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株式会社 ちんや 現存する浅草最古のすき焼き店

オープニング・創業の精神 ~家訓や理念誕生の経緯~

今回のゲストは、すき焼 ちんや 6代目代表 住吉史彦
1880年創業、かつて東京一の盛り場として繁栄した「浅草」の地で狆(ちん)等の愛玩動物を納め、獣医も兼ねた「狆屋(ちんや)」を祖業とし明治の後期に今や日本の代表食である“すき焼き”の世界へ身を転じた…。

現存する浅草・最古のすき焼き店その137年という長い歴史に刻まれたのは栄光よりも、幾多の困難であった……それらを乗り越えた背景にはそこにはすき焼きを売るのではなく、思い出を売り続けるという精神があった。すき焼きとは人生を映す鍋であり、その味が人々の絆となる。それこそがちんやが築いてきた本当の財産なのだ。

今回は、すき焼ちんやの6代目 住吉史彦の言葉から、創業がから続く伝統を守っていく中で、先代達が下した決断、その裏に隠された物語を紐解き、長寿企業が持つ知恵の真髄に迫る!

石田:本日のゲストは、すき焼 ちんや 代表取締役 住吉史彦(すみよし ふみひこ)さんです。よろしくお願い致します。

住吉:こちらこそよろしくお願い致します。

朝岡:えぇ、まぁ、ちんや(アクセントが”ち”)ですね?

住吉:ですね。

朝岡:ちんやじゃなくて?

住吉:じゃないです。はい。

朝岡:老舗ですよね。

石田:ねー!

朝岡:老舗が多いすき焼き屋さんの中でも、老舗ですよね。

住吉:あ、恐縮です。ありがとうございます。

朝岡:創業が明治の?

住吉:13年です。はい。

石田:明治13年…ということは、今何代目でいらっしゃるんですか?

住吉:私で6代目ですね。

石田:はぁー、そうですか。ねー!

朝岡:6代目ですよ。ねー!

石田:一族経営でいらっしゃるんですよね?

住吉:そうですね。はい。

朝岡:もうすき焼き一筋って言って良いわけですよね?

住吉:えぇ、最初の頃は、多少色々やってたらしいんですけど、明治の後半からは、当時はすき焼きと言わずに??牛鍋と言ってましたけど、そのあとはずっとやっております。

朝岡:そうですかじゃあその辺のお話もまた伺いましょう。

石田:はい。

住吉:はい。よろしくお願いします。

石田:使っていらっしゃるお肉にもこだわっていらっしゃるとお聞きしましたけども。

住吉:はい。実は今年1月に一つ基準を提示させていただいたんですけれども。「適サシ肉宣言」と言わせていただいたんですけれども。

朝岡:てき刺し肉宣言?

住吉:適度なサシの肉。で「適サシ肉宣言」

朝岡:あー適サシ!

住吉:言葉は実は僕が作ったんですけれども。適度なサシ・・・サシですから肉の中の油、脂肪の話なんですけれども、その脂肪の量と質と形とはどんなのが美味しいと思うよって話を、こんな按配がいいよって話をちょっと今年の一月にお示しさせていただいたんです。

朝岡:これはいわゆるよく言う霜降りの肉、というのとは適サシって違うんですか?

住吉:適度な霜降り

朝岡:適度な霜降りね(笑)

住吉:逆に言うと過剰な霜降りはちょっとやめませんかっていうそういう話で。量で言うと30%くらい。A5とかB5とか。

朝岡:ええ。焼肉屋さんなんかでもよくランクづけありますもんね。

住吉:ええ。(うちでは)実は5はやめちゃったんです。

朝岡:ほお。

住吉:ええ。4。

朝岡:4?

住吉:(A4が)がいい塩梅だよね、と。それだけを売ってますと。5は売ってないんです、ってことをお客様に言ってるところなんです実は。

朝岡:それはやっぱりいわゆる霜降りはとても人気があってね、やっぱり日本の牛肉は霜降りだよねって言って霜いわゆるサシがいっぱい入ってれば入ってるほどなんかとろけるようでやわらか〜いみたいなそういうイメージがありますけど、それは違うんだと。美味しさと?

住吉:もちろんやわらかくはなるです、油ですから。ただ最近はやりすぎちゃったんです。もう半分以上油とか、場合によっちゃあ7割油とか。そういうお肉を生産することができるようになっちゃってて、みんながそれを褒めるもんですから、やりすぎになっちゃうんです。一部のお客様はもう嫌だとおっしゃってる方もだいぶ増えてきて、「霜降り離れ」(が起きている)。
じゃあ霜降り嫌だから赤身です、っていう赤身が美味しいよね、という話も出ているんですけれども、私の立場は、ちょうどいい霜降りがいいよね、っていう。こっち(霜降り)の極端じゃなくて、こっち(赤身)の極端じゃなくて、真ん中ぐらいが美味しいよねっていうことをたまたま今年発表させていただいた。

朝岡:それが「適サシ」ね!

住吉:いい言葉がなかったんで(笑)自分で作ったんです。

朝岡:お考えになって。

石田:どうですか、「適サシ肉」という言葉を作られて、周りの反響は?

住吉:それがですね、最初はそんなに目立ちたくてやったわけじゃないんですけども、手前どものお客様にこういうものをお売りしてるんでよかったら食べにいらしてください、と最初はブログで言っていただけなんですけれども、2月8日だったんですけれども、Yahoo!ニュースのヘッドラインに出ましてね、それからものすごい拡散、コメントなんかも何1000件いただいたりして。結果的には目立っちゃったんですけれども。テレビも9回くらい出ましたかね。今日10回目ですかね。

朝岡:じゃあ相当反響あって。

住吉:びっくりしちゃいました(笑)本人が一番びっくりしました。

朝岡:潜在的にね、適サシっていいよねってあったんですかね。

住吉:世間に合ったんでしょうね。それでポッと名前つけて、発表したらすごい拡散しちゃったっていうことで、本人一番びっくりしてますから。

朝岡:お肉に関しては「適サシ」また新たなものを打ち出していらっしゃいますけど、肝心のすき焼き自身の作り方というのもちんやさんはかなり独自のものというか、ここ大事だよっていうものがあると伺いましたが、どういうところですか?

住吉:まず割り下の味そのものは実は関東で一番甘いと思うんですけれども、これはもうお客様がそういうもんだと思っていらっしゃるので、勝手に変えられないんですね。その他弄っても良い所があれば、色々いじらせていただく。その理にかなってなければいけませんけど、食べ物の理屈にかなってればちょっといじれるところはいじらせていただこうと思いまして。
例えばすき焼きの溶き卵にカレー粉入れたりとかヨーグルト入れたりとかすると、これ結構美味しかったりしてですね。

朝岡:へー美味しいですか(笑)?

住吉:美味しい。

石田:意外ですね!

住吉:すき焼きはいくら美味しくても、ずっと食べてるとちょっと飽きますでしょ。

朝岡:特に甘かったりすると。

住吉:あまっからーくて。甘辛が旨が強烈なので飽きてくるので、ちょっと苦味が入ってきたりして複雑にすると、さらに食べられちゃう

朝岡:世界が広がってくんですね。

住吉:これはとっても食べ物の理屈にかなった話なのでカレーなんかもね、とっても美味しいんです。肉にも合いますし、しらたきとか豆腐にもキンピラみたいな感覚です。その卵があまったら最後にたまごかけご飯にしちゃったりすると。

朝岡:はははははは(笑)

住吉:カレーライス、カレーライスに卵トッピングしますでしょ?

朝岡:はい(笑)

住吉:これとほとんど同じで。これね、うまいんですよ(笑)

朝岡:ご自分が試していらっしゃるから。

住吉:もちろんですね。

朝岡:説得力がありますよね。理屈だけじゃなくてね。

長寿の知恵~「創業の精神」~

ここからは、各テーマを元に、すき焼きちんやの6代目 住吉史彦の言葉から、長寿の知恵に迫る…。
最初のテーマは、「創業の精神」。創業から現在に至るまでの経緯、先代達から受け継がれてきた想いに迫る!

朝岡:ちんやさんっていうのは、僕は牛鍋がね、明治の味で珍しかったから珍しいの「珍」の字を書いて「ちんや」なのかなと勝手には想像していたんですけれど、そうじゃなかった?!

住吉:違う漢字なんですけれども。犬の「狆」

朝岡:あぁワンっちゃんの「狆」!

住吉:はい。ワンちゃんのですね。

朝岡:ほー。じゃあ創業した時はどういうお店だったんですか?

住吉:牛鍋始める前は犬の「狆」をやってまして、今で言えば「ブリーダー」ですね。

朝岡:「狆」を売ってるペットショップみたいな?

住吉:ええ。産ませるところからやってました。

朝岡:ブリーダーだ!

住吉:可愛い血統を持ってると、皆さんがそれを欲しいと言って買いにいらっしゃる。

朝岡:それが元々のご商売だったんですね!

住吉:ええ。

朝岡:それで「ちんや」さん。それがなぜまたどうしてすき焼き屋に?

住吉:明治時代になりまして、浅草ですから当時浅草の全盛期で人がたくさん出ていて。旅行も自由になりましたしね。たくさんお参りの方が見えるってんで、そこで料理屋をやれば多分うまくいくんじゃないかと。
それ以前に(犬が)あんまり売れなくなったですね。犬もいろいろ種類ございますよね?で、ちんはちょっと軟弱イメージ。座敷犬と言って座敷で・・・

朝岡:室内犬ですよね!

住吉:ええ。旗本の奥方がこう(抱えるように)抱いてかわいがって、という軟弱イメージで、天下泰平の時代に流行ってた犬種なので、ガラッと世の中が変わった時に、流行らなくなっちゃった。もっとワイルドな犬、西郷さんが連れているような。ああいう・・・

朝岡:柴犬みたいな?

住吉:ええ。(ワイルドな犬)がいいって世の中変わっちゃって。

朝岡:明治以降にね。

住吉:ええ。狆のいい血統を持っていたらしいんですけど、それがちょっとあんまり世間に受け入れれなくなっちゃったもので、こりゃ困った、という話だったと思うんです。書いてないんです。こう言うことを書いたものがないんです。想像なんです。ちょっといい加減な成り行きで始めたらしいんです。

朝岡:すき焼き専門という形になったのは、明治の後半?

住吉:はっきり肉以外やってないという形になったのは、明治36年ていう風に・・・

朝岡:あ!日露戦争のね!ちょっと前ですね!

住吉:ええ、聞いてます。

石田:ちんやさんというと長寿企業でいらっしゃいますので、創業者の方の質問なんかよく受けられるんじゃないんですか?

住吉:ええ。誰が創業者なのかっていうのも実はぼんやりしておりまして、住吉やすっていう女の人が重要だったらしいんです。

朝岡:ご先祖でしょ?

住吉:もちろんもちろん(笑)そこがね、ぼんやりしてるんです。

朝岡:はははは(笑)

住吉:だから質問されると困ったなっていう。今はもう吹っ切れて、うちはいい加減だったんですよと、テレビで言っちゃってますけど。

朝岡:緩やかな、こうゆる〜い感じの老舗だったていう感じですよね?

住吉:手前どもだけじゃなくて、創業の経緯がいい加減っていうのは世の中に結構あるんだなっていうのが調べてたらわかりまして。浅草でも結構ありますね。すばらしいと言われてるお店さんも大正時代は結構そんなでもなくて、手っ取り早く儲けを考えてるだけの店だとかそういう批判を当時の作家さんに批判というかディスられたり・・・そういう記録が残ったりしてますね。

朝岡:我々ね、つい老舗・長寿企業と言いますとね、始めた人がすごく偉い人で志を持ってやるぞー!って言ってね。

住吉:もちろんそういう企業さんもありますけど。

朝岡:ありますけど(笑)!そういうイメージがあるすぎたんでね。

住吉:そうでもないことも結構ありますよ。

朝岡:いやーちんやさんのゆるい感じがすごく新鮮でしたね。

住吉:そうですか?

石田:家訓や理念なんかはあるんですか?

住吉:全然ないんです

石田:(笑)

朝岡:いいねー(笑)ふわっとしてていいと思います。

住吉:そもそも、これやってればなんとか成り立つんじゃないかとかいうことでやってました。

朝岡:ちんやさんの130年間を超える歴史の中で、これまで立派になったからちんやの社訓を作ろう!とか、住吉家の家訓作ろう!という動きとか、住吉社長も今作ろうというお気持ちも含めて、そういうのはないんですか?

住吉:歴代誰も思わなかったんです。なので、浅草は激動、いろんなこと明治維新もそうですけど関東大震災だったり昭和の戦争だったりそのあと70年の浅草の衰退だったりと結構いろんなことがあるので、あんまり整備している暇はなかったのかな?と・・・想像ですけどね。

朝岡:はい。

住吉:あとお婿さんが多かったとか。

朝岡:そうですか。

住吉:なんとなく遠慮をするところが。

朝岡:どうしてもね。

住吉:うちの祖父もそう(お婿)ですし、曽祖父も婿ですし。

朝岡:そうですか。

住吉:ええ。遠慮してる感はひょっとしたらあったかもしれません。

朝岡:とにかく味をね。味が家訓とか社訓とかみたいなものか!割り下が。

石田:そうですね。

朝岡:ね。

住吉:これなんだと(割り下が社訓や理念なんだと)

朝岡:わかりやすい(笑)そうなんだよなー。

石田:社長の思いといいますか、今いろいろこういうちんやにしたいというのがあると思うんですけれども、そういう想いはスタッフの方々にどのようにして伝えてらっしゃるんですか?

住吉:伝え方ですか?

石田:はい。

住吉:それは・・・対話でしかないですよね。

朝岡:まあ直接ね。

住吉:あとはなんだろう、1対大勢だと伝わらないことも多いですよね。社長がこうだって言うと皆「うんうん」って顔してますけど、1対1で説明してると、変な顔することとかありますよね?「あ、今目が泳いでるな。多分わかってないよな」っていうのを感じながら、「今大丈夫?本当にわかった?」っていうと「わかんなかったです」と。肉の話って実は難しいんですよ。有機化学だったりするので、飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸の違いとか。1対50とかで説明するとやっぱりわかってくれなかったりするので、あれですね、伝えることに能率を求めたらダメなんだろうな、と思いますね。人間のやることなのでね。コミュニケーションは能率的にはできないんだろうなという。時間はかかっちゃいますけどね。

朝岡:今社員は何人くらいいらっしゃるんですか?

住吉:今は30名くらいです。

朝岡:そうするとまぁ30人だと、今おっしゃったコミュニケーションのマンツーマンというかそういう取り方も無理じゃないですし、ちょうど良いですよね。

住吉:ええ。先ほど申しました「適サシ肉宣言」の前は本当に一人ずつ全員(お肉は)こういうことでやるんだという話をしまして、なんだかんだ1時間半くらいかかるんですよ。そもそも脂って何?という風に・・・

朝岡:あぁそれを30人分、30人にこうマンツーマンでお話して、90分・・・

住吉:90分くらいかかるんです。

朝岡:それがまたできるっていうのがね!普通の大企業になっちゃったらね、メールで伝えるとか全社朝礼でやったりとかそうしないといけないから。

住吉:朝礼もテレビだったりしてね。大きい会社さんはね。

朝岡:その辺がやっぱりね、老舗さんのね、浅草の老舗さんらしい所で良い所だと思いますけど。
住吉さんはあれですか?実は学校一緒なんですよ。

住吉:そうですね。

朝岡:学校一緒なんですよ!だいたい私たちの出る学校っていうのはサラリーマンになったりする方も多いんですけど。

住吉:そうですね。

朝岡:ちんやさんはあの6代目ですか?だからすぐ入っちゃった?ちんやさんに。

住吉:ええ。サラリーマン8年してました。

朝岡:え。やっぱりそこで組織のいろはみたいなことを勉強されたんでしょうか?

住吉:そうですね。会社ってのはこんな風にやってるんだよっていうのもちょっと体験させていただいてもらいましたね。

朝岡:小さい頃からあれなんですかね?「次はお前だよ」っていう風に、言われ続けて育ったんですか?

住吉:まあそうですね。

朝岡:そういう環境があったんだ。

住吉:そういう環境が・・・あったんですねー。

決断 ~ターニングポイント~

決断・ターニングポイント

これまでにすき焼きちんやに訪れた苦境
それらを乗り越えるべく、先代達が下した決断、その裏に隠された物語とは?

住吉:4つあるんですけれども、まずは狆をやめて牛鍋になった明治維新ですよね。

朝岡:創業の頃ですよね?

住吉:ええ。創業の時ですね。それから浅草は関東大震災、それから昭和の戦争の大空襲で2回丸焼けになってますね。それで再建した、それぞれ再建したっていう・・・
それから1970年代に浅草街全体がとっても寂れたっていうことがありまして。私の代になってからは2001年にBSEの問題

石田:あーありましたね。

住吉:ありまして、これは牛食べたら死んじゃうっていうっていう話でしたので、結構売り上げも急に半分になったりしてですね・・・

朝岡:あららららら。

住吉:ええ。これはちょっとした時期でしたね。

朝岡:それはどのように打開していったというか乗り越えていったというか・・・・

住吉:そうですね。安全性は1年くらい国の方で全頭検査っていうのをやるようになってましたので、それをクリア、大丈夫ですよってことで2002年には安全はきっちりできてますということになったので、それは手前どもっていうことよりも、国全体としてまずやって、次はこれ(肉)をどうやって口に運んでいただくっていうところで、これは結局美味しさに突っ込んでいくしかなかったんですけれども。おいしいっていうこと、すき焼きを食べるお肉を食べるってことがどれだけ人様をハッピーにできるかってことですね、そこをしっかり考えて「このくらい美味しくないとダメでしょう」というところ、どうしてお美味しさに突っ込んでいってっていうことをそうですね2001年から今日までずーっとこれはやらなきゃいけないってことで。それで先ほど申した「適刺し肉宣言」にたどり着くんですけど。油のこと以外も、赤身のこととかも。いろいろ。あと香りのこととか・・・やっていうことになった契機、2001年のBSEの問題で。逆に言うとあれ(BSE)がなかったらあんまり研究してなかったかもしれない

朝岡:まぁポピュラーなお料理だからね。

住吉:あんまり突っ込んでは、研究してなかったかもしれないですね。(BSEが)なかったら。

朝岡:それこそ「災い転じてなんとかとなす」ってね、やつですよね。

住吉:今はそんなこと言ってますけどね、当時は結構大変でしたね。

朝岡:そうですか。

住吉:美味しさを研究したら確実に再建できるっていうことは全然見通せないんですよ、一生懸命やったって食べていただかなきゃダメでしょ?という可能性もあったので。結果的には存続しましたけどね。見込みがあったわけじゃないので。そこは精神的にはちょっと揺れたところはありましたね。

石田:そんな中、社長が就任されてからですね、新しい制度を作られたっていうのを聞きましたけれども。

住吉:あ!はいはい。すき焼きをどういうタイミングで、どういう気持ちで食べていただいたらいいかなってことをちょっと考えたりしましてですね、記念日におじいちゃんの誕生日であったり、逆に仏の方、法事であったり、それぞれ皆さん日付をお持ちじゃないですか。そういうタイミングで、そういう時はすき焼き屋だよっていうことをですね、或いはお彼岸参りの帰りでもいいですし、お正月参りの帰りでもいいし。手前ども元々会員制度はあったんですけれども、1日登録エントリーしてくださいませんかと。(エントリー)くださったら割引、特典がございますという制度を作りまして・・・「誕生日教えてください」ってお店に言われるとあまりいい気はしませんよね、個人情報だし。じゃなくって、自分のこの日はすき焼き食べたい日っていうのを登録してください、よかったら登録してくださいっていう風にして、そういう日にその方にとって特別な日はすき焼き。その方の思い出の味付ですよね。食べるものはすき焼きってことにしませんか?ということをやってみましたら結構使っていただける。結構記念日とかね。何をエントリーするかはご自由なんです。
会社やっている社長さんなんかは創業記念日とか、社員さん連れてきて宴会するとか。なんでもいいんです、そういうのをやってます。

石田:それは事前に聞かれるんですか?その日はなんの日ですかっていうのは先に聞いておかれるんですか?

住吉:そうです。その記念日の種類も書いてもらうんです。自分の誕生日とか、お孫さんの誕生日とか。結構その方から予約が入ると、「お孫さんの誕生日だなー」とかこちらもわかりますので、変な話ですけど、割引して気持ちがいい店って割引するってあんまり気持ちよくないんですよ(笑)基本的には。

朝岡:割引してよ!って言われちゃうとね、余計にね。

住吉:あんまり気持ちよくないんですけど、恒例で割引するのはこちらもね「ああ、結婚記念日なんだ。おめでとうございます」ってそういう日に来ていただいて有り難いです、嬉しいですっていう気持ちで割引できるっていう。変な話ですけど(笑)

石田:サプライズがあったりとかするんですか?

住吉:そうですね、一つ用意してるのが牛脂。最初に油引きますでしょ?

朝岡:ああ、あの白いやつですね。

住吉:あれを敷くんですけど。あれをハート型にしましてね(笑)

朝岡:あれをハート型にする?!

住吉:めでたい日しか使えないんですけど、めでたくない記念日じゃあんまり使いづらいんですけど。

石田:結婚記念日だったら、二人の愛のハートが溶けますよ、みたいなね。

住吉:これも名前をつけて商標登録しましてね。牛ゅっとハート」。

朝岡:ギュットハート(笑)。

住吉:ええ(笑)。「ギュ」が「牛」なんですけれども。これは手前どもの登録商標でございます。ちょっとデジカメで撮っていただいてネットの方にあげていただいたり、ちょっとした楽しみにもなるのかなってね。

朝岡:それはまた広告にもなりますよね。巡り巡って口コミとかね。

住吉:ええ口コミが広がってね。

石田:インスタ映えしますもんね!

住吉:なんか画があると楽しいじゃないですか。

朝岡:これでもなんか、我ながら良いアイディアだなとお思いになっているでしょ?

住吉:ちょっと思ってるかもしれないですね(笑)

石田:(笑)

朝岡:だいたいね、すき焼きってご馳走ですからね。我が家ですき焼きだよっていうと「なんか良いことあったの?」ってね、そういうものですよね。

住吉:ええ。

朝岡:それをお店やってくれて、割引してくれるって言ったらね、人生誕生日は一回しかないけど記念日っていうのは、人生何回やったって良いんだから。

石田:そういうことですね。

朝岡:うまく収まりますよね。石田さんもそう思ってるでしょ。

石田:ええ。もちろんですよ。

住吉:なんでも良いんです。自分にとっては、こういう日はすき焼きの日って自分のアイディアっていうんですかね。

石田:がハッピーになるようにとか、良い思い出になるようにすき焼きを提供されているっておっしゃってましたけど、確かにみんなでお鍋を囲んで良い思い出を作るのもあれば、一人で故人を偲んで思い出の日を。

住吉:ええ、それもまあ立派な思い出で。すき焼きって多分「思い出」って言葉に一番近い食べ物じゃないかなとあるとき思ってですね、他に美味しい食べ物もいっぱいありますけどね、一番近いかなっていう風に思ったりしますね。

言魂 ~心に刻む言葉と想い~

続いてのテーマは「言魂」心に刻む 言葉と想い。強い想いと信念が込められた言葉には魂が宿り、人の人生に大きな影響を与える。住吉史彦が先代や家族から、受け取った言葉の裏に隠された想いに迫る。

住吉:実は、自分が作ったんですけど、「本当の資産は財務書評には乗ってない」ってのを作ったんですけど。パクリで作ったんですけど。

朝岡:笑)

住吉:学校でサン=テグジュペリってのを習いましてね。

朝岡:はいはいはい!

住吉:フランスの作家。

朝岡:星の王子さまの作家ですよね?!

住吉:そうですね。そこに「肝心なことは目に見えないんだよ」って言葉がございますでしょう。

朝岡:はいはいはい。王子さまが言うんですよね。

住吉:ええ。会社にとっても、肝心なことは目に見えないし、数字にもならないでしょ、ってことをあるときに思いましてね、それで「本当の資産は財務諸表に乗ってない」という土地建物いくらって、それ本当の資産じゃないじゃんってあるとき思いましてですね。これはBSEの経験であったり、東北の大震災でああいうことになって、でも会社を再建した方もいらっしゃるわけですよね。東北の津波で会社流されちゃった人たちって資産も全部流されちゃって、無くなってるんですけど、立派におやりになってるって、「そうなんだ!」と思って。本当に資産は土地でも建物でもないねって。
前から思ってたんですけど。東北の地震でやっぱり「あ!街に絶対救うんだ」って、老舗さんもだいぶ残っていらっしゃいますよね。酒蔵さんとかね。再建してやっていらっしゃる。あれはお酒を作るっていうノウハウを持っていらっしゃれば生き残れるんです。全部なくなっちゃっても
浅草も実は2回丸焼けで何にもなくなっているんですけど、料理が作れたりとか、お客様から信用されているっていうそっちの目に見えないものの方が生き残っているね、みんな。ということですね。東北の地震と浅草の先輩と対談したりして、ここはやっぱり大事だなと。

石田:そっかー。

朝岡:やっぱり数字とかね、そういうことだけじゃないってね。

石田:本当に。

朝岡:ちょっと忘れがちですよね、豊かになりすぎちゃうとね。

住吉:そうかもしれないですね。

朝岡:人間ってね。

石田:今現在、社長が心に刻んでいらっしゃる言葉っていうのはございますか?

住吉:これは学校の同級生が言ったんですけど、「金金ストーカーになるな」ってね(笑)

朝岡:えっ、金金ストーカーになるな。はーはーはー。

住吉:金に対するストーカーみたいな人いるって彼は言うんですよ。友達なんですけど。それダメだって。金も女性も追っかけていくと逃げられちゃうよって。

朝岡:ほー!

住吉:噺家さんなんですけどね、その友達は(笑)

朝岡:(笑)うまいですね!

住吉:これはいいなってちょっと使わせてもらうよって言ってるんですけど。

朝岡:お金ばっかり追っかけるんじゃなくて、もっと大事なものも大事にしていこうよって。

住吉:嫌ですよね。儲けようとしかしてないって。買い手は行きたくないですよね(笑)

朝岡:顔つきまでね、お客さん見る顔つきまで変わってくるような気がするんですよ。

住吉:逆の立場になればすぐわかる話で、やっぱり普通自分も行きたくないですよね、だったらそういうのやっぱりやめなきゃダメでしょっていう。

朝岡:そっか、金金ストーカーになるな。

住吉:面白い表現だなって思ったんです。

朝岡:そうですか。それは同級生の噺家さん?(笑)

住吉:そうですそうです。

朝岡:パッと言ったんですか、何気なく(笑)

住吉:本人で、本出してる立川談慶くんって言うんですけど。談志さんの弟子で、「慶応」の「慶」で立川談慶くんて言うんですけれども、彼が本の中で落語の中で「与太郎」って登場人物がいるんですけれども、その与太郎を論じた本を出したんですね(笑)その中に「金金ストーカーになるな」って(あったんです)。与太郎が言うんですよ。

朝岡:与太郎はね、どっちかっていうとお金がないからね。

住吉:面白い本なんですよ。

朝岡:そっかー、でもなんかこう言うお仕事とか、社長・・・なんというか社長業とは違う所から、いろんな材料をね、集めてるのかわかんないけど、感じられて、それをまたお仕事ちんやさんに返してるというか、そういう雰囲気が僕はしますけどね。

住吉:そうですか。ありがとうございます。

貢献 ~地域、業界との絆~

地域や業界との絆。長寿企業にとって欠かせないもの・・・。それは、地域との繋がり・・・。
「ちんや」が行っている地域貢献、住吉史彦自身が行っている取り組みとは?

住吉:地域って意味では、浅草ですので。いろんな会、いろんな趣旨の会がありまして、入ってるという感覚もないほどに入ってるんですね。幼稚園から一緒なもんですから。

朝岡:ちょうどみなさんが、幼稚園から一緒のお友達が、ちょうどそういう立場になって、お店の主人だとか社長さんだとかね、なってらっしゃる。

住吉:まあいろいろ、料理屋の組合であったり商店街であったり。

朝岡:ちなみに地域の役割、役職っていうのはいくつくらい・・・だいたい。

住吉:あーもう数えられないくらいくらいありますね。

朝岡:数えきれないって!?(笑)そんなに入ってるんですか!

住吉:ええありますね、なんとか理事とか、なんとか委員長とかいっぱいありますね。

朝岡:そうですか。

石田:たまたまかもしれませんけど、浅草という地域というのは企業と地域が密接な地域というような気がするんですけれども、いかがでしょうか?

住吉:それはよその土地の方から言われて「ああそうなんだ」って気づくような感じでして、さっきも申しましたけど、本当普通に「誰ちゃんいくつになったらこれやってね」とか、「学校卒業したらこういうのやってね」という話になるので、それを密接といえば密接なんだなと思いますけれども。

朝岡:(笑)

石田:生まれ育ったその場所から外へ出られないというか、そこでずっとお仕事もなさって、代々継がれてるって感じ・・・

住吉:そうですね。銀座と違うのはそこで、銀座の方はほぼ住んでなくて通ってきてますけど、浅草は店の上に普通に住んでる。ですから朝起きて、通りの掃除とかも一斉清掃だ!っと言って掃除もしますしね。別にボランティア・・・世間でいうとボランティアってとするでしょうけれども、ボランティアって感覚はないですね。「みんなやるからやる」っていうとこですね。

朝岡:生活とお仕事、これが一緒になってるところだから。

住吉:全然分離してない感じ。

朝岡:コミュケーションも当然生活も仕事も一緒に重なりますでしょ?そうするとやっぱり地域を掃除したりするのも、普通のご近所のコミュニケーションの一つとしてやってるから、取り立ててボランティアやってますとか。

住吉:ボランティアやってますって感じは全然しないですね。

朝岡:ないんですよね!それが浅草なんですね。

住吉:名前の呼び方もね、“ふみちゃん”って呼ばれてるんですよ(笑)

朝岡:(笑)住吉社長!なんていう人はいない?

住吉:そうですね(笑)社長なんて浅草で言われることはないですね。幼稚園の時に呼ばれた名前のまま。

朝岡:そっかー(笑)ふみちゃんね。これ浅草ですからね。

住吉:親もいるので、区別しなきゃいけない、住吉さんじゃ誰呼んでるかわからない。

石田:それでふみちゃん!

住吉:ええ、親もいて子もいてそれぞれ配偶者もいますから住吉さんだけじゃない話だから。

石田:それでお名前の方、下のお名前の方。

住吉:ちんやのふみちゃんというと僕のことです。

朝岡:長い付き合いだから「ちゃん」ですよね。「さん」じゃなくてね。

住吉:もう「ちゃん」づけですよ。

朝岡:ちゃんづけですよ、ふみちゃん。いいなー(笑)

石田:他にもすき焼きやさん、業界内での取り組みはありますか?

住吉:「すき屋連」と言っているんですけどね。

朝岡:すき屋連?!

石田:すき焼き連盟ですか?

住吉:そんな感じですけど全国のすき焼き屋さんとすき焼きに関連しているお仕事の方と、後少しメディアの方も入っていただいて、そういう集まりを年に3回くらいやってまして、すき焼きのことに関して勉強して、その後はもちろん宴会!っていうのをやってますね。
すき焼きの宴会って楽しいんですよ。

朝岡:(笑)業界のプロの方が集まってすき焼き勉強するんでしょ?それ究極に濃い集まりですよね!

住吉:ええ。

朝岡:そういう情報交換ということも、意外と浅草のお店同士ならコミュニケーションもあるんでしょ?離れているすき焼き屋さん同士だとうそう頻繁にないですからね。

住吉:それはそう。普通の状態だとあんまりないかもしれないんですけれども、だいたい始めて10年くらいですかね。年に3回ずっとやってますから。だんだん仲良くなってきますね。最初はちょっと警戒感があったりするんですけれど、純粋に業界団体じゃなくってですね、ちょっと関係ない方も、興味本位な方も多少入っていただくと、これが良かったりしてですね。で、興味本位で聞かれると、ぽろっと言っちゃったりして、言っちゃいけないことも言っちゃったりして、それを横のすき焼き屋が聞いてですね。

朝岡:そうなの(笑)

住吉:ポロポロと、まああんまり部外者に言いたくないことも話してるうちにだんだん仲良くなって。

朝岡:そのすきや連、作って維持している価値とか良さがそういうところでもだんだん出てくるですよね。

住吉:単純に楽しいんですよ。美味しいし。

石田:(笑)

住吉:これが美味しくないと続かないものですから。

朝岡:ちなみに、宴会やるぞって場所があるから、持ち回りでやってるんですか?

住吉:そうです。松坂行ったり米沢行ったり、熊本も行きますし東北も行きますし。

朝岡:そうですかー。

住吉:楽しいですよ。

朝岡:すき焼きサミットだね〜

伝燈 ~受け継がれる伝統~

受け継がれる伝燈。創業以来、代々受け継がれている書物や品物・・・。そこに隠された想い、物語とは・・・

住吉:実は、これなんですけど、「すき焼き思い出ストーリー」っていう(本)のを一昨年作りましてですね、作り始めたのはその5年前・・・5年ほどかけて、すき焼きの思い出をあったら文章に投稿してくださいませんか、という呼びかけ5年ほどしまして、70個ほど集まりました。それを一昨年創業135年だったもんですから本にまとめて、これを残していこうと後世の人にもすき焼きってこういうもんだよって昭和のすき焼きってこんな感じだったよって。

朝岡:一般の方の思い出を・・・

住吉:そうですそうです

朝岡:綴って。(本を見ながら)今じゃ海外にいらっしゃる方が30年前に食べた話ですとか大正10年からの物語とか、いっぱいありますよー!ほんの10行くらいの思い出とかがいっぱい集まってるんですね!

石田:へー。

住吉:そうですね!

朝岡:そうだよ、思い出ってこういうもんだね。

石田:そうですね。

朝岡:強烈な部分がすごく残ってて。

住吉:うちのおじいちゃんはすき焼きこんなんだったとかね。

朝岡:特に印象的だったエピソードというのはあるんですか、この中の。

住吉:一番ありがたかったのは、「自分は5代目です」っていう投稿してくださった方がいて、客の5代目なんです。お客様が・・・

朝岡:代々来てて、ちんやさんに。

住吉:見えてくださってるっていうのを、それを細かく書いていらしてですね、10年前はこういうことをしたんですとかね、その時に参加してたのは曽祖父と祖父とだけであるとか誰であるとか、そういうことを書いてくださっていてですね。私6代目ですけど、店の主人の何代何代ってよく聞いたりしますでしょ?お客さんの何代目って意外となかったりして。話には聞いてたりするんですけど、はっきりと文章にして送ってくださった。で、本当に5代来てるお客様でいらっしゃると。

石田:よほど愛されて信頼されていらっしゃるんですね。

住吉:そういう風に思いましたね。

朝岡:5代続けていらっしゃるってだいたいお店も続いてなきゃお客様も5代来ないですからね。
あーそうですか。そういうお客さんが今も思い出を作りにちんやさんにいらっしゃってるんですよね。

住吉:6代になるかもしれない。

朝岡:そうですよね。

住吉:(5代きてくれているお客様の)お子さんがいたりすれば。

朝岡:そうですね。

住吉:そうこうしているうちにおじいちゃんも亡くなっちゃったりするんですけど、後の世代が登場してしてますから。この方々も(5代きてくれているお客様の)どうでしょう・・・20年くらい経てば自分も社会人になって稼ぎができてくれれば、次の代っていう風に・・・デートで来ていただいたり。

石田:これからもそういう素敵な思い出が作られていくんでしょうかれども、サイトのほうで今も募集されてるんですよね?

住吉:そうですそうです。ネットでも募集してます。

石田:ということはこの(「すき焼き思いでストーリー」)続編が出るかもしれないということですね?

住吉:そうですね。また溜まってきたら出したいと思ってます。

朝岡:135年とか節目じゃなくて、2年に、3年にいっぺんとかね。オリンピックみたいにこういう思い出ストーリー・・・なんとかみたいな感じで繋がっていくといいですよね。思い出が本当繋がっていきますよね。

NEXT100 ~時代を超える術~

NEXT100年、時代を超える術。次の100年へ向け、革新を続ける中で、今朝にとって継承すべき変わらぬ「核」となるモノ・・・6代目代表取締役 住吉史彦が語る次代へ届ける長寿企業の知恵とは。

住吉:これはもう美味しさ以外にないので、それ以外のことを考えちゃダメよっていうのがコアな部分になってくると思います。その美味しさとこの(「すき焼き思い出ストーリー」を指して)思い出が繋がるんだよと、美味しくなきゃ思い出にならないですしね。

朝岡:これから100年先ってことを考えてみるんですけどね、今135年というちんやさんの歴史を振り返ってみると明治時代になって牛肉を食べる文化が入ってきて、で始まって、ご馳走としてね日本独自の文化として、進んできた130年ちょっとだとおもうんですけれども、これから100年後というとすき焼きって食べ物はどんなまず存在であるのかなと想像なさいますか?

住吉:どうなってますかね。多少の変化は起きてくるんだと思います。けれども、そういうことよりも日本人の思い出に近いところにあるというポジションはそんなに奪われないんじゃないかなっとは思ったりしますね。

朝岡:日本の食べ物のね、和食って蕎麦があるでしょ?

石田:はい。

朝岡:蕎麦ってあれ一人で食べれるでしょ?

住吉:そういうことですね。

朝岡:すき焼きって一人でも食べられるんだけど、基本的には何人かで鍋つつくという。だからコミュニケーションが取れる文化ですよね。

住吉:そうですね。

朝岡:それは多分100年後も大事な要素としてすき焼きはあるんじゃないかと。

住吉:そこは残ってくんじゃないかなと思いますね。

朝岡:だからあと100年後のちんやさんの社長というか・・・幹部の方にはですね、これはちょっと言っておきたいねというようなことがあれば伺っておきたいんですけどね。

住吉:そうですね、お客様・・・お客様自体はそんなに肉についてお詳しいわけじゃないんですよね。で、こちらは詳しいのでやろうと思えば適当なことを言って売ることは可能だったりしますよね?それはダメで、昔から「安物買いの銭失い」って言いますけど銭失いさせない売り方、これは単純に安くするってわけじゃなくて、ハートの部分の価値であったり、価値観満足度ですよね。それをちゃんと提供できるような銭失いさせない肉っていうところを一つの商いの良心みたいなところですけど、それはやってかないとダメですっということは言っていきたいと思います。
逆にその安く売ると逆にいろいろなんでしょうね、上手いこと言って高く売ることもできたりしますよね。こちらが詳しくて。それは銭失いになっちゃうでしょ、それもダメよっていうことは言い続けて継承させていきたいと思いますね。

朝岡:食べ物以外にもいろいろ老舗がね、多いエリアだと思うんですけど、老舗・・・長寿企業とはあえて言いませんけどね、老舗がずーっと続けていくのに大事なものっていうのは、実際そういう社長をおやりになっててどういうものだと思いますか?

住吉:そうですね・・・私の父は「親切」って言ってたんですよ。お客様に対して。それが若い頃はピンとこなくてですね。「親切」ってあるのかって。お客様に対して不親切って逆に言うと、それってどうやったらそうなるんだって、ちょっとよくわからなかったりしたんですけれども、それをいろいろ考えていったらちょうど先ほどの言いました「銭失いさせちゃダメ」っていうところにいくのかなって思いますね。こちらは自分のやっている仕事に詳しいですから高く売ることはできなくはないけどそれってそれやったら不親切になっちゃう。どういう風に不親切かって言ったら銭失いさせちゃってるでしょっていう・・・それはダメっていうことを「親切」と父は言っていたのかなっていう・・・

普通の言葉すぎてわからなかったですね、昔の当時は。今だったらそういうことかなって自分なりに思うんですけれども。他のお店さんも何かしらそういう・・・うちの父は「親切」って言ってましたけれど、研究している方々は「お客思考」って言ったり「CS」って言ったり、それはそれでちょっと馴染みがない中で、たぶんおそらく似たようなことを考えているんですけど、ものもいい方なんですけど、私が最近言ってるのは「銭失いさせちゃだめなんじゃないの」っていう言い方が自分にとってはリアリティーあるんで行ってます。それぞれ言い方を考えていらっしゃるんですけどね、共通するのはその辺かなって。

すき焼き「ちんや」6代目代表 住吉史彦。
本当の財産はお金でも土地でもなくお客様との絆・思い出である。
美味しさ求める探究心。それ以外のことは考えてはいけない。
この想いは100年先の後継者たちへ、受け継がれていく

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