成田ゆめ牧場 ~創業から130年、経営の知恵とは?
「成田ゆめ牧場」は関東エリアで人気の観光牧場です。観光牧場というと、「観光がメイン」というイメージがありますが、成田ゆめ牧場は違います。搾乳専業牧場だった秋葉牧場が、創業100周年を記念して開園した事業だったのです。
今回は、秋葉牧場の歴史や長寿の秘訣とともに、観光事業を興すことになった代表の想いにせまります。
1. 成田ゆめ牧場を運営する、秋葉牧場とは?
秋葉牧場は、明治20年(1887年)より搾乳専業牧場として創業しました。生乳本来の味に近い牧場牛乳はもちろん、自らが乳製品メーカーとなり、搾りたての牛乳から作る、ヨーグルトやアイスクリーム、チーズなどの本物の乳製品作りを目指しています。
「自分達が納得した乳製品を作り、お客様に直接届けたい」という先代の秋葉博行とその伴侶である秋葉良子の強い想いから、1987年に創業100周年記念として観光事業「成田ゆめ牧場」が生まれました。
1.1 秋葉牧場の歴史
秋葉牧場では、観光事業から乳製品製造まで幅広く手がけており、現在では商品の通信販売も行っています。その発展の歴史をみてみましょう。
1887年 (明治20年) |
初代「秋葉せい」が東京都江東区砂町に搾乳専業牧場として創業 |
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1937年 (昭和12年) |
千葉県八千代市に移転 |
1953年 (昭和28年) |
秋葉牧場として法人化 |
1976年 (明治20年) |
本社機能を八千代市に残し、千葉県成田市に牧場を開業 |
1987年 (昭和60年) |
創業100周年記念事業として観光牧場「成田ゆめ牧場」を開設 |
1992年 (平成4年) |
成田ゆめ牧場内にオートキャンプ場を開設 |
1993年 (平成5年) |
成田山参道にて、初となる常設直営店としてアイスクリームショップをオープン |
2001年 (平成13年) |
通信販売・インターネット販売事業を開始 |
2010年 (平成22年) |
千葉県八千代市に「牧場創菓momom(モーマム)本店」をオープン |
1.2 秋葉牧場の現在の代表は
現在、秋葉牧場の代表を勤めるのは、秋葉 良子(あきば よしこ)氏です。
代表取締役会長 6代目 秋葉 良子(あきば よしこ)
フェリス女学院大学卒業
- 1975年 前社長秋葉博行と結婚
- 1976年 秋葉牧場入社
- 1987年 成田ゆめ牧場創業
- 2015年 秋葉牧場の第6代目社長に就任
酪農専業牧場として創業し、100周年にあたる1987年に酪農をベースとした 観光牧場を開設。現在では年間28万人が訪れるまでに至る。
直営店も20店舗近くまで増え、 全国に成田ゆめ牧場ブランドを展開。
6代目 秋葉良子のターニングポイントと決断
「大学出てお稽古ごとに勤しんでて(笑)皆様からは『なにやってるんだろう』って思われるような状況で。」と、結婚前の状況を語る良子氏。ところが、良子氏はあるとき突然「寂しさ」を感じたと言います。なぜこんなにも寂しいのか考えてみたところ、理由は「自分自身が世の中に必要とされていないこと」だと気づきました。人間にとって、必要とされることがどれだけ幸せか、ということに良子氏は気付いたのです。
そこで良子氏は、結婚したら絶対に必要な人間になろうと決意したそうです。そのような決意の中、秋葉牧場の社長の息子であった博行氏と結婚し、秋葉牧場に入社します。
やがて夫の博行氏が社長となり、良子氏は専務に就任します。しかし、博行氏が癌になり入院。これを機に代表取締役を2人に変更しました。実は、「これは会社が継続できるように」という博行氏の考えだったそう。
一般的には、代表取締役が亡くなると銀行口座は凍結されてしまいます。銀行口座の凍結は会社にとって致命的。しかし、代表取締役を2人にすれば、一方が亡くなっても、名義を変えるだけで凍結はされないそうなのです。
先代社長であった夫の博行氏は2年半ほど前に亡くなりました。亡くなるときに良子氏に遺していった言葉は、「お前が社長になれ」で、そして「近い将来会長になって、息子を社長にして2人代表という体制をもっていけ」というものでした。
その後、2018年7月には良子氏が会長となり、息子の秀威氏が7代目社長に就任。博行氏の遺言を守り、良子氏は今も会社の成長をサポートしています。
2. 成田ゆめ牧場とはどんな観光牧場なのか
「成田ゆめ牧場」は秋葉牧場が運営する観光牧場です。
観光牧場は観光のみを行うところが多く、生産を行なっている牧場は少ないのが特徴です。しかし、秋葉牧場は逆です。酪農の生産事業が現在創業131年、観光牧場は創業100周年事業として創られたものなのです。
なぜ秋葉牧場は、観光事業を展開するという決断をしたのか。その物語にせまります。
3.1 成田ゆめ牧場の誕生秘話
秋葉牧場が酪農だけをやっていた頃、大きな危機が訪れます。餌代の高騰と、牛乳価格の下落です。牛乳の価格に至っては、水よりも安いという時期がありました。そのとき社員は5、6名いたものの、給料も払えない、乳代から餌代を引くと赤字になる、という状態でした。
この状況に危機感を持ったのが、当時の社長の息子(博行氏)とその妻の良子氏でした。これまで息子夫婦は事業に対しあまり口は出せませんでしたが、「赤字で給料も払えないのは事業ではない、何かしなければ秋葉牧場がもたない」と考えたのです。
そこで生まれたのが観光部門、成田ゆめ牧場です。
当時の秋葉牧場には、土地はあっても資金がありませんでした。他の事業に手を出すリスクは取れず、酪農も疎かにはできません。酪農をやりながら、土地も共有してできるのが、観光牧場だったのです。
2人が観光事業を立ち上げようとしたとき、圧倒的に反対の声が多くありました。両親だけではありません。自転車で通り過ぎた近所のおじさんがまた戻ってきて、「こんなところに誰も来やしねえ!」という捨て台詞を残して帰っていったこともあったのだとか。
しかし、不思議と息子夫婦には、「何となくうまくいく」という予感がありました。
7月19日の夏休み初日にオープンしたゆめ牧場は、夫婦の予感通り大盛況となります。8月のお盆にはどこからこれだけの人が湧いてくるのか、と思われるほど観光客が訪れました。
3.2 成田ゆめ牧場が大切にしているもの
成田ゆめ牧場を開園するにあたり、当時の社長は「自然を大切にしたい」と考えていたのだそう。そこで、「汗をかいて遊ぶ」ものを中心に、設備の準備を進めていったといいます。
例えば、芝の斜面をそりに乗って滑る「芝そり」や、「変形自転車」など。電気を使うものは極力少なくし、汗をかかないと体験できないアトラクションが中心となっています。そのほかにも、
- 動物たちとのふれあい
- 四季折々の草花
- 大地に触れる喜びを体感できる野菜の収穫 など
の体験があり、開園当時の想いが現在も受け継がれています。
3.3 成田ゆめ牧場と地元の絆
成田ゆめ牧場の開園を支えたのは、地元の主婦だったといいます。
成田ゆめ牧場の開園スタッフを、地元の主婦にお願いすることに。当時の主婦たちの気遣いに、良子社長は感動したといいます。
ある日の閉園後、レストラン担当のパート主婦の方が「今日悪いことしちゃった」と、良子氏に言いにきたそうです。良子氏が詳しく聞いてみると「今日は忙しくて、途中で材料が足りなくなってしまった。しかし、並んでいるお客さんに申し訳なくて『もう終わりです』と言えない。それで自宅まで行って乾麺を持って来て茹でてお出しした」というのです。
本当はいけないことだけれど、パート主婦の方は状況を判断し、お客さんにも会社にもマイナスにならないよう考えて動いてくれたのです。良子氏にはその気持ちが嬉しかったといいます。
開園時にお客さんとして、成田ゆめ牧場を支えてくれたのも、地元のお母さんたちでした。町長を開園日に招待していたものの、返事もなく来園もなく、疎外感のあるオープンでした。そこに、現れたのは、地元のお母さんたち。白い割烹着姿で自転車にまたがり、後ろに子供を乗せてやってきてくれたのです。
以来、秋葉牧場は、地元との繋がりを大切にしてきました。現在では、秋葉牧場は地域の子供達を応援するため、野球とサッカーの試合の協賛も。野球については、「ゆめ牧場」と冠する大会が開催され、地元との絆はますます深まっています。
3. 衰退する業界でも成長を続ける、秋葉牧場の知恵
酪農の件数は、現在急減しています。しかし、秋葉牧場は現在ではアルバイト・パートを含める450人が働くほどの規模まで成長しています。衰退する業界でも成長を続ける知恵を探って見ましょう。
知恵1. 変化をつけながらもこだわりは変えない
先代社長が言い遺していったことの中に、「牛は必ず隣に置け」というものがありました。牛乳を離さないこと。「おいしい牛乳を届けたい」という原点から外れてしまえば、秋葉牧場はなくなってしまうと、良子氏は考えています。
成田ゆめ牧場は、良子氏とその主人である博行氏が興した、後からできた子会社のようなものです。観光牧場のため、広告宣伝をし世間から注目を浴びることも多々あるのですが、やはり本体は秋葉牧場です。成田ゆめ牧場を知ってもらい遊んでもらうことで、秋葉牧場の牛乳の良さを認知してもらうことが、最も肝心な部分なのです。
変化をつけながらもこだわりは変えないというのが、伝統を残すという一つの要素だと言えます。
知恵2. 失敗を叱らない
秋葉牧場では、社員が意欲的に新しいことを見つける気持ちに価値を置いており、一度や二度の失敗は問いません。失敗したことを叱責すると、二度と新しいことにトライしなくなるからです。それは会社の損失です。社員には「人が思いつかないことをやれ、考えろ」と伝えています。
社員一人ひとりも責任を持って自分の仕事を見つける、ということを大切にしているのです。
知恵3. 「続ける」という信念を持つ
秋葉牧場の核は酪農です。ただ、100年後にも牛の存在があるかどうかはわかりません。それでも今考えられる範囲では、酪農は会社の一部として持っていたい、と言う良子氏。時代には波があり、会社をただ大きくしていくだけというのは難しいことで、経営者にとっても苦しいことです。「会社は時代に合わせて大きくしたり小さくしたり、自由にして良いのではないでしょうか」と良子氏は語ります。
しかし、その一方で「歴史はお金で買うことはできない、だからこの事業をなんとか続けていく、という気持ちが重要なのだ」とも。ただ、事業は少々形を変えても良いものでもあります。プラス思考で、継続するという強い意志を持つことが大切なのです。
4. 秋葉牧場の長寿の秘訣
ここまで見てきた秋葉牧場の知恵をまとめてみましょう。
変化をつけながらもこだわりは変えない
「牛乳一筋」でありながらも、時代に合わせて革新していきます。
地元との絆を大切にする
ゆめ牧場を興した際、従業員として支えてくれたのも、お客さんとして支えてくれたのも、地元の人たちでした。地元が原点です。
続けるという信念
事業の拡大のみを求めず、時代の変動に合わせて時には事業の規模も変化させる。強い気持ちがあってこそ、決断もできます。事業が形を変えても、この信念が何よりも重要なのです。
事業を続ける上で最も大切なのは「続けるという信念」でした。信念を持って何度も危機を乗り越えてきた秋葉牧場。
この想いは100年先の後継者に受け継がれていくことでしょう。
企業情報:
株式会社 秋葉牧場 / 千葉県八千代市緑が丘2-2-10 / 0476-96-1001
公式ホームページ:http://www.yumebokujo.com/