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教文館「本を愛するお客様の友としてありつづけたい」

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、株式会社教文館 7目代表 渡部 満(わたべ みつる)。
創業は1885年。アメリカから派遣されたメソヂスト教会の宣教師たちが、伝道用の書籍やトラクトの販売、出版活動を行う為に組織を作ったのが教文館の始まり
1891年には、銀座に書店を開店し、1896年に屋号を教文館とした。
その後、関東大震災の影響でビルが焼失し、1926年に日本基督教興文協会と合併し会社を存続させ、1933年には空襲を受けるが焼失を免れた。
戦後も、経営危機を経験するなど、様々な困難を乗り越え、1996年には、エインカレムをオープン、1999年『こどもの本の店ナルニア国』を開設。
2004年『Cafeきょうぶんかん』の開店など、事業を展開・発展させ、現在も出版不況と言われている中でも『本を愛するお客様の友としてありつづけたい』という想いのもと銀座の老舗書店・出版社として、多くのお客様に親しまれてきた
今回は、渡部 満の言葉から、次代へ継承すべき、教文館の持つ長寿企業の知恵を、紐解いていく。

渡部:通常の書籍を置いている部門では、「銀座本コーナー」というコーナーがあります。銀座に関する本がたくさん出ていて、銀座で働いている人が書いている本というのも結構出ているんですね。そんな特化したコーナーを作っていて、それをお求めになる方は必ずそこに来られて、お求めになるというそんなちょっと特殊なコーナーを作っています。

それからほかの本屋さんにないのは、キリスト教専門の書籍を扱っている部門、それからグッツを扱っている部門、それと児童書は結構やっているところも多いですけど専門書店という形で展開しているところはそう多くないので、すごく大きな部分だと思います。

それからカフェもかなり人気があって、お客さんが訪れてくださるちょっと特色のあるところです。

それから実は9階に「ウェンライトホール」と言って、ホールを経営していて、定期的に児童書関係の原画展、それから毎年のようにやっているんですけど藤城清治という影絵作家がいるんですけれども、その方の個展を毎年やっています
それから11月から12月にかけては「ハウス・オブ・クリスマス」という名前でクリスマス関係のグッツを扱う店をそこで展開しております。

そういうところがほかの書店ではやっていないようなところだと思います。

普通の本屋さんにいろんなグッツを置いたりカフェを併設するって言うのは最近トレンドっていうのがあると思うんですね。たぶんうちの場合は、カフェは10年くらいなんで、それほど昔からではないんですけれども、創業のかなり早い時代から書籍関係だけではなくてグッズの関係ですね。文房具とか。そういうものも扱っているので、長い伝統があるって言うことはあると思いますね。

ですからそれほど違和感がない。キリスト教専門の本を扱う本屋であるということがそれに結び付いた面もありますし、本以外の需要いろんなグッツの需要があるんですね。そういうものもあるし、もう一つは最初うちの会社はアメリカから来た宣教師が造った会社なので、そういう外国とのつながりが多くて輸入品なんかを輸入してそこで販売するっていうそういう面もあったと思うんですね。ですからそれほど違和感はないんですね。

今カフェを併設する書店のやり方って言うのは本を読みながらカフェでも持ち込んでね、一緒にやるっていうスタイルだと思うんですけど、うちの場合はそうじゃなくて本の持ち込み以外に、ではなくて独立してカフェを作ったんですけど。

うちの会社に来てですね皆さんアンケートを取ったりすると、よく漏らされる感想は銀座通りに面した場所も非常にいいところにあるので、その通りを楽しむために来られるお客さんもいるし、「銀座に来て非常にほっとする空間、安心感を持てる空間、あるいはオアシスみたいに息抜きができる、そういう場所」っていう印象を持っておられる方が多いのでカフェはそういう象徴的な場所になっているっていうところもあると思いますね。

~キリスト教関連の書籍の需要~

キリスト教の信者の方がメインですが、残念ながら減っていますね。
例えば聖書なんかは典型的なキリスト教の本の一番大きな部分だと思うんですけど、私共の会社では各国語、日本語ばかりではなくていろんな国の言葉の聖書も揃えてますので外国の方もお買いお求めになるということもありますし。

それからキリスト教なんかを専門的に研究されている方が、わたくしの会社に必ず来て本をご覧になる、そのぐらい幅広い品ぞろえをしています。関連してユダヤ教の本なんかも結構そろえております。

最初のテーマは、「創業の精神」
創業者の想いを紐解き、現在に至るまでの経緯
家訓や理念に込められた想いを紐解く・・・

渡部:キリスト教を普及するために、創られた出版社、これがもとです。
ですからその理念や考えは今でも継承されていてそれが中核をなしていると思うんです。

しかし、私は最初に作られたときの会社の規則、それから今株式会社なんですがその時の定款、両方とも書かれているのにはですね、単にキリスト教の教えを広めるためだけの事業じゃなくて人間にとって大事な今の定款の言葉でいうと「教養に資する」という風に書いてあるんですけれども、人間の人格形成にとって大事なそういう書物を出版したり販売することも同時にうたわれているんですね。そういう理念もやっぱり大事だと思っているので直接キリストに関係しないところの部分でもそういう目的に沿った事業展開をしているつもりです。

~教文館と村岡花子~

NHKのテレビ小説で「花子とアン」って言うのが数年前に放映されて、非常に話題になったんですが、私共の会社でも主人公の村岡花子さんの実は生涯を展示することを何回もやったんですね。それもテレビで取り上げられて、非常にたくさんのお客様に来ていただいたんですが、この村岡花子さんっていうのが務めていた出版社って言うのが私共の会社で、もともとはキリスト構文協会の出版社なんですがその会社と教文館が実は合併して、その後も村岡さんは教文館で仕事をされて、1935年まで仕事をされていたんですね。

特に書籍の販売なんですけども、そういうところに引き継がれているという面はあると思うんですね。そういう意味では歴史的ないろんな経緯を踏まえてやっている会社だと思います。

~理念の浸透~

周年事業って言うのがありまして私共の会社は133年目になりますが、130年の時にもやりましたし120年の時もやりましたし、私はこの周年事業を2回やっているんですが、年事業のたびごとに、そういう会社のよって立つ一番肝のところについては皆さんに説明してますし、展示をやったりもしています

それからクリスマスとかですね、新年の時には皆さんの前で話す機会は結構ありますのでそういう時にはそれに触れるような形でお伝えはしています。それはもちろんホームページなんかにも掲げていますし。そういう意味ではお伝えはしていますけど、どの程度浸透しているかどうかというのは・・・浸透している部分と途中までっていうか徹底していない部分もあるかもしれませんけどそれを毎日唱えるみたいなね、そういうことはやってないですね(笑)。

~社名の由来~

1895年に社名を変えようという動議が出たんですね。記録でしか確かめられないんですが。その前は実は「メソヂスト出版舎」という会社の名前だったんですね。その当時会社の名前の看板がかかっている写真が一番古い写真として残っているんですが、1896年から「教文館」という名前に屋号を変えたんです。

由来については実は書類には残っていないんですが、ほとんど確実に推測できるんですけれども、教文館の「教」というのはキリスト教の教ですね。「おしえ」という文字だと思います。

「文」はですね、これは文学って言葉の「文」なんですね。文学ってなぜ文学かって言うと、その当時英語の翻訳でものを考えていたと思うんですけれども、「Christian Literature(クリスタン リテラチャー)」っていう言葉がありまして、いまだと「キリスト教文書」といふうに訳すんですけれども、その当時はキリスト教文学と訳していたんですね。その時に使われていた文学というときの「文」という字だと思います。

それからもう一つ「館」というのはhouseという「メソヂストパブリッシングハウス」という言葉がありましたけど、ハウスという言葉の翻訳で「やかた」という言葉なのでその3つの言葉を合わせて「教文館」という名前が生まれたと思います。ほとんどこれ以外に考えられないんで確実なことだと思いますね。

~子業の展開と改革~

そうですね、会社の経営のやり方って経営者によってだいぶ変わると思うんですね。古い時代のものを見ると私が直接経験していない私の前の時代しか経験してませんけど、私の直前の社長はかなりワンマン経営に近い仕方のやり方をやってて、それなりに立派な方だったと思いますけど。

それは今の時代ではなかなか通用しない面がありますので、合意形成の制度はですね、社内に整えてできるだけみんなが自分たちの意識で会社をみんなで盛り上げていくっていうような体制にしたっていうのが一つです。

もう一つは今の時代に合わせてネットを使った販売ですね。イーコマスそういう部門を立ち上げて、それを少しずつ強化して、充実させているっていうのが特に新しく始めたことといえば言えることかもしれませんね。

~書籍の今と未来~

これは業界全体にかかわる問題でもあるんですね。みなさん電子書籍っていうのが出てくると、ほんの紙媒体は無くなる、弱くなるっていう風に、みなさん普通にこんな意識を持っておられるんですけど、実際にはですね統計的にいうと通常の書籍の電子書籍っていうのは必ずしも増えていないんですよ。一時期増えたんですけど、アメリカでは実は頭打ちなんですね。

日本の場合だと非常に電子書籍が移行が激しいのはコミックの分野なんですね。これは非常な勢いで電子化しています。書籍、いわゆる紙の本のいわゆる単行本に相当するような書籍の携帯は“コデックス”っていう風に言われるんですけれども。コデックスってまあ巻物じゃなくで今はこうページで開くコデックスという形なんですけれども、これは500年以上実は歴史がありますよね。

でこれはなかなかよくできている本の形で電子書籍に置き変わる時代があるかもわからないんですけれども、今の所これに勝る形にまだ電子書籍が追いついてないんじゃないかとは思いますけどね。
私も個人的には非常にそれ(紙媒体)を好んでいるっていう面もあると思うんで受けれども・・・まだしばらくは大丈夫じゃないかって思っています(笑)。

決断 ~ターニングポイント~

続いてのテーマは「決断 ターニングポイント」
会社の発展と共に訪れた過去の苦難、
それらを乗り越えるべく先代達が下した決断に迫る

渡部:そうですね、歴史の中で一番大きかったのはやっぱり関東大震災っていうのがもたらしたものが一番大きかったと思いますね。
関東大震災の時にですね、銀座の地域は全部焼けちゃったんですね。私共の会社も前の建物ですけれども、全部焼けました。地震そのものでは建物は倒壊しなかったんですけれどもね。まあご存知のように、火事が起こって銀座の地域はほとんど焼けまして、それで持ってる在庫から商品まですべて焼いて焼失してしまったということがありました。

特に私共の会社はキリスト教を専門とする書店・出版社ということもありましたので、戦争中はアメリカと戦争したわけですから、キリスト教は‟敵性宗教“っていう言葉で呼ばれて、事業は難しかったと思いますね。
仕事自体は続けたようですけれども、実際には大っぴらに商売をやるってことは難しかったと思います。

もう一つ空襲がありました。東京は空襲があった。銀座はですね、1945年の1月27日とそれから3月ですか?大空襲ですね。その時2回空襲があったのですが、幸い私共の会社は焼けずに残ったんですね。

銀座の4丁目という場所を思い浮かべていただくと、和光さんというのが交差点にありますが、和光さんも焼けないで残ったんですね。私共のビルと和光さんのビルは残って、その間にあったお店はもうほとんどというか全部焼けてしまったと。ですからそういう大変な時期をくくり抜けたと思います。

戦後はですね、アメリカ軍が進駐してきてやっぱり一時期占領時代というのがあったんですね。その時キリスト教がブームになった時代があるんですね。そういう時はかえって私共の会社はかなり景気が良かったというか非常に良かった時代もあったようですね。

それが済んだあとは通常のっていうか(笑)今と同じような感じで推移してきたとは思うんですけれども。それが一番大きなターニングポイントですかね。

続いて、7代目 渡部 満のターニングポイント。

渡部:そういう意味では私が社長になるつもりがなかったので、社長になったというのがこの会社においての大きな経験だったと思います。

私は実は小売ではなくて出版関係の仕事をして編集者として長くしてきたもんですから、あまり自分が経営に向いているとは思わなかったんですけれども、実は私の前の社長が脳梗塞で急に倒れまして、2年間ほどもう口もきけない・・・不随状態になって、どうしてもこれ以上続けられないというと時に、私が代わりに社長をやるように言われまして。

その前に専務とういう形になったんですけれども、代表権のある専務、になったんですが、私の時に葬儀を・・社長の葬儀を行って、社長に就任したということですね。それが個人的には大きなことだったと思いますね。

私は両親がそういうキリスト教の家庭に生まれたので、キリスト教については幼いころからそういう環境に育ちましたから、関心がある・・・というかそれが当たり前のような世界で育ったんですけれども、やっぱりそれは自覚的に青年期に自分の生き方を決めなきゃいけないときに、色んなことはありましたけど、個人的にその道を選んだということだと思います。

日本でもキリスト教の専門的な勉強をする学校に行って、その学校を卒業しましたが、私が扱っている編集者として扱っている書物自体が非常に専門的なものなので、もうちょっと勉強したいと思って。今の会社に入ってからですけれども、入ってちょうど10年・・・7,8年かな?10年近くたった時に、奨学金をもらってドイツの大学でキリスト教を学ぶ学部があるんですね。そういうところで1年間勉強はした経験があります。

日本の人はね、比較的無宗教と考えている人が多いんですよね。でもこれは世界的にはまれなほうなんで(笑)実は。もちろん今の社会って宗教が存在していても、あえて宗教から離れる人っていうのは増えていて、そういうのは世俗化っていう言葉でいうんですけどね。ですから世俗化している社会で必ず社会生活の中に宗教が顔出す場面は少ないと思うんですね。新聞をみてもほとんど記事が出てこない。

しかし、だれでも宗教的な“問い”は持っていると思うんですね。「なんで自分が生きているのか」「なんで人間は死ぬのか」「なんで自分は生まれてきたのか」って。やっぱりそういう問いに答えるのが宗教だと思うんですけれども。

既成の宗教を選ぶ・選ばないは別にしても無関係な人はいないと思うんですね。ただそれが、特定の宗教を選ぶって形になるかならないかっていうのがその人の人生の経験の中での出会いで選ぶ人もいるし、選ばないままそのままいってしまう人もいるし、決断して、そういう特定の宗教に自分がコミットするということはあると思うんですけれども、それはなかなか理由を説明することは難しいですよね。

多くの人が考えるのは人間の最も基本的なその上層面と言いますか、心の持ち方っていうか。それから筋の通ったものの考え方をするとかそういう面ではそういう人間の内面の形作るというのが宗教は非常に力があると皆さんが思っておられると思うんですね。そういうことを期待して、そういう学校におられる方は多いんじゃないでしょうかね。まあもちろんそういう面はあると思いますね。

今実は公立の学校では“道徳教育”っていうのをやろうということになって、「公教育」一般の学校でも始まりますよね?で結局そういうところで問題になるのは「人間の生き方」なんですよ。だから皆さん宗教は関係ないって思っておられるけど、実は同じ問いを問われるんですね。ですから答えをどうこたえるのかって言うのは、だれでも問われていることなんで。ですからそれは日本の公教育から欠けているから政府もやろうという考えになってきたと思うんですよね。

例えば戦前だと、“教育勅語”って言うのがあって、あれはいわゆる儒教ですよね。基本はね。儒教は宗教か?っていう問題はありますけれども。かなりモラルっていうか倫理的な教えですよね。倫理と宗教って関係があるんで。だけど同じ問いは避けて通れないじゃないでしょうかね、やっぱりね誰でも

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

続いてのテーマは、
「言魂、心に刻む、言葉と想い」
渡部 満が家族や先代、恩師から受け取った言葉
そこに隠された想いとは?

渡部:先ほど私の直前の先代の社長のことを話しましたけれど、彼は自分の信条・・・「私の信条」っていう実は文章を晩年に書いているんですね。でそれを葬式の時に皆さんにコピーして配ったんですけれども、その中に「率先躬行」って言葉があったんですね。ほかにもいろいろ書いてあるんですけど。それは率先躬行って言葉は「自ら進んで先頭に立って何でもやる」って言う言葉なんですけれども。まあこの人の生き方をよく表しているって思うんですね。非常に立派な尊敬される社長であったと思うし、非常にスケールの大きな方だったと思うんです。

ただ、ワンマンっていうのは良い面と悪い面というのがあって、決断も早いんですけれども。なかなかワンマンだと人が育たないっていうかね、言うことを聞く人はついてくるんですけれども、違う考えの人は離れていってしまうって面もあるんで。必ずいい面と悪い面とあると思うんで、それはでも率先躬行って言葉は割合いい言葉だと思いますね。やっぱりそんなに大きな会社じゃないんで、みんな経営者のことは見てますので、やっぱり自らがみんなの前で進んで事をやっていかないと会社全体が成り立たないって面もあるんですね。ですからそれはいいんじゃないかと思ってますけどね。

続いて、渡部 満が、現在胸に刻む言葉・・・

渡部:特に今どう?って聞かれてもなかなか答えることは難しいんですけれども、まあその時その時にいろんなことを考えているので、それを繰り返し繰り返し金閣玉条のようにしている言葉はあるのかと言われると、特に思い当たる言葉はないんですけれども(笑)

私さっき言った会社の理念って言うものをどう引き継ぐかってことに関しては、そういう風に引き継がれてきたかって言う歴史も含めて、絶えず問い返しているので。そういう意味で今先ほど言ったようなことが実際にどうだったのかっていうことにはいつも関心があって、その歴史を紐解く度ごとに実はいろんな発見をしながら、またそれをどう引き継ぐかって言うことをいつも考えてますね。

これはちょっと余談になるかもしれないけど、私共の会社は古いでしょ?皆さんからお尋ねいただいたように、結構頻繁に私共の会社の過去について問われることが多いんですよ、色んな人が実際いろんなことを聞いてくるんですよ。

で、例えば古い文章の中にうちの会社の名前が出てきたりすることがあるんですね。そうするとこれってホントだったの?あったの?って聞かれるんですよ。で、知らないことがあると実はその度に調べるんですよ(笑)。わかることもあるし、わからないこともあるんですけれども、新しく発見することもその度に多いんですね。そういう時に実際私共の会社はどういう風に生きてきたのか、また特にこれからどうしなきゃいけないかって言うことについてはいつも考えてますけど。

これを繰り返せば何とかなるとか、そういうものではないと思うんですね。新しい時代には新しいことを考えなきゃいけない面もあると思うんで。

貢献 ~地域、業界との絆~

「地域や業界との絆」
教文館が行っている地域や業界での取り組み。
そこに込められた想いとは?

渡部:銀座には通りごとに商店組合という会があります。一番最大のそういう組合はですね、「銀座通り連合会」っていう組合で、銀座通りと晴海通りの数寄屋橋交差点から海晴橋交差点の間の通りに面している商業関係の会社が入っている「銀座通連合会」っていうのがあります。

これはもう少しで100年近い歴史があるんですけれども、一番最初からのメンバーですね。私はその理事もやってますし支部っていう4町目の支部の中にも入っていて絶えず情報を共有し発言し、一緒に銀座のことを考える、そういう仲間に入っています。

実は銀座っていうのは専門店の集まりなんですね。デパートみたいな総合的な施設もあるんですがそれ以外ほとんど特化したお店の集まりなんですよ。そういう意味ではその存在はその中の一つとして一つのジャンルを表している場所であるということが一つですし。それから銀座っていうところのなんていうか・・・情報を発信していく場所でもあるんですね、銀座の書店というのは。そういう意味では銀座コーナーというのがあると申し上げましたけれども、いろんな形でいわば銀座の人たちと繋がっています、私の会社は。

お客さんの中にも銀座でお店を経営している方たちが買いに来る場合もあるしうちもいただく場合もあるし、そういう繋がりもあるし、お書きになったものを送る場合もあるし、銀座の歴史をいろいろ調べている人たちが銀座の街の中にもおられます。そういう人たちが調べたことは、私共の会社の中でコーナーの中で少数の形で置かれるということもあるし。そういう繋がりは実はあるんですね。

NEXT100 ~時代を超える術~

最後のテーマはNEXT100、時代を超える術
100年後にも変えない 教文館にとって核。
教文館にとっての「変革・革新」を渡部 満が語る。

渡部:それはやっぱり私どもの会社の創業以来の精神ですね。キリスト教の精神にのっとった事業の展開とそれを継承するというのがやっぱり一番の大きな部分だと思います。それは見失わないで続けていくことが大事だと思います。

ただ、書籍というのは今後どうなるかね、今後100年先どうなっているかって言うのはちょっとだれも予想できないこと。非常に激しい変化を被っている部分なので、それについては何とも言えないんですけれども、創業のそういう精神にのっとってですね、今後もやっていくのがやっぱり大事なんじゃないかと思いますね。

~変わらぬ銀座との関わり~

銀座の街というのが100年後どうなっているのかって言うこともちょっと・・・予想はつかないんですね。で、今と同じように銀座の特色が残ってほしいとは思います。

銀座って街は非常に伝統を重んじる街であると同時に、それでそうでありながら国際的な外国の企業もお店を出せるようなインターナショナルに開かれた場所でもあると思うんですよね。そういうストリートっていうか街を作ってきたと思うんですが、その中で私どもの会社がどういう位置を占めるのかっていうことについては、非常に大事なものなんで書籍に限らずやっぱり知的・文化的な部分というのは失われてはいけない部分があると思うので、そういうものを引き継ぎながらその街中で存在感を示すような企業であってほしいと思うし、それを目指して進んでいこうとは思っています。

〜過去の歴史を次代へ遺す意義~

やっぱり最初に作られた使命というものがあってそれがやはり・・・先ほどから言っているように宗教とも関係しているわけですね。
それからキリスト教の・・・日本の全体のキリスト教会の期待というか信頼というか信用というのもあるんですよ、実は。そういうつながりもかなりあるので、きちんとそういうものに応えられるような、やっぱり使命を持っていると思うんですね。ですからそれは中核なんですけどそれ以外にも社会の需要にこたえるという大事なものもあると思うんですが、両方やっぱり果たしていかなきゃいけないと思うんですけれども、それは会社が存続している意味と関わってくるので、それが大事だと思うんですね。

お金儲けをするだけならいろんなほかにも方法があるんですよ、実は。いい場所にもありますから。お金だけほしいんだったらそれは色んなやり方があると思うんですけれどもそうすると会社がもともとやっていることの意味が問われることになると思いますし。

ですからそういう意味ではきちんと歴史を踏まえて将来の展望を考えていかないといけないということが重要だと思っているのでそういう風に思ってます。

~長寿経営で一番重要なもの~

やっぱり信用だと思うんですね。お客様、要するに企業って言うのはそれ自体がただ良ければいいってわけじゃない。社会とインタラクションの中で存在しているわけですよ。どんな企業でもそうだと思うんですけれども。やっぱりそれはお客様や、社会との信頼に基づいて存在しているわけで、それを裏切らないってことがね、大事だと思うんですね。

銀座の人たちは私共の会社がキリスト教と関係があることを認識してます。だからといって街と関係のない特殊な吐出したものがそこにあるという認識ではなくて、非常に街と一緒に歩んでいる会社として皆さん認識しておられるので、私共も何か特殊な何か特別なことをやっている意識はなくて一番社会にとって役立つことをやっているつもりで仕事をしています。皆さんもそのように受け止めていただいていると思うんですね。

教文館、9代目、渡部 満が、次代へ届ける長寿企業の知恵…。
キリスト教の伝道、それにもとづく、人間性の確立という不変な信念
そして、創業から受け継がれてきた信用・信頼を守り続ければ
事業の内容は変わっても生き残る道はある。
この想いは100年先の後継者へ受け継がれていく・・・

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