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山本海苔店 ~「伝統は革新の連続」江戸時代からの知恵

伝統と革命のバランスを保ち、こだわりの味を世界に広げる山本海苔店。

「よりおいしい海苔を、より多くのお客様に楽しんでいただく」ことをモットーに、「おつまみ海苔」の開発を始め、海苔の新しい可能性を追求し続けています。

業界の第一線にありながら、常に時代に即した商いを行い「伝統は革新の連続である」という姿勢を持ち続けることを重んじ、160余年の時を経て現在も多くの山本海苔ファンに愛される秘密を紐解いていきましょう。

1. 創業1849年の老舗、山本海苔店について

山本海苔店とはどういった会社なのでしょうか。
歴史とともに、創業者から現在の社長、そして次代を担う人物まで、ご紹介していきます。

1.1 山本海苔店の創業者は「山本德治郎」

1849年(嘉永2年)、山本海苔店は初代山本德治郎が日本橋室町一丁目に創業しました。
1632年(寛永9年)の「寛永江戸図」にも名の残る「むろまち一丁目(現日本橋室町一丁目)に、現在も本店があります。初代山本德治郎が生きた文化・文政時代は大江戸文化が成熟し、創業時には各種商業が賑わい、日本橋には魚河岸もありました。

襲名制である山本海苔店は現在の6代目に至るまで、当主は代々「山本德治郎」を名乗っています。

1.2 山本海苔店の歴史

1849年(嘉永2年)、初代山本德治郎によって日本橋室町一丁目に山本海苔店は創業しました。

1858年(安政5年)に襲名した2代目は、現在で言うマーケティングの手法を取り入れました。顧客のニーズに応じて自宅用、贈答用、佃煮用など海苔を8種類に分けて販売するなど、画期的な販売方法は顧客の支持を得て「海苔は山本」と言われるようにまでになりました。

その後、創業20年を迎えた1869年(明治2年)に始まった宮内庁御用達制度では、御所への東都土産のご下命を賜り、これを機に宮内省(庁)の御用を賜るように。

1902年(明治35年)、登録商標方制定と同時に「まるうめマーク」を登録、認可されました。まるうめマークは創業当時から使われてきたもので、創業の頃の江戸前海では梅の咲く頃に上質な海苔が取れたこと、海苔が梅の花と同じように香りを尊ぶことにちなんでいます。

昭和40年代(1965~74年)には本社に新社屋を竣工し、駐車場側には日本初と言われるドライブスルー・ドライブインが設置されました。

山本海苔店は、その後は業界問わず、日本の食文化の発達に貢献し続けています。

1849年
(嘉永2年)
初代山本德治郎、日本橋室町一丁目に創業。
1858年
(安政5年)
二代目山本德治郎を襲名。現在で言う「マーケティング」により、顧客ニーズに応じ海苔を8種類に分類して販売。
1869年
(明治2年)
味附海苔を創製。明治天皇の京都還幸に際し、御所への東都土産のご下命より、宮内省(庁)の御用を賜る。
1882年
(明治15年)
東京市内のノリ問屋11名と「東京乾海苔問屋組合」を組織し、東京府知事の認可を得る。
1902年
(明治35年)
登録商標法制定と同時に「まるうめマーク」を登録し、認可される。
1923年
(大正12年)
関東大震災により、日本橋の店舗をはじめ倉庫が消失。日本橋にあった魚河岸も震災を機に築地へ移転。
1931年
(昭和6年)
文豪の泉鏡花より賛文「山本特製海苔報條」を寄稿される。
1945年
(昭和20年)
5月25日の空襲で本店焼失。12月には葦簀張りの床店で開業。
1946年
(昭和21年)
従来の個人商店を会社組織に改め、株式会社山本海苔店を設立。
1954年
(昭和29年)
銘々海苔「梅の花」発売開始。
1965年
(昭和40年)
本社新社屋竣工。駐車場側にドライブイン(日本初といわれるドライブスルー)設置。
1978年
(昭和53年)
おつまみ海苔新発売。
当初はごま味のみ。後にえびちりめんじゃこ味・うめ・うに・玄米などバリエーションが広がり人気商品となった。
1992年
(平成4年)
6代目山本德治郎を襲名。
2007年
(平成19年)
丸梅商貿(上海)有限公司設立。
2014年
(平成26年)
佐賀市久保泉町に工場新設。日本最大の海苔生産地である佐賀に製造拠点を設置することで、生産者と消費者との距離を縮め、最上級の海苔を鮮度感のある商品に作り上げる。

1.3 山本海苔店の現在の社長は

現在の社長は、6代目 山本 德治郎(やまもと とくじろう)氏です。そして、その息子の山本貴大(やまもと たかひろ)氏が専務取締役を務めています。

代表取締役社長 6代目 山本 德治郎(やまもと とくじろう)

慶応義塾大学経済学部卒業

  • 1973年4月 株式会社山本海苔店へ入社
  • 1976年 取締役
  • 1982年 常務取締役
  • 1995年 取締役社長に就任。6代目山本德治郎を襲名

6代目が語るターニングポイント
6代目のターニングポイントは、先代がなくなり「德治郎」を襲名したときです。名前を継ぐというのは非常に重く、「德治郎」と書くたびに、長い歴史を背負う覚悟を思い出したといいます。

名前を変えるには家庭裁判所に行く必要があります。様々な資料を揃え、裁判官に理由を尋ねられ、判子を捺してもらいました。その後は区役所に行って改名します。戸籍にあるそれまでの名前「みのる」にバツが書かれ、「德治郎」が記されました。先代も同様の戸籍を持っており、やはりそれは重く感じられるそうです。また、銀行口座、生命保険、ゴルフの会員券、クレジットカードと何から何まで変える必要があり、めんどうくさかったとか。

血縁があれば代を継げるかというと、そういうわけではありません。「ダメだと思ったら、金をやって仕事はさせるな」と家訓に書かれています。
ふさわしくない人を当主にしてしまうと、お金を使って信頼を潰してしまいます。しかし、お金だけを与えておけば、その範囲でしかできず、家を潰すことはありません。
6代目は、貴大氏を德治郎にできるかどうか見極めている最中なのです。

専務取締役 山本貴大(やまもと たかひろ)

慶應義塾大学卒業

  • 2005年 東京三菱銀行入行
  • 2008年 山本海苔店入社

東京三菱銀行から、2008年に同社入社後、仕入部で海苔全般の勉強を行い、山本海苔店100%子会社・丸梅商貿(上海)に勤務し、おむすび屋「Omusubi Maruume」を立ち上げる。
その後、シンガポール髙島屋、台北三越店と海外店舗立上げに参画。現在、専務取締役営業本部長として営業全般を担い、「おいしい海苔」の普及に務める。

貴大氏が山本海苔店を継ぐことを決めるまで
貴大氏は6代目である父親や、5代目の祖父から「山本海苔に入れ」と言われたことはない、といいます。むしろ母方からの圧力はあったのだとか。時代もあったのでしょう、母方には「大変なところの嫁に行ってしまった」という思いがありました。貴大氏は「サッカー選手になりたい」と言うことも許されなかったそうです。
そういった刷り込みがあって、貴大氏は徐々に人生のすべての選択肢に置いて、「山本海苔店の社長、德治郎になるにはどれが一番良いのか」考えるようになったといいます。

1.4 山本海苔店の強みとこだわり

山本海苔店には二つの強みがあります。その強みを徹底的に磨き上げるこだわりが、他社との差別化につながっていると言えるでしょう。

強み1:徹底的に品質にこだわる

おいしい海苔をお客様に提供するため、山本海苔店は仕入れに非常に気を遣っています。
担当者が日本全国を回って一番美味しい海苔が採れる場所を探します。現在一番美味しいのは九州の有明海で、さらに有明海の中でも「どの浜が美味しいか」「どの時期のものが美味しいか」ということを綿密に調査して、仕入れています。
等級別に出荷される海苔を仕入れたのち、山本海苔店では独自の目線でもう一度仕分けています。仕分技術室という場所で専門の社員が「分ける」作業を繰り返し、できるだけ新鮮な状態でお客様にお届けします。これは他社にはない、山本海苔店独自の強みでしょう。

強み2:「味付け海苔」

2代目が行ったことは大きく分けて2つあり、1つが「仕分」、そしてもう一つが「味付け海苔の発明」です。一般的な味付け海苔というと、焼き海苔に醤油ベースの味ダレを塗り、乾燥させた程度のものです。一方で山本海苔店は梅・ゴマ・うになどの様々な具材を海苔にまぶしています。山本海苔店は味付け海苔のパイオニアとして「味付け海苔なら負けない」と自負しています。

しかし、味付け海苔の味にこだわる山本海苔店の6代目当主が意識しているのは意外なことでした。それは、「味付けには口を出さない」ということ。6代目は海苔そのものの味には口を出しても、味付けについては口を出さないようにしているのだとか。なぜなら、自分自身が感じる「美味しい」と、世の中一般の人の「美味しい」が一致しているとは限らないからだといいます。

2. 山本海苔店の長寿の秘訣は家訓・理念にある

山本海苔店では、2代目が書いた書物が存在し、現代まで受け継がれているといいます。その書物に残された家訓こそが山本海苔店が長く続いてきた秘訣なのでしょう。この章では家訓や社員に伝えている理念について解説します。

2.1 山本海苔店に代々伝わる家訓「和と自分」

山本海苔店には代々伝わる「和と自分」というに書物が存在します。「和と自分」は、山本海苔店を大きく発展させた2代目によって書かれたものです。

「和と自分」に書かれているのは、山本海苔店の家訓。家訓とはすなわち、山本海苔店の原理原則です。例えば、「和を大切に」「積善の家余慶あり(善を尽くすと良いことがある)」「質素倹約」といったことが記されているのだそうです。

「和と自分」は、当主から次の当主候補へと受け継がれています。現当主の6代目は、30代半ば頃に先代から家訓を見せられました。「これから店を継ぐ覚悟を固めろ」というのが先代の意図だったようです。数年前には、6代目が息子の貴大氏に対して家訓を見せたのだとか。店を継ぐ覚悟をしてもらうための重要なイベント、という思いが6代目にあったといいます。

当主と山本海苔店を継ぐ可能性がある者だけが読むことができる「和と自分」。この書物はは2代目が書いた当時のままの言葉で、非常に言葉が難解なのだそう。難解な言葉を、分かりやすくしたり現代語に書き換えたりなどすることなく、2代目の言葉をそのまま伝えることが、歴史の重さ、店を継ぐことの重さが感じることに繋がるのでしょう。

「和と自分」を見せることは、山本海苔店にとって重要な儀式であり、この儀式こそが伝統を重んじながらも革新をおこし続けられる秘密なのではないでしょうか。

2.2 山本海苔店の理念とは

山本海苔店には、物体として存在する「和と自分」の他に、言い伝え的な理念がたくさんあります。2代目はこう言っていた、3代目は「山本の看板がつく海苔には1帖たりとも不良品があってはならない」と言った、などがありますが、これらはどこにも書かれていませんでした。そこで、山本海苔店は数年前に社員とワークショップを行い、理念を明文化しました。

明文化された理念を一言で表すと、「より美味しい海苔をより多くのお客様に楽しんでいただく」です。これが山本海苔店の理念の中核です。

そして山本海苔店では理念は必要なもの、と考えています。なぜなら、理念は「なぜこんなにも頑張って仕事をしなければならないのか」「なぜ残業するのか」と思った時の拠り所になるからです。

2.3 山本海苔店が大切にする考え方

理念以外にも山本海苔店が大切にしている考え方があります。そのうちのいくつかをここでご紹介します。

挑戦をする

山本海苔店が百何十年と続いてきたのは、時代に合わせて革新を続けてきたことにあると言えます。

山本海苔店の革新の事例と言えば、なんと言ってもドライブスルーでしょう。現在、ドライブスルーと言えばファストフードというイメージが強いですが、実は山本海苔店こそが日本で初めてドライブスルーを導入したと言われています。また、おつまみ海苔、という新しいジャンルの開拓もあります。

6代目は、社員にも「挑戦しろ」「チャレンジしろ」と繰り返し伝えています。実際に何かに挑戦する、というのは難しいことです。「挑戦しろ」と言葉で繰り返し伝えてもなかなか浸透しにくい。失敗を評価するような、挑戦できる仕組みづくりもこれから必要なのだと、専務の貴大氏は語っています。

「暖簾(のれん)を売るな」

6代目は先代に「暖簾(のれん)を売るな」と言われたそうです。これは「暖簾(のれん)にあぐらをかかず品質で勝負しろ」という意味です。暖簾(のれん)とは商売をする上での信用のこと。信用で商売をしても品質を落としたら、誰も買ってくれなくなってしまいます。
暖簾(のれん)を売ることをしなかったからこそ、山本海苔店は今まで続いてきているのでしょう。

長期的に物事を見る

元銀行マンの貴大氏が驚いたことエピソードがあります。銀行では利益が重要なため、貴大氏は1枚あたりの海苔の仕入れ値が下がったときに喜びました。

しかし、それを山本家の人に言ったところ、「我々山本海苔店がこんなに安く海苔を買ってるようでは、海苔の未来はない」と返されました。銀行目線では四半期から1年くらいしか見ませんが、山本海苔店は、はるかに長いスパンで物事を見ているのです。

社員には「フレンドリーに。気さくに。気楽に」

6代目德治郎氏は「フレンドリーに。気さくに。気楽に」を心がけているといいます。
「ワンダリングアラウンド」といって、ぐるぐる社内を回っては空いている席に座って「困ったことはある?」「元気でやってる?」といった話を聞きます。社員は家族の一員だと考えており、体のことや色々なことを気にしてあげたい気持ちが、6代目の中にもあるのだとか。

6代目は、3-400人いた社員全員の誕生日に手紙を書き、記念品と一緒に渡していたことがありました。大変だったそうですが、今でも神棚に置いている社員もおり、こういったことが大切なのだ、と感じられるエピソードです。

そして6代目は、叱るにしても、ただ叱るのではなく優しさから叱り、そしてそれが感じられる叱り方が必要だと言います。トップは、慕われたり「社長の為に頑張ろう」と思ってもらえるようになることが大切だと思っているのです。

一方で貴大氏は社長が全社員から愛されていることが羨ましいと言います。
ある社員が「社長は僕に何も強要した事がない」と言う通り、6代目は「こういう方針で行こう」あるいは「皆元気か?」「家族は元気か?」といった話をします。サラリーマン的なあれどうなったこれどうなった、という質問はしないのです。

貴大氏が羨ましがるのには、理由があります。現在貴大氏は、進捗の管理をする立場で、どうしてもサラリーマン的な質問をすることに。しかし、「貴大氏には社員に嫌なことを言う役割の人を周りに何人かつけ、やさしくする役割になるのが理想だ。」と6代目は考えています。
「社員から愛させる社長」。そんな社長でいられる状態をあえて作り出す。これも、長寿の秘訣の一つなのでしょう。

2.4 家訓や理念は時代によって変えるべきなのか?

「クレド」のようなものであればどんどん変えていくべき、「理念」であれば変えるべきではない、というのが6代目山本德治郎氏と貴大氏の考えです。哲学は変えないけれど、言葉や言い回し、商売の仕方は革新していく、という姿勢です。

長寿経営には変えるべきものと変えないコアの部分の見極めが重要だと、6代目は語ります。コアとは、なぜ山本は山本なのか、他の海苔屋さんではできない独自のものは何か、ということです。コアは変えずに、それ以外の部分はドラスティックに変えていくことが重要なのです。

6代目と先代、先々代では考え方が違うかもしれませんが、その中核となるコアは同じです。コアの部分は変わらなくても、考え方や仕事の仕方は時代に合わせて変わっていく必要があります。そのため、6代目德治郎氏は貴大氏に「とにかくやってごらん」と言います。6代目と同じ考えのミニチュアができても意味がありません。次の何十年かやっていくためには、次の代の発想が必要とされるのです。

3. 山本海苔店、長寿の知恵

ここまで見てきた山本海苔店の知恵をまとめてみましょう。

知恵1. 家訓と理念

家訓や理念は苦しいときの拠り所となるだけでなく、山本海苔店のコア、原理原則です。長年姿勢を崩すことなく続けてこれたのは、家訓と理念に依るところです。

知恵2. 長期的な目線

いっとき海苔を安く仕入れられたことを喜ぶのではなく、老舗が海苔を安く買ったことで海苔の未来を憂うように、長期で物を考える視点が重要です。

知恵3. 伝統は革新の連続である

これまで山本海苔店は、コアは変えずにその他の部分は時代に合わせて積極的に革新してきました。それは、今後も必要とされる姿勢です。

「伝統は革新の連続である」という姿勢を持ち続け、お客様に美味しい海苔を提供し続けていきたい。この想いは100年先の後継者たちへ受け継がれていくでしょう。

企業情報:
株式会社 山本海苔店 / 東京都中央区日本橋室町1丁目6番3号 /  03-3241-0322
公式ホームページ:http://www.yamamoto-noriten.co.jp/

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