〈中編〉第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021 ~苦悩と革新~
2021年11月19日(金)、「第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021」(以後、北九州フォーラム2021)が、北九州国際会議場メインホールで開催。「長寿企業経営者が明かす、経営判断の裏側と事業承継の秘訣〜SDGs新時代を生き抜く知恵〜」をテーマにディスカッションが行われました。
第1部では、「長寿企業経営者の葛藤と知恵」というテーマで、事業を次代に渡す立場の3社3名の方にお話を伺いました。また第2部 では、「長寿企業後継者の苦悩と挑戦」という切り口で、後継者の立場にある3社3名にご登壇いただきました。
〈第1部 登壇企業〉
株式会社近藤海事
株式会社アステック入江
株式会社光タクシー
〈第2部 登壇企業〉
株式会社なかやしき
シャボン玉石けん株式会社
株式会社山十
北九州フォーラム2021の様子は、3回に分けてお伝えしていきます。
〈前編〉第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021 ~葛藤と知恵〜
〈中編〉第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021 ~苦悩と革新~ ※本記事
〈後編〉第8回 地方創生経営者フォーラム 伝燈と志命 in 北九州 2021 ~振り返る〜
本記事では、第2部パネルディスカッションのメインテーマ「⻑寿企業後継者の苦悩と⾰新」を「ターニングポイント」、「人を活かし、時を超える挑戦〜コロナの今~」、「人財と地域」、「未来展望」という切り口で見ていきます。
【ターニングポイント~苦悩から覚悟へ~】
伝統を受け継ぐ使命の中、実体験し、感じた本音、その裏側にある悩みや葛藤を通して覚悟を定めた瞬間とは、どんな時だったのでしょうか。
〈山十のターニングポイント〉
1903年、初代吉田六彦が陶器の行商を開始。1927年には板硝子の販売を皮切りに硝子・建築材事業を拡大し、総合建材商社として北九州エリアを中心に多くの住宅やビル、公共施設を建設しています。創業より受け継がれる『報徳精神』を胸に刻み、来る事業承継に向け新たな挑戦に踏み出しています。
吉田 達哉 様は、覚悟と挑戦について語りました。
「次男でありながら、兄には継ぐ意志がないと判断し、家業は自分が継ぐものだと考えていました。大学卒業後、仕入先のYKKAPに入社し、4年間下積み修行をした後に、実家に戻ってきました。
大手企業と家業のギャップは、YKK時代には部下0人(当たり前なのですが…笑)、それが家業に戻った瞬間から部下が70名いるという状況になったことです。そんな状況でも27歳で家業に入社した私に従業員全員が敬意を払ってくれて、これまで先代が築き上げてきた社風などに感銘を受けました。
その一方、トップダウンかつアナログな管理体制が気になり、会社の風向きを変えるべきだと痛感しました。しかし、会社の大規模なデジタル化を進める中で、上の世代からの反発が大きく、自分が原因で当時の主任が辞めてしまうこともありました。このことがあって、自分の言動一つ一つに責任を持たなければいけないという意識が芽生えました。
その後は、一人ひとりに丁寧にデジタル化の必要性を訴え、現在では社内の大部分をデジタル化することに成功しました。」
〈なかやしきのターニングポイント〉
1889年、初代中屋敷 善米が大分県中津市で木材販売業を開始。輸入木材を手掛けると共に、地域初のプレカット工場を新設。製剤業者のパイオニアとしての地位を固めます。『心が豊かになる暮らし』の創造をテーマに今後も人にやさしく自然にやさしいまちづくりに努めていきます。
中屋敷 善太郎 様は、入社当時の会社の様子を振り返りました。
「就職活動中、関東のハウスメーカーから内定を頂いたタイミングで父から連絡があり『一緒に仕事をしよう』と勧誘を受け、『先に言えよ。笑』という感じで、進路を考え直しました。
将来の事業承継に備えて、23歳から北米で木材輸入事業でご縁のある会社に入社し、その後に家業に戻りました。その際には、親族問題やバブル崩壊が重なり、2億の赤字決算となっていました。そのため、仕入先(商社)からは支払い条件の変更交渉が続々と押し寄せ、その交渉対応をする中で社長の息子として悔しさを感じるのと同時に、世の中は厳しいなと痛感しました。この経験で、『小さいことを気にしていられない。やるしかない。』と覚悟が決まりました。
その中で新規事業として「内装事業」に着手しました。当時の建設業では、木材料と建設工事を一緒に注文するスタイルが主流となってきていたので、時代の変化に合わせて新たに事業に挑戦したところ、現在では弊社の事業基盤の一つとなっています。」
〈シャボン玉石けんのターニングポイント〉
1910年、初代 森田 範次郎が雑貨店を開始。石炭業で栄えた若松では生活必需品として石けんが大変重宝されていました。2007年、30歳で代表取締役に就任した森田様は、先代が掲げた『健康な体ときれいな水を守る』という企業理念を受け継ぎ、人と環境に優しい商品づくりを通じ、地域・社会に貢献し続けます。
森田 隼人 様は、家業を継ぐきっかけと挑戦について語りました。
「父が書いた『自然流「せっけん」読本』がベストセラーになったのですが、当時の私は、父がワープロに打った原稿用紙の裏を勉強のために使っていました。そこには『肌にも環境にも優しい製品を多くの人に届けたい』という父の無添加石けんに対する意気込みが綴られており、父の後を継ぎたいという気持ちが芽生えてきました。
事業継承した後に先代が亡くなり、一番困ったことは過去を知る手立てがないことです。社長就任後の2007年〜2013年まで売上が低迷しましたが、ご縁を頂いた方々の支えや組織の大刷新により業績は少しずつ回復していきました。阪神淡路大震災をきっかけに環境負荷の少ない消火剤の開発にチャレンジし、数字には繋がっていませんが、その挑戦が様々な副次効果(商品開発)を生み出しています。」
【人を活かし、時を超える挑戦~コロナの今~】
ターニングポイント(苦悩から覚悟へ)を乗り越える中、実際に実践されてきた“改革・挑戦”とはどのようなものだったのでしょうか。
〈なかやしきの挑戦とコロナ〉
中屋敷 善太郎 様は、人事制度や採用形態への挑戦を語ります。
「常務になった際、地元でお世話になった先輩に『意地でも毎年新卒を取り続けろ』と教えて頂きました。当時はその意味が分かりませんでしたが、10年間毎年3〜5名の新卒を採用し続けた結果、新卒入社の社員は会社で活躍してくれていますので、こういうことなのかと実感しています。
更に、大工や職人の高齢化によって現場の人数が不足している現状を踏まえ、3年前から毎年2名、高校生から大工を育てる『大工育成コース』を創出しました。2020年からは海外実習生の受け入れを開始するなど、若く幅広い人材の育成に力を入れています。
また、SDGsとは私たちが既に無意識でやっているものと感じており、今まで意識しなかったものを改めてSDGsとして意識し、発信していこうと考えています。さらに、女性の活躍が当たり前の現代で、古い体質が残る弊社では育休の取得が難しい雰囲気でしたが、自分の代からは『しっかり休んでもらいたい』と伝えています。」
〈シャボン玉石けんの挑戦とコロナ〉
森田 隼人 様はファンづくりの効果と社内のモチベーションについて述べました。
「コロナ禍でも新卒の応募数は2020年240名、2021年350名と昨年より100人以上応募人数が増えたことには、驚きと共に追い風を感じています。
これはSDGsの取り組みや環境・社会活動を進めてきたことが大きな要因だと思います。オンライン工場見学やシャボン玉石けんチョコ、LINEスタンプなどの作成、『シャボン玉友の会』の結成でファンづくりやファンとのコミュニケーションの場を作ることがKPIとなりました。
また、コロナ禍で健康面を意識する消費者が増えたことで、コロナ禍での新たな産官学連携の実証実験を行い、2021年8月期のグループ決算で過去最高の売上高を記録することができました。
一方で、改善すべきと感じたことは、定期的に会社の不満を社員へヒアリングすることです。社員側も『何か回答しないといけない!』と捉えてしまい、会社の粗探しをするというネガティブな悪循環が生まれていました。そこで不満をヒアリングするのではなく、この会社で働いていて誇りに思うことは何かを聞くことで、会社の良いところを意識してもらえるようになりました。」
〈山十の挑戦とコロナ〉
吉田 達哉 様は、既存施策の変革が必要だったと語ります。
「既存の人事評価制度の見直しや会議方法の変革を実施しました。ミクロの改善をどれだけ行っても、目指すべき姿(マクロのビジョン)を言語化する必要があり、中期経営計画と合わせて人事評価なども改革しました。その過程で40代主任が退職するなど数々の苦難がありましたが、成果が少しずつ出てきたことで周りにも理解してもらえるようになりました。
会議については、『すごい会議』の手法を導入しました。各々が積極的に声を上げることで、これまでにないアイデアが生まれるようになりました。今後は社内だけでなく、社外への発信力も強化するため、採用HPの更新やSDGsを切り口に社員の想いを発信していきます。」
【未来展望~地域とともに未来へ~】
「わが街ふるさと」である北九州(地域)と共に描く未来について、タイムカプセル『①20年後の自分へ』、『②100年後の後継者たちへ』というテーマでディスカッションが行われました。
〈なかやしきの未来展望〉
中屋敷 善太郎 様は、SDGsを牽引する北九州の未来について語りました。
「出張や旅行に行く度に思うのが、駅というのはその街の顔であるということです。その街のシンボルが飾られていたり、魅力を伝える広告が駅にはありますので、北九州市はSDGs都市ということで、ぜひスペインマドリードアトーチャ駅に習い、植物だらけにしていただきたいです(笑)
エコタウンとしてのPRもそうですが、駅に限らず、今の子どもたちが大人になった時に『北九州に戻ってきたな』『ホッとするな』と思うような街づくりを行っていきたいです。」
〈シャボン玉石けんHDの未来展望〉
森田 隼人 様は、北九州の未来のために解決すべき課題を問いました。
「北九州には大学が多く、流入してくる人も多いのですが、卒業の際に街に定着されないことが課題です。大学は4年間もあります。地元企業は就職活動の時だけではなく、本日のフォーラムなどの場を含め学生との接点を積極的に持ち、関わることで、地元を愛してくれる学生が増えていくのではないでしょうか。」
〈山十の未来展望〉
吉田 達哉 様は、北九州のイメージとこれからについて語りました。
「高校卒業から10年間、北九州を離れていたことで、外からは良いイメージを持たれていない北九州の実状を知りました。実際、自分自身も戻ってすぐはそこまで良いイメージが湧いてきませんでした。しかし北九州は良い面も悪い面も含めてとても個性的で良い街ですので、会社としてうまく個性を打ち出していきたいです。
例えば、北九州は少子高齢化という問題を抱えていますが、だからこそ高齢者の方には浴槽の窓をヒートショックが和らぐ弊社の商材に取り替えてもらい健康を維持してもらいたいと思っています。このような事例・データをアーカイブすることで、今後は海外(少子高齢化が一番進んでいるのは日本)へ広めていくことができるコンテンツになりうると考えています。」
〈グラレコ:第2部 長寿企業後継者の苦悩と革新(若旦那編)〉
本記事では、第2部パネルディスカッションのメインテーマ「⻑寿企業後継者の苦悩と⾰新」を「ターニングポイント」、「人を活かし、時を超える挑戦〜コロナの今~」、「人財と地域」、「未来展望」という切り口で見てきました。次回は閉会の様子と振り返りについてご紹介します。