株式会社 トップウェル〜「共生」「公正」「創造」「感動」
オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~
石田:今回のゲストは株式会社トップウェル代表取締役社長小林美津良さんです。よろしくお願いいたします。
朝岡:ようこそお越し下さいました。トップウェルというモダンな響きの会社ですけれども、創業は明治45年。パッケージ制作というと御社は具体的にどういった物をお作りなんでしょうか。
小林:創業当初は時計のメンテナンスや修理に使う精密工具や機器類を作っていました。当初は明治ですから、機械式の時計しかございませんけれども、時計の中の修理用の部品の卸業からスタートしました。今から30年程前にもう一つ商売の柱を一本作ろうということで、元々パイプのあった宝石業界で、何か売れる物はないかということで考えたのが宝飾用のアクセサリーなどのパッケージです。買ったときに入れて頂ける宝石とかネックレスとか・・
石田:それが今こちらにご用意して頂いた物ですよね。
小林:今はもうパッケージ、ディスプレイ類の売り上げが80数%、大半の売り上げを占めています。
石田:そちらのカラフルな物はどういったケースなんでしょうか。
小林:これらは環境を意識した、いわゆるエコパッケージという物になります。まず、名前を考えている最中に、エコパッケージとかエコロジーパックとかは面白くないなと思いました。
たまたま2年程前に、イタリアのミラノで万博がありまして、フードコーナーが非常に人気がありました。食品のブースで人気があったのが、スローフードのコーナーだったっという特集をテレビで見ていまして、スローっていいなあ。そうだ!スローパッケージって良いじゃない!ということで名前が決まりました。
朝岡:(パックを手に取って)具体的には、スーパーでたまごとかが入っているパックの素材ですよね。
小林:同じ素材です。
朝岡:そうなんですか。具体的には何を入れたりするものなんですか。
小林:決まってはいません。変わったところですと、タオルを入れて売りたいですとか、コーヒー豆を入れて売りたいですとか色々な需要があるようで。
朝岡:伝統的な宝飾関連の物から、今色々入れる物が広がってきているんですね。そうやって見ると、パッケージって大事ですねTPOに応じて。
小林:そうですね。指輪にしてもネックレスにしても、ブランドのタグを外して100個くらいバーッと置くと、どれがどこの商品なのか分からないというくらいデザインは出尽くしている。最終的にパッケージで差別化を図って、販売に繋げていくという傾向がどんどん強まっていると思います。パッケージも商品の一部であるという考え方が強まっています。
石田:創業の精神ということで、トップウェルさんの家訓や理念をお伺いできますか。
小林:創業家の出身ではないものですから、先代の社長に確認をしたことはあったのですが、どうも創業時からの理念はなかったようで、あったのかもしれないけれども3代目の先代の社長に聞いても「よくわからない」という回答しか頂けなかったです。資料等もほとんど残っていないですね。
10年近く前に、これからの時代は企業理念くらい無ければやっていけないだろうというふうに思いまして、私が中心となって、スタッフを何人か選びまして、皆で作ろうということで考えた企業理念が、「共生」、「公正」、「創造」、「感動」。
朝岡:ひとつひとつ具体的にお話を伺いたいのですが。
小林:「共生」というのは、自分の会社だけ、自分だけが良くなるということではなくて、お得意先様、お客様がですね、私どもは完全なメーカーではないものですから、協力工場ですとか、仕入れ先様がございます。この仕入れ先様も含めて、皆で一緒に伸びて行こうという想いで、言葉を入れました。
「公正」というのは、今どういう判断、どういう行動をするのが正しいのかということを常に意識しながらいこうということで「公正」という言葉を入れました。
3つ目の「創造」というものは、元々私どもは物作りの会社ですけれども、物を作るという上で、創造というものは非常に大事ですけれども。社員一人一人が自分の人生を創造的に生きていこうよと。創造的な仕事をして行こうよと。自分の人生を創造して行こうという意味で創造という言葉を入れされて頂いて。
最後の「感動」というのは、感動する仕事をしようと。感動を与えられるような仕事をしようと。お互いに感動出来るような仕事をしていこうよ、生き方をしていこうよという意味で、感動という言葉を私が勝手に入れさせて頂いた。
小林:この4つの言葉を単純にいろんな場所で皆に伝えてもあまり意味が無いのではないかと思いまして、それぞれの意味合いが入った話をしょっちゅう社員の前ではしているつもりです。朝礼であるとか、営業の会議であるとかというところで。
営業会議というとすぐに売り上げはどうかというところにすぐになる訳ですけれども、売り上げどうなってんだもっと頑張れといって売り上げが上がるのでしたら日本経済はこんなことにはなっていませんので、そんな話よりは、私は社長として、トップとして、企業理念に基づいた、関連した話をどんどんしていこうというふうに意識的にやっています。
朝岡:それは例えばご自身が経験したこととか、あるいは仕事の上で見たり聞いたりしたこととか、具体的なケースに基づいて、「共生」、「公正」、「創造」、「感動」みたいなものをお話しになったり、あるいはマンツーマンで話をするときにもこういう話をしたり、そういうことですか?
小林:そうです。その方が伝えやすいであろうと。この4つの言葉だけを覚えても意味は無いだろうと。大事なのはその4つの言葉それぞれが持っている裏側にある意味。これをどう伝えていくかが一番大事であると思いまして、社員の皆にはお話をさせていただいているつもりです。
決断 ~ターニングポイント~
小林:今から8年程前に、3代目の社長、この方が私と同い年で、もちろん創業家出身なんですけれども、M&Aで会社を売却しようということを極秘に進めておりまして、それを私がひょんなことから見つけてしまいまして、一体何をしているんだと。
私はM&A自体には賛成でも反対でもないですけれど、事業承継の仕方のひとつなのかなあとその程度には思っていないです。その金で、あと遊んで暮らすのかと。それは良くはないでしょうというふうに思いまして、かなり色々悩み、考えましたけれども、今まで通り会社を存続させて、今居る社員と一緒に仕事をしていく為には、自分が会社を買い取って、自分が社長になってやっていくしか方法はないだろうと。他に選択肢はないなと思いまして、決断をして、先代の社長に申し伝えて。
もちろんすぐにはOKは貰えなかったですけれども、数ヶ月に渡って色々議論を進めている中で、最終的にそういうことであれば、小林に全部渡すよということになりました。それからは銀行をまわって金策ですね。私はお金がないものですから笑
朝岡:そこで自分が先頭に立つぞ、リーダーになるぞというのは、想いが無いとできないですよね。
小林:先代の社長がM&Aで会社を売却しようとしているという話を出来る様になった時点で、社員をひとりひとり応接間に呼びまして、今こういう状況になっていると。
だから、今私が考えているのが、株式をすべて私が買い取って、私が社長になって、皆と一緒に今まで通り仕事をしていこうと思っているんだけどどうだと話したら、ある男性の社員が泣き崩れまして、多分先代の社長に裏切られたと言う想いだったと思うんですけれども、それを見たときに、やっぱり自分がやるしかないんだと。
朝岡:なんだか下町ロケットの製作所の社長とちょっとだぶりますよ!あれはドラマだけど、こっちは現実ですからね。
石田:そこで、よし、自分が引き受けると思われた理由というものはあったのでしょうか。
小林:真面目に、必死になって仕事をすれば、こうなるんだよということを知らしめたかったという想いはありました。能力のあるなしに関わらず、必死になって頑張れた、そうなるんだよということを、誰にという訳ではないんですけれども、それを知らしめたかった、見せたかったという想いは強かったと思います。
朝岡:ご自分が、引っ張っていくというか、会社を先代から引き継ぐという形でスタートされて、ターニングポイントを迎えて、ポイントの先は順調だったんですか。
小林:リーマンショック以降色々な企業の業績が悪化していましたけれども、弊社も、同じ様に売り上げが下がりました。最盛期が今よりも12年位前ですかね。17億8千万円の年商だったのが、私の買い取る直前の年商というのが12億5千万円まで下がりまして、丁度3割程下がりまして、非常に厳しい状態からスタートしました。
ただ、先代の社長がかなりの役員報酬をとってましたのでこれが無くなれば、資金繰りも良くなるのではないかといういい加減な気持ちもあってんですけれども、実際に始まってみると、そんなに甘くもなくてですね、非常に厳しい状態にどんどんなっていきまして。その、社長になった翌年に東日本大震災がありまして、当時私も東京に居りましたけれども、あのひどい揺れを経験しながら、なんていうときに俺は社長になってしまったんだろうということはちょっと考えてしまいました。
朝岡:それくらい切羽詰まっていたときに震災があったんですね。
石田:学生時代にも相当ご苦労されたと伺ったんですけれども。
小林:家が非常に貧乏だったものですから、夜学に行って昼間は働いていました。
大学3年位のときに父親の借金が発覚しまして、借金の一部が暴力団関係に債権が移ってしまいまして、大変な思いはしました。数年かかりましたけれども完済しました。
私は28歳のときに今の家内と結婚をしたんですけれども、結婚して2.3年で2度目の借金が見つかり、それもなんとか完済したんですけれども。それから2年くらい経って3度目の借金が見つかり、そういう意味では20代前半から30代前半というのは人生で一番楽しい時期ではないかと思うんですけれども、そんな余裕は全くなかったですね。
ただ、今となってはそういう思いをさせてくれた父にはすごく感謝をしています。世界一の父親だと。
朝岡:まだトップウェルに入られる前でしょ?
小林:はい。私は元々出来が悪かったものですから、転職を何回も繰り返しまして、36歳の時にトップウェルに出会いました。36歳での転職ですから、出世は勿論無理だと。
ただ、仕事をする上で、遅れは一日も早く取り戻したいということで、とにかく遅れを取り戻す為には、人の2倍3倍時間をかけて仕事をするしかないだろうということで必死に頑張りました。
会社に入って半年くらい経った時点から「この会社は一体何をやっているんだ、こんなことをしていたら、商売は伸びないだろう」という思いでいました。色々勝手なこともしました。自分で勝手に倉庫を見つけてきて、仮契約したりですね。そういうことをやらせてくれたのも先代の社長なんですね。ですので、先代の社長がいなければ、今の自分は無いと思います。
言魂 ~心に刻む言葉と想い~
石田:続いては、言霊ということで、幼い頃祖父母から言われた印象的な言葉。そこに隠された想いを伺っていきたいと思います。
小林:私がまだ小学校1年くらいのときに、祖父に「真面目に一生懸命にやっていればいつかいいことあるからな。いいか美津良」と何度も言われました。それは今でも心に残っています。
石田:小林さんご自身が、今現在も胸に刻んでいる言葉というものはありますか。
小林:「勇気と情熱は能力を超える」という言葉です。どういう意味かというと、どれだけ能力があっても、勇気と情熱が無ければその能力を活かしきることが出来ない。逆に言うと、能力はそこそこかも知れないけれども、「勇気と情熱は誰にも負けないよ」という自分があれば、かなりのことが出来ると思っております。
そういうことも交えて、社員には、とにかく諦めないで、前向きにやろうよと。額にしわを寄せて、眉間にしわ寄せてしかめっ面しても、何にも良いこと無いよと。上を向けと。こういうことはしつこいくらいに話しています。
NEXT100 ~時代を超える術~
石田:最後に、次の100年に向けて変えるべき物、変えない物、会社にとってコアになる部分を伺いたいと思います。
小林:数年前に、ある経済紙か何かで読んだんだと思うんですけれども、羊羹の虎屋さんの社長さんが仰った言葉で「伝統とは革新の連続である」と。非常に感銘を受けまして、弊社は今年の4月で満105年目を迎える会社でありますけれども、伝統を育てて存続し続けていきたいのであれば、革新の連続をしなければならないんだなと。
会社が100年を経ちますと、勿論良い部分もありますけれども、変な癖であるとか、習慣であるとか、変なDNAみたいな物があちこちにありまして、それを見つけ出しては壊していくということの連続ですね。
朝岡:トップウェルとして、ここはきちっとキープしていこうという物は何かありますか。
小林:企業理念にも謳ってあるんですけれども、とにかくこの4つの企業理念をどこまで実践し続けていくのかということが、弊社にとって一番大事なことなのかなというふうに思うんです。
勿論、時代の流れの中で、企業理念も変化をしていくということもあるとは思うんですけれども、大幅に変わっていくということは無いでしょうから、これをどこまで意識して、守っていけるのかというところにかかっているのかなと。
朝岡:100年後のトップウェルの従業員にこれは言っておきたいということはありますか。
小林:私の巨大な妄想のひとつではあるんですけれども、早ければ私がこの世にいる間に、貨幣は無くなるであろうと思っておりまして、今電車のSuicaなどで電車に乗れたり物が買える時代ですから、貨幣が本当に無くなるのであれば、世の中はすごい勢いで変わっていくよと。
ですから、うちは明治45年からやっている会社なんだよということを鼻にかけていては、昔からやってきてるんだから今もやり続け続けなければ駄目なんだよということでは、次の100年は迎えられないのではないかと思いますね。もっと柔軟性を持って、一番大事なのは、毎年売り上げを上げて、利益を出して社会貢献をしていくと共に社員全員と幸せな人生を歩める様にしていくということが一番大事な訳ですから。
会社が色々な形で変動してく、変化していくと。売る物が変わったり、会社の形が変わっていくということはあり得る訳ですから。そこで変なこだわりみたいな物が強すぎると立ち後れてしまうことがあるのかなと。ですから、常に変革、変革だと。前に進む為に、邪魔な物は取り除いて、良い物は更に良くしていきということの連続なのかなと。