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株式会社 トーダン〜カレンダーを通して文化を伝える

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは株式会社トーダン5代目代表 強口邦夫。株式会社トーダンは1903年団扇・扇子を製造する企業として創業し、時代の変化に伴い、閑散期に扱っていたカレンダーの製造がメイン事業となり、現在は企業向けの名入れカレンダーを始め、店頭小売カレンダーなど、アナログの強みを極めた、カレンダーの企画・開発を行い、生活文化創造企業として年間200種類以上のカレンダーを世に送り出している。今回は、そんなトーダンの5代目強口邦夫の言葉から、歴史と伝統の中に隠されたものがたり、トーダンが誇る長寿企業の知恵に迫る。

石田:今回のゲストは株式会社トーダン代表取締役社長強口邦雄さんです。改めて事業内容を教えていただけますか。

強口:元々は東京団扇合名会社といって団扇・扇子を製造していました。閑散期の冬にカレンダーの製造を始め、今ではカレンダーがメインで95%の売上はカレンダーです。

石田:強口さんは何代目でいらっしゃるんですか。

強口:5代目になります。初代は横山さんという方がこの会社を創業されて、3代目からうちのおじいさん、そして父、私と経営してます。

石田:今はいろいろなカレンダーの種類も増えたそうですけども。

強口:これはルナカレンダーといって当社の非常に人気の高いカレンダーです。

石田:存じ上げます。月の満ち欠けが分かるものですよね。

強口:そうですね。この月は実物の写真なんですよね。月の満ち欠けがリアルに移って行くので写真的にも美しいものです。

石田:こちらは金運カレンダーですね。

強口:はい、18年前にできたカレンダーです。風水では西の方角に金色を掛けるのが良いとされています。私たちが作る前にも金運カレンダーはあったのですが、とても満足できるものでなく。“プロだったらこのように作るよ”と言って作ったものなんです。

石田:社長の胸についているこちらは何ですか。

強口:金運八卦鏡と言います。これも金運の風水シンボルはないだろうかと思い、横浜の中華街や香港の風水街へ探しに行きました。最終的に行き着いたのが、この八卦鏡なんです。そこにオリジナルのシンボルを入れることによって最強の金運パワーを呼び込むと信じて作りました。

そしたらご利益あるという方が結構いたんですよね。風水的には西において東に向けてくださいと言っているんですが、ご利益がないと言われる方は反対に向けてたりするんですよね。

石田:現在、力を入れている商品は何ですか。

強口:リカちゃん人形が今年50周年ということで、リカちゃん人形の日めくりカレンダーを制作いたしました。

石田:かわいい~。中がリカちゃんのお部屋になっているんですね。

強口:はい、そうなんです。リカちゃんハウスのイメージをコンパクトに再現しています。このお部屋めくっていくことで、新しいお部屋になるんですよね。当時リカちゃんで遊んだ人、リカちゃんハウスが買えなかった人たちも童心に帰れる。

石田:箱を開けた瞬間に喜びと言いますか。ハッピーが詰まっていますね。

強口:小さいころに戻ると夢、希望はいっぱいある。それが玉手箱のようにワーッと出てくる。様々な方に使って頂けたらと嬉しいですね。

リカちゃん50周年の中で日本の生活文化が再現されている。昔だとお父さんは家に居なくて、猛烈サラリーマンで働くという家族構成が反映されている。だんだん文化が上がっていく上で、リビングダイニングがある家だとか。いろんなことがこのカレンダーに詰まっています。

石田:拝見してよろしいですか。

強口:はい、どうぞ。

石田:毎日絵が違いますね。

強口:20年以上前はデジタルではないので、全部アナログのフィルムだったりして、それをデジタルにする変換作業が大変でしたね。フィルムが退色していたり、汚れている傷を修正したり、膨大な作業と時間がかかりました。

石田:この365日のカットを考えるだけでも大変ですよね。

強口:そうなんですよ。この中に昔の写真もあるんです。でもわからないですよね。それだけ鮮やかに再現しているということです。

石田:こちらのカレンダーを作ることになった経緯は。

強口:お話をいただき、膨大な時間とコストを考えたとき、大変難しいと感じたんですよね。それでお断りしようとしたのですが、うちの企画スタッフにリカちゃん愛が強い人がいっぱいいて、ぜひやりたいということだったので引き受けました。

石田:それはリカちゃん愛とカレンダー愛。これもご縁ですね。

強口:そうですね。やっぱり歴史ある会社だからこそ、歴史の大事さは凄くよく分かる。“カレンダーは文化だ”と父がよく言っていました。カレンダーを通して文化を伝える。リカちゃんの50年の歴史・文化。これを日めくりを使って365枚で表現するところに意味があると思います。

ここからは、各テーマを元に、株式会社トーダンの5代目 強口邦雄の言葉から歴史と伝統の裏に隠された物語。トーダンが誇る長寿企業の知恵に迫る!最初のテーマは創業の精神。創業者の想いを紐解き、今に至るまでの経緯。家訓や理念誕生の裏に隠された物語に迫る!

強口:当社は1903年に団扇を製造する会社として創業しました。当時団扇の大手メーカーである松根屋本店というのがありました。その中に新しい団扇の需要を開くという使命で生まれたのが、東京団扇合名会社です。

初代の横山さんから始まり、3代目が私のおじいさんの強口三郎です。時代の流れと共に閑散期でやっていたカレンダー製造が中心になっていきます。そのうち社名も“東京団扇”から“東団”そして創業90年の時に、カタカナの“トーダン”へ変更しました。

石田:企業理念や家訓は何ですか。

強口:理念としては、くらしを豊かに、社会を豊かにすることで社会に貢献する社訓としては、
1.誠実な心
2.責任をはたす
3.和を尊ぶ

ということをあげています。

石田:どのようにこの理念・社訓を社内に浸透させたのですか。

強口:毎日社訓唱和はしていますが、その他にトイレの中や事務所に掲示しています。時々、機会を作って直接意味を伝えてもいます。

一つ目の“誠実な心”は私の父がよくよく言っていました。損得で商売するのではなく。常に誠実な姿勢で取引をすることが一番大事だと。

二つ目の“責任をはたす”は、そもそも自分から進んで私は無責任だと言う人はほとんどいません。しかし、世の中では、あの人は責任感がある人、あの人は責任感がない人と良く言われますよね。最後までその結果を果たそうと思ってやっている人のことを人は信頼します

三つ目の“和を尊ぶ”というのは、人さまからよく「本当に家族的でほんわかしていいね」と言われるのですが、楽しく仕事をするのが一番大事だと思います。楽しみながら社会貢献もできたらいいなと思っています。

決断~ターニングポイント~

続いてのテーマは、決断・ターニングポイント。まずはトーダンにとっての転機を紐解く上で、先代達の決断の裏に隠された想いに迫る!

強口:昭和の頃、私の父が社長をやっている時に、会社が二度ほど潰れそうになった時がありました。一つは信用不安が出てしまい、多くの取引先が商品を納入しないとか、材料を仕入れることが出来ないという苦しい思いをしました。しかし、私の父の誠実な仕事ぶりを見て、応援してくださる方が出て、首の皮が一枚繋がったということがあります。

もう一つは、カレンダーと言う仕事をしていると、資金が変則的に動きます。資金繰りがショートすると多くの金融機関が手を引く中で、ある信用金庫が、「あなたは凄く一生懸命やってたから信用して貸すよ!」と言っていただき。資金が繋がり、難を逃れたことがありました。その信用金庫さんはいつまでも大事にしようということで、今でも大切にお取引させて頂いています。

続いては、トーダンの5代目強口邦雄とってのターニングポイントに迫る。

石田:ご自身のターニングポイントはありますか。

強口:私がこの会社に入ったときは、従業員30名程度の零細企業でした。カレンダー業界の過当競争が激しく、いいアイデアの商品を出してもすぐに類似品が出てきてしまい。価格競争になる。なかなか収益構造が安定しない。その中で、価格競争に巻き込まれないような商品を出したいと思案しました

ブランドであれば買いたたかれる事はないと考え、大手企業さん、有名アーティストさん、デザイナーさんにお願いに行ったけど、「従業員は何人ですか?売上はいくらですか?検討しておきます」その後なしのつぶて。誰にも真剣に聞いていただけなかった。

その中でたまたま、<アメリカのプレイボーイ社がアメリカで名入れカレンダーのライセンスを持っているという情報を入手し、日本で許可が頂けないかと手紙を出そうと思いました。

ただ、コネも何もないので、銀座の洋書屋さんに行って雑誌を買ってきて、裏に住所書いてあるので、その住所宛にタイプライターを打って手紙を出しました。4ヶ月後くらいに、返事が来ました。当時はメールもなく手紙のやり取りに2~3週間はかかる時代でした。2年以上かかりようやく許可を頂きました。

その時「社員何人か?売上いくらか?」とは全く聞かれなかった。「どんな事をやりたいのか?どうしてやりたいのか?」ばかり聞かれました。

最初は向こうから「アメリカ既存のものがあるから、それを日本で売ればいい」を言われたが、日本のマーケットに合わないとやり取りしたのを今でも鮮明に覚えています。その時アメリカ人は本当にやる気があれば認めてくれるんだろうと思いましたね。中小零細企業のトーダンがプレイボーイ社と正式に契約を結び、プレイボーイ社公認のカレンダーを売り出しましたこの反響は大きかったですね。

石田:この出来事から今に活かされていることはありますか。

強口:アメリカでプレイボーイはエグゼクティブの間で読まれている雑誌だったんで、すごくステータスが高い。そこと契約しているということで、アメリカ大手出版社、有名アーティスト、有名美術館が次から次へと(商品を出すことに)オッケーしてくれました。

その実績から日本の企業も次々(商品を出すことに)オッケーしてくれました。そのおかげで、安定した経営ができるようになり、社員も会社自体もプライドを持つことが出来ました。零細企業だからと言って言い訳するのでなく、一生懸命情熱をもって事に当たれば、どこかに打開点が出てくると思います。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

言魂 心に刻む言葉と思い。強い想いと信念が込められた言葉には魂が宿り人の人生を変える力を持っている。5代目強口邦雄が家族や先代から受け取った想いとは?

強口:私の父は人とは違うことが大事だと言っていました。今でも人と同じ事をやったらダメだなと思っています。

最近の潮流ではデジタル化で、アナログなんかは時代遅れだと言われてしまう。しかし、みんながデジタルに向かっているのであれば、アナログでもっといいものが出来るんじゃないかと思うんですよね。

石田:アナログの良さとはどこにあるのでしょうか。

強口:デジタルは情報の出し入れ・整理が得意です。この分野はアナログではとてもかなわない。しかし、人間自身もアナログなわけで、じっくり施行する、物事を考えるということにはすごく向いている。

カレンダーで言えば、壁にかけているカレンダーを俯瞰的に見ることで、思考力やアイデア力が増す。それによって計画立てやすい。デジタル機器をのぞき込みながらアイデアを思考することはなかなか難しいと私は思います。

写真やイラスト、絵画これも動かないからこそゆっくり眺められる。脳が揺らぐんですよね。こういったものがアナログカレンダーの良さだと思います。

石田:カレンダー制作の中での楽しさ、難しさを教えていただけますか。

強口:商品開発というのはデザインに走ってしまう。でもカレンダーの基本は “見る” “読む” “書く”です。デザインに走って見にくいのはダメ。目を凝らさないと読めないとか、近寄らないと読めないのもダメ。ユニバーサルデザインで使いやすいこと。

カレンダーですから、元号あるいは、24節季などが分かりやすいことが大事だと考えています。スケジュールを書き込むスペースが十分確保されているか。数字が大きければ大きいと見やすいが、するとメモスペースが少なくなる。どう両立させるのかなど、我々プロだからこそ出来るのだと思っています。

続いて、5代目強口邦雄自身が現在胸に刻む言葉に迫る。

強口:基本的に私は楽天的であまりクヨクヨしないタイプですが、それでも困難で挫折することがあります。その時に あいだみつをさんの“しあわせは いつも じぶんのこころがきめる”という言葉を思い出します。

自分が幸せに思ったら幸せになれるし、苦しい・ダメだと思ったら ダメになってしまう(つまり)自分の気持ち次第なんだなと…。今 逆境であっても”この逆境が次の自分の糧になるんだ”と思い、楽しく切り替えます。

石田:心の持ちようで日々変化していくものですよね。これもバネになると思えたら耐えれたり…。

強口:だからネガティブなことは言わないです。ネタティブなことを言いそうになったら、それは自分の明日に繋がるチャンスだと思い、歯を食いしばって頑張ります。

石田:カレンダーというと名言だとか言葉が書いていたりしますが、それが心に刻まれたりするのでしょうか?

強口:最近は格言などが流行っています。やはり日々の生活の中で 心の迷いであったり、自分たちの心を癒してくれたり わくわくしたりそういう気持ちを感じる。そういう言葉が表現出来るのもカレンダーの良さだと思います。

書籍は開かないと そこに辿りつくことが出来ないが、カレンダーはかけてあることで 誰もが目にすることが出来る。その格言に共感してくださる方もいらっしゃる。それで救われ、あるいは明日からまた頑張ろうとか、そういう意味では カレンダーは 生活用品ではあるけれど、人々に文化だけではなく、 勇気や楽しさを伝えるすごい道具ではないかなと思います。

貢献 ~地域、業界との絆~

続いてのテーマは、地域や業界との絆。長く事業を続けていく上で欠かせないもの。それは、地域との絆。トーダンが行っている社会貢献。地域貢献活動とは?

強口:地元の夏祭りに出店して、子供達にカレンダーへ誕生日を書いて頂き、カレンダーに慣れ親しんで頂こうと。やはり地元を大切にするという姿勢が大切だと思うので参加させて頂いている。

石田:荒川区に本社を置かれていますが、なにか訳があるのでしょうか?

強口:もともと日本橋横山町で創業したのですが、関東大震災で焼け出されて、祖父が北区田畑にあり、そちらで長らく営業していたが、八年前に新しい本社に移ろうということで、でも従業員の通勤を考えるとそんな遠くへいけない。 下町の風情は非常に良い。特に(東京都内で唯一)都電が走っている風景が良いのでここに構えました。

石田:そのほかに社会貢献活動をしていらっしゃる?

強口:毎年カレンダーで余ってしまうものがあるので、取引先などにチャリティーで販売していました。

それが毎年百数十万円ほど集まるので、それを色々なところに寄付していたのですが、東日本大震災が起きてから茨城県の被災されたところに寄付していたが、今年から一番復興が難航している福島県郡山市に寄付をさせて頂くことになりました。

石田:荒川区から表彰されたと聞きましたが?

強口:荒川区では毎年中小企業が、ベンチャー企業などで取り組んでいることを表彰しようという取り組みがある。その中で新技術大賞という表彰を受けました。

伝燈 ~受け継がれる伝統~

続いてのテーマは受け継がれる伝統。今回はカレンダーの歴史について、当時の時代背景と共に、強口邦雄に語ってもらう。

石田:ここで強口社長のコレクションでもあるカレンダーの歴史を伺ってみたいと思います。

石田:こちらもカレンダーだったんですね。こちらは江戸時代のものですか?

強口:はい。そうですね。江戸時代は引札っていうのがありましてね、商店が主にお客様に配るという、今でいう新聞のチラシみたいな、ただ新聞はなかったので、来店されたお客様に差し上げていたんですね。ここにもなんとか問屋って書いてありますけど、名前が入っている名入れのカレンダー。

石田:大だったり、小だったり…

強口:ここに210日間ってでてるんですよね。

石田:210日間!?どういうことですか?

強口:台風が来るとか、210日気をつけましょう。梅雨時の梅雨とかですね。そういったものが出ていて、これがもうカレンダーなんですね。

それから明治に入ってくると、暦月引札っていう、まさに番付表みたいな。これは金物屋さんであったり、お酒屋さんであったりですね、こういうものをかけて使ってらっしゃる。

それがですね、大正になるともうちょっと彩りが賑やかになってきたり、印刷技術も進化してきてですね、よくなってくる。

石田:でもこの番付みたいなのは変わらないんですね。

強口:変わらないですね。ただこれにいい方位とか悪い方位とかがここでわかるようになっていて、今年の恵方巻きの恵方はどこだとかいうのがわかるようになっている。昭和になってくると、今のようなスタイルのカレンダーになってくる。

石田:わ!本当ですね。今度は絵がメインになってこちらに…

強口:そうですね。ちゃんとした今になじみのあるカレンダーになっている。これなんかは輸出用に作っていたカレンダーらしいんですけれど、こういうようなですね。

石田:英語で書かれているんですね。

強口:そうですね。

石田:そして1903年に日めくりカレンダーが登場するんですね。

強口:はい。明治36年。当社の創業した年なんですけれども。

石田:同じ年に?

強口:大阪でこのカレンダーは生まれました。当時は引札が全盛だったんですけど、これが現れる事によってですね昭和10年から15年くらいにまでにはこちらのカレンダーが姿を消す。そしてこの日めくりカレンダーが全盛期を迎える。最盛期は2800万冊くらい作られたといわれる。

石田:2800万冊ですか!?

強口:戦争が1945年に終わって5年ぐらいするとですね、こういう(月表)今の馴染みあるカレンダーが出てくる。 平成になってですね、だんだんこのカレンダーが逆に減少していって、卓上カレンダーの時代になっていくんですね。

石田:ちなみに今はどれが一番使われているんでしょうか?

強口:まだ7、8割はこちら(月表)のカレンダーだと思います。2、3割がこちらのカレンダー(卓上)。これがなぜかっていうと、1945年にパソコンが普及してきて、パソコンの横で使うというようなことでこういう(卓上)カレンダーが便利だと。ライフスタイルとか生活様式の違いでだんだんカレンダーも変わっていくっていう事なんですね。

石田:カレンダーの歴史でライフスタイルの移り変わりを見せていただいた感じですね。

NEXT100 ~時代を超える術~

NEXT100年時代を超える術。トーダンが100年先にも継承すべき核となるモノ。5代目強口邦雄が語る次代へ届ける長寿企業の知恵とは?

石田:最後に次の100年に向けてここは変えるべき、ここは変えないべきとあると思うんですけれども、会社にとってコアになる部分を伺えますでしょうか?

強口:私たちはカレンダーは文化を伝えるものだと思っていますので、どんなデジタル時代になってもカレンダーを通して文化を伝えたい。そのへんはアナログの強みで活かせるんではないかと思っていますし、生活必需品であるとともにですね、デザインを楽しんだり、それによって楽しくワクワク、ドキドキ、ハラハラするような、生活の中で役立てればいいなということを願って企画をしております。

石田:100年先を見通して、後継者に伝えたい言葉っていうのはおありですか?

強口:その時に団扇からカレンダーになっていったように100年後もカレンダーやってるかどうかわからないと思うんですが、生活文化創造企業として、生活の中で役立つような文化的な商品やサービスを提供していきたいなと思っています。

石田:他のものかもしれませんし、心を豊かにするような商品作りをこれからも考えてらっしゃるということですよね。

強口:家庭でカレンダーを使っていただく場合は家族のコミュニケーションボードだと私は思っているんですね。

お父さん、お母さん、子供たちがそこに書き込むことによって、今何々ちゃんこういう事するんだなとか、お父さんが酔っぱらって帰ってきても誰それがこういう事すんだなとか、そこに絆を結びつけるための道具としても役立つ。そう思っているんですね。

石田:おっしゃる通りです。まさに私の家がそうなんですけれどもお互いのスケジュールとかって見せ合う事はないんですけれど、カレンダーに書き込む事によって、あ。そっか。今日遅いんだ。とか言葉を交わさなくても相手がどういう行動してるかわかりますし、一体感というか、家族を感じるところでもあるんですよね。

強口:それからもう一つは未来計画表と言っているんです。カレンダーに将来の予定を書く時に苦だよと思って書く人はいないと思うんですよ。

未来を考えるときは人はこうなったらいいなとか思って書き込むと思うんで、未来を計画するためにカレンダーに予定を書き入れると私は思っている。

石田:それもまさに当てはまるんですけれども、私もすごく計画好きなんですね。将来こうありたいとか思う姿を何ヶ月後はこう、1年後はこうっていうのをデジタルで打ち込むのではなくて、自分の手で描く事で世界が広がるんですよね。

強口:特に私は最近の小さいお子さんにカレンダーを使っていただきたいと思っているんです。それはなぜかというと小学校とか、小さいお子さんたちがカレンダーに予定を書き込むという習慣をつけさせる。あるいは未来の予定をいれることによって、計画性のある子が育つ。

今大人でも全く計画がなくその日暮らしの人も結構いるじゃないですか?でも小さい頃からそういう練習を重ねていると大きくなった時も必ず来週はどうしよう、来月はどうしようと計画性のある立派な大人になっていくと思うんですよ。今の小さい子達には、アナログのカレンダーを使っていただきたいと思います。

株式会社トーダン 5代目 強口邦雄
私利私欲ではなく人々の生活を豊かにし、社会に役立つ生活文化創造企業であり続けてほしい。
この想いは100年先の後継者達に受け継がれていくだろう。

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