もしますが、御社ではどのようにしているのですか?

島村:これは、辻説法のように、できる限り私自身が社員の皆さんと話をする機会をもって、こういう変化の激しい時代だからこそ、我々が戻るべき原点を思い出そう。そういうことを、ここ2年くらい言い続けてきた。

何か迷ったときには、元に戻って、見直してみること。どんなに辛いことでもそれに価値があり、世の中のためになるのであれば、そこはリスクを冒して、挑戦していくべきだと。

これは、言い続けるしかない。とは言っても、売上、利益が必要でしょと。

会社が社外に向けて話をするときも、売上がいくらになるとか、利益がいくらになるという話は、極力最小限の話。むしろ、目指すべき方向というのは、世の中に必要とされるものを作っていく会社なんだということを理解いただけたらと思っている。

決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは決断ターニングポイント。創業者岩崎俊弥が当時、失敗続きだった板ガラスの国産化に果敢に挑み、110年その間、歴代の代表はどのような判断を下し、どう決断をしてきたのか

島村:1つは、1980年代始めに、ヨーロッパのグラバーベルという板ガラスの会社を買収しました。これは、グラバーベルという会社が、経営的に、財務的に苦しいということで、それを援助・救済するために、我々に買収の話が来た。

その買収によって、大きく会社が変わった。それまでは、日本の旭硝子はアジアを中心にビジネスを展開していた。買収によってヨーロッパ、アフリカ、アメリカの地まで事業領域を広げるチャンスになった。

今までアジアしか知らない人間が、ヨーロッパもアメリカも見なければならない。当時、10代目の社長で、倉田という社長がいたが、そんなグローバルに(日本人が)ビジネスをマネージメントできないのではないか?と。

その時に、いかにヨーロッパの仲間やアメリカの仲間を信頼して、その人たちに日本人と同じ立場で会社経営するようにしろというトップメッセージのもとに、グローバルのマネージメントスタイルが広がっていった。

これが、手前味噌ですが、世界一の板ガラス、自動車ガラスメーカーになった1つの大きなポイントだと思います。

朝岡:リスクも当然あるわけで、そのあたりは、相当、会社として考えて、それでも結果的にGOという結論に至った訳ですか。

島村:そうですね。これは、可能性だけ考えて、単に買えばいいのかということではなくて、買った後のビジネスの広がりをどう実現していくのか。これは当時いろいろと議論されて、悩みもあったと思います。一つひとつその問題を解決して、前に進めていったんだと思います。

朝岡:文化がまた一つになったというのが、これは、企業でとても難しいじゃないですか。国内同士でも難しいのに。

島村:特にベルギーの場合は、会社で使われていた言葉がフランス語なんですね。それは、申し訳ないけれど、会社で使う公用語を英語に変えてもらいました。

もちろん、日本人も、日本語だけではダメなので、一生懸命英語を勉強するように。その担当になった人間は大変だったと思います。

続いては18代目島村琢哉自身にとってのターニングポイントに迫る。

島村:私は化学に30年以上、おりまして、ある事業の責任者をしているときに、営業利益で60億円くらい赤字が5年くらい続いたんですね。会社の経営からすれば、こういう事業を継続して維持していくことは、普通許されないこと。当時のトップの人たちはそこをぐっと我慢してくれていたんだと思います。それに対して、なんとか応えなければいけないということで、従来の販売の仕方、物づくりのやり方を大幅に変えました。

簡単に言うと、西日本での販売を撤退して、我々は工場が関東に集中しているので、工場の周辺にマーケットを定めて、物流費が非常にかかる商品群だったため、それをコンパクトにすることで、なんとか再生した

これが、ひとつ大きな事業再生の経験で、私にとっても厳しいことをやらなければならなかったですね。

今まで西日本でご厄介になっていたお客様にお断りする。それまで商品を扱ってくださっていた商社さんにお断りをする。社内においては、大阪で営業をやっている人間に、製品を売るなという訳ですから。

これは、やはり社内外から相当なご不満をいただきました。

朝岡:いわゆる身を切る形で、決断して、それが成功した訳ですが、身を切る決断ができた理由、これは何ですか?

島村:私が思うに、人から言われて辞めたら嫌だなと思ったんですね。どうせ辞めることになるなら、自分で決断して、自分で行動して、納得したかった。それが多分ある。

朝岡:それは、ご自身の専門分野だっただけに、なおさらですよね。

島村:本当に考えられるだけの対策を全部考え付いたんだろうか。もしかしたら、あることは前提条件として変えられないんだという思いでその事業を見ていたとすると、これは、まずいなと。

とにかく、ゼロサムになったときにどうなるのかと。それを考える責任があったんですよ。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

「言霊」心に刻む言葉と想い。強い想いと信念が込められた言葉には、魂が宿り、人の人生を変える力を秘めている。

石田:社長が心にとどめている言葉はありますか?

島村:ある部署の責任者になった頃、先輩が私に贈ってくれた言葉でアメリカの教育学者ウィリアムアーサーワードがこんなことを言っている「普通の教師はしゃべる。少しましな教師は教えようとする。優れた教師は自分でやってみせる。偉大な教師は人の心に灯をともす」これに私は非常に感銘を受けて、「教師」という言葉を、会社における「リーダー」という言葉に変えると、まさにこれは会社経営だなと。組織経営だなと思って。

それを7年前に贈ってくれた先輩には、感謝していますし、私の心の中の非常に大きな支えになっています。

朝岡:リーダーという立場は、人の気持ちをそうだとさせる言葉や表現をいくつか引き出しの中にしまっておく必要がありますか?

島村:受け売りではいけないが、自分なりにそれを理解して、皆さんに話すことは、おそらく説得力が出てくるような気がします。

石田:何か、書き留めたりはされているんですか?

島村:恥ずかしいですが、ハッと気が付いたことを書くように、ノートに走り書きしているんですよ。こういうのを書いています。例えば、昨日の日経新聞に出てたことをちょろっと書いて、自分の思ったことをメモしておく。

朝岡:ただ人の言葉だけではなくて。

島村:ちょっと感想とか、おもしろいなと思うことを。例えばこれは、アメリカのデザイナーのピーターアーネルという人が、ブランドとは何なんだっていうことについて書いているんですが、「ブランドに流行はない。明確なメッセージを示せ。メッセージを統一して維持することだ」なんていうことをメモして、そうかそうかと記録している。

朝岡:これは、今3冊ありますが、いつから始めたんですか?

島村:6年ほど前からですね。なんでもかんでも書くということではなく、やっぱりハッと思ったことだけを書いているんです。

朝岡:読んでいてピッと思ったことを書きとめるわけですね。

島村:この中に、上司の改めるべき20の悪癖というのがあってね。これを、私が社長になった初日、全役員を集めて、全員に配りました。

・極度の負けず嫌い
・何かひと言価値を付け加えようとする
・「いや」、「しかし」、「でも」で話し始める

朝岡:表紙がいいですね「チョットのこと」っていうのがね。これがまた洒落ている。

石田:そういった一つひとつが社長の性格になって、行動に変わっていくんですね。

島村:難しいことはわからないので、どうしても。

貢献 ~地域、業界との絆~

続いてのテーマは、地域、業界との絆。長く事業を続けていくうえで欠かせないもの。それは、地元地域との絆。AGCが行っている地域、社会貢献活動。業界内で行っている取り組みとは。

石田:現在AGCさんが行っている地域との取り組みや、地域貢献活動を教えていただけますか。

島村:日本、それから30の国で事業をやっています。それで重要なことは、地域と共生するということ。その地域に溶け込むということを意識しています。

それから、地域の特に若い人たちを育てる。そのための奨学金やインターンをやる。

それと、環境。環境をいかに保護し、安全に物づくりをしていくのか。これが3つ、我々としては非常に重要視していることです。

朝岡:社会貢献活動というのは、あるレベル以上の企業にとっては非常に重要になっていますけれども、あらためて、社会貢献や地域とのつながり、関わりというのは、企業にとって、どうして大切なんでしょうか。

島村:企業が継続して成長していくためには、社会との関係、あるいは社会への製品を通じた、社会への価値の提供、これが大変重要なポイントになってくると思います。

いかに企業が自分のサステナブルな成長のために、社会に貢献していくのか。それが、セットでやらないといけないと思います。

石田:社長ご自身でもそういった活動をしているんですよね。

島村:そんな大それたことではありませんが、若いころから仲間と、老人ホームや養護施設に、家内とも一緒にボランティアということで何回か訪問したりしています。

石田:どういった活動をされているんですか?

島村:私の場合は、バーベキューをやったり、一緒に運動をしたり。仲間は訪問先でフラダンスとハワイアンの演奏をしたりしています。喜んでいただけますね、とっても。

朝岡:業界同士のコミュニケーションや取り組みはあるんですか?

島村:ガラスということで切り口を作れば、日本板硝子協会というのがありまして、3社でガラスの機能をいかに技術的に高めていくかということを取り組んでいます。

それを社会に提案、あるいは提供することで、環境、温暖化ガスの排出量を減らしていくとか、そういった取り組みは続けています。

NEXT100 ~時代を超える術~

「NEXT100年」時代を超える術。AGCの100年先にも継承すべき、核となるもの。18代目島村琢哉が語る次代へ届ける長寿企業が持つ知恵とは。

石田:最後に、次の100年に向けて変えるべきもの、変えないもの、会社にとってコアになるものを教えていただけますか。

島村:世界には、多くの100年を超える会社があると聞いていますが、我々の歴史とそういう人たちの歴史をみて、私が思っている3つの点があります。

1つは常に長期的な視野に立つこと。2つ目は聖域なく変革に取り組むこと。3つ目は、これが一番大事だと思うのですが、創業の精神を忘れないこと。

先ほどからお話ししてきた、岩崎俊弥の創業の精神は、世の中のためになるものを作りたい。それが国の為になるんだと。その気持ちは、これから100年経っても持ち続けるべきだと思います。

朝岡:ガラスというのは、無くてはならないもの。昔から。これからもあり続けなければならないもの。さらに、経営者として、果たしていく責任や役割については、どのようにお考えですか。

島村:我々自身がどんどんどんどん進化をして、昨日よりも今日、今日よりも明日、世の中の人たちに安全、安心、快適な生活ができるように。そういう製品づくりをやはりやっていかないといけない。そう思います。

それと同時に、便利になるから環境を無視していいのかということではなく、開発する段階から環境に与える影響をよく考えたうえで、開発をしていく。

そういうことを合わせて考えていかなければならないと思います。

朝岡:100年企業がまた100年経つと200年となります。100年先の後継者に、いま言っておきたいことがあるとしたら、どんなことですか?

島村:1つだけ言えるのは、売上や利益が先に出てくるが、それはあくまで目標であって、目的は世の中のためになるものを作ること。その目的と目標をはき違えてはならないということ。それを伝えたいですね。

なんのために物づくりをしているのか。常にそれを考えてほしい。それを伝えていきたいですね

石田:社長ご自身の今後の目標は?

島村:そうですね…少し瘦せなきゃいけないですね(笑)

朝岡:ガラスと一緒で少し薄くなる(笑)

島村:筋肉質になる(笑)…冗談はあれなんですが、私の目標は、できるだけ多くのグループの人と直接会話をしたいと思っています。2年間で約100か所約10,000人の人と直接対話をしてきました。これは続けていきたいと思っています。

日本以外の国の人もそうなんですが、直接話すことで、追い互いに分かり合うところがすごくあって、言葉は違っても、国が違っても、共通の本当のファンダメンタルなバリューは共有できると私は思っているので、それをぜひ、続けていきたいと思います。

AGC18代目 島村琢哉
社員と対話を重ね、世の中のためになるものを作り続け、その価値を社会全体で共有していきたい。
この想いは時代を超えて技術の進化と共に、100年先の後継者たちへ継承されていくだろう。

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